第百二十九話 その理由
シェアトはここまで熱くなるシルキーに驚き、目を開いたまま硬直していた。
ノアとネオはこんなことで動揺するような繊細さは持ち合わせていない。
「あいつの忠犬であるお前に聞きたい! いや、むしろ聞かせてくれよ! あいつの何を見てたって!?」
詰め寄るシルキーはシェアトをバカにした笑いを浮かべている。
「お前があの女を好きなのも、一緒にいて楽しいのも見てて分かるさ! 誰だって恋する瞳を毎日みせられりゃ嫌でも気が付く! それで!? あいつの関係はそれだけか!? そんな薄っぺらなもんなんだな!? そりゃいいや! どうぞご勝手に!」
笑いを浮かべてまくし立てるシルキーから感じ取れたのは、今までくすぶっていた怒りの炎が燃料を投下されたような熱い感情だった。
その剣幕にシェアトもノアも口を挟めずにいる。
「でも、お生憎! 俺は出動の際に大抵まとめ役であるリーダーを任されてるんだ! お前達みたいに馴れあって、なんでもいいよ大丈夫だよって優しい言葉を掛けてるだけじゃ守れないものもあるんだよ!」
壁を拳で叩いたシルキーがここまで自分の感情を露にしたのは、ノアも初めて見る姿だった。
なだめるべきではないと思ったのか、ネオも頭を掻きながら鎮まるのを待っていた。
「支え合うのが悪いとか、そういうコト言ってんじゃないんだよね。ただ、あいつとお前みたいな表面だけの関係みたいのなら無いのと一緒じゃないか?都合の良いとこだけ見て、本当に大切な部分見落としてんだもんな! 笑っちゃうよ!」
「そんな……つもりはありませんでした……。ただ……あいつに何かあったなら……気が付けると思いますし……」
シェアトの唯一の反論をシルキーは鼻で笑う。
「現にこうして気付いてないからあいつが召集され無くなってんだけど? 頭悪いなあ、話してて疲れるんだけど。本当に何が原因か分かんないの?」
私怨で言っている訳ではないというのは分かるが、どうしてもシェアトには甲斐が戦力外と言われるような部分が分からない。
民警の時だって、共に出動する時だって、いつだって彼女は無事に戻って来ていたし、足手纏いになどなっていなかった。
「敵を倒せないような奴は要らないって言ってんの! 邪魔なんだよ、ハッキリ言って」
「え……?」
ぽかんとしたシェアトに、ほら見たものかいわんばかりの顔でシルキーはわざとらしいため息をつく。
「それがあのバカ女にとっての恩情なのかは知らないけどさあ、気付いてないと思ってんのか?」
シェアトはシルキーから視線を外し、ネオとノアを見る。
二人とは不自然なほどに目が合わなかった。
「結局それをいっつもいっつも俺達の誰かが尻拭いしてるんだよ! でも戦地で一から百まで気付けるかっていったらそうじゃない! あいつのせいでこの前は『神の子』が湧いた! もう面倒事は御免だね!」
その事実をシェアト同様に知らなかったらしいノアは、舌打ちをして額を押さえた。
ネオは笑みこそ絶やさないものの、思い当たる節はあるようだ。
そんな二人の様子に、シェアトは気付いていた。
シルキーがこうして、嫌われ役を買って出てくれているのだと。
もう一つ、シェアトの心を揺らしていたのは『神の子』だった。
この単語で真っ先に頭に浮かんだのはルーカスだ。
『神の子』というのは、確か戦地を駆ける医療団のはずだ。
それが戦地に現れたというのだから、なんら不思議でもない。
『まさか戦う事になるとは思っていなかった』
なんて甘い考えを口にできるほど迂闊でもなく
『自分が当事者になったとして、手に掛けることが出来るとは思えない』
などと告白する勇気も今のシェアトには無かったのだ。
「とどめを刺さないもんだから、『神の子』が子羊を回収しようしたんだ! 結局その尻拭いはギャスパーがした! あのバカ女がしている事はメンバーを危険に晒す事なんだよ! 『神の子』だって仕事で来てんだ、簡単に倒せるような相手でもないし囲まれたらこっちが不利だった! 倒したら倒したで問題が生じる時だってあるんだ! その危険を招いたのは全部あいつなんだよ!」
