偽物と本物
宛もなく走りだしてから三度日が昇った。怒りはまだ燻ってはいるものの、大分落ち着こを取り戻したような気もする。
幻肢痛は酷い。適当な人間の腕と足をもぎ取って、取り付けられたら治まるのではないか、と一瞬頭をよぎった。やってみる価値はありそうだ。
だが俺を悩ませるのは痛みばかりではない。本当に『神』と名乗る存在に対しての怒りが、自分の感情かと、自問するが答えはない。きっと今この状態、風、震動を感じているのが俺なのだ。操られてなんか、居ない。そう願うばかりであった。
そういえば腹が減った。一時も止まらず、いくつかの街を通りすぎては、道を無視して一直線に駆けていく。
山にも登り、川も渡った。険しい谷を駆け下り、草原にもタイヤ痕を残した。
俺はこのまま何処へ行きたいのだろうか。海へ出てそのまま沈んでしまいたい気もするし、山の中で土に帰りたいような気もするし、でも生きていたいし、家に帰りたい。
戻っても、悠希にはまた不自由をさせてしまうかもしれないなと思い、俺は決意した。
操られる事は本当に不幸なのだろうか。自分の足で立ち上がることが、本当に崇高なのだろうか。
人は、何のために生きるのだろうか。
そう思って俺は考えるのをやめた。また堂々巡りだからだ。この思考を俺はこの三日間、何度も何度も繰り返してはやめてきた。
キングは走り続ける。何も言わず、何も言わない。何も聞かず、何も聞かれなかった。だが今、俺はブレーキをかける。
ザリザリとタイヤが砂利を噛んでは滑っていく。キングは自らの体勢を自らで制御する事が出来る。転けはしない。
俺は一言、キングに聞かねばならない気がした。風の音が邪魔だった。
「お前は、何処までも俺を乗せて行ってくれるか。」
「もちろんだ相棒。何処までもお前を乗せ、走る。その為の愛車だろうが。」
確信した。決心した。覚悟した。
何をどうするかなんてまだわからない。ただ、もう少し生きてみようと。少し流されてみようと思ったに過ぎない。
誰かに操られるのはごめんだ。だが俺はまだこの世界を知らない。
この世界はきっと偽物だ。本物が何処に有るかなんてわからない。だから探してみようと、そう思ったのは俺自身か。それはまだ、わからない。
だが、失った手足の痛みを感じているのは、紛れも無い俺だ。痛みだけが、俺という人間がここに居て生きているのだと、そう教えていた。
「で、相棒。何処へ行きたい。」
キングは応えてくれる。俺の足となって駆けてくれる。なら、俺は答えなければいけない。
「本物を、探しに行こうと思う。」
「いや、詩的な発言はどーだっていいんだが、目的地だ。」
「だから、本物を。」
「OK、最初の町に戻ればいいんだな。」
キングは走りだした。俺の答えに応えてくれた。のか? とにかくまた三度日が沈むまで、俺とキングは無言だった。半分は寝ていたが、眠れると言う事は、きっと落ち着いたということだろう。そう考えよう。
眠っている間も、痛みは消えない。ジクジクと、ズキズキと夢の中でさえ俺を苛む。
だが悪い方向に考えても、疲れるだけなのだ。省エネだ。平常心だ。奴が目の前に現れた時に、それをぶつけてやればいいだけだ。この言い様のない激しい痛みと共に、俺はそれをすればいいだけだ。
マガーテの街にやっと戻ってきた。悠希はまだ滞在しているだろうか、と考えつつ冒険者ギルドへと向かうと、タンクトップスキンがバーテンカウンターと見紛うようなギルドカウンターの中央で、暇そうに頬杖をついているのが見えた。今日のタンクトップは黒である。
相変わらず逞しい身体をしており、その全身を覆う筋肉と、無駄がなく絞られた身体は賞賛に値するだろう。男としてとても憧れる身体である。
しかしながら、俺はこうはならない事を知っている。肉付きがとにかく悪いからであった。だが背丈は大幅に勝っている。特別嬉しくはない。
と、タンクトップスキンはこちらに気がついたようで、一瞬驚いたような顔をしたが「よう、帰ってきてたか!」と気さくに挨拶をしてくれるのであった。
そういえば俺はタンクトップスキンの名前を知らない。悠希に聞いておけばよかったか……。
「他の奴等は更に深部へと進んでいったのか? お兄ちゃんは報告係ってところかい?」とタンクトップスキンは言うが、そうか、この男もマルダー老師が何をしに暗澹の森へと入っていったのか、知っているのか。
「ええ。でももう、俺が戻る必要は、ないんです。全滅かもしれない。行方がわからないんですよ。」
いやまあ実際にジェイとヨシュアは死んだ様な事を言っていた。蘇らせる技術が有るような口ぶりではあったが、多分死んだ。俺も死にかけた。それでいい。老師は……まあいいだろう。嘘では無いと思う。
多少なりは演技が混ざっている。意気消沈したような声、疲労困憊のような表情。仕事をサボるときに良く使った手だ。
タンクトップスキンは一度俯き、暫しの沈黙の後「奥で話を聞く」と短く言い、俺についてくるように促したのだった。
促されて着いた先は、二階にある応接室のような所であった。何やら立派な角が生えた、牛の魔獣の頭の剥製やら、装飾の施された高そうな剣やらが飾られており、埃はかぶっていない。
革張りのソファーが一対、低めのテーブルを挟んで並んでおり、座るように促される。
一階の、壁に張り紙がびっしりと張られた汚らしい酒場とは程遠い、高級感と清潔感に溢れる部屋だ。
さて、ここからはビジネスの話である。
俺は大穴がどれだけ深いかについてを出来るだけ事細やかに話した。自分は運良く崖に引っかかって、自力で這い上がれたものの、他の者は見ていないと、そういう風にタンクトップスキンに伝えた。
この方が都合はいいだろう。そもそもロープ一つで居りられるような浅い穴ではない。もしかしたら侵入者用に対策を施しているやもしれない。落ちてしまわねばたどり着けないというのは案外あり得る。出る時は割りと直ぐだったし、何せ魔法があるのだからな。
というのも全て話した。タンクトップスキンは俺の話に耳を傾けながら、報告書だろうかを書いている。
