第十一話 母だった女性
「言いがかりもいいとこだ。民警とそいつ、どっちが酷いことしてるかなんてちょっと考えりゃ分かりそうな気がするけどな」
首を振って馬鹿にするように言うシェアトにローレスの顔は赤くなった。
「先生はっ……私のような辛くて……どうしようもない人に手を差し伸べてくれる救世主のような人なの!この人のおかげで私はまだこの世にいるだけよ! 先生に何かしたら、私、死んでやるからっ……」
盾になろうとでもいうのか、女性はローレスの前で両手を広げて立ちはだかった。
洗脳されているのかと思ったが、右目には女性の名前と健康状態が映し出されており、特に異常は無いらしい。
「ねえお姉さん、あたしは東藤甲斐っていうんだけどさ。一体ここに何しに来たの? もし本当にあたし達の勘違いならこのまま帰ってもいいよ」
「おい! 帰れるかよ! お前も気持ち悪ぃ奴らに追いかけ回されただろうが、俺なんて殺されかけたんだぜ!? どうせこいつはローレスを擁護するような事しか言わないに決まってる! 時間の無駄だ!」
ローレスに指を指したシェアトを女性は睨んだ。
しかし甲斐は隣で喚く犬の鳴き声など聞こえないようで、女性に対し挑戦的な笑みを浮かべて返事を待っている。
シェアトは最早敵と認識されているようだ。
「……子供を、亡くしたの。あとちょっとで、十歳の誕生日だったわ……。凄く素直で……もちろん子供ですもの、生意気を言う時だってあった。でも、憎いなんて思った事、一度だって……!」
「よさないか、せっかく調整を行ったのに思い出しては意味が無いだろう」
ローレスはなだめるような口調で言っているが、焦りが見え始めた。
「いいえ、いいえ先生! 私が先生に生かされているのは事実です! それなのに私は何も出来ない……! お話ししてこの人達が大人しく帰ってくれる可能性があるのなら、それで十分!」
「横やり入れない! ……続けて、この犬うるさいけどあたしが決めた事なら文句は言わせないから大丈夫だよ」
シェアトは腕組みをして、甲斐の発言を肯定も否定もしなかった。
「……仲、良いのね。……私は子供を亡くしてから、ただ時間の中で息をしていただけ。食べる事も、眠る事も出来ず、そんな私を痛々しいと言って旦那は消えたわ。それに対して涙なんて流れなかった! ……それなら少しでも、あの子の為に泣いてやりたかったの!」
最後は悲鳴のように聞こえた。
流れ続ける涙を女性は拭おうともしない。
シェアトはデスクに寄り掛かると、周囲の気配に耳をそばだてている。
「気付けば私は病院にいたわ……。母が入院させたみたい。あの子のいた九年と十一か月は長すぎたのね。何処にいても何をしても、あの子の思い出が……面影がちらついてしまうのよ。……このまま緩やかに終わっていくんだとそう、思っていたの」
「もういい! ヘレナ、今夜はもう帰りなさい。これ以上は君に負担だ!」
とうとうローレスがヘレナの前に立った。
しかし甲斐がそれを許さなかった。
強い力で机を殴りつけ、吠えたてる。
「二度目だよ! 痴呆かこらあああ! いい加減にしろおおおもおおお! こっちは仕事で来てんの! オッサン! あたしだってああそうですかって帰りたいの! 分かる!? ご飯だって食べてないし、ホラーな体験させられるし! これ以上時間をかけるようなら問答無用で御用にするよ! あっラップっぽい! 問答無用で御用だイエア! ほら、お姉さんも続けて続けて!」
続けろと言われても、ローレスよりも空気を乱しているのは彼女である。
ヘレナは一度鼻をすすると、溜息をついてからようやく話し始めた。
「先生が偶然私の事情を耳にして訪れて下さった時、光が見えたの。暗い沼の底にいた私を引き上げて下さったのは紛れも無く、彼なのよ……。記憶調整の話を聞いて半信半疑だったわ。でも、そんな不安も一度試した時から遠い世界へ消えてしまったわ!貴方達も試してみたらいいのよ!」
「うん? ヘレナさんちょい待ちちょい待ち。結局記憶調整ってどんななの? あたし、生い立ちを聞きに来た野次馬じゃないんだよね」
答えかけたヘレナの傍へと動いたローレスに、拘束魔法をかけたのはシェアトだった。
舌打ちをして暴れる彼の口を塞いだ。
「これで三度目だぜ? 俺も黙って聞いてんだ、お前も少し黙ってろ。ねーちゃんも騒ぐなよ。話の邪魔だから拘束しただけだ。続けろよ、俺のご主人様があんたの話を聞きたいって言ってんだ」
「先生に乱暴しないで! ……話すから……。ただ、幸せだった記憶を追体験出来るのよ……。自分の目線だから、本当にあの子が帰って来たみたいなの。……朝ご飯をみんなで食べて、送り出してから家事をこなして……夕焼けに家の中が染まる頃、元気な声であの子が帰って来るの……。そんな今までの日々を鮮明に、リアルに体験しているだけよ! 何が悪いっていうの! 私からもうあの子を奪わないで!」
「へえ、そりゃ凄いね。あたしもフェダインにいた頃の記憶を追体験させてもらおっかな。……それが無償なら、だけど」
時が止まったように、誰も動かなくなった。
首の骨を鳴らしながら甲斐がヘレナに近付く。
「お金かかるの? でもそんなすんごい発明なのになんで博士は大々的に発表してくれないのかな? 死ぬほどやりたい人がこの世界中にいるんじゃないの? 言っちゃ悪いけど、ヘレナさんだけが特別不幸って訳じゃないしね」
「私は貴方達みたいに魔法使いでもなんでもないわ。だから、この体に溜まった魔力なんていらないのよ……。それに、人体に影響の無い分しか抜いてないって先生も仰ってたわ!」
「よく考えろよ……。八日も飯食わないままにされて、何がどう影響が無いって? あんたの顔色酷いぜ? まんまと騙されてんな。魔力を抜く影響は生命力に直結してんだ。必要無い物が体に存在してると思ってんのか?不要なもんは毎日便所で流してんだろ!」
「あーあーなるほどね。そっか、そうだね分かったよ。ヘレナさんみたいな人は何度でも通うよね。記憶と同じ時間を追体験するならそれと同じ日数が必要だし。魔力が尽きるまで、居座る人もいるんだろうけど……ローレス。 あんた、やっぱ有罪だわ」
暴れるのを止めたローレスは、決してヘレナを見ようとしなかった。
尊敬と希望に満ちた顔とは程遠い表情の彼女を、受け止める勇気が無いのだろうか。




