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第百八十五話 閉じ込められた二人

 無言のシルキーの纏う空気は張り詰めていた。

 声を掛けようにも、この場で死体の仲間入りをさせられそうで甲斐も黙って付いていく。

 シェアトが歩いたであろうこの道を、見えない後ろ姿を追いかけて二人は進む。


 然程広くないフロアを一階から二階と登って行く。

 クリア、とシルキーが呟く度にほっとしたような気持ちになるのはやはりまだ自分には戦う覚悟が無いからだろうか。



 最上階は五階らしい。



 四階も息をしている人間は一人もいない。

 甲斐はシルキーに見つからないように転がる死体の中にシェアトがいないかと探していた。



「最上階か、いかにもだな」


 手首の骨を鳴らし、シルキーは狂気の笑みを浮かべた。


「……行きますか」



 意気込んだ二人が階段を上がると、ドアが一枚半開きの状態であるだけだった。

 シルキーの後ろで壁に貼り付き、足でドアを開くのを見ていた。

 中の様子を伺うシルキーは手で甲斐を制す。



 そしてとうとう中へと滑り込んだ。



「……クリア。誰もいないな……逃げられたか……!」


 五階は下のフロアとは違い、この部屋しか無いようだ。

 癇癪を起こしたシルキーはドアを蹴って全開にしたが、それでも部屋全体を照らすような光には程遠い。



 それでも、床にひび割れた白いタイルに付いている血痕を見つけるには十分だった。



 一つはここからドアの外へと向かうもの、ネオの血痕だろうか。

 もう一つは逆に奥へと向かう引きずられたような痕だった。


 甲斐が右腕全体に大きな炎を縄のように巻きつけ、明かりの代わりにしながら奥へと進む。

 シルキーは甲斐が何を追っているか気付いたようだ。





「シェアト……何してんの?」





 部屋の隅の壁に背中を預け、下を向いたままの黒髪の男は動かなかった。

 力無く垂れた左腕、右腕は伸ばした足の上に乗せてある。

 W.S.M.Cの迷彩服を着ている彼の所で血痕は途切れていた。


「シェアト……? ねえ、ちょっと……冗談やめなって。全然……全然笑えないから……」

「……行くぞ。ここに居ても時間の無駄だ」


 シルキーに甲斐は反抗する。


「シェアトを連れてかないと……。ここに置き去りにしたらきっと怒りますよ」



 次に声を掛けても甲斐が頑として錯乱したままであれば、置いて行こうとシルキーは決めた。



 刺激しても、なだめてもきっとどうにもならない。

 嫌という程こんな場を踏んで来たシルキーには分かっていた。


 

「(足手まといは、いらないんだよ……!)」



 シルキーの中で、甲斐が仲間ではなく障害へと変わろうとしている。



 そんな中で、ドアがゆっくりと閉まろっていく。

 目の端でそれを捉えたシルキーが駆け出した時には遅く、異常に大きな音を立てて出口は閉ざされた。


「クソ! はめられた……! どこにいた……? あの扉が勝手に閉まるはずがない、警戒しろ」

「……エルガ……?」


 ぼんやりと、紫掛かったような明かりで部屋が満たされた。

 それは光というよりも空気に色が付いたような、不思議な光だった。


 シルキーは甲斐が呟いた名前がSODOMの代表である事に気が付いたが、それが今なんの関係があるのか理解出来ずにいた。

 頭の中は状況判断で忙しく、甲斐の様子を見ている余裕は無かった。



「……エルガ、ここで何してんの? 助けて! シェアトが……シェアトが大変! ねえってばァアアアぁ」

「……なんだ!?」



 甲斐の声が、おかしい。

 いや、おかしいのは自分の耳かもしれない。



 急激な気圧の変化があったかのように、耳の奥の違和感は膨れ上がり、そして痛みに変わった。

 これでは聴力もあてに出来ない。

 一旦ここは引いた方が良いだろう。

 力ずくでも甲斐を連れて行こうと振り向いた時、シルキーは瞬時に間合いを取った。


 そこにいたのはミーティングルームで目に焼き付けたはずの標的だった。



 武装勢力の頭にしては随分と頼りなく、それでいて妙な雰囲気を持つ男。



 高そうなシャツとベスト、そしてパンツ。

 どれも良く似合っており、ロマンスグレーの頭はオールバックで固められていた。

 細い眉、据わった瞳、何故か薄ら笑いを浮かべている標的は動かない。



「……いつの間に……お前……!?」



 その後ろには、綺麗な金色の髪をした少女が座っていた。

 真っ白なワンピースの良く似合う、小さな少女。

 彼女にシルキーは見覚えがあった。




「ルキーナ……はは、はははは……」




 妹との思いがけない再会にシルキーは笑った。

 目の前で惨殺されたはずの妹はあんなにも安らかに眠っている。




「……私が殺した」




 標的は小首を傾げて笑顔を深めた。

 そして一歩ずつシルキーに近付いて来る。



「それは違う。どんな勘違いをしてるんだ? もうろくするような年だったか?」

「いいや、私が殺したんだ。悔しいか?」


 

 意味不明な主張を繰り返す標的にシルキーは息を深く吐いた。 



「……何故犯人がお前じゃないと言い切れるか教えてやろうか」



 この部屋に充満している『何か』が、正常に保とうとする思考に侵食して来る。

 ただここから出て行くにも、手ぶらでは出られない。

 標的はこんなにも近くにいるのだから。



「両親を殺した犯人は子供部屋へ侵入、二段ベッドの下で寝ていた妹に何度も何度も刃物を突き立てていた」



 何度も、何度も思い返したあの日のことをシルキーは話し出す。



「俺はその時喉が渇いてグラスに水を入れて持って来た。そして犯人が妹を研ぎ石か何かだと勘違いしている時に鉢合わせた。手にしていたグラスを取り落としたのが俺の最後の記憶だ。俺が魔法を暴走させて犯人をひき肉に変えたらしい。それでも、犯人が生きていると?」



 シルキーが全てを言い終わる頃に、目の前にいた標的は燃え盛る炎を振りかざして攻撃を仕掛けて来た。



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