9.2×2
「で、どーするんだよ。この身体」
宮本が帰ってしまい、長い長い沈黙を破ったのは、佐久間の身体をした柊だ。
「どうする、って言われても」
「……これ、いつまで変わったままなのかな」
「大丈夫。しばらくすれば戻るよ」
不安そうに呟く佐藤の横で、なんの根拠もない言葉を並べる。
しばらくすれば戻る?
これは俺がただ望んでいることだ。
「だといいけど、俺……つーか今は佐久間? まぁ、いいや。俺、今日は早く帰らねーといけないんだよ」
頭を掻きながら声を上げる柊。
「今日、買い物当番なんだ」
「へー。当番制なんだ」
「まーね。だから、今日はもう帰らせてくれ」
「……」
佐久間の身体に入っている柊が立ち上がり自分の分と佐久間の分、二つの鞄を担ぐ。
一方で、柊の身体に入っている佐久間は動こうとしない。
女の姿が気にくわないのか、柊の身体で不機嫌という感情をまき散らしている。
「佐久間。お前が一緒にいないと意味がないんだよ。知らない男がいきなり買い物袋持って俺ん家来たら変だろ」
どうしようもない事実に柊(佐久間)の後ろから黒いオーラがにじみ出る。
「おいおいおい。かなり不機嫌だな。しかも俺の身体で。俺にぶつけても痛いのお前自身だぞ」
柊には効いてないらしく、平然と帰る準備を進めながら話をする。
「……」
そっぽを向く佐久間。
やはり、このメンバーにまだ不服なのだろうか。
それとも、自分の身体に他人が入っているから不満なのか……?
なんとかして佐久間の説得に成功した柊がドアの方へ歩く。
「じゃあな。お前らも、早く帰れよ?」
ドアが閉まる。
二人が去り、俺と佐藤だけになる。
「佐藤、帰るか……?」
「海上君。わたし、よく分かんない」
「……なにが?」
「海上君は、理解したの? なんで、わたしたちなの?」
早口で話す佐藤。
いきなりのことで頭が追い付けていない。
「こんなのゲームの域超えてるよ! なんで、なんで従わなくちゃいけないの!?」
従う。
その言葉で、ホオズキと名乗るあいつのことを言っているのだと分かった。
「従っているわけじゃ……ない」
「じゃあなんで、ゲームを受け入れたの?」
ズバズバと入り込まれていく。
野球部が嫌がっているのは、この性格の佐藤のことか。
これ以上は、踏み込まれたくない。
俺の中に、入ってこられたくない。
中に入れたって、出て行った時に寂しいだけだ。
そんな思いをするなら、初めから……。
「知らない」
自分から出た声は、自分でも驚くほどに低かった。
肩をビクつかせた佐藤が一瞬で俺の方へ視線を向ける。
「それを言うなら、佐藤だって受け入れただろ」
「わたしは、みんながするから……勢いで」
「勢い? 勢いでこんなことしているのか? 俺は今すぐにでも抜け出したい。お前らほっぽり出してでも、自分一人でも助かりたい。逃げたい。でも、それができないから今もこうやってんだよ!」
言ってしまった。
本音? 建前?
どっちにしろ、こんな言葉を聞いたら俺から離れていくだろう。
佐藤のことだから、泣いてるかも知れない。
「……海上君って、優しいんだね」
佐藤は俺を険悪するでもなく、怖がりもせず。
ただただ微笑みながら言葉を放った。
予想の範囲内ではなかった回答に、脳内が思考を停止する。
「優しくなんか、ない」
「優しいよ。優しくなかったら、こんなわけ分からないこと言うわたしなんかほったらかしにして、もう帰ってる」
「それは……」
人間として、当たり前のことと聞いていたから。
大好きだった母さんから、困っている人は助けろと教わったから。
でも、その母さんが死んで、感情が分からなくなって。
友達が一人、また一人といなくなって。いつの間にか一人になって。
孤独にずっと生きていくんだって、思った。
それは、間違っているの?
「ごめんね、変なこと言って。叱ってくれてありがとう。一緒に帰ってくれる?」
「……あ、うん」
一人は好きだ。
自分勝手になんでもできる。
周りに合わせなくてもいい。
離れていった時の、寂しい感情をしなくて済む。
だから、俺はずっと一人で――……。
***
気付いたら、もう夕方。
あれから布団で寝てしまったらしい。
……布団? いや、違う。
俺が今いる場所はベッドだ。
それに、部屋も女の子らしい小物やヌイグルミがたくさん。
ここは……。
近くにある携帯が震える。
ピンクの、キーホルダー付きの携帯。
自分のではない、絶対。
「もしもし……」
≪「あ、その声は……海上君っ!」≫
元気で子供っぽい声……。
そして、このような可愛らしい趣味がありそうな人は……。
「佐藤か?」
≪「ピンポン♪」≫
「……」
≪「あれ? 白けた?」≫
「いや、別に……」
起きた時には既に抱いていたウサギのヌイグルミを離し、ベッドから降りようと足を延ばす。
指先が地面に着いたのでそのままベッドから降りた瞬間滑って転んでしまった。
他人の身体なのに、申し訳ない……。
≪「海上君、大丈夫? 凄い音したよっ! もしかしてベッドから降りた? ごめんね。わたし小さいから、降りる時は足元にある台使うんだ。怪我しなかった?」≫
「……大丈夫」
嘘。かなり痛い。
佐藤が言っていた通り、ベッドの端の方に台があった。
≪「ねえ、その携帯、正真正銘わたしのだよね? うろ覚えで電話かけたから心配でさ。合ってた?」≫
「合ってるもなにも、俺もともと佐藤の携帯番号知らないし」
≪「やっぱり? まぁいいや。海上君の携帯に、わたしのアドレスと電話番号入れとくね」≫
「……なんで?」
≪「交換したいから♡」≫
素直な返事に、こっちが恥ずかしくなる。
「まあ、いいよ」
宮本と同じ、元気な人。眩しい。眩しい。
…………羨ましい。
≪「あ。そうだ、机の上に薬あるでしょ? それ、そろそろ飲む時間だからお願いしてもいい?」≫
「……分かったよ。どこか悪いのか?」
≪「栄養剤? ほら、わたし好き嫌いが多いでしょっ!」≫
「知らないから。……飲むって言っても、水ないけど?」
≪「ジュースあるでしょ? 横に」≫
「ジュースで飲むのか? 効くのか?」
≪「分かんない。でも水よりジュースの方が好きだし……ね、お願い」≫
「……分かった。飲むよ」
≪「ありがとう。じゃあ切るね! ばいばーい!」≫
佐藤との電話が切れる。
目の前には薬とジュース。
薬……。飲むのなんて何年振りだろう。
いや、飲まない方がいいのか。
コップを手に取り、薬を口に含む。
それをジュースで流し込んだ瞬間、俺はいつもの見慣れた部屋に寝転んでいた。
***
目を覚ますと机にはなくなった薬と開けた形跡のあるジュース。
「戻った……?」
階段を駆け下り、洗面所の鏡の前で顔を叩く。
痛い、本物だ。
本物の、最低のわたしだ。
迷惑かけちゃったよね、海上君。
ごめんね。
わたし、強くなるから。
何年かかっても、強くなる。
迷惑をかけるくらいなら、死んだ方がマシ。
そう、思ってるから。
***
『壊れていく。壊れていく……』
佐藤香穂の部屋の、カーテンの隙間。
赤く光る眼が睨むように覗く。
『一人一人の世界なんて、脆いものだよね。ちょっとゲームを始めただけで、簡単に崩れていく。これだから傍観者は止められない』