第百五十二話 命の灯火を守って
フルラを抱えた甲斐はヴィヴィを連れて三人に近付いた。
不穏な空気が漂う中で、子供の様に甲斐の腕の中で眠るフルラはしぼんでしまったように小さく見えた。
「チビ! おい! ……ちっ! 行くぞ!」
シェアトがフルラを抱えようとした時だった。
ノアが攻撃的な声色を発した。
「どこ行く気だよ? 俺達は仕事中だって事を忘れちまったか!?」
シェアトの足が床から離れ、体が浮き上がった。
大きな水に包まれ、息が出来ない。
内側から手を伸ばしても壁のような膜が出来ている。
目に水が染みたが、自分の動きで波立つ視界の中で目の前にいるはずのノアらしき影を睨んだ。
「ナーイスおとり! 行くよほら! 転送装置どこ!? あたし達がここに来たスポットは拠点にしか行けないから病院へは連れてけないんだよね!」
「転送装置……!? ヴィヴィ達の研究所には無いよ……! 所長がセキュリティ的に認められないって……!」
甲斐が意気揚々と走り出した時、ノアがすかさず攻撃を仕掛ける。
「おい! カイ! お前もだ! 俺たちゃ救急隊員じゃねえんだよ! さっさと帰るぞ! 手間かけさせんな!」
向けられた攻撃を避けて甲斐は入り口へ走り出した。
ヴィヴィとカリアも振り向かずに甲斐の動きに合わせて追いかける。
全力疾走など久しくしていない。
浅く、短い呼吸をしながら走る。
甲斐を狙った攻撃が背後から迫る度に、自分に当たるのではないかと身構えてしまう。
当てられぬように左右に体を振りながら甲斐は笑っていた。
「あっはは、ノア超怖い! 二人共、本気出して走って走ってー! もうちょいだから! あ、そろそろあんまり下見ない方がいいかも!」
シェアトがどの攻撃魔法を使っても水の中から出られず、そろそろ意識を失おうかという時にノアは魔法を解除した。
床に滝のように打ち広がった水の上でむせ返るシェアトの横でノアはため息交じりに甲斐への攻撃を諦めた。
「あークソっ! お前らホントに良い新人だよ! 問題が無くちゃ生きてけねえのか!?」
「……うえっ……ゲッホゲホゲホ! おえええ!」
「カイ、復帰してからまた問題起こすとはな……。言っとくけどなあ! 俺だってなんとかしてやりてえ気持ちはあるんだ! でもな! この後も仕事があるかもしれねえし、俺達の任務の目的は人助けじゃねえ! 大事な時に俺の魔力が尽きたり、これで時間を食って仲間に迷惑が掛かるなんてこたあ出来ねえんだよ!」
「げっほ……ジャバアアアアアアアアア」
大量に水を吐き出したシェアトからノアは一歩離れた。
「俺がオフならお前らのダチを助けてやったさ……。でも、俺は今この任務のリーダーなんだ。後輩が罰を受けるような真似しようとしてんのを黙って見てるなんて出来ねえんだよ……。恨むなら、恨め。それでいんだよ…先輩なんて、嫌われてるぐらいでちょうどいいんだ」
「……うるせえよ……なにカッコつけてんだ。げっほ、それと出すならもっとうめえ水にしろや……。変な味してんぞ…」
「……そりゃそうだ、この室内にある空気中の水分を集めてるだけだからな。戦闘直後のこの場所じゃあ、ミネラルウオーターになんてなるわきゃねえだろ」
口の中に残っていた水分を床に吐き捨て、シェアトが立ち上がると服が吸った水が流れ出る。
「カイは病院行くっつってたか? ……俺達、外部連絡用はおろか通信機器なんて持ってねえもんなあ。レスキュー隊なんて呼べもしねえし……まさかあのまま走って行ったのか? ……どうするかなあ……」
どう報告を上げようか頭を悩ませているノアは困り切っていた。
ここの後処理を甲斐に任せたと虚偽報告をするしかないだろう。
原則としては出動したメンバー全員での帰還が義務付けられているし、新人一人を置いて帰還したなど前代未聞である。
「お前らが勝手すんのを認めたら、なんでもアリになっちまうだろ。……はああ……。マジで頼むぜ。ここにいる限りは目標が親でも子供でも彼女でも殺す意気込みでいてくれよ」
「……おう……」
その覚悟が、ノアにはあるというのだ。
こうしてノアは新人だからとシェアトと甲斐に目を掛けてくれてはいる。
だがターゲットとして二人の名前が上がれば、後輩だろうがなんだろうが仕留めるだろう。
それが圧倒的な力の差がある先輩達との大きな差である。
× × × × ×
「早く! ……ヴァルちゃん! ごめん、急患!」
「ちょっとちょっと! もー、心肺停止のヤツ以外は入室禁止にしよっかなあ……って誰!? ねえそれ誰!? シェアト!? それともノア!? 女だし髪の色違うしちっちゃくなってる!」
甲斐の後ろから息も絶え絶えにヴァルゲインターへ頭を下げる男女が現れた。
自己紹介などしている余裕はないらしく、二人は縋るように懇願する。
「はぁ……はぁ……二発……二発も撃たれてるんです……お願いします……助けてっ……!」
「もう、意識が無いみたいで……!」
眉を上げた拍子に眼鏡がずり落ちてしまった。
一体何がどうなっているのか分からないが、確かに甲斐が抱いている少女は死の世界へと足を踏み入れてしまっている。
「あんれまあ……。これはもう、難しいかもねえ。生き死には魔法でもどうにもならないしさあ……。出血量も酷いみたいだし、内臓もやられてる……。これで息をしてるのは奇跡だよ……」
「……ぼ、僕達……魔力研究をしていました……。まだ、所内にデータも残っています! い、医療関係の研究もあります! さっき、襲われて、それでっ……!」
「生き残りは、あたし達だけなの……! フルラを……助けて……! 先生っ!」
懇願する二人を両手を上げて下がらせ、甲斐からフルラを抱き上げた。
「センセイ、っていいねえ。ここの奴らはだーれもそう呼んでくれないんだから……。やってやろうじゃん?」




