2nd.Gear -Pieace-
窓から入り込む橙色の西陽が、夕刻であることを示していた。
少年が目覚めて初めに感じたことはそれだった。
西陽に照らされて橙色に染まった部屋を見渡す。少し狭い部屋。色の具合からして元の色は白色だろうか。自分の横たわるベッドも同じだ。元は白色なのだろう。他には何もない。
ここは、病院なのだろうか。
少年もまた、夕焼けに照らされながら心の中でそう呟く。そしてベッドの横に置いてある鏡に顔を向けると、白く短い髪と赤い瞳の自分の顔が写っていた。
視線を移し、窓の外の世界を眺めると、真っ赤に染まった空の下には森、そしてその隣には人々が行き交う街。まさに絵に描いたような、自然と都会が調和した街だった。
しかし、少年は違和感に気付き立ち上がる。包帯の類がないことから外傷がないことはわかっていたが、身体に言いようのないだるさがあった。しかし動けないほどではない。少年はそのまま窓のほうへと近づく。
「やっぱり」
少年が溜息混じりにそう呟いた。
病室のある階層が高いのか、そもそも施設自体が高所にあるのか、ここからは遠くまで見渡すことが出来た。
少年の視線の先には大地と空の境界線がある。しかしそのコントラストは不自然で、決して本来の『地平線』ではなかった。
さらに、わずかに点在する小さな雲を見て少年は思う。やけに雲が低い、と。
だが、その思考をするよりも目覚めたときから気になっていた大きな、重要な疑問があった。
「俺は――」
少年が何か独り言を漏らすのと同時に、部屋の引き戸が静かに開け放たれる。少年がそちらに視線を移すと、そこには一人の男性が立っていた。
「ようやく目覚めたと思ったら… 起きてすぐ動き回るのはよしたほうがいいよ」
部屋に入ってきた男性は、少年を見るなりそう溜息を漏らした。
年齢は20代後半か。綺麗に整えられた黒い短髪と、理知的な顔に皺一つない漆黒のスーツという組み合わせの出で立ちだ。一目で医者ではないということがわかる。
「僕は海馬英吾。このピース共和国空軍の大佐を務めている」
英吾、と名乗る男性は思い出したように自己紹介を始めるが、少年にはほとんど何を言っているのかはわからなかった。
英吾にとりあえず寝ていなさいと言われた少年は、ベッドに戻り腰掛ける。
「で、君のお名前は?」
英吾はにっこりと笑い、からかうように問う。
「蒼馬」
少年はうっとうしげにそう短く答えた。
「蒼馬くんね。へえ、そう。それで所属は?あと苗字も」
英吾はさらに問いかけるが、しかし少年、蒼馬は少し躊躇したあとで、
「…わからない」
そう答えた。
蒼馬のその答えに、英吾は一瞬呆けた表情になり、それから大げさに首をかしげてから、もう一度訊ねる。
「いやいや、所属と苗字。君も子供じゃないんだから、それくらいわかるでしょうよ。あ、それとも僕のことがもう嫌いになった? あはは、これは記録更新かなあ」
などと、英吾は蒼馬を子ども扱いするが、本人はそれには気にせず、同じ答えを言う。
「…わからない。何も覚えてないんだ」
「せめて、僕の冗談には付き合って欲しかったなあ。…ま、冗談はさておき、名前以外に何も覚えていないって言うのは本当?」
「だから、何もわからないって言ってるじゃないか」
いらついた様子で答える蒼馬の表情を見て、英吾は満足そうに笑みを浮かべる。
「ああ、やっと表情の変化がでたね、良かった良かった。記憶喪失のショックで感情が壊れたのかと思って、ひやっとしたよ」
英吾は全くひやっとしてない表情を余所に、蒼馬は頭を抱える。
「やっぱり俺は記憶が…」
目覚めたときから、あった疑問。蒼馬はその名前以外に何も覚えていなかった。
蒼馬は顔を手の平で覆う。その様子を見て、英吾はやれやれと肩をすくめる。
「本当に何も覚えていないんだねえ」
「ああ」
疲れたような表情で、蒼馬は短く相槌を打つ。
「ちなみに君はこの国の端っこのほうに倒れていたところを、通報を受けて保護した。そのときの君は『スカイギア』用のパイロットスーツ姿で、背中にパラシュートをつけていたところからして、戦闘中に離脱したどこかの兵だと僕は見ている」
そこで英吾は一端間をおいて蒼馬の表情をうかがう。そして何か思い出したような表情になる。
「そういえば、君は記憶喪失だから、『スカイギア』のことはおぼえてないんだよね。まあいいや。その辺はまた機会を見て詳しく説明するよ」
その言葉を聞いた蒼馬は小さく頷く。英吾もそれに頷き返して続ける。