「そうか……灯りを照らせどずうっと暗闇が続く大穴、伝説では聞いたことがあったが、マルダーさんはそこまで……。遺品か何かは、もちろん、無いんだな?」
「ええ、あったら渡してますよ。」
「ううむ……。」
タンクトップスキンも考えているのだろう。大穴が実在するということは、調査をしなければならない。しかし俺の言ったすべての情報を統合しても、まだまだ情報は必要なのだ。無闇に冒険者を派遣したとて、帰ってこないのではお話にならないどころか、ギルドの貴重な資産を失ってしまうことに他ならないだろう。
「嘘は言っていないな……? 例えばお兄ちゃんだけが逃げてきただとか、仲間を置き去りにしてきたとか、そういうことでは無いな?」
「そんなことをすれば、マルダーさんが黙ってはいません。下手すりゃ死ぬのは俺の方です。」
タンクトップスキンは、もう一度考えこむ。暫しの無音の後、タンクトップスキンは顔を上げてこういった。
「わかった。情報料と、今回の仕事の報酬で銀貨10、いや20出そう。調査隊をもう一度派遣して、大穴が見つかれば更に銀貨50を出す用意がギルドには有る。が、暫く時間はかかるだろう。それだけの価値が有ることをやってくれた。お前にはレイマスト法国の大陸ギルド本部まで行き、冒険者の養成機関に所属して欲しい。そこを好成績でクリアできれば飛び級での登録も可能だ。
冒険者としてギルドに正式に認定、登録された後の仕事は山積みだぞ。調査隊を出して見つからなかった場合、お前に案内してもらうことになる。そのために冒険者になってもらいたい。いいか?」
「ええ、それはもちろん喜んで引き受けますとも。至れり尽くせりです。あと、申し訳ないのですが、私はこの土地の貨幣価値を全く知りません。銀貨10となると、如何程の価値があるのですか?」
何故知らないのかを突っ込まれでもしたら、また嘘をつかねばならない。山奥に篭っていたとでも言うか、それとも……と考えていたが、その心配には及ばなかったようだ。
「ああ、山奥で兄妹二人、ひっそりと暮らしていたそうだったな。この大陸では石貨、銅貨、銀貨、金貨。単位としての名も有るんだが、如何せん長くてな。材質の名で呼ぶことの方が多い。まあ上を見ればまだあるが、並の冒険者なら金貨を見られるってくらいだ。庶民の一般的な収入は、一日働いて銅貨1貰えればかなりいい方だろう。石貨100で銅貨、銅貨100で銀貨、銀貨は10で金貨になる。つまりお前が今回持ち帰ってきた情報は、金貨2相当のものだということだ。まあ冒険者の間では金貨を持ち歩く人間は少ない。銀は魔除けにもなるからな。」
俺の知らぬ間に設定ができていたのだ。悠希は有能かもしれない。
それよりチョット待って欲しい。この間悠希が言っていた銅100で10万……ということは銀貨1枚……200万円ほどの価値のある情報だと?!
「お兄ちゃんも相当強いと見ている。野生児だろうからな。マルダーさんに見初められて連れて行かれたんだろう?
ギルドにまだ所属しても居ないのに、これだけの報酬を掻っ攫っていく。運もある、冒険者に向いた人間なんだろう。これでSランクにまで駆け上がった日にゃあ、俺もギルド本部長になれるチャンスが回ってくるな。」
真剣な面持ちで、鋭い眼光。俺の眼の奥を見透かされているのではないかと思うほどだ。
だが流れとしては、悪い話ではない。それにギルドの養成機関に所属するともなれば、様々な情報を得られるということに繋がる。身体も鍛えられる。俺が出世すればタンクトップスキンも出世する。Win-Winの関係だ。
また銀貨が20枚だ。これだけあったら暫く楽して暮らせるだろうが、貴重な資産だ。路銀に幾ばくかを使い、無駄遣いは極力控えるべきだろう。
それに細かい金が欲しい。その旨を伝えると、「なら石貨を200、銅貨を198に銀貨18で支払おう」と、快く受け入れてくれた。
「冒険者の養成機関というのは、文字の読み書きなんかも学べたりするのですか?」
「もちろんだ。文字の読み書きはプロとしてやっていく上で、非常に重要になる。末端の薬草集めや獣の駆除をやっている者達も、文字の読み書きを出来る人間は少ない。まあ大体がガキなんだけどな。
だが実績を積めば教育を受ける権利を得られる。だから貧しい者ほど、冒険者として体を張ることが多いとも言える。また文字の読み書きが出来るようになれば、出来る仕事も増える。それを学ぶためにギルドで実績を積む者も居るぞ。
但し金と、その地区のギルド長による紹介状が必要になる。ギルドも慈善事業でやっているわけではないからな。だが今回は俺が紹介状を書くし、今回受け渡す報酬を使ってもまだ余るだろう。稼ぎ頭の悠希だけでなく、遅刻魔のお兄ちゃんにも書くことになるとは、予想していなかったがな。訓練はキツイが心配はいらない。大船に乗ったつもりで居てくれ。」
なるほど。庶民や貧民にとって、成り上がるチャンスを獲得できるのが冒険者であり、話に言う養成機関での教育というわけだ。魔術や魔法専門の教育機関も、あっておかしくはないだろう。
金がかかる、ということはおそらく結構な額だ。借金を負ってでも学びに行く人間も居ることだろう。金貨1辺りが妥当だろう。とすると、悠希は既に金貨1以上を稼いでいるということになる。
勝手に魔物を討伐して、報酬部位や素材なんかを売っても実績になるのかも知れないな。そういう稼ぎ方は強い者にとっておそらくベターだろう。
それに文字を学べるのは非常に都合がいい。高度な文明に生きていたからこそ、識字出来るということの重大さを知っている。日本に文字の読めない人間は、殆どと言っていいほど居ないのだ。文字は文明が発展する上で必要不可欠な要素でもあるのだから。
「受けましょう。悠希はまだこの街に? 行くならば一緒の方がいい、俺は腕っ節には自信がありませんからね。」
俺がそう言うと、タンクトップスキンは「ユーキなら先に出たよ。大勢死んで、だがユーキは残った者達を纏めあげて戻ってきたんだ。リーダーの素質がある。あんなのをDで燻らせていいわけがないからな。さっさと追い出しちまった。」
