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ちょっと、御用がありまして(仮)

 長編を書きたいなって思ってたネタを短くして独白調で書いてみました。

 需要があったら長編、考えます。

 人生の転落話って、結構好きだったんですよ僕。

 話聴きながらね、うわっこいつバカだなぁとか、いやそれやったら捕まるだろ普通とか思って、顔には出さないで腹んなかで笑うんすよね。辛気臭い顔して肩落としたまま話す奴もいれば、逆に馬鹿みたいに笑いながら話す奴もいて、そういう違いとかも楽しかったんですよ。

 コーヒーとか酒とか飲みながら、そういう話をつまみに聞くっていうのが仕事ながらも趣味みたいな。そういう転落した人生の話をコレクションしてる感覚で。

 でもね、人生を踏み外した奴らの、社会的に落ちぶれていった奴らの話を聞くのは面白かったけど、実際に同じように自分が落ちぶれていってみたら、ダメだね。ああやって落ちてしまってからも笑っていられる奴らの凄さっていうか、それこそ本物の馬鹿なのかもしれないけど感心したね。僕は、ああいう風には笑って過ごせていないからね。


 彼らの落ちぶれた人生にも、落ちてしまった切欠はあるものさ。

 全員がまっとうだったって訳ではなかったが、落ちた人生の話をコレクションしていく間にそのことに気がついた。

 偏差値が高い大学を出て、一流の道を歩こうとしてた坊っちゃんがいてな。その坊っちゃんは結局ラブホテルの清掃員になったっけ。肩落としながらどうしてあんなことをやったんだ、あれさえなかったら今頃は一物を拭ったティッシュなんか拾わずに高級レストランで美人の彼女とディナーでも食べていられたのにって嘆いていたっけ。

 坊っちゃんの場合は麻薬だった。堅っ苦しい大学なんかに通ってたからだろ。明らかに悪い奴らだって普通はわかるはずなのによ、ころっと騙されて麻薬の常連になってしまったらしい。エリートの両親は怒り狂ってその坊っちゃんを居ないように扱って、いまは年の離れた弟の教育に力を入れてるだとか。

 消防士だった男の破滅の切欠は女だった。一人で出歩いていた無防備な女を暗がりに連れ込んでやってたらしいね。綺麗な奥さんも可愛い息子も居たって言ってたな、馬鹿な奴だった。いまはフリーターやって生活してるって、ひとりの家は広すぎるってよ、贅沢なやつだよな。

 男として有り余ってたらしい奴にやられて落ちていった女もいた。手首切って、食べ物吐いて、みすぼらしい体になりながらもまだあの女は死んでないよ。女が感じるその辺りの絶望は察することはできないが、なんとも丈夫なことじゃないかと思うよ。

 なんでも、切欠になりうるはずだ。今朝飲んだコーヒー一杯、かかってきた電話をとったタイミング、テレビを一緒に見る人だったり、きっとそういう小さなこと一つで人生が変わってしまう。


 僕の場合はその朝に飲んだパック牛乳だった。

 勤めていた会社の仲がいい同僚から前日貰ったものだった。たしか、昼休みを返上してやる仕事があったんだとか言って、買ったばかりのパックを押し付けてきたのだった。

 大盛りを食べてしまったあとの腹には入らずもって帰ったものの、買ったコンビニ弁当には合わないからと飲まずに冷蔵庫にしまったパック牛乳。

 食パンを食べるには怠く、かといって何も食べないのにはなんとなくもの足りない妙な腹具合の朝だった。スーツを着ながら思い出し、冷蔵庫を開けてパック牛乳をつかんで飲んだ。

 あの時嫌な予感はしたんだ。だって夏場ではなかったとはいえ、自販機で買ったまま昼休みを常温で過ごした牛乳だったんだ。悪くなっていない保証はなかった。それに、中学校を卒業して以来の牛乳だった。もともと牛乳を好む家族が居なかったのと、幼いころに腹が弱かったから普段牛乳は買い置きしてはなかった。

 本当に忘れてたんだ、僕は牛乳ととても相性が悪かったことを。そして最近便通ともご無沙汰だったことを。

 

 それからは運が悪かったとしかいえないな。

 駅に向かう途中、お腹が鳴った。雷がなるような低い音。それから下腹に走る激痛。

 やばいと思ったね、久しぶりに。額に脂汗が浮かんで背筋を流れていく感触が生々しくて、今も時々悪夢と一緒に思い出す感触だよ。

 駅までは遠かった。そして自宅には歩きつけるかどうか微妙な距離だった。まだ住宅密集地を抜けていないからか、常時営業のマックやコンビニは見当たらない。

 そして僕は思い出した。そういえば近くに公園があったことを。入口からほど近いところに公衆便所があったことを。

 僕は走った。前かがみになりかけながらも走った。膝をすり合わせるように走っていたから、とてつもなく奇妙な走り方だっただろう。

 片手で尻を押えてつま先立ちながらついた公衆便所。ところがだ。なんの因縁か、男子便所の扉はひとつしかなく、しかも閉まっている。

 そこでなんとか扉を叩いたが、震えた声で入ってますと聞こえてきた。直感したね、こいつも俺の同類だと。腹を壊してやがった。

 切羽詰って男子便所を出た。そして周りを見回した。誰もいない。そこで思ったわけだ、これは最後の手段を使うしかないと。

 僕は隣のトイレに駆け込んだ。赤いマークのトイレ、個室がいくつか並んだ女子トイレだ。

 幸いにも個室の扉はどれも閉まってはいない。全て空室だった。僕はベルトに手をかけながら一番手前の個室に飛び込んだ。

 