まだ、甲斐が敵を前にしてもとどめを刺していない、という事実にシェアトは言い訳を必死に考えていた。
勘違い・手違い・力不足、そんな単語を正当化するにも結局は入隊して日を同じく過ごしているシェアトと比較されてしまえば更に甲斐の立場が悪くなってしまう。
「……シェアト、とどめを刺さないっつーのはな……。俺達の仕事としてはタブーなんだよ……」
ノアが首を振ってシェアトの背中を叩いた。
「シルキーもこんなムッカつくこと言ってるけどな、神の子出るまでは目を瞑ってくれてたんだろ」
「……そう…なんですか……?」
シルキーがシェアトの言葉に応えるはずもない。
ノアは話を戻し、問題の核心に触れた。
「……戦地で生き残った敵が、その後更生し、真人間として犯罪にも走らず、幸せな家庭を築いて平和を愛すると思うのか?」
ノアの言う事はもっともだった。
生き残りを作れば、また新しい勢力を生んでしまう。
この世界でただ平和に生きていけなかった彼らが。
唯一自分以外信じられる仲間を見つけ、駆け抜いた彼らが。
己だけ生き残った後、どうなるのか想像するのは容易だ。
瀕死の重傷を負わされても尚、生き残ってしまった人間が仲間を殺された恨みを持たぬはずがない。
更に強固で、根深い恨みを生んでしまうこともあるだろう。
そう頭では分かっていても、どうしても、今、シルキーの前で甲斐を庇うような発言をしてくれないノアに苛立つ気持ちがあるのは事実だ。
ここにいる人間全てが、甲斐を悪く言っているように聞こえてしまうのは自分が甲斐に好意を寄せているからだろうか。
シルキーに言われた薄っぺらい関係、というのはこういう部分を指しているのだろうか。
「……たまたま、たまたま取りこぼしただけかもしれねえだろ……」
「『たまたま取りこぼす』? それがどれだけの危険を生むか、分かっていないと? 自分の頭の悪さを露呈するのはやめたらあ? よくそんな口が利けるよね! 俺達はプロだ、金も貰ってる。手を抜く、ミスをするなんてこの仕事じゃ許されないんだよ! お前もそれで飯食ってんだろ!?」
甲斐に他の仕事を勧めていたのは、嫌味ではなくシルキーの本心だったのかもしれない。
きっとなんと言い訳しても、甲斐の今の処遇は変わらないだろう。
してしまった事を、言葉で弁解するのも難しいだろう。
だが、甲斐を守りたい。
それなのに、どうしたらいいのか分からない。
「そんなに必死に考えたって何も変わらないよ? 何か勘違いしてない? どんなに仲が良くてもここは職場だし、それぞれ個人だからね。いつまでも学生気分じゃ困るんだって」
「シルキー、もういいだろ。カイがなんで戦力外って言われてんのかはもう分かった。悪かったな、引き止めて」
床を睨んでいるシェアトに鼻を鳴らして去っていくシルキーの足音は荒かった。
壁に背を付けてそのまま力無く沈んだシェアトの横へノアが座る。
「……こればっかりは俺達じゃどうしようもねえよ。本人の問題だ、お前までこんな風に落ち込まれたら暗くて敵わねえって」
「情け、なくて。あいつの一番近くに、誰よりも近くにいたのに……なんにも分かってなくて……」
こんな形で気付かされた事も、甲斐を庇い切れなかった事も、その全てが悔しかった。
シルキーはやはり、よくリーダーとして取り仕切っているだけはある。
何一つ、大声であいつは悪くないと叫べなかった。
そうした所で、どうにもならないと頭のどこかで冷静な自分がいた。
以前は、迷わずそうしていたはずなのに。
傍にいるのに守れない。
そしてこんなにざわついているのは、何よりも自分が彼女と離れるかもしれないという不安からだという自覚が恥ずかしかった。




