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第百七十四話 観測者引き継ぎに関する会議

 クロスはここ最近、昼食すらも食べる時間がまともに取れない程の忙しさだった。



 研究所の襲撃事件が皮切りだった。



 もっと革命的で、もっと世間に脅威を与えられるような一件を起こそうと良からぬ企みを持つ組織達がこぞって動き出し、その対策と防止に駆け回る民間警察とのイタチごっこの要となる観測機関は当然のように巻き込まれた。

 それだけに留まらず、こぞって普段は通らない審査をこのドタバタに乗じてなんとか抜けられるかもしれないという目論見を持った各機関は協力依頼書を昼夜を問わず送り付けて来たおかげでこの有様だ。



 この忙しさはクロスにとって良かったのかもしれない。

 フルラが生放送に出たのを知らずに済んだのだから。



 マラタイト研究所の襲撃事件の前に何件も魔力研究所が襲撃されていたし、生憎フルラの就職先であるこの研究所の正式名称など覚えてはいなかったからだ。

 ただでさえ食が細く、日光に当たる時間も趣味も無いクロスは学生時代と同じように青白く、そして華奢だった。


 ミューの元へ訪れる時間を作れないまま今日も書類の山に目を通し、否決の印を押していく。

 観測対象者の要望書もあと少しで一区切り、という所だ。

 終わりの見えて来た書類を睨んでいるクロスが観測対象者として『旧姓フルラ・インライン』の文字を見たのは昼を回った頃だった。



 最初は目を疑ったが、詳しい情報を見て行くとあのフルラであることに間違いなさそうだ。




 観測の要望を出しているのは他の聞いた事もない名称の魔力研究所だった。

 親族ではないので民間警察にも相手にして貰えない、との文が馬鹿丁寧な語り口調で書かれていた。

 使い慣れていない語り口調なのが分かってしまうほど、酷い出来だった。

 読むのも疲れるが、クロスはこの観測要望書によってフルラの身に何が起きたのかを知る事になる。



 要約すればフルラの務めていた研究所が襲撃され、その生き残りとなった彼女の新たな就職先となりたいということだ。



「……馬鹿馬鹿しい……」



 悪態が思わず口から零れた。

 新入社員として普段は明るく、愛想よくしているので周囲に聞かれていないかと慌てて見回したが皆仕事に没頭しているようだ。


 フルラの居場所が分からないから勧誘も出来ない、民間警察もそんな理由で住所を開示もしてくれない。

 だからこの観測機関へ観測要望書を出した、という訳だ。

 話にならない。


 どうやらマラタイト研究所はかなり高度な研究をしていたらしい。

 そこで培った技術や知識を欲しいのは分かるが、頼んでもいないのに職場を提供してやろうといった体で近付こうとする根性が汚らしい。



 否決の印を力一杯押して、社内に連絡を回す。

 『襲撃事件の生き残りである女性の観測要望書は一切取り合わないように』、そう打ち込んでからキーボードに置かれた自分の手を見つめた。



「何も、分からなくなってしまうんだな……」



 あの頃は、フェダインに在学中だった頃は誰かの些細な変化にも気が付けた。

 それは不確かな期待ではなく、現に何度も救われたのだ。

 一人ではどうしようもなくて歩く事すら出来ない状態でも、引き上げてくれた人が確かにいた。




 いつでも会える。

 いつだって連絡も出来る。




 でも、それは全て何かが起きてからになってしまう。

 毎日全員と朝と晩に食事を摂ることなんてもう出来ないんだ。


 造りの良い椅子にもたれ、書類に目を通しているふりをしながら胸のざわめきが収まるのを待った。

 彼女にはウィンダムがいるが、ただでさえ弱い彼女だ。

 馬鹿な事を考えていないだろうか。

 出来る事は、何も無いのだろうか。




「……はぁ……」




 指先でエンターキーをタップすると、送信完了の音と共にメールの受信音が鳴った。

 体を起こして画面に目をやると思わず口元を押さえてしまった。

 手の内側に自分の唇が触れ、中で文を読み上げる声が籠る。




「……『観測者引き継ぎに関する会議』……!? 『本日夕刻より開催』……ミューさん……!?」




 観測者引き継ぎ、などと綺麗な言葉で纏めているがこれは本来現観測者の寿命が近付いた時に行われるものだ。

 ミューの年齢からするとまだ先の話のはずなのに。

 そしてこの会議はいくら観測機関の社員といえど顔を出す事は出来ないのだが、何故かクロスも参加者として社内メールが配られたようだ。

 居ても立っても居られず、クロスは机の上に山積みになった仕事をそのままにして席を立った。


 向かう所はミューの所だ。

 不思議な空間を走っているのにまだ着かない。



 こんなに足が遅かっただろうか。



 すれ違う社員達が驚いた顔をしているのを見ると随分酷い顔をしているらしい。

 綺麗なデザインのドアが多く漂っている中で、一つだけ妙に古めかしい木製のドアがある。

 ノブに手を掛けるといつものようにすんなり開かず、酷い音を立てて途中で止まってしまった。

 腕一本中に入れるのがやっとの隙間だ。




「なんだこれ……ミューさん! 開けて下さい! ミューさん!」




 返事は無いが両手でこじ開けるようにしてどうにか体を横にすれば入れそうな間になった。




「痩せてて良かった……! わっ……と」




 シャツがドアのささくれに引っかかったようだ。

 パンツからシャツを引っ張り出して、生地を引っ張る。

 多少穴が空いたようだがそれどころではなかった。


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