と、タンクトップスキンは少し口元を緩める。確かに有能な者ほど組織としては価値がある。とっとと教育と訓練を済ませて、現役で活躍してもらったほうがいいに違いない。
紹介状と金は、謂わば篩だ。金を稼ぐことが出来、また信頼を得ることが出来れなければ、上は目指せない。敢然とした実力主義だ。
「そうですか、なら明日にでも出発して追いつこうと思います。地図なんかは用意してもらえるのですか?」
「もちろんこちらで用意する。本当にご苦労だった。何なら宿も手配するが……」とタンクトップスキンは言うが、流石にそこまでしてもらうのは忍びない。何せ俺は、彼に言っていない事が多すぎる。
しかしだ。
「ああ、お願いします。文字の読み書きも出来ないんで、助かります。」
結局乗っかるのだった。省エネである。
「了承した。そういやお兄ちゃん、名前を言っていなかったな。俺はマガーテ冒険者ギルド長、マフミュランだ。よろしく頼む。」
「改めまして、藤岡壮志です。どうぞよろしく。」
俺とタンクトップスキンことマフミュランはソファから立ち上がり、握手を交わす。こういった挨拶なんかは元の世界とあまり変わりはないようである。
「では明日の朝までに紹介状と地図を用意しておく。出立の前に立ち寄ってくれ。宿賃は報酬から差っ引いて、手数料は少し貰うが、それくらいはいいだろう?」
「もちろんです。事務作業を請け負ってもらうのだから、当然ですとも」と、俺も快諾する。ベラボウな金額でもないはずだ。
「じゃあ、下で酒でも飲んで、少し待っててくれ。領収書と、宿に泊まれるよう手配書を書いて、報酬を渡す。今日はそれでおしまいだ。」
マフミュランは真剣な面持ちではあるが、口元に笑みを浮かべて俺に言った。どうやら仕事モードから通常モードに戻ったようである。
「分かりました。お願いします。」と俺もかすかに口角を上げ、このビジネスは成功したという確証を得る。
ここに至るまで、失ったものは大きい。左腕も右足も、もう戻っては来ない。平和な日常がとても恋しい。
だが今回ばかりは得たものが有る。金と宿と、コネクション。これは大きな資産だ。無駄には出来ない。
ほぼ中世のこの世界で、今は生きていかねばと、絶対に帰ってみせると心に誓う。
振りかかる火の粉は、いつだって払ってきたつもりだ。そのために人に言えないような、悪い行いをしたことも有る。
繰り返すだけだ。敵は人ではない。この世界を作り上げているシステムの管理者だ。
そのシステムを、魔法や魔術というシステムの一部を、俺も使う。だがそれに甘んじることはない。修練と勉強を重ね、じっくりと時を待つ。それが俺に出来る最良の選択だろう。
「ああそれと、酒と飯は俺が奢ってやる! このギルドからまた一人、冒険者が生まれるんだ。盛大に飲み食いしてくれ!」と、俺の胸に拳を突き立てて、マフミュランは満面の笑みを浮かべながらそう言った。
階下の酒場兼窓口へと戻ると、日は既に傾き始めたようで、続々と仕事帰りの冒険者達が戻ってきているようであった。
俺はバーカウンターに備え付けられた椅子に座り、カウンターの中の爺さんにエールを注文する。プレミアムビールは無いだろうが、古い歴史のあるエールならば流石に有るだろうと思い注文したが、やはりあった。人間が居る限り酒は有るのだ。蒸留酒も出てくるかもしれないが、とりあえずエールビールだ。
日本人の性である。
暫くして木製の大きなジョッキに、エールがなみなみと注がれてガツンと置かれる。麦の芳醇な香りを少し楽しみ、口にした。
まず、臭い。麦とホップの香りはいいが、雑味が酷い。その雑味はアルコールの臭いに混じって鼻孔を通る。しかし、決してまずくはない。ああ、まずくないとも!!
そのままグイグイと、ジョッキの中身が半分位になるまで一気に飲み干し、ガツンとジョッキを置く。
もう我慢ならない。一呼吸置いて「ぶっはあー!!」と息を吐いた。うまい、うますぎる。風が語りかけてきそうな位に美味い。心なしか幻肢痛も、少し和らいだような気がする。飽くまで気がするだけで、痛いには痛い。
きっとこの雑味は木樽の味なのだろう。しかしそれがまた癖になる香りで……いやまあここまでにしておこう。
酒だけ、と言うのは少し口が寂しい。カウンターの中の爺さんは無口で、「適当にツマミをくれ」と言うと、ゆっくりと頷いた後、カウンターの奥へと消えていった。
懐に手を突っ込んで、ジッポーと無くなることのない煙草の箱をカウンターに置き、何処だったかで拾った、灰皿代わりに丁度いい鉄プレートを更に取り出す。
煙草を一本取り出す。久々の煙草だった。もうどれくらい吸っていなかったか。一週間、いやもっとだ。
自身の周りに煙を燻らせるように吸うのが、俺の中のルールだ。主流煙も副流煙も知ったこっちゃない。煙が美味いんだからな。
エールと煙草を行ったり来たりしていると、カウンターの奥から、先ほど引っ込んでいった爺さんではなく、若い女性が書類入れだろうかを小脇に抱えて顔を出し、俺の名を呼んだ。
きっと報酬の件だろうと思い、クールに左手を挙げて合図を送ると、女が近づいてくる。
「フジオカ・タケシ様でお間違いないですね? こちらギルド長からのお祝いとして、飲食無料券となっております。ご精算の際に職員に見せていただきましたら、飲食料が無料になりますので、ご提示をお願い致します。」と、やけに丁寧でまたまどろっこしい説明と共に、羊皮紙の紙切れを渡された。何か書いてあるがやはり読めない。
また書類入れからボロの小さい麻袋を取り出し、今度は真っ白な紙に何やら色々書かれてある書類を出してくる。
この文明度で真っ白の紙が有ることに驚いた。しかもちゃんとペラッペラだ。どんな製法で作られているのだろうか。錬金術士なんかが居るのかもしれないな。
「こちら、今回の依頼内容及び、報酬内容の明細となっております。読み上げましょうか?」と、この職員は俺が文字を読めないことを知っているのだろう尋ねてくる。
