第十二話 ご主人さま、見てて
「先生……?」
ローレスの焦りに気が付いてはいるのだろう。
しかし、浮かんだ不信感はすぐに拭い去ってしまった。
それほどまでに、彼女が得た体験は大きかったのだろう。
失った息子の代わりは、記憶を疑似体験して埋め合わせ続けてきたのだ。
「でも、私、いいんです……。だって強制されてるわけじゃ無いですもの……。あの子のいなくなったあの日に……私は死んだんです! だからもうどうなったって!」
「聞いたかローレス? 泣けるよなあ、こんなにお前を庇ってくれてるのにお前はだんまりかよ。拘束魔法はもう解けてるはずだぜ、ほらなんか喋ってみろよ。『実験材料を体よく集めてました』、ってなあ!」
転がされていた床からゆっくりと立ち上がったローレスは、動きに警戒するシェアトを一度見てからヘレナに向き直った。
その瞳を見た甲斐は瞬間的に嫌な記憶がフラッシュバックした。
あれは卒業式の日、心から信頼していた友人の見せた冷たい瞳。
彼の攻撃を受けて倒れ行く友人に目もくれず、新しい道へとただ進んだエルガ・ミカイルの事を。
「……お喋りは嫌いだよ。だから女は嫌なんだ……」
「お前何して……!? カイ! ヘレナを!」
背を向けているローレスが白衣のポケットへと手を忍びいれているのに気付くのが遅かった。
咄嗟にシェアトはローレスを気絶させようと攻撃を撃ち込んだが、彼を取り巻くように煙上の防御魔法が展開されており、かき消されてしまう。
魔法が使える適性の無いはずの彼が何故、いや、そんな問いを考えている場合ではない。
現実に引き戻された甲斐がシェアトの声に反応して咄嗟にヘレナの手を握り、入り口とは反対方向へと走り出す。
逃げ出した女二人を追うか、残された男を黙らせるか。
その二択に見事選ばれたのは後者だった。
「私は頭の悪い動物が嫌いなんだ。犬なんて特にね。置いて行かれて可哀想に、すぐに楽にしてあげよう」
「テメェに犬呼ばわりされるいわれは無ぇが、犬の賢さを教えてやるよ」
そう言って笑うシェアトの口からは犬歯が挑戦的に覗いていた。
「……チッ、民警も大した事ねぇな。お前が魔法を使えるなんざ聞いてねぇ」
「ああ、それは民警のせいにしては失礼だよ。……最近の魔力器は高性能でね、私が少し改良したらこれだけ膨大な魔力の溢れているここのような場所だと、こうして魔法なんて使えた試しの無かった私でも使えるんだ」
「……残念だよ、お前みたいに優秀な奴がこんな事してるなんてな。人から魔力を抜いて、それを使ってまた研究か。やってる事はクズ以下だぜ」
優秀、と思ったのは本当だった。
この技術も才能も、活かし方さえ間違えなければ。
「そうかな? 自らの命を削ってまで行いたいと言ってきた連中を相手にしてやったのにそれが屑だと? 民警ごときが私に何を言っている!? 私も魔力のおかげで研究を続けられ、文字通り売るほど溜まった魔力を売り資金を得る! あいつらだって辛い現実の中で生きる希望を見つけられる! これのどこにデメリットがあるんだ!?」
「お前が本当に人の為だと言うのなら、未来に向けて進めるように背中叩いてやるのが正解だ! 記憶の中で生きてんのが幸せだと思うならなんでテメェはそうしねぇんだ!? やりたい事があるからだろ! たまたまそれを見失った奴を檻に入れてんのはテメェだろうが!」
尖った歯を剥き出しにして怒鳴るシェアトに、今度は手を叩いて笑い出した。
散々笑った後、丸眼鏡の位置を両手で直すと次に白衣の乱れを正して真顔に戻る。
