第百八十三話 赤色灯点滅
シェアトはあれから機嫌が直らないままだった。
そんな状況でも仕事を休める訳では無い。
甲斐は今までの経験上、シェアトは精神年齢が弟に全て吸収されたような人間である事を理解していたので気が気では無かった。
もしここで任務に集中していないシェアトに何かあったとしても、予定された未来なのだろうか。
まだ簡単な任務ばかりを回されている甲斐は仕事から大急ぎで戻り、シェアトと一緒に任務へ行ったはずのネオやノアに聞いてみても変わった様子は無かったと言われ拍子抜けしてしまった。
あんなに取り乱していたはずのシェアトが、任務はちゃんとこなしてくるとは思っていなかった。
シャワーでも浴びに行っているのだろうか、声を掛けようにも姿が見えない。
クロスの事を考えると何かしなければならないはずなのに、何から始めたらいいのか分からず途方に暮れてしまった。
昼時だというのに食堂やトレーニングルームへ行く気になれず、自室に戻るとちょうど音声通信が鳴り響いていた。
「わわわ! はいはいはい! ナバロ! はいはい!」
大慌てでベッドの横にあるサイドテーブルに置きっぱなしのチョーカー型通信機器を掴んで通話ボタンを押すと、堪え切れなかった笑い声が聞こえて来た。
首に付けながら、ビスタニアの言葉を待つと平静を装ったいつもの落ち着いた声だった。
『良かった……元気そうだな』
「うんうん! 元気! 珍しいね! っていうかベストタイミング! 見てた!?」
いつ話しても甲斐は嬉しそうに受け答えをする。
そんなことでも、ビスタニアの顔はほころんだ。
『見てもいいのか? ……いや、やっぱりやめておこう。四六時中気になって仕事にならなそうだ。……インラインの件だが……ああ、今はアビヌスか。大丈夫か?』
「フルラ? うーん……ちょっと色々あったんだよね。でも、クリスがフルラのとこ通ってくれたりしてくれてて……。ねえナバロ、あのね、クロスちゃんがいなくなっちゃったんだって」
色々、というのが気になったが新たな問題にビスタニアは口ごもった。
『……それは、俺の昼休みの間に終わる話でも無さそうだな。元々の予定としては今夜食事にでも恋人を誘ってみようと通信したんだが、正解だったな。どうだ?』
「えっ! 行きたい……けど、仕事入るかも……んんん……」
『ああ、それは心配無い。夜に映像通信を繋いで一緒に話しながら食べればいいだろう。……残念なのは、お前に触れられない事だ。次の休みが分かれば教えてくれ。合わせられるように、休みは取ってある』
「ナバロ……!」
互いに多忙であるはずなのに、こうして気を回してくれるビスタニアに甲斐は感動を隠せない。
「って事は休んでないの!? 大丈夫!? 会社に一人はいるというあれ、この人いつも出勤してんなーって存在になってない!?」
『やる事は多いから、ちょうどいい。それに休みを取ってもする事が無くてな。お前がいなきゃつまらない』
「あたしも、ナバロに会いたいし会えないと赤色が足りないよ。あ……」
『ん? どうした、仕事か?』
アナウンスが入る前のスピーカーがオンになる微かな音に反応してしまった。
呼ばれているのはネオとシェアトだった。
アナウンスはビスタニアにも勿論聞こえてしまった。
『……クロスがいなくなったということは、あいつも知っているのか?』
「うん……ていうかシェアトから聞いた。昨日ね。色々あってあたしは暫くシェアトと一緒の任務は外してもらってるんだけど、案外普通に仕事してるみたいだよ。意外だよね」
ひゅっ、とビスタニアの息をのむ音が聞こえた。
『色々……!? おい、肌に触れたり衣服を盗まれたりといった事は色々なんて言葉では纏めるなよ……? 何かあったら容赦するな、許しを請う言葉に耳を貸さずに迅速に上官への報告と民間警察をだな……』
「ナバロ、ナバロ落ち着いて。違う、大丈夫。そうじゃなくて、なんていうか一緒に任務に出るとシェアトがダメだと思うんだよね。一人立ちしないと、あたしもシェアトも」
『分かるようで分からんがお前が巻き込まれていないならいい。……あいつが普通に過ごしている、か。余程無理をしているな。本来の姿ではないだろう』
入学時からいがみ合ってきたとはいえ、関りは深い。
シェアトとビスタニアは分かり合っている部分も多いのだろう。
『ほんの少し、ほんの僅かでいい。気にかけてやれ。仕事を投げ出してそこを飛び出さずにいるだけでもあいつにしては及第点だ』
「うん……そうだよねえ、シェアトが冷静になんて無理だよねえ。分かった、飼い主としてちゃんと見とくよ」
『ああ……おっと、そろそろ戻らないとまずい。じゃあ、夜に』
「あ、うん! じゃあね~! ……あっ、かんわいい悩殺部屋着買っとけば良かったああああああ!」
切れる直前に甲斐の叫びが響いた。
ビスタニアのデスクに昼食を終えて戻って来た者の視線が一気に集まったことを甲斐は知らない。
久しぶりにビスタニアと話せたことで少し気持ちが落ち着いたのか、空腹感がある。
食堂に向かい、濃い味付けのスペアリブに手と口を汚しているとシルキーが綺麗な顔をしわくちゃにして睨んで来た。
「ここまで来ると可哀想だ……」
憐れみだしたシルキーに甲斐は負けていない。
「おっ、シルキーさん。はいはい、独り占めなんてしませんよ。ほら、一本食べます?」
「いらないよ! 汚い! その食べ散らかした皿が残飯入れにしか見えない。……これから食事はそうやって手で食べたら? ああ、椅子とテーブルも要らないんじゃない?」
離れたテーブルに座ろうとするシルキーにスペアリブを一本手に持ったまま甲斐は付いて行く。
本気で嫌がるシルキーをからかっている最中、何かを叫ぶ声が聞こえた。
続けざまに施設内の照明が赤に変わった。
「……わあ、今日ってパーティでしたっけ?」
点滅する赤色の意味が分からない甲斐は楽しそうに言うが、シルキーは怒りを剥き出しにしていた。
「……チッ、どこの馬鹿だ失敗したのは……!」