 どれだけ踏ん張っていたか、何度か扉が閉まって水を流す音がしてバレたらやばいと思いながらもようやく腹の調子が良くなった。備え付けのトイレットペーパーを一巻き使いきってしまった僕は、調子良く五回目の水を流してベルトを締めて鍵に手を伸ばした。

 鍵を外すと同時に扉を開けようとした時だ。トイレにお母さん軍団が入ってきたのだ。

 勢い良く扉を閉めなおして、僕は絶望した。

 腕時計を見ると針は十時半を差していた。僕が出社しなければいけないのは八時、家を出たのは七時半。すでに出社時間を過ぎて一時間半、踏ん張り始めて二時間、幼い子供を持つお母さん軍団が公園に遊びに来るには調度いい時間帯。

 どうするか悩んだ。便器に座り直して考えた。狭い室内、鞄を抱えて考えた。それこそやっとのことで引っ込んだ冷や汗がまた流れ始める位には考えた。

 トイレの手洗いで喋りこんでいるお母さん軍団が、立ち去る気配はなくトイレの個室に入る気配もない。ていうか、子供放ってトイレで話し込むのもどうかと思うけどね、喋り方とか笑い方とか、若かったしギャルっぽかったし、お母さん軍団のほうも遊びたい盛りなのかもしれないけどね。正直、ここの個室臭くない、とか言われたのは放とけと思ったけど。

 笑い声が一段落して、それぞれが個室に入る音がした。助かった、そう思った。

 誰もいない、チャンス、好機、神はわれに微笑んだ、神様ありがとう、思いつく限りの良い言葉を心のなかで叫んで扉を開けた。それこそ思いっきり開きたかったけど、バレたくなかったから最後にワンクッション置くように開いた訳だ。

 目があった。マスカラでコテコテに塗り固めてまつげをビンビンに伸ばして整えた目だった。お母さん軍団の、ギャルの、女の、女の目だった。

 固まった。お互いに。

 彼女はマスカラを塗り直していた手を止めて、僕は扉を全開して鍵に手をかけた状態で。


 結局僕は、目があった彼女に大声あげられて、痴漢として警察に通報された訳だ。

 ひとつしかない男子便所の個室が詰まっていたとしても、腹を下していても、どんな理由があったって女子便所に男子は入ってはいけないんだ。事情聴取の間何回もどうして近くに自宅があったのにそこへ帰ってしなかったのかって尋ねられた。

 仕方なかったんだよしたかったんだからって最後は怒鳴っちゃった。それくらいしつこかった。

 なんとか裁判沙汰にはならないですんだんだけど、次の日の地方新聞に事件が載っちゃうわ、会社に知られて女子社員からは冷たい目で見られるわ、男子社員からはからかわれるか無視されるかで、レッテルを貼られた僕は会社を退職、今はフリーターをしながら再就職先を見つけてるよ。

 けどねやっぱり見つからないね。どこの面接受けるにも退職の理由聞かれたら黙ってる訳にはいかないし、ただでさえ競争率高いからね受かるのは大体僕よりも若い奴か資格を沢山持ってる奴らだよ。


 何が切欠になって人生落ちぶれるかなんて、本当にわからない。

 僕のことにしたって、また明日起こる何かが切欠になって不幸が起こるかもしれない。そんなこと、予測できやしないだろう?

 でも、小さなことを切欠に起こることは不幸なことだけではないってことも、僕は知ってるわけだ。

 僕は会社をやめてしばらく家に引きこもってた。

 部屋から一歩でも外に出ると、家族からの遠慮がちな眼差しを受け、近所に住んでいる住人方には冷たい視線で射られて穴だらけになる。

 そんな時にふと思い立って一本、電話をかけてみることにしたんだ。

 高校の頃に仲がよかった女子。テレビに出ていた女優を見ていたら、ふっと頭に浮かんだ顔だった。

 一本だけ、ダメだったらもうかけることはしないと思って電話帳を開いた。

 五回目のコールで彼女の声がして、ホッとしてしまって不覚にも泣いてしまった僕に彼女は戸惑いながらも慰めてくれた。

 僕だったらいきなり電話口で泣かれたら気味が悪くて切ってしまうけど、切らずに接してくれたところが彼女のいいところでもあり、悪いところだったりする。だまされやすくて良くも悪くも純粋だった。

 彼女は僕の身に起こった不幸を静かに聞いてくれた。これからどうしたらいいんだって半ば八つ当たりで怒鳴った僕に、一層優しい声で、大丈夫。何とかなるよ。って励ましてくれた。

 ほんと、何がきっかけでどんなことが始まるのか、人生はわからないね。いま彼女は、僕のそばに居て支えてくれる大切な人になった。電話をかけたとき、まさかこんな展開になるだろうなんて欠片も想像しなかったよ。

 彼女と一緒になると同時に、新しい就職先も決まった。僕が働いていたときの技術を生かせる最高の再就職先さ。いま、僕はきっと人生の絶頂期にいる。さっき、彼女から電話があったんだ。大切な話があるんだって。最近、食欲もなかったようだし、なんだか体の調子も悪そうだった。近々病院に行くっていっていたし、もしかしたらって期待するのも間違いじゃないかも、なんて僕は正直うきうきしている。


 人生なんてこんなものさ。

 悪いほうへも良いほうへも、進んでいた道の小石を踏んだくらいのきっかけで転がっていくんだ。

 なにもそんなに身構えなくたって、じっくりと周りの景色を眺めるほどの余裕を持って歩けばいいだけだよ。

 なんて、僕は最近、つくづくそう思うね。

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