第十八話 ぐらぐら燃えるホテル
ホテルにはエレベーターも無く、フロントには不愛想な老婆が投げるように一つの鍵を投げて寄越した。
食って掛かろうとする甲斐の腕を強引に引いてシェアトが部屋へ連れていく。
木目に沿ってひび割れた階段を上がって行くと照明の無い廊下に全部で五つのドアがあった。
塗装も剥げ、ノブも変色している。
一番奥の部屋に持っている鍵と同じ数字が書かれていた。
甲斐がシェアトから鍵を奪い取り、意気揚々と差し込んだ。
そして力を入れて回すとぼきりと鍵が中に刺さったまま折れてしまった。
「おっ前……! どうすんだよ! あのババア、平気で数百万は弁償金取ってきそうな雰囲気だったじゃねぇか!」
「なんて事だ! こ、これ魔法でどうにか出来ないの!? シェアト静かにっ……! 鍵なんてきっと合鍵とかあるでしょ! と、とりあえず中に入ろ!」
開錠は出来たようでそそくさと今度は甲斐がシェアトを部屋へと押し込んだ。
中は簡素というべきか、質素というべきか。
ベッドが二つ並んでおり、換気が十分にされていなからかどこかカビ臭い。
トイレと風呂が一緒の部屋にあり、ヒビの入った鏡が掛けられている。
クローゼットを開けると黄ばんだバスタオルが畳まれていた。
古い衣服の匂いがむっと鼻に溜まる。
「あれ、ブラインド下がらない……オラア!」
紐を力任せに引くと、リールごと外れて壁の破片を撒き散らしながら床へ落ちた。
勢い余った甲斐が手を窓ガラスに付いてしまい、そこを中心にパシッと弾けるような音と共に細かく無数のヒビが入った。
「やめろーーー! 破壊神よ鎮まりたまえーーーー!」
「やめてよちょっと! でも、破壊神って悪くないね……」
ごくりと生唾を飲み込んで喜んでいる甲斐をベッドに座らせ、壊れたブラインドを持ってどうにか戻せないかと持ち上げてみたが操作する糸が引きちぎられている。
窓ガラスは最早どうしようもなさそうだ。
物を修復するような魔法は生憎フェダインでは習っていない。
そもそもそういった魔法は専門的分野になるので、二人の頭では到底理解できないだろう。
甲斐の望むような、杖を一振りなんて出来ないのだ。
「……あーあー……ど……うすんだよこれ……。いいか! もう何も触んな! 夜までそこから動くな! お前は何もしなくていいからな!」
「な、なによう。破壊神って黙って拝まれてるような神じゃないんだからね!」
ホテルの部屋で二人、何かすることもない。
情報も今回の事件は極端に少ないのだ。
「あたしらは多分その殺人犯に会うまで夜はパトロールしなきゃだろうし、寝とく?」
「お前は寝てろよ。流石に鍵も壊れたし、二人揃っておねんねしてたら不用心すぎるだろ。俺は別に大丈夫だから」
そう言うと入り口を見るようにベッドに腰かけているシェアトは、どこか疲れた顔をしていた。
小さなランプが置かれた棚を挟み、甲斐のベッドがあるのだが甲斐は靴を脱いでベッドに潜り込む。
どうも嫌な匂いがする。
カビなのか埃のせいなのかとにかく臭い。
甲斐の鼻がその匂いに段々と慣れてきた頃に、今度はくしゃみが止まらなくなってしまった。
「ばーーーくっしょ! ちくそーーー! 眠れやしねぇ! なんだこれ!」
「あの赤毛の方が可愛いくしゃみなんじゃねぇの……。それにしてもここは儲かりそうもねぇからな、掃除用の魔法機器も買えねぇんだろ。だって見ろよ、これマッチだぜ?本物初めて見たぞ、魔法じゃねえ火を使うランプなんて危なっかしいな」
「マッチ触った事無いんだ……。あたし前の世界だと学校の実験とかで使った事あるよ」
一体どういう授業なのか、と尋ねそうになったがシェアトは魔法を扱わない普通教育を中学校まで受けていたのだ。
中学校の記憶を思い出そうとしてみたが、ほとんどの授業を寝ていたりサボっていた記憶しか出てこなかった。
「……やー、もうこのベッドは極限まで疲れた時に使った方が良さそうだね。シェアト、ご飯行こう。このホテルは食べ物あるのかな?」
「こんな清潔なホテルなら高級コース料理が出てきそうだもんな! 楽しめよ! ……俺は外で食ってくる」
「えー? だって鍵壊れてんのに外出たら危なくない? 順番に出る?」
夕飯を何にするかで二人が盛り上がっている中、突然窓ガラスが内側へ砕けた。
盛大な音と共に、二人は咄嗟に身をすくめる。
一つ、何か重い物が床に落ちる音がしたのをシェアトは気付いていた。
「……あれ、窓割れた。限界だったのか……な……。あれ、シェアト……? なんかこれ、火が……」
「火炎瓶だバカ! 荷物持て! 逃げるぞ!」
お互い一つだけの小さな荷物を掴むと、素早く部屋を飛び出した。
あっという間に燃え広がる中で、また一つ瓶が投げ入れられたのを甲斐はドアが閉まる寸前に見ていた。
廊下を走るシェアトの後ろで甲斐は止まった。
「シェアト、待て! おいで!」
「『待って』、だろうが! 何犬の芸みたいに言ってんだ! なんだよ!?」
「なんか聞こえない!? あたし達の隣の部屋じゃない?」
落ち着いて聞いてみると、確かに壁を激しく叩いているような音が聞こえる。
そうしている間にも二人の部屋のドアの隙間から黒い煙が出ている。
「チッ、しょうがねぇな! ただのラップ音だったらこんな幽霊ホテルぶっ壊してやる!」
来た道を戻り、音が響き続ける部屋のドアを激しく叩くが返事は無い。
時間が無いので甲斐が拳でノブの横に穴を空け、そこに手を入れて内側から鍵を開ける。
先に入ろうとしたがシェアトに後ろに下がるように手で制され、道を譲る。
「入るぞ! 民警だ! 隣の部屋が燃えてる! ……おい?」
中にはこの街に来た最初に会った、シェアトの頭部に瓶をぶつけてきた良いピッチングの少女がいた。
掛けられている手錠はベッドの脚に長い鎖で繋がれており、何周も口を塞ぐようにテープを巻かれている。
唯一自由な足で壁を蹴っていたようだが、真っ赤に変色している。
「闇が深い……」
「なんだよこのガキ……。仕方ねぇな、ほら早く行くぞ」
硬化した手で繋がれていた鎖を甲斐が引きちぎるように切断すると、シェアトが少女を肩に担いで部屋を出る。
念の為他の部屋に宿泊客がいないかを確認している最中も少女はシェアトの腹に蹴りを入れ続ける。
外されていない手錠を鳴らしながら抵抗する彼女を下ろす訳にもいかず、明らかにシェアトは苛立ってきていた。
「こっちもクリアー! ……煙、酷いね。じゃ、外出る?」
炎が部屋を焼き尽くし、更に成長しようと廊下にまで延焼していた。
姿勢を低くして二人は階段を降りていく。
フロントの老婆を探しにスタッフ用の扉を開けたが、中には誰も居なかった。
「ハメられたな……。ここの街じゃあ出迎えんのにこんな盛大に祝ってくれんのか、良い街だな!」
「外出よっか……。仕事が増えてく……! この子の保護と、事情聴取と……先に何か食べない……?」
「そりゃいいや。その為にもまずはこいつの口を塞いでるテープ外さなきゃな」




