6.再び、コエ
「みんなぁ、揃ってくれてありがとぉお!」
きゃいきゃいと宮本さんが佐藤さんに飛びつく。
「あはは! 宮本さん、くすぐったい!」
「この際だから名前呼びしてよ……香穂って呼び捨てでいい?」
「うんっ、じゃあわたしも……歩夢っ!」
「なにやってんだか……」
笑って対応に応じる佐藤さん。を呆れた目で見る柊さん。
そんな柊さんに宮本さんが近付いていく。
「ねね、要人って呼んでいい? わたしも名前で呼んでいいから」
「わ、わたしも要人って呼びたい!」
「……勝手にしろ」
頬を少し赤らめ、そっぽを向く。
柊さんが仲間として認めた。そう、思った。
いや、勝手にそう認識しては悪いが、柊さんは他人に名前で呼ばれるのを嫌っていたはず。
それを許したとなると、宮本さんのいう“友達の第一歩”ということなのだろう。
「千君、透君! 名前呼びでいい?」
「俺は別にどれでも」
「…………俺は名字の方がいい……」
「んー、そっか。じゃあ佐久間君だね♪ あ、名字の“さん付け”いらないからね」
宮本……。
なんだか、近付けた気がする。空間的な距離ではなく、気持ちの距離が。
「……なに見てんだよ」
「え」
チラチラ見ていると、柊に気付かれてしまった。
「いえ、なにも」
急いで目を逸らすが、これじゃ見てましたと言っているようなものではないか。
まさに、蛇に睨まれた蛙とはこのことだ。
なにも言い返せない。くそ、男が女に負けるなんて。
「……海上」
「なんだ?」
「お前、無表情なんかじゃねーよ」
「……はい?」
柊からの、脈絡のない一言。
まさか、俺の気にしていることが、分かった?
「分かるんだよ。俺さ、人の小さな表情の変化読み取るの得意だから」
「どうして……」
「小さい頃からそうやって生きてきたんだよ。信じる信じないは勝手だが、本当のことだ」
遠くを見る柊。
柊要人という存在が、ここではない遠くにいるように思える。
「何故かお前には話そうと思っちまっただけだ」
近付いたと思った距離が、また離れていく気がした。
「なんだよ……それ」
「あの夢」
「夢の中。やけに、俺とお前は仲がよかった」
あの、奇妙な夢。
確かに、言われてみれば。
友達として十分すぎるほどにみんな仲良しだったが、柊と俺はいつも隣にいたし、どんな時でも近くにいることが多かった……と思う。
「だから、お前には話しておく。……というか自分でも、なんでお前に話したか分かんないし。って、自分で言っといて怖いな」
気付いているのか、気付いていないのか、頭で考えていることが小声でダダ洩れになってしまっている。
夢以外の柊も、こんなに話すのか。
***
今日は、なんだったのだろうか。
バイトに遅れて店長に叱られるし、あの後は最悪なことばかりだった。
でも不思議と心は温かい。
――お前、無表情なんかじゃねーよ。
柊の言葉が頭の中で流れる。
「俺は、無表情なんかじゃ、ない……」
――分かるんだよ。俺さ、人の小さな表情の変化読み取るの得意だから。
人の小さな感情も読み取れる。
そんな便利な機能が人間に備わっていたら、どんなに楽か。
柊の考えていることが分からない。
ダダ洩れになっていた小声を聞く限り、柊自身も頭が追い付いていないのだろう。
「俺は、どうなってしまうんだろうな」
頭で考えていることは冷静。
でも、身体が言うことをきかない。
いつまでも、こんな奇妙な行動を続けて。
俺はいつか、自分でも俺を俺だと判断できなくなり、何者かの操り人形と化すのではないのだろうか。
……それは、嫌だな。
『まだなの? 早く取り戻してよ』
また、あの声。
背筋が凍えそうな、恐怖の声。
取り戻す? なにを?
聞き間違いだろうか。この間より、声が近付いた気がする。
……と、ここで背後にあった電話が鳴り響く。
「は、はい」
あの声を聞いた後だからだろうか。
ただの電話にもビックリした。
≪「あぁ。海上?」≫
「誰でしょうか?」
≪「橋本だよ! 同じクラスだぞ! しかもお前の前の席の!」≫
「す、すまない」
怒鳴られた。当たり前か。
耳が少し痛くなったので、さっきとは逆の耳に受話器を当てる。
≪「まぁ、いいけどさ。お前と話すの二回目だし」≫
「一回、話したことあるのか?」
≪「ぶん殴ってもいいか?」≫
「……すみません」
自分の物忘れの速さに自分で呆れる。
殴られても仕方ない。
いっそのこと殴っていただきたい。
≪「それより、連絡網」≫
「連絡網?」
≪「明日、学校休みだってさ」≫
「休み……?」
≪「台風が直撃らしいぞ」≫
「……台風?」
橋本からの連絡網に、全て質問で返してしまう。
≪「外見てみろよ。一時間ほど前から雨降ってんだろ?」≫
橋本に言われるがまま、窓の外を見る。
外は雨どころか、雲一つもない。
「こっちは快晴だぞ」
それに、ニュースでもそんなことは伝えていない。
≪「冗談キッツ。雨音聞こえねーか?すげー降ってんぞ」≫
「そうなの、か……?」
受話器越しに耳を澄ませると確かに雨音が聞こえる。
かなり強い音だ。こっちは、快晴なのに。
≪「お前いつも無表情だし気が合わないと思ってたけど冗談を言える奴だったんだな。案外と気が合うかもな」≫
「……そう、か?」
≪「でも、次の学校のある日は覚えとけよ」≫
頭の中に殴られるという恐怖心が響く。
≪「じゃあな」≫
切られた。
気が合うなんて、初めて言われた……。
どうしよう、嬉しいかもしれない。
心が弾む。こんな時どうすればいいのか。
***
「……で。俺に電話したってわけか」
「すみません」
あの後、どうしようもなかった俺はバイト先の店長に電話した。
そうしたら客の入りが多いらしく丁度よかった、と臨時で呼ばれた。
今はやっと閉店して、店長と話せている。
「ま、いいや。お前の母親には世話になったからな。息子のお前ともよろしくしたいし。にしても相談されるほど慕われているとは嬉しいな!」
「他に話す相手がいなかっただけです」
「照れんなって、海上君もお年頃ってね。仏頂面だとモテねーぞ」
「モテたくありません」
「お前、女いんの?」
「……いるわけないでしょ」
「じゃあ女つくれよ。結構いい面構えしてんだからさ」
頬を人差し指で突かれる。
「店長が言っても、ただの嫌味ですよ」
その指を優しく払いのける。
客の中には、店長の顔目当てに来ている人が半分はいるだろう。
「ま、俺の美しさには、まだまだ敵わないがな」
……性格は残念だけれど。
「そろそろ帰ります。臨時で来たんですから、バイト代弾んでくださいね」
「分かってるって。台風来るんだから、気を付けて帰れよ」
また、台風?
「台風なんか、来てませんって」
ドアを閉める。
台風が来る?
そんな馬鹿な。今日も晴れ。明日も晴れるはず。