第百五十六話 最後の謝罪を眠る君へ
二人の申し出に焦ったのは甲斐だった。
「……は? え? ちょっと、おにーさん? マジで何言っちゃってんの? あたし人質になったはいいけどまだ身代金の要求とか聞いてないし、犯人との交流から芽生える友情とかも経験出来てないんだけど!」
甲斐の言葉を無視して、カリアとヴィヴィはダイナを見ている。
「……それで、いいのか? わざわざ私の元に来たのは自首するためか?」
「……と、この人質の女の子は被害者として扱って欲しいのねん。ヴィヴィ達が勝手に巻き込んだだけだから、それを約束してもらいたいのねん」
ダイナは頷いた。
結局甲斐を厄介払い出来ないというのが相当悔しいのか、今日一番のしかめっ面だったが。
「あと、もう一つ。民警が到着する間、僕とヴィヴィを仲間が休んでいる治癒室にいさせてほしい。勝手な事だというのも分かってる、でも……お願いします」
頭を下げる二人の後ろで甲斐は困ったような顔をしていた。
ダイナは何故この研究員達が甲斐を庇うのか、全く理解できない。
どうせ傷ついた瀕死の研究員を見つけ、率先して助けようとでもしたのだろう。
しかし、それをリーダーであるノアが見過ごすとは考えにくい。
やはり彼らの言っている魔力デトネーターを所持しているというのは本当なのだろうか。
だがそんな脅威を拠点へ運ぶことを良しとはしないだろう。
となると、やはり甲斐が手を貸したとダイナの頭は答えを結んだ。
「……民警へ通報すれば、威力業務妨害と脅迫といった重罪が課せられるぞ。分かっているな?」
「……はい、それだけの事を……してしまいましたから」
今後、彼らが研究職へ就く事は難しいだろう。
それどころか、犯罪者として報道されてしまうのだ。
研究職どころか次の就職先も見つかるかは怪しいだろう。
黙って仲間を連れてこの場から立ち去れば、もしかしたら逃げ切れたかもしれない。
彼らがここにこうして通報するようにと言いに来たのは全て甲斐の罪を消す為としか考えられない。
「……え、この人達をこのまま帰してあげればいいんじゃないの? なんでダメなの? ちゅーい、別に良くない?」
「……ほんと、どういう生き方をしたらそこまで適当な事を言えるのか教えてくれないかな……。とにかく、僕達は治癒室にいます。逃げも隠れもしませんので。……行こう、ヴィヴィ」
「……うん…。じゃーね、カイちん。……アンタ、結構カッコ良かったわ」
出て行く二人に付いて行こうとした甲斐をダイナが目で引き止めた。
上官室にダイナと二人きりになってしまい、甲斐は急に元気が無くなったようだ。
「……なんスかも~……。あの二人、治癒室にいる子と一緒に帰してあげられないんスか? 中尉が黙ってりゃいいだけじゃ……」
「守秘義務やセキュリティ、規則について学び直したらどうだ? ……私がそれを許すようになったら迷わずこの首を落とせ」
ヴィヴィとカリアの気迫を見ていると、甲斐を被害者として扱う事を口だけの約束で終わらせる事は出来なかったのだ。
それだけが唯一出来る、彼らに対しての敬意の払い方だ。
もしも彼らが傷ついた仲間を連れて逃げ出したとしたならば、同行したリーダーであるノアを聴取し、甲斐の振る舞いによっては解雇どころか事件となっていただろう。
甲斐が憎い訳ではないが、組織としてここに所属する限り、上官としてここに椅子がある限り見過ごすことは出来ないのだ。
何か、取り返しのつかない大きな問題を起こす前に今回の事件で甲斐を解雇させられると思ったがまた彼女は守られた。
ここまで来ると最早、陰謀論を勘ぐってしまう。
人生を賭けてまで
人は人を守る事が出来るのか。
そんな場面に何度、居合わせるだろう。
一度くらい、一役買ってやってもいい。
それが例え、裏方だとしても。
× × × × ×
「あれ、また来た。これ、外してくれんの? それとも『お礼』でも持って来た?」
親指と人差し指をくっつけて金のマークを作って、へらへら笑う医師はまだ包帯で両腕を結ばれたままだった。
何度も謝りながらヴィヴィが包帯を解くと、自由になった手首を回して骨を鳴らした。
「……フルラの傍に、いさせて下さい。」
「面会~? どうぞご自由に。それで、連れてった餌で何を釣ったの?」
カリアはようやく微笑んで答えた。
「……大物を」
カーテンの中へヴィヴィと入る。
酸素マスクを付けたフルラの顔には乾いて茶色へと変色した血が付いたままだった。
サイドテーブルに置いてあった洗面器の中にはぬるま湯とタオルが入っている。
ヴィヴィが率先してタオルを絞り、白い肌に付いた穢れを拭い去っていく。
力の加減を間違えて伸ばした爪がフルラの頬に当たってしまい、赤くその跡を残した。
酷い事をしてしまったような気がして、細く長く付いた爪の跡にタオルを優しくあてた。
「……ごめん、ね……ごめんねぇ…」
口を突いて出るのは謝罪。
怖いのはこれからの自分達の境遇よりも、目を覚ました彼女がどう思うか。
仲間も、職場も、結果も。
その全てを今日一日で失ったのだ。
体に付いた傷は癒えるのを待てばいい。
だが、心は?
傷ついた心は、時が過ぎるのを待つだけで癒えるのだろうか。
名医がいて、治してくれるのだろうか。
「……び……び……?」
呼吸器に阻まれ、籠ったような声にヴィヴィは息を呑んだ。
目は開いていないが、確かに今、名を呼ばれた気がした。




