第十四話 ウィンプ・朝焼け・赤色へ
「お、起きた? 今応援来るから他の人達も救出されるよ。あと怪我人いるって言ったから……えっと、とりあえず待ってて」
この魔法界で一般的とされる医療機関の名称が分からないので誤魔化す甲斐を、まだはっきりしない視界で見つめるのはヘレナだった。
小さな彼女がどんな方法で遥か高い天井にこんな大きな穴を空け、どうやって地上まで登ったのだろうと考えていた。
道路に寝かされていたヘレナは身を起こすと上に彼女のジャケットが掛けられているのに気が付いた。
着ていた病衣は薄手で、半袖なので夜明けにはまだ寒い。
どこか心配そうな甲斐に、何から話そうかと考えるよりも先に言葉が口から零れた。
「……見て、夜が明けるわ……」
古びた建物が並ぶ中で、白い陽が橙を引き連れて昇り始めた。
夜が道を譲り、街の色を引き受けた朝陽が時間を掛けて染め直していく。
立ち上がると足が痛んだが、それでもヘレナは光に誘われるように歩く。
甲斐が彼女を支えるように、そっと横に並んだ。
「あたし、朝焼け好きだな。なんか沸き立ってくる」
「……そう、あの子もそうだったわ……。夕焼けも、ご飯がもうすぐの合図だからって……」
少しの間の後、甲斐の腹が鳴った。
「……お腹空いて来たね。こんな時間じゃまだどこも開いてないか」
歯を見せて笑う甲斐は、生命力に満ち溢れている。
「足、痛いよね。あたし治療出来なくてごめんね」
「……これが、生きているってことよね。……痛みなんて感じたの、久しぶりだわ……」
明るくなってきた中で見るヘレナの横顔には、何本か薄い皺があった。
ゆっくりと口角が上がり、今では眩しすぎる太陽をじっと目を細めずに見ている。
「何を、しているのかしらね。貴女は私よりもきっと、とても年が若いのでしょう? そんな子に頼って……守られて……。自分が情けない……」
「ん? 何がダメなの? 一人でなんとか出来なかったでしょ? あたしがヘレナさんを庇って瀕死の重傷を負ったならちょ~っとくらいは気に病んでもいいけど。そんな事言ったら守るべき人に逆に庇われたあたしはどうしたらいいの……! 指もごうか!?」
「い、いいの! いいから! ……もう、おかしな子ね……。ふふ……本当、おかしいわ……」
笑いながら目尻を指で抑えたヘレナは糸が切れたように大声で泣き始めた。
澄んだ空気の中で、甲斐は彼女の体を抱きながらこの熱も伸び行く影も決して忘れる事は出来ない予感がした。
その背後で空気を読んだ応援が到着し、魔法警官が甲斐に目配せをすると一般警官に待機を命じて中へと突入して行った。
辺り一帯がマジックミラーのような結界で覆われ、外からは中の様子が見えないようになっているが、それを知らないヘレナは人が集まって来た事で少し落ち着いたようだ。
「……まだ、痛いわ。でも、耐えられる。耐えていくの。そうよね? あの子の最後の瞬間だって……あの子の人生なんだから……」
「一人じゃないからね。ヘレナさんには家族がいるでしょ。ほら、治療をしないと」
その後、言いにくそうに目を泳がせながら甲斐は切り出した。
「……あと、その……凄い言いにくいんだけど……」
「分かってる、治療の後にきっと私は逮捕されるのよね? ……やった事には責任を取らないと……」
肩をすくめたヘレナは、吹っ切れたように答える。
「そんなに気を遣わなくて大丈夫よ。……貴女ももっと強くならなきゃ。優しいだけじゃ、きっと見抜けない事も出て来るわよ」
「そうだね、 ……じゃあ。犯罪者さんまたね!」
「うーん、やっぱりもう少し気を遣って欲しいわ。……待って、小さな警官さん」
ヘレナに優しく抱きしめられ、甲斐の顔に柔らかな胸が当たる。
