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第百四十一話 シェアトとの言い合い

 所長のチューバは甲斐にどかどかと近付いた。

 恰幅の良い中年男性にぐっと迫られ、流石の甲斐も身を引く。


「失礼……、これはこれは! なんと……いや、ハハハ……驚いた。こんな形で再会するとは……!」


 腹の肉が上下に動いたのがワイシャツ越しに見えた。


「えっ、えっ? あたし? 伝説の美少女なんてそんなあ、照れますよ」

「そうか……私の事など覚えていないだろうね。今はもう、研究開発から手を引いてしまったのか?」


 握手を交わし、残念そうに微笑むチューバの言葉でようやく甲斐はこの世界にいた甲斐と間違われているのだと気が付いた。

 顔見知りだったのだろうか、非常に好ましくない展開だ。


「驚いた、うちの隊員を知ってらっしゃるんですか」


 ネオが打ち解けられる切り口を見つけ、目ざとく切り込んでいく。


「ああ、数年前にね。優秀な研究開発を行う学生でね。私は当時今より五十キロ程痩せていたから、分からないのかもしれないな」

「面影が無いっていうか、最早リメイクじゃないッスか」

「……あれ? カイちゃんってフェダインじゃなかった?」

「ネオさん! まあ、こいつにも色々あるんですよ! さっさと取り掛かりましょう!」


 思わず話を打ち切ってしまったが、チューバも特に不審に思った様子は無かった。

 甲斐を引き連れて足早にその場を去る。

 資材室をノックして返事を待つが、不在のようであれば渡されたマスターキーを使用して点検に立ち入る。

 個人の研究室は本人立会いでなければ入室は禁じられている。


「あっぶなかったー。あのチューバだかチュパカブラだかって人、もう一人のあたしの知り合いだよね!」

「お前ってほんと、ほっとけねえなあ……」

 

 嬉しそうに笑うシェアトの横顔を見ないようにして窓の無い資材室のドアの厚みやセキュリティをチェックして行く。

 棚に無防備に置かれている材料が目に付いた。 


「あん? なんだこれ、いくら使う頻度多いったってなあ。これじゃあ押し入られてすぐ分かっちまう。しゃあねえ、記録してくか」

「……次から、あたし達バラで動かしてもらえないかな」


 小さな小型ライトを当ててこの場の映像を取り込みながら甲斐は何気ない口調で提案した。

 最初は冗談かと思ったシェアトが軽口を叩こうとしたが、にやりともしていない彼女に表情を正した。


「何が不満なんだよ?……ネオのがいいっつーのか?」

「……なんか、うちらって同期で入ってしかも卒業校も一緒な上、仲良いから……セットで見られてんのかなって思って」


 シェアトはまだ、甲斐の深刻さに気が付いていない。

 思い切り吹き出すと甲斐の背中を強く叩いた。


「いいじゃねえか別に。つーか考え過ぎじゃね? 俺達をセットって考えようが、評価は個人だろ? んな事言ったらフェダインの時のが……」

「そうじゃなくて! ……メリハリ? っていうのかな……。シェアト、あたしに構い過ぎじゃない? こんにちは! ダブリュウ・エス・エム・シイです!」


 思わず足が速くなる甲斐に合わせてシェアトが並走する。

 仕事なので止まって話す訳にもいかず、物珍しそうに二人を見つめる研究員に大声で挨拶をする。


「仕事中にお前に襲い掛かった覚えもねえけど!? 構って何が悪いんだよ!? お前、ネオともノアと話してんだろ! 訳分かんねえ! こんにちは! 警戒警備です! ご協力をお願いします!」

「だーかーらー! ああもう! こんのスットコどっこい! なんでネオを出してくんの!? 先輩と仲良くするのとあたしらが仲良くしてんのはちょっと違うでしょーが! はい、ここ鍵壊れてる! 改善お願いしますね! 報告上げておきます!」


 出会う研究員へ愛想よく挨拶や報告をしながらも、二人は言い合いをやめる気配はない。


「何がどう違うんだよ!? あっ、テメェ! もしかして……あの赤毛野郎と上手くいってないからってネオに乗り換えようとか思ってんじゃねえだろうな!? 順番で行くと次の相手は俺だぞ! あとはセキュリティ確認になります! ご協力ありがとうございました!」



 一通りチェックを終えてネオの元に戻ってきたが、まだ言い合い続けていた。 

 その様子に動じたのは所長だったが、ネオの苦笑につられて同じような顔になる。



「……張り切ってるねえ。こっちも何点か注意点があったけど、とりあえず切り上げようかな。ご協力ありがとうございました。何かありましたらいつでもご連絡下さい」

「あ、ああ……。特殊部隊というからどんないかつい人間が来るのかと思ったらハンサムな方で安心しましたよ。何も無いに越したことはない。……君達も、ありがとう。いざとなったら頼むよ」


 白衣のポケットへ両手を入れたままチューバは微笑んだ。

 特に甲斐を見つめる時間は長く、ぎこちなく笑い返すと寂しそうに笑った。



 この世界にいた甲斐はそれだけ有名で、これからもこうして甲斐の知らぬ思い出を持つ者が現れるのだろう。



 どれだけ躱しきれるだろうか。

 そして、その反応はいつか来る『正しい世界』へと戻った時に彼女へ迷惑をかけないだろうか。


 次の研究所もシェアトとペアにされ、変わらず納得出来ないシェアトと譲らぬ甲斐の攻防戦は続いていたが仕事はやり遂げた。

 ネオはそんな二人の様子に笑いを堪えていた。


 これで予定していた仕事は終了となり、所長へ挨拶を済ませると帰還となる。

 戦闘服を着る必要が無いほど、久しぶりに誰の血も見ず、ネオも怪我をせずに上がる事が出来た。


「ふあー、めっちゃ楽だったね。あんな仕事もあったんだ」

「……今の仕事は楽だったけど、あれが本当に予防になる訳じゃないからね。魔法が使える人間なんて一部だけだから、乗り込まれたとしたら壊滅するだろうし」



 苦笑しながら上着を脱ぎながら歩くネオの後ろで甲斐は足を止めた。



 どんな事態にも慣れているネオのようにまだ、淡泊に物を考えられない。

 出来るなら、チューバにも元の甲斐が戻るまでああして穏やかに笑っていて欲しいのだ。


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