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第百二十三話 初めての帰省



「あれ? カイ知らねえ?」


 シェアトはトレーニングルームに顔を出し、ノアとネオに尋ねる。


「今日はお休みだよ。召集かかっちゃたまんないわとかブツクサ言いながら朝から出て行ったけど?」


 ネオが汗を肩にかけたタオルで拭いながら答える。

 その隙にノアが蹴りを頭部に目掛けて繰り出したが、片手でいなし、ノアはその勢いのままよろめき椅子を巻き込んで倒れていった。


「なんだよ、なんか一言位……ハッ! おい、ネオ! もしかしてあいつ、デートとかふざけた事言ってなかったか!? くそっ! なにがなんでもぶち壊してやる……! 俺がこの世にいる限り、絶対邪魔してやるからな……!」

「……野心に燃えているとこ悪いんだけど、デートじゃないみたいだよ。カイちゃん、なんか実家に帰るとか言ってたし」



 親切に答えたというのにシェアトからは何を言っているのか、というような目つきで睨まれたネオは事情を説明する。



「誰がどう見ても怪しい動きで壁に張り付きながら、周りをきょろきょろしながら歩いててね……。どうやら転送ロビーに向かってたからさ」

「想像つくところが悲しいな……」

「なんでお前は俺の心配をしねえんだよ!」


 ノアがむくりと起き上がり、シェアトに吠えた。


「うるせえな! 大事な話してんだこっちはああ!」

「えっと……それで特に僕は用は無いけど、その様子が気になっちゃって。カイちゃんに後ろから声をかけたら面白いぐらい動揺してさ」

「面白がってんだろネオ……」



 シェアトがじとっとした目つきでネオを睨むと両手を上げて首を振った。



「それで、今度は手招きされて。耳を近づけないと聞こえないような声で囁かれたんだよ。『あたし…実家に帰らせて頂きますからっ』……って」

「カイの耳打ちかよ! よく鼓膜割られなかったな!」


 ノアがドリンクを飲みながら笑う。


「それで今度は何が始まるのかなーって、黙って見送ってたら今度は駆け寄ってきて『止めないのかよっ』とかなんとか言ってたよ」


 甲斐の様子がおかしいのはいつもの事だが、シェアトだけは難しい顔をしていた。


「実家……って……。マジかよ……?」

「いや、マジかどうかは分からないけどね。ただの冗談かもしれないし、帰省したのかもしれない。別に日帰りで帰省するのも珍しい事じゃないよ」

「いや……あいつは……」


 それ以上、シェアトは何も言えなかった。



 甲斐にはこの世界に実家など無いのだ。

 あるのはもう一人の自分が過ごしていた家。




 声が、見かけが、仕草が同じだとしても甲斐の両親ではない。

 この世界のどこにも、甲斐が帰る場所など存在しないのだ。


「なに? あっ……ごめん、カイちゃんってもしかして訳アリ?」

「いや…そういう訳じゃねえよ。ただ、急に実家帰るなんて珍しいなと思っただけだ。ま、実家じゃねえかもし…れねえしな」

「ぷっ……ははは! やだなあ、冗談だよ。訳アリであのカイちゃんのキャラならよっぽどだろうし! そんな本気で否定しないでも……ははは!」



 あまりにも真剣な口調で否定したシェアトの前で吹き出したネオは目尻に溜まった涙を拭った。 



×  ×  ×  ×  ×



「かっよっおっびはっ! なんかっ! さかなっ! やっすっうっい!」



 両手を後ろで組んだまま、大きな歩幅でスキップをする甲斐は大声でリズミカルな歌を唄っていた。



 部隊に入隊してから初めての帰省である。

 甲斐は本当に日本の、もう一人の自分が住んでいた実家へ向かっていた。



 行方不明となってしまったもう一人の甲斐の両親は、その事実を知らない。

 元々、魔法技術開発専門学校にいた彼女は随分と優秀だったようで帰って来ない日々が当たり前だったらしく暫く戻らなくとも特別怪しんでもいないようだった。

 研究の為に特殊部隊へ行くと言っても二つ返事だった両親はずいぶんと肝が据わっている。


 最初にこの世界の両親と出会ったのはフェダインに在学中だった。

 異世界から来た甲斐の消滅を狙った動きにより、実家近辺へと送られてしまったせいでこの世界の両親に出会う事となった。


 上手い言い逃れも出来ずにあれよあれよとそのまま一泊してしまい、卒業後は入隊日までちゃっかり娘として家にいさせてもらった。

 季節は春から夏へと移り変わったが、連絡の一本もしていない。


 危険な任務に就くという事も知っているだけあって、もしかしたら心配しているかもしれないと思った。

 実の両親は安心させてあげられない分、出来る事はしようと思ったのだ。



「おっかしがある~ぅ! おっこめもある~ぅ!」



 相変わらず隣の家に住む女性はガーデニングに勤しんでいた。

 もっとも、甲斐の知っている手入れの方法ではないが。


 妖精達が小さなじょうろを持って花に水を与えているのをにこにこと見守っているだけだが。

 夏の熱い日差しを取り込んだ飛沫はキラキラと光り、小さな虹を生む。


 ぼうっとスキップを止めてなんとなくその様子を見つめていると、気が付いたようだ。

 お互い数秒見つめ合うと、突然女性が口をぱっと押さえて駆け寄って来た。



「あら!? あらあらあらあら!? 甲斐ちゃんじゃない!?」

「……うおおお……! こんにちはー! おばさん、お久しぶりでーす」



 明るい人柄も、気さくな態度も前の世界と同じだ。


 以前にもこの女性に庭を見ていたのを見つかったのを思い出す。

 あれは冬の夜だった。

 フェダインから突然この通りへ飛ばされ、途方に暮れながらも実家への道を歩いていた。

 

 そしてこの隣家の庭を通り過ぎようとした時だった。

 甲斐の横切った傍から咲くはずの無い花が開花し始めたのだ。

 何かしでかしてしまったのかと騒いでいたところ、彼女が家から出て来てしまったのだ。



 当時は魔法が普通に存在している事はフェダインで学び、使えるようにはなったがこうして一般家庭でも様々な分野で取り入れられているとは知らなかった。



 前の世界では冬になると隣家の庭からは色とりどりの花は消え、寒さに強い樹木が雪化粧をして厳かな雰囲気を出していた。



 しかし、この世界では魔法によって咲き誇る花があるのだ。

 何故かその一件が甲斐の心に寂しい風を吹かせていた。

 それは儚い命も花咲かせるまでの手間暇すらも愛した女性が、まるで花の見かけだけを好んでいるように酷く安く感じてしまったからかもしれない。


 四季を重んじ、物言わぬ植物と共に生きている女性が変わってしまったかのような酷く物悲しい気持ちになっていた。


「ほら見て、綺麗に咲いたでしょう?」

「……あれ? それって魔法の花なんじゃないの? ほら、冬の時とかも綺麗に……」


 くすり、と笑った彼女は温かな微笑みを浮かべた。


「それは冬だけ。冬にもお花が楽しめるのは嬉しいけど……ちょっと違うのよね。やっぱりそれまでの季節はこうやって沢山の花を咲かせるお手伝いをするのが楽しいの」



 そう言った女性は咲き誇る花に良く似合う、可愛らしい笑顔だった。 



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