下着を付けていないようで、埋もれて呼吸が出来ない。
上からジャケットを掛けられ、離れる間際に耳元で優しく聞こえたその声は母親としての声だったように思う。
「助けてくれて、ありがとう。……貴女の幸せを祈っているわ」
「ありがとう、ヘレナさん。……またね」
傍にいた若い警官に肩を貸されながら連れて行かれるヘレナを見送っていると、騒がしい声が聞こえて来た。
振り返れば赤いランプの乗った曲線的なフォルムの車らしき物が並ぶ横でシェアトが叫んでいる。
「カイ! おいどこだ!? カーーーーイ!」
「あの! 特殊部隊から来ているセラフィムさんですよね!? お会い出来て光栄です! ローレスの確保、お疲れ様でした!」
「うるせえ黙れ! 俺は忙しいんだ糞野郎! カイを知らねぇか!? カーーーーイ!」
叫び続ける彼に必死で話しかけている警官。
どちらも面倒そうである。
「うるさいよーーーー! かいかいかいかいなんだってぇの!?」
「いんなら返事しろよ……! 怪我してねぇか!? アイツは俺が余裕でぶちのめしてやったぜ! あれだな、その後はお前を全力で追いかけたんだけどよ!」
「セラフィムさんと……トウドウさんですか!? 凄いなあ、ツーショットだ! まさか伝令からこんなに早くお二人にお会いできるなんて! あっ、僕ウィンプっていいます。新人です!」
「聞いてねぇよ! なんなんだお前は!」
どう見ても弱そうな印象のウィンプは真面目といった見かけだ。
民間警察の制服もあって幼い顔つき、垢抜けないただ切っただけの髪を乗せた彼は入学したての高校生に見えた。
ミーハーなのか、特殊部隊から来ているシェアトと甲斐に異常な興味を示しているようだ。
「二人はもしかして……えっ、もしかして!? お熱い関係だったりします? しちゃいます!?」
「……テメェ……そう見えたのか?」
「はっ……勘違いでしたか!? 申し訳ございません! とてもお二人の仲が深く見えまして……!」
「いいって事よ! まあな、俺はあいつだけを好きだからな! うん、まあ今も一緒の家に住んでるしな! 将来一緒のファミリーネームになるかもしれねぇから俺達の事は名前で呼べよ!」
「ウィンプ、あたし恋人いるから。シェアトは犬であたしが主人。仲良いっていうか主従関係だからね」
恐らくだが、彼は出世が速そうなタイプだろうと甲斐はなんとなく思った。
「し、失礼しました! なるほど、 シェアトさんは片思いなんですね! ……カイさんの恋人ってどんな人なんですか? ここまで強くて優秀な方の恋人って凄そうですね」
「まあ……凄いっちゃ凄いかな。頭がめっちゃ良くて……真面目で、眉間に皺寄ってて、シェアトに暴力的で、赤くて」
「赤くて!? 赤いってど、どこがですか!?」
ウィンプの質問攻めからようやく解放された時には現場の検証も終盤のようだ。
甲斐とシェアトは目的を果たしたので、帰還してもいいだろう。
「さて、そろそろ戻……だーっ! また鬱モード入ってるよ! いーくーよー! ほらあああああ!」
その場にしゃがんで顔を膝に付け、両耳を塞いでいるシェアトを足で転がしながら最初にここに来た魔方陣まで撤退する。
「思ったよりも気さくで……それに強くて……。たった二人で制圧したなんて……」
そして若い二人の精鋭を見送るウィンプの瞳は輝いていた。
「大丈夫か? 新人は今年君一人だからプレッシャーも多いと思うが、負けるなよ」
「……ええ、ありがとうございます」
赤い髪の毛をした青年は、大きなくしゃみをした後に鼻をすすり、先輩と一緒にエレベーターへと乗り込んだ。
そこは守秘義務の宝庫であり、この世界の中でも秀でた者しか入る事の出来ぬ世界防衛機関である。




