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プロローグ

「ヤバいヤバいヤバい! 人間の動きしてないけど人間だああああ!」


 薄暗い地下道で四つん這いで駆ける人間に追いかけられているのは、女性の平均的身長よりも低い小柄な女性だった。

 長い黒髪は右に左に激しくなびき、センターで均等に分けられた前髪も全て疾走により後ろへ流れている。


 黒色のプリーツスカートは短く、程よい具合にめくれては足にまた張り付く。

 物々しい金のエンブレムが施された厚手の黒いジャケットのデザインはシンプルで、襟のみがグレーに黒の二本線が入っている。

 ジャケットのボタンを一切留めていない為、マントの様に広がり、前に進もうとする彼女に抵抗していた。


 ネクタイも指定されているはずだが、残念ながら日の目を見ていないようだ。

 一応持ってきてはいるようで、深いポケットに入れてあり、フラップのおかげで飛び出さずに済んでいる。

 第二ボタンまで開けられたシャツの合間からは残念な事にいくら上から見ても胸らしきものは見えない。

 そして胸元の物足りなさよりも気にかかるもの、それはこの状況である。

 黒いタイツに包まれた細足が目まぐるしく動き続けている。

 指定の革靴はどうにも走りにくい。



 飛び掛かって来る気配を察知して横に飛ぶと、ほんの数秒前までいた場所から重い物が床に落ちる衝撃音が聞こえた。

 追いかけて来ているのは体格的に恐らく男性だろう。

 黒いローブに身を包み、指はまるで蜘蛛の足の様で、素早く床を掻くように動いている。

 爪先だけが床に接している足はローブから見えるが靴下すら履くことを辞めてしまったようだ。




「……一応名乗るけど……、民間警察の東藤甲斐です。公務執行妨害……あと、なんだ……しょ、傷害未遂! セクハラ! その他もろもろで拘束します!」


 じりじりと後退しながら甲斐は罪状を言い渡すが、本来の仕事では無い上に、勉強不足が祟って適当に言葉を繋いだ。

 しかし聞く耳を文字通り持っていないのか、男は四肢の関節に力を入れて地を蹴り上げると上に飛び、そのまま飛び掛かって来た。





「うおおおおこの糞虫いいいいいい!」





 彼女は難しい罪状などは分かっていないようだ。



 ただ理解していることも幾つかある。



 目標から襲われた時は攻撃魔法の使用許可が下りる事。

 基本的には拘束、又は沈静化させてから捕縛する事。


 それがこの魔法のある世界に来て二年目、そして特殊部隊へ入隊して三ヶ月の甲斐が学んだ『民間警察』のルールだった。

 



「危なかった危なかった危なかったああああ! あ、頭おかしいんじゃないの!? ……蜘蛛が人に擬人化したの? 食うの? あたしを食おうとしてるの?」



 男は甲斐に覆い被さる形でもがいていた。

 二人の間には見えない膜があり、男が膜に触れている部分では無数の稲妻が起きている。


 一年半ほどの期間を辿り着いた先である世界的な名門校だったフェダイン魔法訓練専門機関学校で勉強させて貰ったのだ。



 攻撃魔法の基礎や応用、そして防御魔法。



 友人や教員達の助けのおかげもあり、攻撃に特化した組へ所属していた甲斐は無事に特殊部隊へ合格した後、卒業する事が出来たのだ。

 では何故、彼女が特殊部隊である『W.S.M.C』ではなく民間警察というどの国にも存在する国民を守る為の職へ就いているのか。



「捕獲ったってなー。これ捕獲してまた地上上がってこの地下にまた戻んのしんどいなー。魔法で縄とか出せたらいいんだけどそういうのは専門外だし……。眠らせるとか器用な事も出来ないんだなこれが! ……よし、歯ぁ食いしばれ……」



 展開させていた防御膜が消え、痺れた体のまま男は甲斐を見た。

 フードの中の顔は傷だらけで、焦点の合わない瞳は濁っている。

 炎に包まれた右の拳を後ろに引いて男の顎辺りを狙ってしなやかに打ち込む。


 強化魔法をかけた拳は固く、重かった。

 体が遅れて飛んでいった男は床を転がり、反対側の壁に体を打ち付けて崩れ落ちた。



「WINNER! 甲斐ちゃあああん! ひゅーひゅー! ありがとう! ありがとう!」



 アナウンスから歓声まで自分で一通り行うと、満足したのか真顔に戻り、スカートに付いた土埃を手で荒く払った。



 途端に何故か急に視界が鮮明になったような気がした。

 等間隔に心もとない明かりが浮いているだけのこの地下道。

 それなのに今は天井に潜んでいたコウモリまではっきりと目視できる。


 パチパチと何かが燃えている音も聞こえる。

 嫌な予感と共に振り返ると、倒れている男が鮮やかな赤い炎に包まれていた。

 どうやら彼の着ていたローブに甲斐の放った拳の炎が燃え移ったようだ。




「うぼああああああ!? ポジティブに考えよう! やられたら燃え出す仕組みだったんだ! きっとそうだ! ほらそういうのってRPGとかであるよね!? 死体なんて残らないもんね! よし行こう!」


 何もなかった。

 そう思い込もうとしたようだが、甲斐は顔をくしゃくしゃにして振り返る。


「……やっぱりダメだああああ! だってアレ死体じゃないもんんん! 気絶させただけだもんんんん! 始末書じゃ済まないよねこれええええ!」


 無傷とまではいかないが、軽傷で済んだはずの男を火だるまにしてしまったなんてプロとして失格である。

 気絶していたはずだがあまりの熱さと苦しさに意識が戻ってしまったようで、のたうちまわっている。

 燃え上がるローブのせいで煙が上がり、地獄絵図さながらである。

 彼にそんな罰を下したのは彼を無傷で捕らえるべき人物だ。


「どうしよう! どうしよう!? み、水だ水! オラアアアアア!」


 即座に水の塊を生成してぶつけると、ジュッという音が聞こえた。

 鎮火には成功しているが、その衝撃でまた男は壁に打ち付けられて気を失った。


 更に言えば彼の長いローブは端切れほどしか残っておらず、ほぼ全裸状態だ。

 再び暗くなった地下道を甲斐は息を切らしながら進み始める。






 一人歩きながら、何故こんな事になってしまったのか思い出していた。







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