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第百八十六話 まんまと引っかかる

「カイ……会えて良かったよ。僕の美しさは衰えないだろう? ……あんな態度を取ってしまってすまないね、いくら謝っても罪は消えない」

「エルガ、それより謝る事あるでしょ! あたしだけじゃなくて、みんなにも! 悲劇のヒロイン……じゃないか、ヒーローぶったってダメなんだからね!」



 甲斐の目の前で得体の知れないおどろおどろしいものがエルガを取り込もうとしていた。

 悲しそうに微笑んだまま、抵抗もせずに取り込まれようとしているエルガにも腹が立った。



「ちょっ、ストップストップ! なんで……! なんで助けてって言わないの!? バカ! 頭良くてもバカだわほんと! バカ……バカはシェアトも……バカだった……バカ……」



 エルガに纏わりついている黒い液体の様な物は徐々に人の形となり、二メートルはあろうかという大きさにまで成長した。

 後ろで座ったままのシェアトを指さす人型に、甲斐の頭には血が昇る。

 ここにいたはずのシルキーが姿を消した事も、疑問に思えなかった。



 甲斐が冷静ではない、理由はそれだけではない。



 いるはずのないエルガが目の前にいる事も受け入れてしまうほどに、この部屋には不思議な作用が働いていた。




「ふざけんじゃねえよ! ドロドロマン! いいからエルガを離しやがれってんだ!」





 ありったけの力を込めて殴り掛かったが、人型はエルガを包み込んだまま避けた。





「勝てる勝てる絶対勝てる……! そんでもってエルガとシェアトを連れてみんなに会うんだ……!」






 シルキーはこのからくりを見破っていた。

 



 先ほどシルキー目がけて攻撃を仕掛けて来た標的の正体は甲斐だ。



 少しでも気を抜くと、簡単に思考を書き換えられてしまいそうだ。

 このままでは敵の思うつぼだ。

 魔力研究所を襲撃し、魔力を集め、こんなおぞましい仕掛けを作り出したのだろう。



 これは全て幻覚であり、幻聴だ。



 現に甲斐が何かを話している途中から聴覚に異常が起こった。

 構っている暇はない。

 ドアを閉めた人間がいるという事は、この仕掛けで二人を始末しようというのだろう。

 相討ちとはいかなくとも、片方だけ再起不能にしてしまえば隊員同士の戦闘だ、もう片方も無傷という訳にはいかない。

 その機会を伺っている人物がこの近くにいるはずだ。



「絶対……絶対助けるから……! エルガぁあああああ!」

「今日の組み合わせは最悪だ。中尉、恨みます」



 首の骨を鳴らすと、走りながら向かって来る標的扮する甲斐を避けずに受け入れた。

 思い切り腹に拳を打ちこまれたシルキーの体は高く舞い上がった。

 炎は対魔法の防護服を焦がした。



「当たっ……た……! エルガ……!」



 駆け寄って来る甲斐はとどめをさすだろうか、そんな事を考えながら胃液をぶちまける。

 足に力が入らない。

 肋骨は何本かやられたようだがこれは想定内だ。

 どうにか目を覚ましてやらないと、そう思えている意識が何度も飲まれかける。


「……あれ…あたしが、倒せる相手なら……エルガも倒せたんじゃ……? え……っと……? そういえば、ここって……シェアトを、助けなきゃならないのに……エルガならシェアトを放ってなんておかない……よね?あれ……? 君、誰……?」



 飛んで行ったエルガと人型は甲斐を見ていた。

 エルガはいつも通りの笑顔で甲斐を見ていたし、人型はただの穴の部分を甲斐に向けていた。



 口に出来なかった自惚れ染みた言葉。



 本当のエルガであれば勝てる勝てぬに関わらず、自分が戦おうとしたなら止めただろうという自意識過剰とも取れる予想だった。

 ただああして、誰かが懸命に助けようとしているのを見ているだけの人物ではないのだ。

 SODOMへと行ったエルガは誰からも手が届かぬよう、全てを拒絶したように。


 エルガと人型にノイズが混じる。

 まるで二人だけが砂嵐に変わっていくように、その向こう側には自分と同じ迷彩服が見えた。


「あたし……ここにどうやって来たんだっけ……? 誰かと、一緒に……? あれ、声ってどうやって出すんだっけ? ん?あー。あーっ! 声、出てる?」


 自分の唇に指を当ててみると、確かに動いている。

 急に耳が聞こえなくなってしまったのか。



 何故、思い出せなかったのだろう。



 ここに来たのは任務の為だ。

 倒す敵がいるのだ。

 シェアトを連れて帰らなければならないのだ。

 一人で、出来るだろうか。




 一人?



 誰か、もう一人。

 あの、ノイズの向こうに。




「シルキーさん! シルキーさん! ……しっ、死んでるっ……!」

「目が合ってるし瞬きもしてるだろ! 殺されたいか!?」



 怒鳴ったせいで体のあちこちが痛む。

 会話が出来るようになった。

 聴覚が戻ったようだ。



「次に気が狂っても助けてやらないからな、息の根止めてやる。覚悟しとけ」

「えっ……ちょ、なになに!?」



「……驚いた、この装置が効かない人間もいるのか」



 何者かの声が聞こえた。


 

 今回は甲斐と同時にシルキーも聞こえたので幻聴ではないらしい。

 しかし、実体が見つからない。



 ステルスだろうと視界に熱探知用魔法をかけたが見当たらない。

 標的どころか甲斐も、自分の手の平すらも見えなかった。



 この部屋自体がやはり厄介な仕掛けが多いようだ。



「罪の意識、会いたい人物、そういったトラウマを呼び起こして投影するんだよ。気分はどうだ?最悪中の最悪だと言ってくれ。この魔力装置の為に多くの魔力研究所の人間が犠牲になった。これはまだ試験段階だが、良いデータが取れた。私の仲間も殺されたからな……良い結果にはやはり犠牲が伴うものだ」

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