月の影
『ねむごろに語らふ人の、かうて後、おとづれぬに、
今に世にあらじきものとや思ふらむあはれ泣く泣くなほこそは経れ
十月ばかり、月のいみじう明かきを、泣く泣くながめて、
ひまもなき涙にくもる心にも明かしとぞ見ゆる月の影かな 』
(ねんごろに語り合える仲の人に、このような後に、音沙汰がないので、
今はもう私はこの世にいないと思ってらっしゃるのでしょうか
悲しくも泣く泣く私は命長らえて時が経って行きます
十月頃、月のとても明るい輝きを、泣く泣くながめて、
絶える暇もなく流れる涙に曇る私の心ですが
それでも月明かりは明るいものだと思って眺めています )
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私は邸に戻る前、寺にいた時から近頃音沙汰のない小式部の君を心配して、文や歌を送っていた。彼女は都の自分の住んでいた邸の近くの寺にいる筈だったが、そこから彼女の返事が返ってくることはなかった。彼女は不義理な人ではない。もしかしたら私のこれまでの文は届いていないのだろうか? 私が病を繰り返している噂だけは耳にしていて、すでに私がこの世にいないと思っているのではないだろうか?
そう思って邸に戻る時にも
今に世にあらじきものとや思ふらむあはれ泣く泣くなほこそは経れ
(今はもう私はこの世にいないと思ってらっしゃるのでしょうか
悲しくも泣く泣く私は命長らえて時が経って行きます)
の歌を贈ったのだが、返事がない。本当に彼女に私の文は届いていないのかもしれない。
私は自分の邸へと戻ってきた。邸に戻ると何故私が都に戻されたのか理由が知らされた。
兄定義の出家後、兄の妻、中の君、私とそれぞれ邸を離れると、邸には甥達が暮らすようになった。元服した兄にとって四人目の子供の四郎君、そのすぐ下の五郎君、六郎君、七郎君、八郎君の五人だ。
だが翌年に五郎君が元服すると、五郎君は自分の母親からほんの小さな家を譲り受けて、一人で暮らすようになった。五郎君には早くも気に入った姫がいて、通う邸があったらしい。それで兄弟のいる邸は何かと煩わしくなっていたようなのだ。
その上兄の四郎君にも縁談話が打診された。兄は息子が多いから、四郎君も早くほかの後見人が欲しい。そこで邸のことは今度元服をする六郎君に任せると言いだした。
六郎君は喜んだ。だが兄定義はまだ元服したての六郎君に七郎君や八郎君を任せるのは無理だと判断した。しかし自分はすでに出家の身。そこで六郎君の願いを聞き入れて、私を山寺から呼びもどすことにした。私は若君達の保護者がわりに呼びもどされたのだ。
この邸は本来私のものだし、六郎君は私を呼びもどすことを強く望んでいた。それにこの若君達の先々のためには、身分の低い実の母親が寺を出て見守るより、もとは一宮の女房だった私が教育係を兼ねて見守った方がいいと思ったようだ。
実の息子の役にも立てずに、御仏や俊道からの迎えもないので悲しみは募る一方だ。それでもごく若い若君達の役にまだ立てるのは、老いた身にはありがたい事だった。暗闇の中、涙に目を曇らせながらも、明るい月に心慰められる心境だ。
だが、邸はしばらくあまり手入れがされていなかったようで、庭などの木々も枝が伸び放題。雑草などもはびこってしまっていた。
「随分庭も荒れてしまったのね」
私は伸びきった木の枝を見上げながらそう言った。
「四郎君様はあまり庭などの事に関心がございませんでしたので。幼い君達にはかえって少し荒れた庭の方が遊びがいがあったようでございます」
庭などの事を任せてあった下男は、申し訳なさそうにそう言う。
「幼い子は草むらなどが好きなのよね。でもこのままでは荒れ過ぎてしまうわ。程よく枝を払い、雑草は抜き取って砂などを敷いておきなさい」
「かしこまりました」
下男は頭を下げて、他の者に雑草を始末するように手配をする。数人の男達が作業を始めたところで、私はむしり取られる蓬の香りに気がついた。
「待って、その蓬はそのままでいいわ」
私は慌てて作業の手を止めさせる。
「いいんですか? かなりはびこっておりますが」
「いいのよ。その蓬は特別なのだから」
私が俊道を偲んで植えさせた僅かばかりの蓬だが、今では一面に生え渡っていた。それ以上増えても困るので、蓬の周りには美しく砂を敷き詰めさせる。この蓬が完全に庭を覆ってしまう前には、俊道は私を呼んでくれて、阿弥陀仏様がお迎えに来てくれるだろうか?