「いや、構わない。俺は名前か何か、書かなければいけないのか?」と女性職員に問うと、彼女は
「代筆もさせていただきますので、ご心配は無用ですよ」と笑顔で応えてくれた。
「控えを貰えるならそれでいい。契約は成立しているんだからな」と言うと、彼女はまた笑顔で「分かりました!」と元気よく応えた。
こういう元気な女性は嫌いじゃない。まあこういった対応は無駄で理不尽なクレームを生まない為の物だということは知っている。
女性職員は慣れた手つきでさらさらと書類に筆を足す。俺は本当にこれで俺の名前なのだろうか、と疑問に思った。
やはりミミズの這った後のような文字なのだ。しかしここで思い出す。アルファベットに似た文字ならば、筆記体というのがあってもおかしくはない。
「これで本当に、俺の名前なのか? 筆記体とか言うものか?」と、一応疑問に思ったので女性職員に聞いてみた。
「ええ、文字を知らないのに、筆記体は知っているんですか?」と、不思議そうな表情で返してくる。
マズい。無駄な事を聞いてしまったと理解した。
学がないはずなのに、こういう言葉を知っているのは非常に不自然なことだ。どう釈明したものか、思い浮かんでは来なかった。
また俺の心情が顔に出ていた様で、彼女は「詮索は冒険者の間ではご法度でしたね」と、小悪魔じみた笑みを浮かべて言う。少し悔しい。
しかしこの女性職員、割りと顔もスタイルも上の中と言ったところで、見栄えがいい。年の頃は、俺より少し年上だろうか。少し口説いてみても問題はあるまい。
「ああ、過去はどうだっていい。ミステリアスな男程、女は惹かれるものだからな。」
逆も然り、と出そうになったがぐっと堪える。女は猫のようなものだ。余計なことをすると直ぐに逃げていってしまう。
「ひょっとして、ナンパですか?」と彼女は応えた。ニヤニヤと口元は緩んでいるものの、目には品定めをするような鋭い光が差している。
「さあ? まあ腕も一本欠けてるし、最近足も失くしちまって、夜には傷口が寂しいと泣くのさ。でも、暖かいベッドの中では不思議とマシになるんだ。もっと暖かければ泣くことも無いだろうに。何か知らないかい?」
少し目を細め、暫く天井を仰ぎ見て、彼女を見た。我ながら背中のむず痒くなるような事を言っているとは思うが、こうもスラスラと口説き文句が浮かんでくるとなると気持ちが悪い。
「一つ、思い当たるものが有るわ。」と、彼女は俺に耳打ちをする。息がかかって少しこそばゆい。
「今夜貴方の宿へ行く。その時に教えてあげる。」
小さな、酒場の喧騒にかき消されるほど小さな声だったが、それは間違いなくアレということだ。
間もなくして耳にかかっていた息は何処かへ霧散し、彼女は元の立ち位置へと戻っていく。顔が赤く見えるのは気のせいではないだろう。
「酒でも飲みながら教えてもらうとするよ。楽しみにしてる。」
声を抑え気味に言うと、彼女は一瞬だけ悩ましげな笑みを浮かべ、と思うと直ぐ様営業スマイルへと戻っていく。
「後はこちら、宿の手配もさせていただきました。手配書と地図でございます。」
「ありがとう。宿を頼んでおいてよかった。」
「いえ、明日はいよいよ中央へ出立なさるんでしょう? 少しばかりのお祝いに、サービスさせて頂くだけです。冒険者はそんなに甘くはありませんよ?」
「もちろん、知ってるさ。腕と足を失う程度にはね。」
彼女は一歩下がり、「では、用件はこちらで終わりです。失礼致します」と、浅めにお辞儀し、彼女は去っていった。
「悪くないな」と呟いてから、灰皿代わりの金属プレートに吸い殻を放る。俺の知らぬ間に、フィルターを焼いて自然鎮火していたので、もう一本取り出して火を着けた。煙草が美味い。
先日まで童貞、いや厳密には素人童貞ならぬ現実童貞なのかもしれないが、そんな男が欲望一つでここまで出来るものだと感心しながら、エールを思いっきり煽り、ジョッキの残りを全部飲み干した所で、先ほどの爺さんがツマミを持ってきた。
内容はソーセージに似た何かが香ばしく焼かれ、肉汁と思われる液体でパンパンに膨れ上がっていた。付け合せに軽くサラダが盛られている。
それを一口いただくと、香草の爽やかな香り、塩で味付けられた肉の旨味が口いっぱいに広がる。
「エールのおかわりを貰いたい」と、思わず口にしていた。とても良い気分だ。
いい気分だったからだろう。宿へどうやって辿り着いたか、覚えていない。
明らかに飲み過ぎてしまった。そして酒に呑まれた。酒に弱い割には、どれだけ飲んでも吐かない寝ない上に、二日酔いもないものだから、羽目をはずすと直ぐこの有り様であった。
そしてやはり、幻肢痛で目覚めるのだ。そして目の前の光景に絶望する。
衣服は彼女のものも自分のものも、一緒くたになって脱ぎ散らかって、シーツは少し湿気ている。
ベッドの上には俺と、冒険者ギルドの女性職員が、ついでに言うと全裸である。どんなやりとりがあったかも覚えている。
だが、どうやって宿に入って、この女が来て、行為を致ったのかを全く覚えていない。完全に駄目な酔っぱらいを演じていれば、おそらくこんな事態には遭遇しないはずである。
とりあえず起き上がっては見たものの、どうにもこうにも思い出せそうにはない。
喉がカラカラだったので、ベッドの脇に置いてある水瓶に手をかけ、ぐいとそれを煽った。生ぬるい水分が喉を通り、潤っていく。美味い。
それを半分ほど飲み干した後、隣で眠る女をまじまじと見た。布団がはだけて白い肌は露わとなり、胸にはたわわに実った果実が二つ。規則正しく上下している。
あ、イカン。ムラムラしてきた。と思った所で部屋のドアがノックされる。男の声で「お客さん、朝飯は食べていくかい?」とドア越しに喋りかけてきた。
「あ、ああ。二人分頼むよ」と返答すると、「わかった」と短い返答の後、暫くして更にこう言った。
「お盛んなのは構わんが、もうちょっと配慮を頼むよ。」
頭を抱えた。一体どんなプレイをしていたと言うんだ! 目の前の真っ白な肌に赤い痕をつけた俺は、一体この体をどう楽しんだっていうんだ?!