「本当に犬のようだな君は。私に忠義を尽くすと言うのならあの飼い主と女を始末して、飼ってやってもいい。どちらかにやられた私の助手の代わりも必要だったしな」
「ジョークがつまんねぇよ。よくこの状況で俺をスカウトする気になったな。抵抗するなら荒っぽくなるぜ。……ぐっ……!」
シェアトの体は前に揺らいだ。
まるで背中に幾つも弾丸を受けたような、そんな衝撃と熱さを感じた。
続いて激しい眩暈によって、立っているのも難しい。
揺れる視界の中で右目に映し出されている文字が危険だと赤く染まって警告している。
「このまま魔力を頂くよ、ありがとう。廃棄処分は本当に使い道が無くなった時だけだから安心したまえ。それまでは招かれざる客を始末する重要な番犬にしてあげよう」
背中に深く食い込んでいる得体の知れない管をまとめて引き抜くと、激痛が走った。
魔力を抜く為にヘレナの腕に刺していたのと同じ管の様だ。
簡単に抜けないように返しが付いているらしく、血が流れていくむず痒さと共に生暖かさを感じる。
絶体絶命、というやつだろうか。
それでもこのにやけた顔を歪めてやらないと気が済まない。
それに何より、甲斐を負わせるわけにはいかない。
「犬は最初に主人と決めた奴に一生付き従うんだぜ……」
それは鎖ではない。
「覚えとけ……俺のご主人様はあいつだけだ……!」
これは、宣誓である。
握り締めた管を全て燃やし尽くすと、残る分も引き抜いた。
ローレスは魔力を自分に増幅させ、人の腕程の太さにまで編み上げた管をシェアトに向けている。
甲斐に襲い掛かって来た廃人がどうやって生み出されたのか、ようやく理解した。
怒りで痛みすら感じない。
望んで通い、そして甘い夢に魅せられた人々が、この男に全て吸いつくされ、残った体力で暗い地下道の警備にあてられているのだ。
そして最後の力も無くなった者は巨大ミミズの餌となっていた。
「考えれば考えるだけ、お前を殺したくなってくるぜ……。魔力器の進化も考え物だな」
「見かけによらずタフだな。骨の髄まで吸い付くしてやろう」
対一般人であれば確実にローレスが勝利していただろう。
いくら魔力器を持ったとしても、やはり実戦経験と応用方法の知識、そして発動までの短縮が出来無ければ意味が無い。
グレネードランチャーを手にしたシェアトは、自ら召喚した武器のため、撃ち込む反動を受けない。
そして狙いを定めて連射していく。
防御をしながらの攻撃は出来ないのか、にっちもさっちもいかなくなったローレスは防御のみに徹する。
まさか巨大な管を前にしてもシェアトが攻撃をしてくるとは思わなかったのだろう。
三度目の砲撃を受け、とうとう彼を取り巻く煙が幾つも掻き消され始めた。
防御力を攻撃が上回ったのだろう。
「……そ、そんな物をどこから出した? ……そうか、魔法か! 幻覚だな? なるほど、民警の魔法機器でも使っているんだろう? ん?」
消えて行く煙と生成する煙の数が合わない。
圧倒的に防御の生成が間に合っていない。
「聞け! いいか、民警が感情によって容疑者を殺したなどとなれば大問題だぞ! そうなれば出世は出来ん! それにな、貴様にも家族がいるだろう?なあ?」
シェアトは欠伸をかみ殺して前進しながら引き金を引き続ける。
血がシャツから下へ流れ始めて気持ちが悪い。
不愉快な冷たさが背中一帯を占めており、脱ぎ捨ててしまいたい。
「もう真夜中だぜ、おねんねしてな」
手加減はしたが、至近距離で魔弾を食らったローレスは顔を守る様なポーズで吹っ飛んだ。
一瞬とはいえ急激に魔力を吸い上げられた状態で力を使ったシェアトはその場に崩れ落ち、大の字になって目を閉じた。




