第百三十話 通院指示
「ちゅーーーい! ちゅーーーい! うわっ近! びっくりした! 何してるんスか!?」
ドアを開けると目の前にダイナが立っていた。
仕事をしていたのではないのか、というような口調で甲斐が文句を言うとダイナのこめかみに青い血管が浮き出た。
「騒々しい足音が聞こえた」
「ああ! 走ってきたんで! ふぅ~あっつい! ちゅーいもたまにはデスクワークだけじゃなくて運動した方がいいですよ!」
ダイナ自身、血圧が上がっていくのを感じていた。
「ここは小学校でもなければ動物園でもない。ノック位はするのかと思えばこれだ」
「あ、ちょっと急ぎの用事だったもんで! あの、あたしが戦力外って聞いたんですけど! マジですか!? あ、飲み物はあたしソーダで!」
現れるであろうお手伝い天使に飲み物を伝える甲斐にとうとうダイナが一喝する。
「誰が出すか! あっても出さん! 雨水でも飲んでろ!」
「急になに!? びっくりした!」
出来る限りペースを戻そうとダイナは甲斐に背を向け、自分の席へ戻る。
「……戦力外と報告が上がったからな。それに見合った待遇、ということだ」
「そんなのって―」
トン、と机でペン先を鳴らすダイナに甲斐は気を取られ、黙ってしまう。
「私からの話は以上だ。後は自分の身の振り方を考えるんだな」
「こういう場合ってどうしたらいいんですかー? なんか、これじゃあ窓際社員じゃないですか!早いっスよ! どうせならもう出動するのだるいなーって年になってから……」
「い、い、一生ここに居座る気か!? させんぞ! ……それに一か月このまま出動の実績もなく、許可も出せない状態ならば解雇だ」
いよいよ恐れていた事実が甲斐の目の前に突きつけられようとしている。
せっかく入ったこの部隊をすぐにクビにされては堪らない。
「ちゅーーーーいーーーー!な んとか! なんとかしてよおおおおお!」
「……チッ……やかましい! 出ていけ!」
「だってー、このままじゃ挽回のしようがないじゃないスかー! 原因もよく分かんないし! 一方的にクビなんてひどすぎるよーーーー!」
目を閉じて黙り込んでしまったダイナの言葉を待ってみたが、一言だって返ってこない。
ダイナの事を睨むこと三十秒、痺れを切らした甲斐が首を真横に傾けてぼそっと呟く。
「いーってやろ~……いってやろ……ラ~ンランにいってやろ……」
「ランラ……待て! そのニックネーム、まさかランフランク校長の事ではあるまいな!?」
「えーなにがですかあ~? 急に大声出さないで下さいよ~!」
「……好きにしたらいい」
普段そんなに髪の毛を触らない甲斐がしきりに毛先をいじりながら、唇を尖らせている。
「……不当解雇されそうだってこのあたしが、卒業校に泣きつくとでも!?」
「そもそも不当解雇ではない! 職務を全うせず、他の隊員に悪影響を及ぼすのであれば仕方あるまい」
むう、と甲斐は頬を膨らませた。
このまま引き下がることはできない。
「あ、そうだ! 世界で一番売れてる情報誌の名前も知りたいな~!」
「調べればすぐに分かるんじゃないか」
この程度ではダイナは全く驚きもしないようだ。
「はあ……。まあいいや……とりあえずあたしは出動も出来ない身なんで外出許可下さーい」
「外出許可……? どこへ行く気だ?」
「……いやちょっと、フェから始まるとある場所まで」
「……フェロー諸島か、中々良い所だ」
「どこスかそれ! フェダインでしょ普通に! 分かってて言ってません!?」
あしらわれているせいで甲斐のフラストレーションが溜まっているのか、その場で地団駄を踏み出した。
「フェロー諸島はノルウェーとアイスランドの中間にある諸島だ、脳に皺が一つ入ったか?……外出許可は却下だ」
「ふんふん……はあ!? 何言ってんだよもうこのオッサン!」
「面倒事を引き連れて来るのが分かっていて行かせるか!」
甲斐はダイナの机に両手を強くついて、睨み合った。
これ以上のやり取りはダイナも望ましくないのか、やがて口ひげに触れながら低く唸りだす。
「……はあ、ヴァルゲインターはメンタル面のケアも行っている。来月までに問題を解決させろ」
「め、メンタルケア? あたしが?」
目を白黒させ、もしかするとこれもダイナの悪い冗談かと思い笑って見せた。
しかしダイナは笑いもしなければ、撤回もしない。