隣では女が起きたのか、もぞりと俺の方へ寝返りをうってからゆっくりと起き上がり、満足気で恍惚の表情を浮かべ、言うのだ。
「あんな激しいの、本当に久しぶりだった。」
血の気がサーッと音を立てて引いていく。彼女の顔は紅潮し、今にも発情しそうなくらいである。
というか、「ねえ、いいでしょ?」と聞いてくる辺り、もう既にだ。
「あ、その、朝食を頼んでおいたんだ。そろそろ「少しでいいから、ね?」
うん、あー、喜んで。
ということで早朝にて一発、主砲を発射した俺だったが、目の前の彼女はもう俺にメロメロラブビームをブチかましている。
しかし俺は、彼女の名前を知らない。聞いていたにしろ覚えていない。とんでもなく気まずいのだが、喋らないわけにはいかない。
「昨日は飲み過ぎて悪かった。実はあまり記憶がないんだ。」
ここは正直に言っておくに限る。名前憶えてませ~ん、ごめんなさ~いでは済まされないからだ。
何せ体を重ねたのである。もみくちゃにまぐわったのであるからして、男としては責任がある訳だ。
「そうなの? いっぱいいろんな話をしてくれたわ。故郷の事とか、家族の事。私泣いちゃって、恥ずかしかったから好都合ね。」
等とうっとりしちゃっている。何を話したんだ。しかし、話を合わせておいて損はない。バレても「ああ、酔ってたから記憶が曖昧で」とごまかすことができるからな。
「それは覚えている。俺にために流してくれた涙だ。とても救われたし、嬉しかった。恥ずかしくなんか無いんだ。」
「……うん。」
「俺の話をじっと聞いててくれて、ありがとう。暖まったお陰で昨日は寂しいと無くことは無かった。君のおかげだよ。」
等と言いつつ頬をなでてやる。うっとりと目を細めて嬉しそうに彼女は反応した。
そうすると不意に俺の手を握り、情熱的な瞳で俺のことを見るのだ。そんなに見つめられると逃げ出したくなる。
「好きよ、タケシ。」
重い。だが嬉しくも有る。しかし「悪いが、俺にはやるべき事がある。俺の生きる意味であり、存在の理由みたいなものだ。今はその気持に、応えることは出来ない。」
俺は旅をしないといけないのだ。女に感けている暇はなけれど、手に届く位置にあれば、というだけのことだ。
今回もそうだ。軽い気持ちで誘って、酔っぱらいの話で同情を引いて行為に至ったということなのだろう。
連れてなど、いけないのだ。
「いいの。そういう男の背中が好きよ、貴方のは特に。」
一晩限りの関係で、ベッドの上での会話なんてこんなものだろう。
「それに俺は、いつか故郷に帰らなきゃあならない。連れていけるかどうかもわからない。でも子が生まれたなら、年に一度は必ず帰ってこよう。君のためにも、子供のためにも。」
そういうと、彼女は涙を流し始めた。こういうシチュエーションや言葉に弱いのかも知れない。次からの参考にもなりそうだと冷静に考察しているあたり、完全に冷めてしまっている気がする。薄情なものだ。
彼女はベッドから降りて立ち上がり、自分の衣類を拾い、着替えを始めた。小さな白い背中が揺れている。
「そんな風に言ってくれたのは、貴方だけよ、タケシ。仕事だから、私行くわ。行きたくないけれども。ねえ、最後に名前を呼んで。シェリーって。次に帰ってくるまで、それで我慢するから。」
彼女の名はシェリーと言うのか。一つ謎が解けた。
スルスルと音を立てながら、シェリーの白い肌は衣服に隠されていく。ムラムラする。今直ぐにでもその細い首筋に噛み付いて、押し倒したい気になる。
だが幕は降りた。夢から醒めるべきだと、燻った怒りと痛みがそう言っている。そんな気がした。
「シェリー、俺は強い。必ず戻る。約束だ」
「戻らなかった男は多いわ。嘘でしょう?」
「さあ? 腕も一本欠けてるし、最近足も無くしちまってね。泣きそうになったら戻ってくる。」
これは皮肉だ。約束もクソもない、俺に対しての罰でもある。弾丸は全部土手っ腹にぶち込んでしまったのだ。その上居なくなるのだから、嫌われたって当然なのだから。
「私を好きとは、言ってくれないのね。」
着替えを終えたシェリーは、後ろ目にチラリと俺を一瞥し、ドアに手をかけてそのまま出て行った。
心なしかそれが寂しかった。好きだと言っていたら、愛していると言っていたら元には戻れなかっただろう。
俺もそろそろ行かねばならない。
朝食こそ美味かったが、二人分となると流石に胃にもたれた。
部屋に戻り、さっさと荷物をまとめて宿を出た。長居すれば気が重くなるだけである。途中に冒険者ギルドと、世話になった鍛冶屋のおっさん、ビリーに挨拶をしてこの街を出る。
その後は悠希に追いつくために、キングで飛ばすだけだ。きっともうシェリーは仕事をしているだろう。何か一言、言ってやらねばいけない気もする。
ビリーにはなんて言おうか。義手代わりの盾は、いつの間にか無くしてしまって手元にない。腕鎧もメンテナンスを頼まないといけないだろう。
いつ戻って来れるかはわからない。今メンテナンスに出したとて仕方ないのだが、俺がどういう風に戦って、なおも活躍してくれたかは語らなければいけないだろう。ダチとの約束だ。
先に足が向いたのはビリーの店だった。あまり整理されているとは言いがたい店内ではあるが、俺の腕鎧と同じものが、元あった同じ位置に飾られており、きっと思い入れの深いものなのだということが理解できる。
「ビリー、帰ってきたんだ! タケシだ!」と、店の奥へと聞こえるよう、大きめの声で呼びかけた。
そうすると奥の方からドタバタと慌ただしい音が聞こえたかと思うと、筋骨隆々の浅黒い中年男性、ビリーが顔を出した。
俺の顔を見ると眉間に寄った皺が開いて、笑顔になる。
「おうおう! 待ってたぜ! 死人が出たって聞いたけど、生きて帰って来てくれて何よりだ兄弟!」
ガバっと両腕を真横に開くビリーだ。ビリーと俺は魂の兄弟であるからして、ハグを拒むことは出来ないのである。
「ああ兄弟。こいつのお陰だよ。幸いボロにもなってない。仕込み剣だって健在さ、見ろよ!」と、俺は腕鎧のスモールカイトシールドから飛び出す仕込み剣を出したり、仕舞ったりしてみせる。
「刃の部分をよく見せろ。刃こぼれがあったら取り替えてやる。良い鉄で作っておいたんだ。」
そう言って奥へと誘われる。鍛冶場の奥は一応商談室なのだろうか、簡単な木製のテーブルと椅子があり、部屋の隅には作業台もある。
とりあえず手近な椅子に腰を下ろすと、ビリーは俺の目の前に座った。ジャキと仕込み剣を出してみせる。素人目には刃こぼれや割れなどは見つからないが、プロの目ではわかることも有るかもしれない。
「折れなかったのが不思議だな。元は屑鉄だ。一応替えておくぜ」と、腕鎧は外さず、仕掛けだけを外す。どう固定されていたのかは全くわからない。あまりに手際がいいので参考にすらならない。
