1.夢の中で
八月。
夏休みもほぼ終わり、多くの学生は“休み”から“学校”への切り替えをしなくてはならなくなる。
自由な校則をもった我が高・桜ヶ丘高校。
休み明けで暫くは怠けてばかりの日々になりそうだが、十月となれば学園祭があり、学生たちは慌ただしくもソワソワしている。
そんな中、俺・海上千は椅子に座り頬杖をついている日々。
一組から五組まであるこのクラスは、入学試験でまず特進組(一組と二組)・普通組(それ以外)に大きく分けられ、その上で成績が均等になるよう細かく分けられている。
進級の度に進級試験という学力テストとはまた違う試験を行い、この点数によって特進組から普通組に落とされたり、普通組が特進組に成り上がったりもする。難解な試験だ。
俺が今向かっているのは三組。
よくもなく悪くもなくいたって普通だ。
俺はこの頃、奇妙な夢を毎日見ている。
出てくるのは毎回同じ人たち。
クラスメイトもいれば、全く接点のない人までいる。
何故こんな夢を見てしまうのか、自分が不思議で仕方がない。
ただ分かるのは、俺も合わせてみんなが笑っていること。
笑う。泣く。怒る。
一種に感情と呼ばれるものは中学生の時に捨てた。
捨てた、いや忘れたといった方が正確か。
俺の親は、中学校入学数日前に離婚した。
母方に引き取られた俺だったが、その母も疲労で一年前に他界した。
そして俺は今、小さなアパートで一人暮らしをしている。
家賃や学費は、親の保険金と自分で稼いだバイト代でなんとかしている。
しかし、余裕はない。
生活が辛くなり、友人関係などに疲れ果てた俺は、いつからか感情を表に出すのが苦手になったのだ。
こんな自分が笑うなんて、夢であろうが信じられるものか。
***
校舎の一階の窓からテニスコートを覗く。
すると、今日もやはりテニス部の部長と一緒にいた。
俺の夢に出てきた厄介者の一人、宮本歩夢。
ぱっちりとした二重の双眸に、運動部とは思えないほどの白い肌。
絹糸のように細い紫がかった黒髪を横で結び、リボンで止めている。
その姿は自然の可愛さが強調されていて、なびいて邪魔だったから、という理由で結ばれたとは到底思えない。
俺と同じ三組に在籍する彼女は、元気で明るいクラスのムードメーカーだ。
故に、ファンクラブが存在するという噂もあった。
テニス部で活動する彼女だが、カフェでバイトしているらしく休みがちだという。
「ごめん、ごめんってば! 明日はちゃんとするから!」
どうやら、今日もそのバイトなのだろう。
部長に必死に休みを頼んでいる。
チラリ、と合わせた手の横から顔をのぞかせ、上目遣いをする。
遠く離れたここにいても、ドキリとする可愛さが彼女にはある。
***
校舎の中ドアから校庭に向かう。
まだまだ暑い八月。校庭で走る運動部の神経が分からない。
「行くぞ! もっと声を出せ!」
外に出て真っ先に聞こえた、女子にしては少し低めの芯のしっかり通った声。
その人物は走っているらしく、息が途切れている。
柊要人。艶のあるストレートの黒髪。
切れ長で大きな瞳を縁取るまつ毛は少し長めで、じっと見ていると吸い込まれそうになる。
可愛い系を好まず、クールビューティという異名を持つ彼女は、男子だけでなく女子に告白されることも少なくない。
ボーイッシュで男口調の彼女は、知らない人が見たらまず女だとは気付かないだろう。(学校でも、スカートではなく学校指定のジャージを着用している。)
だが、男子に生まれたかったという彼女からすれば、それが嬉しいらしい。
憧れを持って入った陸上部とは違い、勧誘で強引に入らされた演劇部はあんまり乗り気ではないと愚痴を言っているところを耳にしたことはあるが、受けたからには全力を注いで頑張る、という男の俺から見ても格好いいと思う言葉が、強い彼女のモットーなのだ。
いつも部活に励む彼女は本当に頑張り屋だと感心する。
文武両道、成績優秀の彼女は一組に在籍している。
***
「こらぁ、野球部! もっと頑張りなさい! チアガールの意味がなくなっちゃうでしょ!」
少し離れた場所から応援とも呼べない大声がする。
横目で見てみると予想した通り、小さな身長を精一杯伸ばして野球部に活を入れる佐藤香穂がいた。
明るい栗色の長い髪を二つに結び、ウサ耳のついたピンクのシュシュを付けている。
丸く人懐っこい瞳はよく無邪気に微笑み、加えて幼児体型の彼女は、小学生にも見えてしまう。今でもランドセルを背負って小学校に行けそうだ。
しかし、そんな彼女も部活となると気合が入ったように変わる。
チアガールの部員として、チアの服で野球部を応援する姿は勇ましい。
勇ましいのだが、普段の姿とはあまりに違い過ぎて野球部員が半分引いてしまっているのが玉に瑕だ。
***
最後の一人。校舎から出てきた佐久間透。
「よぅ」
「……どーも」
軽い挨拶。目は合わせてくれなかったが、今までは無視、または会釈だけだったのだ。
挨拶をしてくれるようになっただけで進歩ということだろう。
穂先が少し跳ねているこげ茶色の髪。鷹のように鋭い漆黒の瞳。耳にはいつもイヤホンのようなものを付けていて、何度注意しても聞かないため教師も諦めている。
彼は、昼休みや放課後になる度にいつもフラフラと出掛けるので、話がしたい時は放課後に生徒玄関で待っているに限る。
同じクラスで席もそれなりに近い。
話そうと思えば話せる距離だが、周りに張りつめたオーラに恐怖を感じるので話そうと思った内容も飛んでしまう。
無口な性格から冷徹、不良という存在が定着している。
***
この人たちの夢を見始めたのは、約一か月前から。初めは気持ち悪かった。
友達でもない、話したこともない、そんな人間の夢を見るのだ。当たり前だろう。
それからだ。俺が会う度に挨拶をしてみようと自分らしくもなく頑張り出したのは。
それで変わったことなど一つとしてないが、どこか懐かしい感覚があり、自然となった。
***
バイトに行き、休憩時間に仕事用と肩書された、従業員の趣味に使われているノートパソコンを操る。
ふと、目に留まった前世チェックというのにアクセスしてみた。
前世の自分。その自分はあの人たちと友達だったのだろうか。
それがトリップという形で現代に甦り、不思議な夢を見させているのだろうか。
どんな繋がりがあるのか分からない。
無論、前世での繋がりなんてものは知らない。
前世の記憶の継承、そんなものを信じていいのか。
いや、信じられるものか。
自分は今、自分の意志で動いている。
継承など、あり得るわけがない。
カチリ、とパソコンの音がする。
先ほどの前世チェックの結果が出たようだ。
これでなにかが分かる。夢のわけも、自分で自分の行動が懐かしいと思ったわけも。
やっと今日から不眠も解消できる。
けれど、終わらない気がする。
俺の中で、なにかがそう叫んでいる。