「あたし、どこも悪くないのに! なんで!? 問題って!?」
「もし解決出来なければ、次の職場を探せ。いいな?」
縁が無いと思っていた心のケアという単語に機敏に反応してしまう。
特段落ち込んでいる訳でもなく、食欲もあり、夜に眠れないと言う事も無い。
それはこの世界に送られた日から、今日に至るまで変わっていない。
毎日笑えるし、ほら、こんなに元気なのに。
「異常があるか、無いかを決めるのは医師であるヴァルゲインターの仕事だ。つべこべ言わずにさっさと行け! これ以上この部屋の空気を汚すな!」
甲斐よりも二回りは大きいかという顔を近づけられ、鎖骨の辺りを指をさしながらどんどんと押され、追い出されてしまった。
一刻も早く復帰したい。
名称は気に入らないが、とにかくヴァルゲインターの所へ通うしかないようだ。
「……大丈夫? 防音なのに声が聞こえてたから……」
「癒しのネオネオ、なにしてんの?」
「カイちゃんが凄い速さでどっか行っちゃうから心配して追い掛けて来たんだよ。まるでネコちゃんみたいだった」
くすくすと笑いながら頭を撫でるネオの手を甲斐は止める。
気恥ずかしいような、くすぐったいような、そんな気持ちになるのだ。
ノアに手荒く頭を触られるのはなんとも思わないのだが。
「それで、中尉と話せた?」
ネオの低い声は心を落ち着けていく。
どことなく、甘い笑顔が誰かに似ている気がした。
「ネオネオ、なんかあたしの友達に似てる」
ネオの質問に答えずに話し出したが、まったく気にしていないようで驚いたように目を丸くしてネオは笑った。
「いるんだよね、すっごい優しいけど怖い人」
「そうなの? でも僕はその人とは違うみたいだね。僕、その人みたいに怖くないでしょ?」
そう言うとネオは自分の頬に人差し指を当てて微笑んだ。
「い、いや……それは…ノーコメントで……」
「あら、どうしてかな? さて……じゃあ、こっちの番。中尉とお話は出来ましたか、お姫様?」
「あ! なんか中尉にヴァルちゃんのとこ通えって言われたよー……」
「そうなんだ……。早く、復帰できるといいね。僕もカイちゃんがいた方が楽しいよ」
優しい言葉をかけるネオの横で甲斐はただ真っ青な顔をしている。
そして何かを決意したように、真っすぐな目でネオに問う。
「健康な人にはヴァルちゃんも何もしないよね?だいじょぶだよね?」
「あはは、ヴァルちゃんは優しい人だから大丈夫だと思うなあ。僕は怪我し過ぎでいつも怒られちゃうけど」
「ネオネオぐらい素直にぶつかられると、なんか調子狂うわ……。ノアなら絶対ホントっぽい調子でからかってくるのに!」
「……お気に召さなかった? カイちゃんは強めが好きなのかな?」
ネオが声に怪しい響きを含んだ。
甲斐は全く気が付いていないようだ。
「早速行って来るかなあ……。なんか一か月以内に復帰できなきゃクビらしいから、なんだって受けてやる!」
ファイティングポーズを取るとネオが手の平を向け、軽くパンチを当てると大きな手でその拳をそっと包む。
その手の温かさは心地良かった。
見上げると目が合ったのでにかりと笑うと、ネオも目を細めて笑い返した。
「じゃーね! あ、シェアト達にもよろしく言っておいてね! 心配無いって!」
大きく手を振って遠ざかる甲斐を見送ると、ネオもため息をついてから自室へと向かう。
その目は強く、険しかった。
× × × × ×
「おう! カイは見つかったか?なーにそんな怖ぇ顔してんだよ!」
「ああ、ごめんごめん。カイちゃんは見つかったよ、なにやらヴァルちゃんのとこに通うことになったみたい。……ちょっとカイちゃんが心配だったんだ」
ノアと退屈そうに食事をしていたシェアトは立ち上がった。
「あのババアのとこに!? なんでだよ!」
「ヴァルちゃんはババアじゃないよ……。まだ二十代だし、本人の前で言ったら標本にされるから気を付けてね」
ノアが舌打ちをした。
その意味を、シェアトはこの後に知る事となる。
「多分メンタル面のケアじゃないかな、珍しい事じゃないけど……」
「け、けどなんだよ」
ノアが髪をほどき、荒く頭を掻きながら答える。
「ヴァルゲインターんとこ通うようになってから復帰できた奴って俺がここ入ってからはいねえなあ……」
「……は?」
「ヴァルちゃんの腕は確かだけど、本人の問題になっちゃうからね……」
ネオもただ床を見ながら、声を落とした。




