第一回「初夏」
大渡星と申します。
僕はこれまで同人活動など含め、執筆という行為を続けてきました。
その中で、同じく執筆活動をしている人とも出会いましたが、やはり感じることがあります。
物書きを目指すのって、本当に危うい。
沢野くんはお話を作るのが上手だね。
そんなことを言ったのは、一体誰だったのだろう。
幼稚園の先生かも知れないし、小学校の同級生だったかも知れない。
もう覚えてはいないけれど、それでも僕は、今でもお話を書き続けている。
飛んで火にいる夏の虫。そう揶揄したのは、僕自身だった。
「それ、いつも何を書いてるんですか?」
「え……」
注文したレモンティーをテーブルに置きながら、彼女は何気なく言った。
こんな風に話し掛けられたのは初めてだった。僕は咄嗟にノートを両手で隠したまま、ぱくぱくと口を動かす。言葉が出て来ない。金魚みたいだ。
その様子を見て、彼女は怪訝な表情を浮かべた。
「ごめんさない。秘密のことでした?」
「あ、いや……」
相変わらず答えられないまま、僕は辛うじてノートから手を外した。そもそも隠した理由が自分でも分からない。反射行動としか言えない。
「あの、これ、書いてるんです。じゃなくて、えと、文というか……お話を」
「……小説?」
「そうです、小説」
何故、そんな単純な単語をすぐに言えないのか。やましいことをしているわけではないのに、やましい心になっている。
「そっか、小説だったんだ。何を書いてるのか、ずっと気になってて」
「そ、そうですか……」
「もしかして、有名な作家さんですか?」
幾分か期待を込めた瞳に見つめられて、僕はひどく心細くなった。まるで犯行を自白する犯罪者のように、彼女に答える。
「違うんです。全然、無名、アマチュアで。いや、ワナビ……? とにかく、そういうんじゃない」
「なら、ご趣味で?」
「そう……ですね。はい、あの、ここ、落ち着くんで」
質問と返答がズレている。僕は真っ直ぐに彼女を見れないことを悟られないように、慌ててティーカップに手を伸ばした。
「あちっ!」
猫舌だってことを忘れていた。今日の紅茶は熱湯なんじゃないかってぐらい熱かった。それとも僕の唇が冷たかっただけか。
「大丈夫ですか? 熱いの、苦手だったんですね」
心配そうに言われて、もう勘弁してくれという気持ちになる。これじゃ間違いなく変な奴だ。喫茶店で小説家のふりをしてる、挙動不審の根暗男。よりによって彼女にそう思われるなんて。
僕がこの喫茶店に通い始めたのは三ヶ月前だ。静かに執筆活動が出来る場所を探していて、何となくここに辿り着いた。
三軒茶屋の小さな店。自営業で、古臭い。店名は「ラグタイム」と言う。
五十過ぎの女性が切り盛りしていて、多分それがオーナー。そして店員は、僕に話し掛けてきた彼女だけ。
最初は執筆活動に適した場所、というだけだったけれど、いつしか半分は彼女を目当てに通うようになっていたのは否めない。
声を掛けることはなかったし、そんな勇気も持ち合わせてはいなかった。だから、執筆の合間に彼女の働く姿を眺めるだけで満足していたのに。
「私も読みますよ、小説。結構、好きで」
沈黙に気まずさを覚えたのか、彼女はそんな話題を口にした。
「どんなの、読むんですか」
「んー、東野圭吾とか。あと、伊坂幸太郎も好きです」
どちらも人気の作家だ。映像化された作品も多く、僕も何冊か読んだ。当たり外れこそあるものの、やはり作品のクオリティーは高いと思う。
「お客さんは、好きな作家さんは居るんですか?」
「あ、僕……。僕は、ええと、梶井基次郎とか……」
「梶井……? あっ、『檸檬』の人」
「そうです、その人」
「知ってますよ、『檸檬』は教科書に載ってましたから。すごい、やっぱり難しい小説を読まれるんですね」
――難しい小説。確かに、そうかも知れない。今の時代、百年近くも前の純文学を好んで読む方が珍しい。
だけどその「難しい小説」が、僕と彼女とを割く断崖絶壁のように立ち現れた気がして、僕は何だか憂鬱な気分になった。
「ならお客さんの書いてる小説も、難しいお話ですか?」
「いえ、僕のはそんな……。素人の言葉遊びみたいなもんですから。ただ、東京に居たら味わえない世界を想像してるだけで」
「どういう世界ですか、それ」
「田舎で過ごす夏休みとか、青春とか、そんなのです。ほんと、つまんないですから……」
自分の稚拙な物語をわざわざ説明していることが馬鹿らしくなって、尻すぼみになりながらお茶を濁した。彼女は要領を得ない顔をしていたが、しばらくすると何か閃いたように言った。
「分かりました、ああいうのですよね。映画で見たんです。『サマーウォーズ』とか、『千と千尋の神隠し』みたいな!」
彼女なりに思い浮かべた作品がそれらなのだろう。僕の考えているものとは少々違ったが、決して遠いわけではないし、何より彼女が満足げな笑顔を見せているのが嬉しくて、「まあ、そんな感じです」と首肯した。
「良いですね、素敵。完成したら読んでみたいかも」
「えっ? で、でも、ほんと、見せるようなものじゃないんで……」
「誰にも見せないんですか? 折角書いたものを」
彼女は至極単純な疑問を呟いただけだったが、その疑問は僕を狼狽させた。
返す言葉を失っている僕を見て、彼女は首を傾げる。
そのとき、入口の傍に座っていた初老の男性客が声を上げた。
「きょうちゃん、コーヒー」
どうやら注文らしい。彼女はぱっと振り向いて、愛想良く返事をした。
「それじゃ、仕事に戻りますね。すいません、急に話し掛けちゃって」
「良いんです、全然、全く、これっぽっちも」
もはや自分でも何を言っているのか分からない。彼女はそんな僕を見て、愉快そうに微笑んだ。
「また書きに来てくださいね。私、週四で働いてますから。完成したら教えてください」
そう言って、彼女はキッチンへ引っ込んだ。僕の傍を離れるとき、くるりと回った身体からは心地良い匂いがした。僕はその背中を見送りながら、すっかり冷めたレモンティーを飲み干した。
彼女がコーヒーを淹れているうちに、僕は会計を済ませて店を出た。「ありがとうございました」というオーナーの声を受けながら、再び街に出る。
日差しが暑い。じんわりと汗が滲んでくる。蝉の声が聞こえた。
もう、夏だ。
僕は眩い陽光に目を細めながら、初夏の青空を仰いだ。
白い綿雲を見上げると、彼女の後姿が思い浮かんだ。
カウンターの先へ去っていく彼女の揺れる長い黒髪が、僕の瞳孔奥深くまで焼き付いているようだった。
続く
次回も出来るだけ早く更新予定です。
分量は毎回この程度になるかと思います。
全十二回ぐらい書けたら良いな。