「いや、その手際のほうが不思議だ。どうやって外すんだこれ……。」「企業秘密ってやつだな。」
はぐらかされた。
「まあコツだな。兄弟にだから言うが、引っ張りながらいろんな方向にガチャガチャやったら外れんだ。仕掛けのロック自体が鍵みたいなものさ。」
なるほどわからん。一度外すと元に戻せなさそうだ。無闇にイジらないほうがいいだろう。
仕込み剣が今、カイトシールドから抜かれようとしているのを見た。驚いたのはその後だ。抜かれて腕鎧から離れ、しばらくするとパキンパキンと音を立てて崩れていったのだ。
「な、なんだこりゃあ……。」
流石のビリーも何が起こっているのか、理解できていないらしい。
「こんな割れ方は初めてだぜ。何が起こったんだ?!」
心当たりはあった。魔装を解除する時と同じような壊れ方だったのだ。
一度装着した魔装を解除すると、魔力の供給が失われるのか、まず罅が入る。元は殆どが土を利用しているため、その罅からサラサラと崩れていくのだが、違いはそこである。
腕鎧の元は鉄。つまり粉々にはならず、元の形を残したまま壊れたということだろう。強度限界はとっくの昔に迎えていたのかもしれない。
と、言う事はだ。腕鎧自体が知らぬ内に魔装化されているということなのだろうか。そういえば服も破けていないし、洗ってないはずなのに臭わない。身につけている物の状態を固定してしまっているかのように、引っ張っても破けすらしない。
「俺のせいだ。知らない間に常に魔力を通してしまっていて、強度限界を超えて使っていたから、壊れてしまったんだと思う。」
ビリーは俺の言葉に目の玉をひん剥いて驚いた。
「そんなことが出来るのか?! ってことは兄弟よ、おめえ魔術師かなんかか?!」
「魔術師、ってわけでもない。ただ人より魔力量が多いだけさ。そういや義手代わりの盾、無くしちまったんだ。でも少し待っててくれ。」
そう言って椅子から立ち上がり、店の外へ出た。右腕の魔装だけを装着して店に戻り、それをビリーに見せると、椅子から転げ落ちて驚いている。
「な、ななん……なんてこった!!」
あわあわと取り乱すビリー、笑いながら俺はそれを見ていた。
「師匠に教えてもらったんだ。素養があったみたいで、故郷の技術も使われている。これがカラクリの行末だよ。」
ビリーはまじまじと俺の新たな右腕を眺めている。驚きの表情は畏怖へと代わったが、次第に興味と歓喜の表情へと移り変わっていく。まるで百面相だ。
「すげえ、こりゃあスゲエよ兄弟! ああ神様、俺は本当に生きててよかった!」
ビリーは恐る恐る俺の魔装に触り、そして撫で回し始める。おそらくどこがどういう仕掛けで動いているのかを指先と目で知ろうとしているのだろうが、原動力は魔力であるが故に、いまいち理解できないらしい。
「魔法ってのはやっぱすげえ。指が6本に、杭はこいつ、飛び出すんだろう?! マジで格好いいぜ。羨ましい!!」
興奮しているようで、ビリーは細かく唾を飛ばしながら話している。俺の顔にかかってるんですが、それは今言うべきではありません。
「筋肉、これは筋肉だな。ちょっと動かしてみてくれよ。」
ビリーの言葉に素直に従う。拳を握ったり、開いたり。また手首なんかを動かしても見る。腕全体を動かすと、筋肉はまるで本物のように膨らんだり、しぼんだりするのだ。
「この編み方は何処で習ったんだ? こんな繊維の編み方は初めてみる。」
「これは生きた人間の筋肉と同じ編まれ方をしているんだと思う。 杭はおそらく骨の役割もしているんだろうが、中を開けてみたことが無いからわからないな。」
「なるほど、なるほどォ! 芸術だ。こりゃあもう芸術作品だぜ!」
大袈裟に喜んでみせるビリーだが、割りとすんなり開放された。
「全部じゃないが覚えた。見て覚えたぞ。今度は動きを補助出来るような腕鎧を作って見せる。兄弟、今日来たってこたあ、もう行くのか。」
「ああ。ちゃんとした冒険者になって、また戻ってくる予定だ。そしたらこの辺りが根城になる。この腕鎧の評判だって、広めてきてやるさ」と、俺としては珍しく、気さくにビリーの肩を叩いた。
「なら、ウチの店ってのがわかるように、腕鎧に名前を彫ってもいいか? 俺はカラクリを広めたいんだ。いいだろ兄弟。」
「ああ、いいとも兄弟。一度外したほうがいいな。」
所謂広告というやつだ。F1やMotoGPで見る大量のステッカーだ。俺はそういうのも嫌いではない。
というわけで腕鎧を外し始める。しかし今日起きた時は外れていたのに、どうして剣だけが砕けてしまったのかと言う疑問が残る。
俺ではない者が触ると、物質に蓄えられた魔力が霧散してしまうのだろうか。その可能性は非常に高い。
装備を解除して、作業台まで持っていく。俺は腕鎧がどうなるかに注視した。やはり若干魔力の残滓があり、ぼやぁと揺らいでいる。
しかし驚いたことに、ビリーが道具を持っている手にも、魔力が集まっているのだ。
魔力とはつまり生命力、本物の職人は商売人ではない。ビリーのように何かを作ることしか出来ない人間なのだ。そういった人間は、魔の素質がなくても魔力を使うことが出来るのだと、それを目の当たりにした。
そしてビリーのそれが腕鎧の魔力に作用することで、元あった魔力が徐々に霧散していく。
ということは、マズい!
素早く作業台の脇に移動し、腕鎧に手を添える。
「うぉ、どうした兄弟。」
「俺が触ってないと、またさっきみたいに壊れそうなんでな。こいつは俺の魔力でギリギリ強度を保ってたみたいで、ビリーが触ったことで元あった魔力が消えてしまうんだ。俺も触っていないとマズいと思ってな。」
「おう、よくわからんが抑えててくれると助かる。その方がやりやすいからな。」
腕鎧は俺からの魔力供給で、なんとか形は保たれた。ビリーが彫った文字なのだが、筆記体でなければよく分かる。アルファベットにカタカナを足したような文字であった。
全体的にカクついており、曲線は一切ない。丸くするとわからなくなるのも頷ける。
何が書いてあるのかは分からないので聞いてみると、『マガーテのビリー作 男の鍛冶場』と書いてあるそうだ。男の鍛冶場と言うのはこの店の名前らしい。知らなかった。
しかし、よくよく見ると腕鎧もかなりくたびれている。魔獣の軍勢と戦ったからというのはあるが、凹んだり傷がついたりと散々だ。
新しい物を注文しておいてもいいかな、と思ったがいいことを思いつく。投資だ。ビリーは先ほど、動きを補助する機構がついた腕鎧を作ると言っていた。つまり投資先はビリーで、俺は出来たものの情報をいち早く知り、それを手に入れたい。
そして俺が、制作に手を貸した事が世間に知られれば、俺の名も売れる。
