表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
190/482

第百八十八話 馬鹿の長所は



 シルキーはシェアトを背負ったその瞬間に姿を消した。



 目で追う事も叶わぬその速度を辿れるとすれば、それは足跡であったり、何か彼が触れた物を頼りにするしかない。

 今回はそれが、出入り口のドアだった。

 蹴破ったのかは分からないが、凄まじい音を立てて開いたドアは壁に当たり、次に跳ね返って強く閉まった。



 どうやら無事にこの場からシェアトを連れ出してくれたようだ。

 最悪な状態が続いたこの場所で、ようやく一歩こちらが優勢になったのを確認すると甲斐は吹けない口笛を声で表現して冷やかすと、手首と足首を回した。



「正気を取り戻すとは予想外だった。だがあれだけの電撃を受けたんだ、長く持つまい。いい最期を見せてもらえた。その礼をしなくてはな」

「こちらこそ、あたしの犬がお世話になったようだしね。……で、あんたは逃げなくていいの?」



 標的の大きな笑い声は不気味に遠ざかったかと思えばすぐ耳元で響いた。

 もはやこの動き方は人間業ではない。

 そんな中で甲斐は小さい頃、遊園地でサウンドホラーを体験した時にこの仕掛けに驚いた事を思い出していた。

 あの時急に立ち上がり、拳を振り回して周囲に迷惑を掛けた事だけは今でも親に謝る気にはなれなかった。



「逃げる!? 言葉の意味をよく理解した方がいいな! 私の危険となるものがどこにある?力の及ばぬ場所へ背を見せて走るべきは……お前だ!」

「背中どころか顔すら見せない臆病者になんか言われた……。いいよ、んじゃあ……我慢比べといきますか。酸素があれば、火は燃える」



 難しい事が理解できない甲斐でもそれは分かっている。

 思い切り息を吸い込むと、両腕に炎の渦を纏った。

 


 そして両手を真横に広げると炎の威力を高める。

 そのまま部屋の床と壁に蛇のように火を走らせ、一気に燃え上がらせた。



「ふいー……流石にあっついね。でもこれ脱いだら火傷しそう」



 W.S.M.Cで支給されている迷彩服は対魔法効果がある。

 甲斐の生み出した炎に術者である甲斐が触れても傷は負わない。


 しかし、こうして部屋全体を熱してしまえばその効果は甲斐も受けるのだ。

 魔法で壊した天井が崩れ、それが当たれば術者が怪我をするように。

 防御の盾を展開するのは最初から諦めていた。




 余裕など無い。 




 第一に甲斐は出入り口付近を特に炎を厚くして燃やし、敵を脱出不能にした。

 相手が甲斐よりも不利な状況なのは明確だ。

 この炎の海の中でいつまで持ち応えられるのだろう。

 炎によって生じた熱が逃げ場を失い、この部屋の熱を上げていくのだ。



「逃げたあいつが助けを呼ぶと思っているのか? お前は見捨てられたんだ。せめて悪夢の中で生きれば楽だっただろう。現実の方が辛い。果たせていない仇も、倒せなかった敵も、今なら望むがままに手が届く。手応えも、死に様も見えぬ相手の為に命を落とすよりも、夢を見て達成感に満ち溢れながら死んだ方が良いだろう」

「我慢比べだって言ったよね? 見えなくて良かったのかもだけど、このままじゃあんたの死にざまが見えないから……最期までこうやって話してよっか」



 鼻で笑った声は近い。




「私が話すのを止めれば、死んだと判断するのか? 特殊部隊の頭には甘い甘い蜜が詰まっているのか? それとも私が無言を貫けないと?」

「……どうかな。アンタが命乞いをしないとも思えないし」



 上がり続ける室温は皮膚の薄い部分をじりじりと焼いていく。

 甲斐は自分の鼻に火が点いているのかと錯覚して、鼻の頭をしきりに手袋を履いている手で擦り上げるとその摩擦で更にヒリヒリと痛んだ。




「……そうだな、では楽しい話をしよう。それがいい」




 何か不吉な物を含んだ声は甲斐の後ろから聞こえた。

 もう床は甲斐の両足以外、火の海になっている。

 標的がやせ我慢をしているとしたら、世界に誇れるだろう。

 それどころか、この赤一色の部屋の中で自由に動き回れるなんてもはや敵は人間ではないような気もした。




「あの黒髪が青髪を殺そうとした話でもするか? ん?」




 無意識で怒りにより、甲斐の炎が生きているかのように脈打つと一層勢いを強めた。

 それは術者である甲斐にとっても喜ばしい展開とは言えない。



「動揺したな? どちらが憎い? 青が大切ならば黒が憎く、黒が大切ならば助けられなかった青が憎いか? 夢の中に戻れ……戻るんだ」

「どこまで話が通じないの……。あたしが初めて本気でぶっ殺してやると思った相手はアンタだよ」

「……死ぬのは、お前だ馬鹿女。どうやら本当におつむの出来が悪いらしいな。それとも仲間なんて思っていなかったのか? 貴様には憎しみも、後悔も何も無いのか……。だから姿の知らぬ私に捕らわれるのか……」



 勝手に一人で納得しているが、甲斐には何を言われているのか分からない。



「だが、私は見たぞ。私は聞いた。貴様がエルガという人物の幻覚を見ていたのを知っている!」

「あたしの大事な友達の名前を呼ばないで。アンタみたいなゴミ野郎が口にしていい名前じゃない。臓器の名称しりとりでもしてウヒャヒャって笑ってるのがお似合いだわ」




 顔全体が熱い。

 しかしまだ、耐えられる。

 砂漠に出動した日も、皮膚に似た痛みを感じた。




「何故それを打ち破り、新たな幻覚を見ないか……それはお前が馬鹿だからだ。人を信じ、疑わないといえば聞こえはいいがただ深く物を考えられていない。それだけだな。……こんな人間がこの場に来るとは…想定外だ。良い魔力も持っている。殺すのは惜しいな」

「……普通に悪口言ってきた……! はぁ……殺そうとしてるのはこっちなんだけど、やるってんなら受けて立つよ」




 ファイティングポーズを取った甲斐には、分かっていた。




 どう計算しても勝ち目が無い。

 そう頭では分かっていたし、自分一人だけがここで死ぬのだろうという予感もある。







 それでも絶対に引き下がれなかったのは、標的の言う通り馬鹿だからかもしれない。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