第百四十三話 フルラとウィンダムの新婚生活
帰宅が遅くなってしまい、夕食の支度が出来ていない。
フルラは家の転送装置から出るとリビングへ小走りで向かう。
リビングに続くドアのノブに手を掛けた時、自然と扉が開いた。
「おかえり、もう夕飯出来てるよ」
「ただいまぁ……! 本当!? ……いい匂い」
若干の罪悪感はウィンダムの優しい笑顔によって和らいでいく。
家の中に漂う空腹感を煽る香りに中へと向かう足は速まる。
家に着いてから三時間も食事を摂らずに待っていてくれた優しさと、転送装置のある部屋まで迎えに来てくれた事への喜びに口元が緩んだ。
ポシェットを体がから外すとウィンダムが持ち、戸惑うフルラをエスコートするように空いた手を伸ばした。
中へ入るとテーブルの上には食器やカトラリーが並べられている。
「ちょっと待っててね、今サラダから持ってくるよ」
「……えっ? 作ってくれたの!?」
黒いエプロンを白いシャツの上から羽織ると笑顔で応え、キッチンへと入って行った。
通りでウィンダムから香ばしい匂いがした訳だ。
てっきりお手伝い天使が作ってくれたものだと思っていた。
大きなガラスのボウル一杯に入ったサラダの中、ミニトマトが下へ埋もれている。
よく見るとドレッシングがなみなみと底に溜まり、テーブルへ置かれた拍子に津波のように容器の外へと押し寄せた。
前菜だと言って持って来た生ハムは厚切りベーコンのようだったし、オーブンが出来上がりを知らせる音楽にいそいそと向かって行ったウィンダムは直後、悲鳴を上げた。
慌ててフルラが駆け寄る。
どうやら鉄板を素手で掴んらしく、歯ぎしりしながら冷水で手を冷やしていた。
「だだだ大丈夫!? て、手当しないと!」
「だい……じょうぶ……! 座ってて。夕食はこれからじゃないか」
その前にこのままではウィンダムが入院してしまいそうだ。
フルラは手伝えることは無いかと周りを見渡したが、ここで花火大会を行ったのだろうと考える方が自然な有様だ。
メインディッシュであろうオーブンの鉄板に乗せられた肉は発火したらしく、未だに青い炎があちこちで燃えている。
せめて調理台の上にあったバゲットバスケットを持って行こうと思ったが、中に入っていたのは石炭だった。
フルラはそれを手に取ってみたが、確かに石炭である。
思わず不思議そうな目で見てしまった。
「……ああ、それはパンだよ。焼いてみたんだ」
「そうなんだ……! てっきり化石燃料が家から発掘されたのかと思ったよう……」
「ははは、そんな訳ないじゃない。でも、やっぱり慣れない事をすると最初は上手くいかないね」
この家に漂っている良い香りはどこからしているのだろう。
運んでいる最中もバスケットの中でカチャカチャとパンという名の石炭同士が触れ合う音がした。
二人が向かい合って座ると、お手伝い天使が深皿に入ったクリームパスタを運んで来た。
香りの根源はこれだったようだ。
濃厚なチーズの匂いの中でウィンダムは驚いた表情を見せる。
「いつの間に……!? ああ、でも良かった。さあ食べよう!」
「このパン、叩いて割れば中はふわふわだね。おいしいよ。ありがとう、ウィンダム君!」
消える間際のお手伝い天使がきゃきゃ、と笑ったような気がした。
案外たくましさを見せるフルラに動揺しつつも本当に美味しそうに食べてくれるフルラを見ていると、なにやらウィンダムは申し訳ない気持ちになっていた。
「ごめんよ、これじゃあ良い夫とは言えないね。パートナーとしてもっと努力するよ」
「そんなことないよ! とっても素敵な……その、えっと……だ、だんなさま……だよ……」
「どうもありがとう、可愛い奥様。でもこれで分かったね、美味しい料理はフルラちゃんかお手伝い天使に任せなくてはいけない。なるほどね」
「……帰りが遅くなってごめんね。もう少し早く帰れたらいいんだけど……」
ウィンダムの肉を切っていたナイフが止まった。
「構わないよ、それに仕事を頑張っているフルラちゃんに不満なんて抱いていないからね。それどころか僕が自分に足りていない部分を見つける良い時間だと思ってる。本当だよ」
フルラがいなければ、お手伝い天使が家事全般を行うのだ。
働きながら上手く時間を作って家事をこなす彼女の頑張りを知っている。
頼めばどんな事も行ってくれるお手伝い天使だが、あくまで『手伝い』の範囲を越えぬように彼らと上手く関係を築いている。
二人で暮らす家なのだから、フルラ一人で家事を行うのはおかしい。
ウィンダムもそう気づき、今日初めてキッチンへ立ってみたが何もかも上手くいかなかった。
野菜一つ切るのにも加減が分からず、火加減がある事自体初めて知った。
全てを素早く的確にこなすフルラに改めてすっかり惚れ直してしまっていた。
「だから謝る点が多いのは僕の方なんだ。どうか愛想を尽かさないで。これからもっと安心して家を空けて貰えるようにするから。もちろん、君よりも料理が上手くならないようにするから安心して帰っておいで」
「……うん! ……えへへ、なんか……涙が……ぅう……」
彼と出会えて良かった。
こんなにも、温かい。
きっとこの先も変わらずにいられるだろう。
そんな予感がした。
幸せでしかない。
あの海と砂浜の上で、あの青空の下で誓った言葉はいつも胸にある。
死が二人を別つまで
あなたを想い
あなたのみに添い遂げる
その誓いはこの身をもって
この命をもって
証明し続けていくから




