第百八話 ポールマン・ビヨンド
魔法技術開発専門学校は数ある歴史ある学び舎の中では真新しい方だった。
校舎は滑らかなフォルムで、近代的なデザインだった。
メタリックな色彩は外観だけでなく、無駄を省き、更に技術力を誇示するように内装もあっと言わせる仕掛けが盛り込まれている。
久しく十代の若者と関わる機会など無かったリチャードは、案内してくれている初老の男性教授の挨拶よりも生徒達と話す想像をする方が緊張していた。
そんな様子に教授はほっほ、と柔らかく笑うと応接室に通してハーブティーを二人分用意してくれた。
「……緊張しているようですね。この学校は、御社の協力失くしては設立できませんでした。御社の力になれるのはとても光栄な事です。どうぞ、もっと大きな顔をして堂々と歩いて下さい」
「すみません、あまこうして人前に出るような仕事では無かったもので……」
「……そうですか。いや、確かに初めてお会いしますな」
お互い名乗ったものの確認の為、薄くなった頭を掻いている隙を突いてリチャードは目を細め、彼の白衣にピンで留められている顔写真付きのネームプレートを見た。
ポールマン・ビヨンドと書いてある。
自分の他に、やはりこうして相手先へ出向いていた社員がいるのだろうか。
「……昨夜は、勢いのままアポイントを入れてしまい申し訳ありません。突然のお願いにも関わらず、こうしてお時間を空けて頂いて……」
「……いやいや。この学び舎にいる教員は案外暇ですから。……いや、お恥ずかしい事にここへ入学する生徒達は皆優秀でね。教えられるのは基本的な事。後は彼らが躓いた時にその石をそっと払いのける事ぐらいでして」
骨ばった手がグラスを掴む。
無駄な脂肪が全く付いていないどころか、必要な部分の脂肪すらも削ぎ落したような外見は思わず支えてあげたくなってしまう。
ぎょろりとした今にも零れ落ちそうな目玉の割に黒目が小さい。
「私達に出来ることがあればなんでも仰って下さい」
「本当に、ありがとうございます。……詳細はお話しできませんが、エキスパートランクの生徒さんを是非ご紹介頂きたいと思っておりまして……」
「ほう……、なんと光栄な……! では早速生徒名簿をお持ち致します、ランク分けしてありますので」
ガラステーブルの上の呼び鈴をおぼつかない手で鳴らすとお手伝い天使がやって来た。
エキスパートの生徒名簿を、と優しく告げると嬉しそうに飛び立っていった。
すぐに薄い名簿を持ってきて、ポールマンへ手渡すとお礼を言われたのが嬉しかったようだ。
お手伝い天使は文字通り舞い上がって消える。
とても大切にされているようだ。
微笑ましく見ていると、ポールマンが名簿を開いてこちらへ向けてくれた。
「エキスパートは非常に難しいので、八年いてもなれない生徒もおります。なのでこのページ数の少なさに落胆されているかと思いますが、ここに載っている者は優秀なんて言葉では足りませぬ。間違いなく、天才と呼ばれる者もおりまして……」
名前順に載っているようだが、確かに数名分しかない。
卒業生の分もあるようだが、合わせても二十名ほどだろう。
全身像が右ページ、詳細データは左ページに分かれている。
手を振ったり、思い思いの表情を見せる生徒は皆白衣を着ていた。
功績や提携した企業、そこで開発した物を載せていたり、守秘義務に関する契約はどこまで可能かなども記載されている。
まるでカタログのような名簿を見ながら、得意分野や専攻をチェックしていく。
「……そんな、馬鹿な……」
思わず名簿を取り落としかけた。
開いたページでおどけて笑う生徒。
詳細データの最初の行には『KAI TODO』とある。
国籍は日本なのでもしかしたら同姓同名かもしれない。
しかし、あまりにも似すぎている。
いや、似ているなんてものではない。
リチャードの知る、カイ・トウドウそのものだった。
固まっているリチャードを不審に思ったのか、ポールマンが少し腰を上げてページを覗く。
するとポールマンも少しばかりそのままの姿勢で固まっていた。
「……ああ、彼女は……まだ在校生ですが……その、色々ありまして今は長期休暇を取っております……。エキスパートまで昇格しているので、いつだって卒業できるのですが……」
「……長期休暇……ですか……?」
長期休暇、と称されているが彼女は今、W.S.M.Cという特殊部隊で勤務している。
そんな余計な事が口から飛び出してしまいそうだ。
カイ・トウドウは一体何者なのだろうか。
堂々とフェダインを卒業したと言い切り、それを踏まえたうえで特殊部隊へ就職している。
そこは紛れも無い事実だろう。
二人の彼女は対照的で、研究開発を行っていた者が特殊部隊で戦場に出る事が出来るとは思えなかった。
「……年齢は……今で、二十歳でしょうか。他にもエキスパートの生徒はおります……とお答えしたい所なのですが、どう取り繕おうとも彼女の残した成果は大き過ぎて……」
記載されている研究成果や依頼されている企業を見ればそれは一目瞭然だった。
国家直属の機関からの依頼までこなしている。
この年齢でこれほどのレベルで通用する研究開発が行えるとなれば引っ張りだこだっただろう。
「……彼女は今、どこに?」
ポールマンのグラスを握る力が強くなったのを、見逃さなかった。
「……お答えしなければ、なりませんか。私に、それを……それを聞くというのですか」
「良ければ、聞かせて頂けませんか……」
腰を叩きながら、立ち上がったポールマンはリチャードを連れて応接間を出た。
学び舎だとは思えぬほど、静かな校内は人の気配すら感じられない。
「今からご案内するのは……彼女の使っていた研究室です。驚かれぬようにお願いします」
「驚く……とは?」
「……エキスパートの生徒には一人に一室研究室が与えられます。彼らは生徒と呼ぶにはあまりにも優秀な人材ですから……。企業からの依頼を受けている者は一社会人となんら変わらぬ待遇で、責任も負います。なのでセキュリティレベルの最低ライン以上を満たす研究室が必要なのです」
答えになっていない返事を聞きながら、指紋認証をパスするポールマンがリチャードにドアへ手をかざすように促す。
ゲストと認証されたのを確認して、二人は足音がやけに響く通路を進む。
「なので、誰がどの企業からどんな依頼を受けたかも我々教員は把握しておりません。守秘義務があったり、極秘の依頼を受けていたり……。ああしてカタログに載せられる功績というのはごく僅かなのです」
「それは、一体どういう……」
「研究室は本人以外何も動かせませんし、本来であれば無断で立ち入る事も許されません。今回は緊急時用のパスコードを使用します。……彼女は、用心深く頭が良かった……。一切何も持ち出せませんし、長居も不可能です。いいですね?」
念を押し続けるポールマンに、事態が飲み込めないリチャードが彼の後ろを歩いていた。
どこをどう歩いたのかも分からない。
とうとう押して開かれた部屋に踏み入る足が一瞬、動かなかった。
それは、分岐点だったのかもしれない。
今にして思えば、だが。