私は夫が現世から姿を消したとはいえ、私の事を忘れてしまったとは思いたくなかった。この蓬は私が夫を忘れないために残すのではない。夫に私を思い出してもらうために残すのだ。
蓬は朝夕には露を置いて朝焼けや月明かりに輝くようになった。私は毎日それを眺めるのが日課になった。
十月頃になって、私の暮らしも落ち着いてきた。兄定義の名前はまだそれなりに人々に通じるらしく、その息子の四郎君の縁談はつつがなくまとまって婚儀を迎える事が出来た。
五郎君は通っていた姫とはうまくいかなかったらしい。元服間もない時だったから、まだあまりにも若すぎたのだろう。少し気弱になったかと思いきや、兄の婚儀が上手く行ったのを見て負けるものかと思ったらしい。早々と新しい姫君に目をつけたようだ。この君は父親の兄のように数多くの妻を持つようになるかもしれない。ただしそれが出来るだけの出世をすればの話だが。
六郎君はそんな兄達の仕事を手伝うだけで、まだ精いっぱいなようだ。姫君達へのあこがれはあるようだが、今の所は兄達の姫への文使いや、通えない時のいい訳の伝言役などをやらされるので、不満そうにしている。
「叔母様の話す中納言のように、唐にでも行って女人に浜辺で無事を祈って待っていてもらえる身になってみたいですよ」
などと愚痴っていた。だが歳若くともこの子も若い公達。すぐに文を出したくなる姫を見つけ出すことだろう。彼らの若さが私には眩しい。
七郎君も来年には元服する事が決まっている。八郎君は心優しいのはよいのだが、どうしても気の小さいところがある。兄の末の子でもあるので、おそらくこの子は早めに寺に預けられて、僧となるのだろう。
貴族の男子は兄弟の数がある程度いれば、一人は僧になるのが慣わしとなっている。もともとは数の多い兄弟での競争を激しくしないための配慮だったのだろうが、今では貴族は寺との繋がりが無視できなくなっていた。私と旅をした幼いちい君と呼ばれていた継母の子は今は基円と名乗り、わが祖先菅原道真の眠る安楽寺と言う寺で別当(長官)を務めている。別当は寺と貴族をつなぐ重要な役目だ。
八郎君も兄の縁から安楽寺に預けられることになりそうだ。おそらくそこで、基円のようにいずれは別当を目指すのだろう。
兄ほど息子の数が多ければ一人ぐらい僧になっても、他の息子への影響があるとは思えない。だが貴族の慣わしなどこうして形骸化して行くものなので、もとの意味など関係ないのである。こうして菅原家は安楽寺との関係を、深く、濃くしていくのだろう。
落ち着いた私はあらためて小式部の君がいる筈の寺に自分が都に戻った知らせの文と、
ひまもなき涙にくもる心にも明かしとぞ見ゆる月の影かな
(絶える暇もなく流れる涙に曇る私の心ですが
それでも月明かりは明るいものだと思って眺めています)
の歌を贈った。寺にいた時は寺の使用人に文使いを頼むより他になかったが、この邸では自分の良く知った人に頼む事が出来る。今度こそは私がこの世にとどまる悲しみの中で、甥の役に立つことや、小式部の君と再び文を交わせることに、闇の中で明るい月を眺める心境にいることを伝える事が出来る筈だ。
だがそんな歌と文を送っても小式部の君からは音沙汰がない。ひょっとして小式部の君こそ重病にでもかかられたのかと心配していると、
「いえ。そうではなくて、小式部様は他のお寺に移らなければならなくなったようです」
「お寺で何かあったの?」
あの明るい、人当たりの良い人が、寺で人の不興を買うとは思えないのだが。
「いえ、寺の事ではないようです。小式部様の夫だった方の、御親族と色々あったようで」
聞くと使用人たちの口から色々な噂が流れてきた。なんでも彼女の夫の親族たちが、
