第百七十三話 まるで古き友のように
「私には何が正解かは分からない。……大人子供なんて定義は誰が決めたのか、黙っていても歳は取る。世間一般にいう大人というのは捨てられない責任や、いくら剥がしても取れない評価やレッテルを貼られた窮屈な状態を指すのかもしれんな。……それでも、中には君のような人間もいる」
そのとてつもない熱量の眼差しから目をそらさずにいる甲斐は熱くなった顔を掻きながら、髪の毛を後ろに送ったりと誤魔化すような動作をしなくてはならなかった。
「……カイ。君はとても軽やかに見える。多くの人間よりも過酷な職業に就いているのに今も変わらぬ笑顔を私に向けてくれる。逃げ出す事もせず、いつだって勇敢だ。そんな姿に惹かれるのは私だけではない」
「ら、ランラン……? 死ぬの……? 実は重病だったとかやめてね……? なんで今日そんなに優しいの……? い、いやあいつも優しかったけどこうもっとなんていうか……!」
ぱたぱたと顔を仰ぎながら甲斐は立ち上がってぐるぐると校長室を歩き回る。
「卒業後は生徒と校長ではないだろう。まあ……あまり気を抜き過ぎてうわ言に付き合わせんよう気を付けんとな」
「うわ言? そんなのあたしが相手にするワケないでしょ! 大丈夫だよ! 無視するから! ……ランラン、あたしねソドムがどうこうとか新会社のゼットだかゼータだかもよく分かってないけど、それでもエルガを助けたいと思うよ」
「助ける、か。その表現を使うという事はミカイルは今、苦しい状態にいるとそう判断したのだな?」
ぐ、と顔に力が入る。
甲斐はいつだって人の事にばかり真剣になるのだ。
「苦しいよー! 絶対夜とか寝れないよ! あれだね、毎晩気絶するまで頭を壁に打ち付けてるね! だって、あんなに仲良かったシェアトとルーカスに酷い事しちゃってさあ。だから絶対助けてあげたい。そんでもってあたしもみんなで写真撮ったり、集まったり……またみんなでいっぱい色んなことしたいもん」
ランフランクは顔にこそ出さないものの、彼女に驚かされるのはこれで何度目だろうか。
エルガを助けようとしているのは自分の気持ちを優先している訳ではない。
甲斐の口から出て来た言葉は、友人と決別をして大企業の代表となる事を選んだエルガが切り捨てたはずの部分だった。
それも、すがるような言い方もせず祈る様な気持ちでもなく迷いの無い瞳で口にした言葉がどれだけ強いものであったか本人は知らぬだろう。
たった数年ではあったが、良き友であり、笑い合った仲間が変わるはずがないと心から信じている。
「それで、どうしようというのだ? 何か策でも見つかったのか?」
「……ふっふっふ。子供は分からない事がある時は大人に聞くように言われるのさ! そっこでランラン! まずあたしはどうすべきなのかな?」
「……秘密基地の相談をしている子供ようだ。私の立場上、君に加担するような事は言えんよ。世間話や思い出話には付き合うがね」
「あー……そっか。じゃあ本格的にたまに会えるおじいちゃんポジションってことか……」
腕組みをして困ったように唸る甲斐を前に、ランフランクは机の上で手を組んだ。
その手で口元を隠しながら、声をひそめる。
「……私が君ならばまずはSODOMにパイプを作る。パイプとなる者は仕事に誠実で、しかし曲がった事は例え上司からの命であっても背くようなそんな人物を選ぶ。そしてあくまで友好的な関係を作り上げ……Zの動向を把握するが相手も守秘義務があるだろう。ある程度でいい、そしてSODOMで開かれるパーティなどに顔を出せるようにして機会を待つ」
最後に斜めに口を引き上げる。
「老人特有の若者の体を乗っ取れたらという妄想だ」
「ランラン超ダンディー、イケメン。あいらーびゅ。二十歳前後に見える。」
立ち上がった甲斐は思い出したようにニットワンピースの裾から手を入れてもぞもぞと下半身を探り始めた。
そんな奇行にも動じぬランフランクは複雑な人生を歩んで来た事だろう。
「はい、これ! お茶代!」
まくれ上がったワンピースの下にはデニムのショートパンツが覗いていた。
どうやらポケットから金を取り出していたらしい。
「受け取れんよ、客人をもてなすのは当然だ。ここはカフェでもなんでもない」
「おー! ヤボヤボだよランラン! ……これ、前に借りてた分の利息だから! しかも初任給もとっくに出たし……フェダインに来たくても許可下りなかったりするからさ。来れた時には絶対渡そうと思ってたの」
卒業する前に開かれるプロムの用意の為、ランフランクの計らいでお手伝い天使と共にアルバイトをさせて貰った事があった。
給金として渡された封筒の中にはランフランクから気持ちとして多めに入れられていたが、甲斐は必ず返すという約束の元受け取った。
ランフランクはいつか自分が路頭に迷った時にでも返してくれたらいいと言って笑っていたが、そのままにはとても出来なかった。
「ホントはこんなもんじゃ足りないよ、ここにお世話になった分もあるし……。だから、顔を出す度ちょこちょこ返済していこうと思って! あたし休みも少ないからそんなに来れないし、欲しい物もあんま無いし」
「……義理堅いというか、真面目だ。では、有り難く受け取っておこう。困ったことがあったらいつでも来るといい。私が不在でも君にとって懐かしい顔もあるだろう」
「オッケーオッケー。ランランも寂しいだろうしね。今度来る時は誰かも連れて来るよ! ありがとランラン!」
二人が握り合う手は、どちらも熱かった。
幾度も四季を迎えては旅立たせ、あと何度出会いと別れを繰り返せば彼のようになれるのか。
こうして誰かに信頼されるような人物になれるのだろうか。