また、これから作られる腕鎧に使われる技術は、おそらくこの世界の鎧の常識を覆す物にもなる。人間の動作を補助するインナーアーマーが登場するのだから、大変な技術革新になるに違いない。金の匂いがするのだ。
「ビリー、俺は君が作る新しい鎧を作るのにかかる資金を提供したいと思ってる。そして俺が欲しい。またそれを作るヒントも出そう。投資させてくれないか。」
思い立ったが吉日と言う。早速話を持ちかける。
「本当か兄弟! 実は迷ってんだ。金属製の鎧に、どうすれば動きを補助できるようなものを追加出来るか、バカの俺には全く思い浮かばねえんだ。
作ってりゃ見えてくる気もするんだが、タケシ、お前が欲しいってんなら、手早く完成させてやらねえといけねえ。
本気の作品だ。資材にもきっと金がかかる。頼らせてもらっていいのか?」
「もちろんだ。俺たちは魂の兄弟だろう? 俺が欲しいのはビリーの作った新たな鎧だ。今のはもうかなりヘタれてきてる。俺が使うんでなきゃあ直ぐ壊れちまうだろうよ。
だから新しい物が欲しい。より動きやすく、より強い物がな。君にはそれを作る技術があると思うんだ。まずは銀貨5枚を投資させてもらうよ。足りなければ稼いで持ってくる。
絶対に完成させて欲しい。カラクリを進化させて、世間をあっと言わせてやろうじゃあないか!」
新たな技術。胸が踊らない男は居ないはずだ。自分で言ってて若干興奮してしまった。
ビリーのカラクリは、実戦で十分に使える事を、俺が実証しているのだ。更に強度が、精度が増せば、応用も効いて更に面白い武器や防具を開発してくれるかもしれない。
技術の進歩と、人間の進化が俺は見たいのだ。
「銀貨を5枚も……それ、大丈夫な金なんだよな……?」
訝しげな目をビリーは俺に向けてくるが、俺は少し笑みを浮かべ、大きく無言で頷いた。
「俺の資本は身体だ。いい装備があればもっと稼げる。銀貨5枚は、それだけ期待してるってことで受け取って貰えればいい。全力でサポートさせてくれ。」
ビリーは少し腕を組んで考えこむ。そもそも魔装があれば、俺に装備は必要ない。だが全身を纏った時の禍々しい風貌ときたら、おいそれと簡単に展開出来るものではない。
それこそ本当に魔王扱いされて、人里に降りられなくなることは明白だ。
街に入ってからずっと、左腕の魔装を封印して、右足だけ普段使い用に作った物を展開しているだけで、その普段使いに作ったものでさえ、本気を出せば大木の一本や二本をへし折れる蹴りを放つことが出来るだろう。
だからこそ装備が必要なのだ。魔装を使わず、身一つで戦う為の装備が。人の身を大きく超えた力は、誤った使い方をすれば積み上げた全てが瓦解してしまう。それを防ぐためにも、無いものとして考えるのだ。
「わかった、受け取るぜ。戻ってくるまでには、物にしておいてやる。試作品はどうする?」
試作品、そういうのもあるのか! 全く頭になかった。流石に送ってもらうとなるとこの時代だ、配送料なんかは桁が違うだろう。そうだ、いい人間が居るじゃないか! 目の前に!!
「自分で使ってみればいいんじゃないか? 鍛冶作業は槌を振るし、重い物だって持つだろう。ビリーが試して改良していけばいいんだよ!」
我ながらいい考えである。ビリーも「その手があったか!」とまさに灯台もと暗しであった。
と、話がまとまった所で俺は銀貨5枚をビリーに渡し、俺は腕鎧を受け取って店を後にした。
別れる時はあっさりである。男の友情はこんなものだ。一晩だけの女もこれくらいあっさり別れたいものだ。
冒険者ギルドでは、既に俺の出立の準備が整っていた。建物に入るとマフミュランがバーカウンターでまたも暇そうにしており、俺の顔を見るや、シャキっとした面持ちになり、俺のなりを見て驚いていた。
何も荷物を持っていないからだろうか、第一声はこうだった。
「タケシ、それで行くのか……?」
「もちろん。飯はどこかで狩ればいい。寝床は別に気にしない。盗賊が出たら色々奪う。フツーじゃないんです?」
「マジかよ……。雨降ったらどうすんだ?」
「あー考えてなかった……。」
外は曇天、泣き出しそうな程でもないが、これから晴れるかと言われれば難しい。そんな天気だ。
「まあ移動の足が死ぬほど速いんで、大丈夫ですよ」とヘラヘラした口調で言うと、マフミュランはがっくりと肩を落としたのだった。
マフミュランから受け取ったものは、昨日話したとおりに地図と紹介状。どちらも雨に濡れるとヤバい。
地図は借り物で、レイマスト法国のギルド本部に返却しなければならない。破損、紛失をしたりでもすれば、多額の賠償金を払わなければならないだろう。
何せ大穴の情報が大凡二百万円ほどの価値があるのだ。地図という地形や道の情報は一体いくらになるのか。精密な地図が書ければ、もしかしたら一生遊んで暮らせるかもしれない。
また文字がまだ読めないので、マフミュランに地図の解説をしてもらった。正直に言うとあまり覚えていないが、多分キングに言えば連れて行ってくれるだろうと、気楽に考えていた。
「また、ウチの従業員がお前さんにってよ。お守りだとさ。」
手渡されたのは小さい巾着袋だった。口を開閉する為のヒモは、根本できつく縛られており、中を覗き見ることは出来ない。何も入っていなさそうだが、まあお守りだ。持っておくに越したことはない。
「ありがとうと伝えておいて下さい。必ずまた帰ってきます。」
「ああ、首を長くして待ってるぜ。一人前になって戻ってこいな!」
俺とマフミュランにこれ以上の会話は無く、固く握手をし、踵を返す。そうするとバーカウンターから俺を呼び止める声が聞こえた。
「待ってタケシ!」
マジかよシェリー。重たい女だ。目尻には涙を浮かべ、目の周りは赤い。ずいぶん長い間泣いて居たんだろうが、そんなに俺のことが好きなのか。
やれやれと肩を竦めてシェリーを見る。
男冥利に尽きるがしかし、やめてくれ。そんな熱のこもった視線を浴びせられても、俺は行くしか無いんだ。
なんだか帰ってきたくなくなってきた。
「俺は行く。やらなければならない事がある。俺にしか出来ない。ついてきても守れない。それでもいいなら」
と、言った所でシェリーの拳が俺の顔面を直撃する。女としては規格外の力で、俺の鼻の頭を潰しつつ、あ、多分鼻の骨折れた。
いや、そうじゃない。宙を浮いている。と、飛んでる?! いや、飛ばされて、今回転している。アクション映画で殴られて回りながら飛ばされる人ってこんな光景を目の当たりにしてるんだなぁと関心したところで、俺は地面と熱いキスを交わした。
「私は強いわよ。待っててなんてやらないんだから!」
「さ、さいですか……。」
潰された鼻の穴に指を突っ込みながら、再成形しつつ言ったものだから、ふざけているものと思われて今度は腹を蹴られた。
