第百五話 アルビダの嫌ったもの
アルビダ・マシュー。
彼女はどれだけ金を積まれても、企業に属すことを嫌った。
それはこの世界にとっては良かったのかもしれない。
研究の結果を学会にも顔を出さず、発表もしない。
代わりに自費出版で魔力使用量を抑えた兵器の作り方を載せた本を出版した。
魔力を使用する兵器が多いのは爆撃した際に目的地以外に一切被害をもたらさなかったり、土地を壊さず命だけを奪ったりとと利点が多い為だ。
環境を守り、土地の者を一掃できるならば奪う価値も更に高まるのだから。
しかしそれを現実問題、作成するには莫大な量の質の良い魔力を調達しなければならず、その為の資金と開発する人員数、そして技術力、更に途方もない年月が必要になる。
年月を短くするためには資金と人、そして技術力は不可欠である。
そもそもこれまで兵器開発を飛び抜けたスピードで仕上げ、世界で最も多くの顧客を抱えているのはSODOMなので、どの企業も取り組めるはずがない。
もし、これが実現すれば市場に介入できるかもしれないのだ。
しかし相当の知識が無いと理解出来ない内容であり、無名の研究者の出した本となれば数える程しか売れなかった。
最初は冷やかし程度の気持ちだったのだろう。
まるで夢物語のような内容だが、根拠も実験結果も掲載されており、購入した者はこぞって彼女の本を取り上げた。
中にはアルビダの出版した本の通りの論文を自分の研究結果だと発表する者も現れた。
内容の素晴らしさと、アルビダが出版した本はそもそも部数が少ない為、その存在自体を知る者は非常に少なく、一時はその狡猾な者がトップニュースとなった。
手柄を横取りされそうになってもアルビダは沈黙を守り続けた。
発表し、自分の研究結果だと胸を張った者は早速事業に取り掛かった。
世界中からメディアが取り上げ、一時は雑誌やテレビに出ていたらしいがいい加減に研究した結果を見せなければいけなくなったのだろう。
そしてこの研究者は、大層困ったはずだ。
なんと重要な部分がその本には書かれていなかったのだ。
抜けている部分は実現させようと開発を進めていかなければ分からない箇所で、まるでパズルの重要なピースだけが抜かれたようだったらしい。
そこさえ埋める事が出来れば、彼女の本の通りにいくはずなのに誰一人、完成へ辿りつけずにいた。
やがて痺れを切らした者達は彼女を探し出し、兵器が幾つだって作れる金を差し出した。
パズルのピースを時間と労力をかけて探すよりも、それを隠した者に答えを聞く方が早いのだ。
決して縦には落ちぬ首をとうとう狙う者が現れた時、アルビダは良いタイミングで消息を絶ってしまった。
そして三十年以上の月日が流れ、彼女の存在は伝説となっていた。
死の中の生命を司る神と揶揄されたのも遠く、未だに誰一人ピースは誰も見つけられていない。
この結論は、リチャードは調べずとも分かった。
見つけているならば、アルビダは伝説ではなくなっているはずだ。
「駄目ねぇ、やっぱりあんな本なんて出すんじゃなかったわ。断れば……私を殺すのかしら?」
困ったように笑うアルビダに、今度はリチャードが首を横に振る番だった。
「そんな事……しませんよ。本当です。あの本の答えを誰も見つけられないのは、それだけ貴女の考えが優れているからです。私は研究者ではありませんから、何が足りていて何が足りないのかも分かりません。ですが…答えではなく、私は貴方を見つけました」
「……私がこの世にいる限り、絶対に見つからないなんて事はありえないのね……。天下のSODOMに務めるという貴方から連絡が来た時、もう逃げられないと思ったわ」
その割に、逃げも隠れもしなかった。
アルビダは何を思い、ここで待っていたのだろう。
「脅迫する気もありません。ただ、黙って貴女がこの世界から去ってしまうのを待つのは勿体無い。……あの本を出したのも、知って欲しかったのでは? 貴女は世界を変えられる。それなのに、自身で事業に取り組む訳でもない……私には分からない点が多いのです」
彼女の表情が見えにくくなってきた。
陽はゆっくりと傾き、徐々に月へと空を譲るように姿を消していく。
アルビダは何も答えぬまま立ち上がるとマッチを擦って一つ一つ、蝋燭に役目を与えていった。
魔法であれば全てが一瞬で、それこそ眠る瞬間まで薄暗さを知る事無く暮らせるだろう。
こうしてゆっくりとした動作から、習慣が垣間見える。
彼女が歩いた場所から温かな光が一つずつ増えていく光景はこの家ごと魔法にかけられているような、そんな錯覚さえ生んだ。
「……アルビダさん、貴女は……魔法を使わないんですね」
「魔法が、使えないのよ。私は一般人なの。……でも、魔法に対して憧れる時期は過ぎたわ。一般人が魔力兵器を研究するのは珍しい事じゃないでしょう?」
「あ……、いえ。魔力の話では無く魔法機器を使用しないのが珍しいなと……」
「魔法機器はとても便利よ、そして素晴らしいとも思っているわ……」
短くなったマッチをふっと息で吹き消して密閉された缶の蓋を開けるとそこへ落とし、きつく蓋を閉めた。
「でも、便利さと引き換えに今まで自分の手でしていた、できていたはずの事を忘れていくのは怖い事よ。……もし急に、魔力がどこにも無くなって……魔法使いも誰一人いなくなった時が来たら……。どうやって生活をしていくのか、もうその方法すらも思い出せなくなる時が来たら……それは退化したという事に他ならないわ」
最早、この世界の中でなくてはならない魔力。
魔法が使える使えないに関わらず、魔力機器はその便利さから持たぬ人の方が少ない。
確かにもしも明日から突然魔力機器も、魔法もこの世界から消えてしまったとしたら何をどうしたらいいのか分からないだろう。
灯りもなく、家電全てが使用出来ない。
スポットによって移動しているリチャードも心当たりがあった。
SODOMまでどうやって通勤したらよいのだろう。
「……貴方はこうして私と軽快に話しているけれど、本当にデンマーク語が話せるのかしら、リチャード?」
「……いえ。これは……言語共通魔法です……」
英語は問題無く話せるが、他の言語は学んだことが無い。
現にこうしてデンマーク人であるアルビダと話せているのも、魔法のおかげだった。
今までそんな事を気にしたことも無かった。
誰とでも話せて当然だったし、どの本も読めて当然だ。
海外製品が普及したのもこの魔法のおかげだと思う。
「……そう。本当の貴方と話せる日は来るのかしらね。……私は、デンマーク語の他に幾つか話せる言葉があるわ……。でも、そうね……貴方とは『またいつか』話しましょう」
恥ずかしさで死んでしまいそうだった。
彼女の優しい声すら激しく胸を責めた。
「そうだ、これを……」
見送りに来てくれたアルビダが思い出したように引き返して持って来たのは何かのパンフレットだった。
「……きっと、役に立つわ。こんなヘンクツばあさんなんかより、きっと……ね」
「ありがとう、アルビダさん……。では、『また来ます』」
立ち去る中で、アルビダの家へと名残惜しそうに伸びる影を引きずりながらSODOMへ戻る。
今の自分こそ、アルビダの避けた人物像そのものだった。
魔力と魔法に甘んじて、努力を怠る。
歩み寄るならば、努力しなければ。
ありのままの自分を受け入れてもらえるなどと、何故思ってしまったのだろう。
リチャードは自分を恥じ、そして顔を上げられなかった。




