第百三十八話 甲斐の復帰
甲斐がヴァルゲインターの元へ通うようになってから一週間が経過していた。
食事の時以外は入り浸り、深夜にはトレーニングルームへと向かう生活をするようになった。
すると自然にシェアトや他の隊員達と顔を合わせる時間は減っていく。
シェアトは甲斐が通路で体調を崩してからというもの、どうにか話す時間を設けようとしていた。
その努力は鈍い甲斐にも痛い程伝わっていた。
しかし一日の出動数が増え、更に長期戦にも呼ばれるようになっていたのでそう上手くはいかなかった。
甲斐はカウンセリングに積極的になる一方で、シェアトを避けていた。
それは一種の決意でもあり、決して嫌いになったのではない。
この部隊に必要とされるかどうか、その結果ももう問題では無かった。
どこに所属するかは関係無い。
自分の目標に合わせて動けばいい。
その強い思いが、今の彼女を作り上げていた。
「うっわ、まーたいるよ。シッシッ!」
ヴァルゲインターに追い払うように手を振られ、甲斐は唇を尖らせた。
「なっ……なんでだよう。邪険にするなよう……」
「カウンセリングは終わり! ほら行った行った! 体なまってんじゃないの~? どんくさい動きで怪我でもしたら怒るからね」
甲斐のカルテを取り出して印を押すと書棚へと仕舞い始めた。
突然の終了宣言に甲斐は一瞬呆けたが、徐々に笑顔になっていく。
「ほんと!? ほんとに!? あたし今日から仕事出ていいの!? やっほう!」
「あー、とりあえず今日一日だけは待機ね。中尉に報告しなきゃならないし」
冷めた態度のヴァルゲインターとは対照的に甲斐は飛び跳ねながら両手を上にあげている。
「明日からはお役立ち甲斐ちゃんに戻れるのかー! バリバリ働いて頑張るよ! ありがとヴァルちゃん! 早速トレーニングしまくってくるね! グッバイ!」
まくしたてると甲斐は治癒室のドアを開けっぱなしで出て行った。
「ちゃんとドア閉めんさいやーー! ……ったく」
上機嫌の甲斐にはもう聞こえていないようだ。
ヴァルゲインターは白衣のポケットに手を突っ込んだまま、報告を上げに治癒室を出た。
× × × × ×
ちょうど九月になったこの日、初めてヴァルゲインターのカウンセリングから復帰者が出た。
ダイナへの報告でヴァルゲインターはカウンセリング中の内容には一切触れず、明日からすぐに出動してもいいといった見解を述べた。
それを踏まえ、ダイナが上と掛け合い、甲斐をいつから出動させるかの判断を待つといった流れになった。
カルテや報告書類を持参するようにとダイナに言われ、治癒室へ資料作成にもはや自室と化している治癒室へと戻ってきた。
復帰者が出るのは初なので、段どりがスムーズにいかないのは面倒だが、悪い気はしない。
短期間で改善出来た事の流れや、大まかなターニングポイントを考察を交えて書き起こしていく。
これは今後のカウンセリングにも役立つだろうし、根拠を出してもっともらしい言葉を使い、上を納得させておけばきっと甲斐の名前がアナウンスされるのも早くなるだろう。
「どうすっかなあ……。私が何をどうしたって事じゃあないんだよねえ……」
結局のところ、ヴァルゲインターがカウンセラーとして腕をふるった訳では無いのだ。
本人が自分で立ち上がり、後ろを振り向き、歩き出した。
たったそれだけの事だ。
甲斐が学生時代の思い出を語っている間、とても嬉しそうな顔をしていたのが印象的だった。
彼女を見ているだけで友人達をどれほど愛しく思っているのかが伝わって来た。
カウンセリングに通うように言われた人間は二極化する。
自分自身でも必要な時間だと理解して協力的な者、何故ここに呼ばれたか分からずに無益な時間をただ過ごす者。
ただ前者であったとしても、ここに残りたいという希望を口にする者はいなかった。
入隊時とは違う、ようやくこの地獄の様な日々から解放されるといった安堵感を前面に押し出すのだ。
長く務めている先輩に囲まれていると、弱音も口にし辛いだろう。
幸か不幸か、気さくな者が多いので更に本音を閉じ込めてしまうのか。
「ダイナもなんだかんだ言って、ほっとしてやんの」
ペンを走らせながら、甲斐が友人達の思い出を語った後の言葉がよぎる。
× × × × ×
動き出す原動力はやはり自分以外の誰かの為でしかないのだろうか。
あの日、楽しそうに話していた彼女の瞳に強い光が宿ったのを見逃さなかった。
それは友人を守りたいと、悲しませたくないと口にする決意の表れだと思った。
だが違ったのだ。
『……でもね、一人だけ卒業式の日にみんなに酷い事言って、止める手も振り払って音信不通になったヤツいるんだよねえ……』
『うーわ、何それ。酷い話だね』
青春物語を聞くのはどうにも疲れる。
ヴァルゲインターは流すような返事をしたが、甲斐には通用しなかった。
『でしょ!? なんで気付いてあげられなかったんだろうとか、みんなもすっごい考えてた。でも、そんなのはもうどうしようもないよね』
吐き出したいだけなのか、それともまだ未消化だからこうして整理しているのだろうか。
その割に案外割り切っているようだ。
思春期特有のいざこざは大人になれば笑える時が来るかもしれない。
しかし彼女達が生きているのは『今』なのだ、とその時代にいい思い出の無いヴァルゲインターは黙ってしまった。
『あたしは絶対その人を迎えに行くんだ。今も、泣いてる。きっと、気にしてる。約束は夢を語るのとは違うから……守らないと』
守らなければと言うのは約束の話なのか、それともその友人の話なのか。
不敵に笑う甲斐はもう、迷わないのだろうと感じた。
『だから、ここに残れたらとにかく頑張らないと。でもクビになってもあたしはあたしで出来る事をするから大丈夫』
『そうまでして……約束を向こうが覚えて無かったら、拒絶されたらどうすんの?』
茶化すような言い方をしてみたが、これは本心だった。
いつだって自分と相手の熱量は同じではないのだ。
『それでも約束したのはほんとだし! 拒絶されたら? ヴァルちゃん、あたしがどれだけ拒否られてもめげないか知らないでしょ! ふっふっふ~。どうもしないよ、それでも大好きな友達なんだもん』
痛いほど、真っすぐ言い切る彼女にこれ以上何を言えるだろう。
『だから、決めたの! ここにいられるならとにかく頑張る。その人を助けるには必要な事なんだよね、とにかく働いて上にえっちらおっちら行かないと目すら合わなそうだし。クビになったらなったで、他の道を探す!』
たかだか数年間の関わりの人間相手に何故そこまで入れ込めるのだろう。
未だにそれは理解出来ない。
ただその言葉をそのまま信じてしまえるほどに、まんまと惚れてしまったのだ。
『誰かの命を奪ったとしても、絶対に譲れないものがあるんだ。手は抜かないし、向こうも本気でかかって来ればいい。それじゃないと、ダメだよね』
× × × × ×
肩入れなどしない。
応援などするはずがない。
いつだって中立でいなければ、この仕事は務まらないのだ。
ヴァルゲインターは吊り上がった眉を揉みながら、独り言を漏らす。
「……背中なら押しても気付かれんでしょ。頑張んなよ」