軽く身体が宙に舞い、大地と二度目の熱いベーゼを交わした所でシェリーに目をやると、泣いていた。
「い、痛え……。」
マフミュランや他のギルド職員、また仕事を求めにやって来た冒険者たちの面前で、男俺が、そこそこ美人のギルド職員にボコボコにされているのだ。
心が痛かった。そして鼻と、腹。多分腸がさっきの衝撃で捻くれてしまっているのか、外から内から酷い痛みを発している。
「帰ってこいよ! ボケナス!!」
そう言うとシェリーはギルド建屋に引っ込んでしまった。もうどうしようもない。とにかく痛い。幻肢痛だって有る上に、腹がとにかく痛くて死にそうだった。
マフミュランは青ざめた顔で俺に言う。
「こ、ここで死なねえよな?」
もちろん俺はこう返す。
「し、死にそう……。」
あんな女だ。絶対嫁の貰い手がないんだ。行き遅れだ。
心の中で悪態をついたが心なしか、余計に痛みが増すようだった。
それからと言うもの、俺の鼻も腹も瞬く間に回復し、何事も無かったかのようにキングに跨がり、お世辞にも整備されているとはいえないような道路、アスファルトがないので当然ダートコースを、ケツを滑らせながら猛進していた。
しかし道があると無いとでは、やはり出せるスピードが違う。木々生い茂る山林などでは、出せて60km/hだが、今のアベレージは大凡70km/hだ。
つまり、山林でのアベレージは30~40km/h位に落ちてしまうのだが、その二倍の速度で走ることが出来ている。
キングはキングで前後輪を、その道を走る最適な形に変化させられるようになったのか、グリップ具合が全然違う。
オンロード、それもアスファルトの上を走るためだけに作られたラジアルタイヤで、山林を走るのがそもそも無茶過ぎたのだ。機械のはずのキングも、あの売女の恩寵か何かしらないが、成長を重ねられるようになっているのだと思う。サスペンションの粘りや伸びも、この世界に来た当時の頃と比べれば天と地ほどの差があった。
閑話休題。さて、どうして俺がマガーテを飛び出して、さっさと目的地であるレイマスト法国の首都であり聖地、レイマスト山を目指しているのは、前述のトラブルで居た堪れなくなり、這々の体で逃げ出してきたという、直視しがたい現実からである。
あの拳、蹴り、普通の人間ならば間違いなく死んでいた。鼻も再成形したものの元の形に戻っているかは分からない。キングのサイドミラーで少し見てみるが、どうも……なんだか……ちょっと、低くなったような……気がしないでも……ない。
とにかくよくわからないのだが、ここで唐突に思い出す。キングに乗る度に何か忘れていると思っていたのだ。
愛用のヘルメットと、ライディングジャケットがない。どうでもいいことの様に思われるだろうが、これはかなり重要なことだ。
ヘルメットはもちろんフルフェイスで、背中と肩、肘にプロテクターが入った赤と黒のライディングジャケットが、俺の愛用の品であった。
寂しい物だ。服はとにかくバタつくし、風は魔力の風防でそうでもないが、頭のあたりが物足りない。視界が広くてなんだか怖くなってくる。
「キング、ちょっと止まってくれ。」
そう伝えるとキングもエンジンブレーキを徐々に効かせながらゆっくりと止まってくれた。制動距離はお察しではあるが、森のなかと云えど一直線の見晴らしのいい道だ。ゆっくり止まっても後ろからクラクションを鳴らされることもなく、また向かってくる人達もまばらである。
「どうしたんだ相棒。何かあったか?」
「ヘルメットがなくて、視界が広くて怖くなった。ちょっと魔装をつけてくるよ。」
キングはやれやれと言うようにヘッドライトの光を下へ向けると、「さっさと行って来い」と言わんばかりに空ぶかしするがお構いなしに、俺は森の中で魔装を装着した。
しかし問題があった。今度はもっと視界が広い。360度、どこを見回すわけでもなくそれが視界として認識されるものだから、困ったことになった。
感覚として前後左右の区別はつくが、これでバイクに乗ったなら恐ろしいことになりそうである。
だがそうも言っては居られない。先を急がねばならないので、仕方なしに戻ってキングに跨がろうとするのだが、これまた魔装がゴツイお陰でニーグリップ(膝でタンクを抱え込むこと)が出来ないのだ。
「どうしてこうなった……」と、失意のままに魔装を解除するが、しかし諦めていいはずがない。
ヘルメットとライディングジャケットは命を守る物だ。万が一頭が転がっていったりでもしたら、流石に死んでしまうような気がする。
ならばキングに跨ったままで魔装を装着してみることにした。
結果から言うと大成功ではあるが、まさに人馬一体。キングと魔装が融合してしまうことになった。
中の人、つまり俺の姿勢はタンクと身体が引っ付いて首も上げられない上、地面に足をつけられないと言う恐ろしい事態に陥ってしまったのである。
しかしキングは立ちごけすることもなく、直立を保っているのだから不思議で仕方がない。
「これでいいだろ相棒。行くぜ!」
とキングは言うと共に、フルスロットルで大地を削りながら走りだした。
360度が視界と言うのは恐ろしく気持ちが悪い。右も左も後ろの景色も、キングの上では飛んで行くものだから、しかし不思議と、方向感覚と平衡感覚はしっかりとしているのだ。
乗り物酔いになることもない。
キングは勝手に走ってくれるので、少し手を休めてというか、手抜きをして色々と試してみる。
集中して、どの方向を注視するか、というのをやってみると若干視界が狭まる。と言っても真後ろが見えないだけで気持ち悪いことに変わりはないのだが、前はもちろん右や左を注視してみても、その反対側の視界が朦朧となるだけで、まあ何せ気持ちが悪い。
ふと、空を見上げてみた。見上げるというのは語弊が有るのだが、空を注視した。
とにかく青く、ぽっかり浮かぶ雲はやたらと白く、元の世界に居た頃とは比べ物にならないほど鮮やかな空が、この世界には広がっている。
『美しい』と、心の底からそう思った。日本でも空を見上げる機会は少なかった。なんとなく空の水色が気に入らなかったというのも有る。
でも、ただただ美しかった。この世界の空は澄み切り、きっと小さな星の瞬きでさえもくっきりと映すのだろう。
見たことのない美しさに、心の臓を掴まれたように苦しくなった。俺が呪うべき世界は、生きるも死ぬも、美しいものなのかもしれないと、そう思ってしまったのだ。
魔装の左腕と右足が痛む。この痛みだけは俺のものだ。身体も心も、有るはずのない痛みを感じながら俺はただ、呪う。
正気を手放したいと、今ほどに思ったことは無い。空はただただ、青く、美しいのだ。
週一で上げていきたい! 上げて下さい俺の脳みそ!
6話として書き始めたものを、5話の最後に導入したくなったので追加します。(2015/9/28)