「それで困ったことに、君のパイロットスーツ及び所持品から、君の所属にまつわる記載や品物が何一つなくてね。それで僕はふと、気になったんだ」
英吾の瞳が鋭くなる。蒼馬には英吾が何を言おうとしているのかわからなかった。蒼馬のその表情を無視して、英吾は続ける。
「これは僕の想像なんだけど、もしかしたら君は、――いや、記憶を失う前の君はこうなることがわかってたんじゃないか、って思ってるんだ」
「…」
蒼馬は、答えない。
「いまいちわからないかな?つまりね、君はどこかで戦闘中、亡国するために脱出装置を使って逃げ出した。そして身分のわかるものを一切身に着けないことで、辿り着いた国に身を隠そうとした…」
記憶が欠如している蒼馬は、まるで他人事のように英吾の話を聞いていた。
「と、記憶のない君に言っても仕方ないんだけどね」
英吾は一息ついて、先程蒼馬も覗いていた窓に近づく。英吾は窓の向こう側に目を向けて話を続ける。
「…ここまでして亡国しようとするとなると、やはり君の祖国は、アパスル帝国かな」
「アパスル…帝国。そこが俺の――」
蒼馬の言葉を遮るように、英吾は口を開く。
「物事を達成するためなら、どんなことでもする悲しい国さ。…奴らは目的のためなら、他国の者の血を流すことも辞さない」
蒼馬は、英吾の顔に憎悪の表情が浮かぶのを感じていた。
「おっと、僕としたことが、私情を出してしまったよ。失敗失敗」
英吾がおどける様子を見ながら、蒼馬はこのふざけているようにしか見えない男にも悲惨な過去があるのだろうかと考えるが、記憶のない蒼馬が他人の記憶の心配したところで、皮肉にしかならないので、それ以上考えるのは止めにした。
図ってか図らずか、蒼馬の思考が止んだところで、英吾が続ける。
「アパスル帝国は資源を求め、頻繁に他の国家へ攻め込む。この国も例外じゃない。まあこの国は軍事力は充実しているから、被害を最小限に留めて迎撃するんだけどね。で、奴らは仲間にも厳しく、任務失敗や亡国者などには様々なペナルティが課せられる。ひょっとしたら君は奪ったスカイギアで逃走して、それで追跡班のスカイギアと戦闘になったのかもね」
英吾はそこで切り、窓から離れて、ベッドのほうへと歩み寄る。
「本当なら敵対国の所属かもしれない君を縛り付けて拷問にかけるなり、そのままほったらかして、餓死させるのもいいんだけど」
と、英吾は突然恐ろしいことを言い出したので、思わず蒼馬の背筋に寒気が走る。
「まあまあ落ち着いてよ。話はここで終わりじゃあないんだからさ」
蒼馬の感情を敏感に察知した英吾が笑顔を浮かべるが、蒼馬にはそれが表面上のものでしかないように思えてしかたなかった
「君は記憶喪失だから、どこの所属かは定かではない。君がアパスルの人間だというのも、なんの証拠もない勘だけの推理さ。もし君を痛めつけたとして、実はこの国と友好を結んでいる国の人間だったら? 一気に国際問題に発展するだろうね。それに、君を痛めつけるという行為は僕の私情さ。 …僕はアパスルが、憎い」
そこまで言って、英吾は長い、長い息をつく。過去になにがあったのか、なんとなく想像はついた蒼馬だったが、何も言わなかった。
「はは、君に過去のことで心配されるなんて、神様も冗談がうまいねえ。っとそんなことより、そういうことで君はしばらく僕ら軍の監視下に入るよ」
どういうことなのか半分も理解していない蒼馬だったが、つまり、
「俺を管理して、色々調べるってことか?」
英吾は満足そうに笑みを浮かべる。
「いいねえ、話が早くて助かるよ。危険がないと判断された場合、多分君はスカイギアのパイロットになると思うから、明日、体力テストも兼ねた身体検査を受けてもらうよ」
少年は頷いて異議がないことを伝える。
「じゃあ今日はここまで」
そう言って英吾は手を叩く。
「夜までは自由にしてていいけど、9時には戻ってくること。ちなみにその腕につけてあるものは腕時計を模した発信機でね、僕がロックを解除しないと外れない仕組みになっているからよろしく」
言われ、蒼馬は左手首につけられた腕時計を見る。本来ベルトである部分は、一つの鉄製の輪になっており、外れる気配はまるでない。
「ま、本当は寝ておいてもらったほうがいいんだけど、ぴんぴんしてそうだし、この国を散歩してくるといいよ。素敵な出会いがあるかもね」
部屋の外で待っているという旨を伝えて、英吾は部屋を後にした。
そして、蒼馬は外へ出るべく、英吾が用意した着替えを身体に通した。