「あの方は受領の妻になって良い思いをしてきたのに、都に戻っても出仕ばかりに心を砕き、邸でじっとしていなかった。華やかな場にばかり出て、姿を隠そうともせず、人に軽んじられることを気に留めずに出仕を続けていた。そのような人が出家したとはいえ、もとの邸から近い寺で夫の遺産を好きに使うとは、宮仕えをした女らしく、すれからしで強欲。こんな恥じらいの無い人が近くにいては恥ずかしくて仕方がない」
と、彼女の陰口をたたいたと言う。彼女は夫のために華やかな高倉殿を退いて、都に戻った時も、男子禁制で清くお暮しになられている斎宮様のもとに出仕したのに。いまだに女が出仕して世の中に出ることを否定する人がいるのだ。しかも彼女が耐えかねて山寺に身を移すと言うと、待ってましたとばかりに彼女が夫から受けた遺産を、
「山寺の質素な暮らしに、余計な物は不要なはず」
などと屁理屈をつけて奪い取ったと言う。小式部の君は失意のまま山寺に入られたとか。私の贈った文もその山寺に移る時まで手渡されずにいたらしい。
私が慌てて山寺にお見舞いの文を送り直すと、ようやく彼女から返事が来た。
「長くお便りも出来ないまま、より深い山寺に移ってしまいました。私の事は色々噂されたようですので、御心配をおかけしたと思います。こちらに来てから親族やさまざまな『絆し』に迷わされることも無くなり、かえって落ち着いた日々を送っております。日記も私がぜひにと望んでおきながらお便りする事も出来ずに、申しわけありませんでした。もちろん今でも楽しみにしておりますので、書き終えられたら私に読ませて下さいませ。和歌にも物語にも長けていらっしゃるあなたの事です。きっと素晴らしい日記なのでしょう」
私はもう少し日記がまとまったら、必ず御贈りしますと返事をした。使いの人もどうも彼女の夫の親族に使われているようで、なんだかぞんざいな印象なのだ。返事もきちんと伝わるか心もとない。まして彼女に贈る日記など、この者には渡せなかった。場所は分かったのだ。日記はもう一度読み返してから清書して、自分の使用人から直接彼女に届けさせよう。
まったく近頃の世の中は強欲で情け知らずな人が増えたものだ。
人々は雅な心を無くしつつあるのだろうか?
今の世は末法に入ってしまっている。末法直前までは、御仏のお力が及びにくくなって世の中が悪くなるので、少しでも災厄を逃れるために信仰を深めようと人々は努力していた。しかし今やその末法を言い訳にして、人の心が世知辛くなるのも仕方がないと言わんばかりの有様。場合によっては僧侶の方が強欲だとも聞く。世の中の「何か」がとてもゆっくりと壊れ始めている気がした。私のような愚かな女人には、それが「何」なのかまでは分からないが。
なぜ私はこんな辛い世に命長らえているのだろう?
俊道はどうしてまだ私を呼んでくれないのだろうか?
そんな世の中で私は甥達に漢詩や歌を教えたり、物語を聞かせながら、阿弥陀仏様がお迎えになるのをひたすらに待つ日々が続いた。
いつ、どのような状況でかは分かりませんが、何らかの事情があって主人公は幾人かの自分の甥と暮らしたのでしょう。この『甥たち』が、誰の子なのかは分かっていません。考えやすいのは兄の定義の子供達ですが、弟基円の子である可能性もあります。
そもそも話の都合で基円が継母の連れ子と言う事にしましたが、これもはっきりとは分かりません。一般論でも主人公との年齢差などから推測されているだけで、基円は同腹の年の離れた弟と言う可能性もあります。詳しい証拠など何一つないのですから。『甥たち』が夫俊道の兄弟の子である可能性だってあります。
何か新たな発見があって詳しいことが分かるまで、こうした古い古典の世界では、私達現代人の想像力が試されているのかもしれませんね。
《次回で最終回です》