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後世への望み

『さすがに命は憂きにも絶えず長らふめれど、後の世も思ふにかなはずぞあらむかしとぞうしろめたきに、頼むこと一つぞありける。天喜三年十月十三日の夜の夢に、居たる所ののつまの庭に、阿弥陀仏あみだぼとけ立ちたまへり』


(そうはいうものの我が命は辛いながらも絶えることなく長らえてはいるが、後世の望みも思う事は叶うまいと不安があるが、頼りに思う事が一つだけある。天喜三年十月十三日の夜の夢に、自分が住んでいる所の家の軒先の庭に、阿弥陀仏が立っておられた)



  ****


 とはいえ、息子の行く末を見るのが辛い、姫に何もしてやれないのが辛いと嘆いていても、私の命は絶えてしまう事は無かった。だからと言って昔のように物詣でをして、神仏に祈る事が出来るほど身体が回復する訳でもない。ましてや後世の幸せを望んだところで、思うように叶えられるとは到底思えない。御仏の教えでは現世での苦悩より、後世が幸せになれない事こそが、本当の不幸だと言う。それを思うとどうしても不安になってしまう。


 これでは何の役にも立たず、ただ悲しみを長引かせるためだけに命長らえるようなもの。息子の苦労する姿を見続けるだけならば、いっそ命絶えて欲しいと願う一方で、こんな役に立たない老いた母でも、未婚の中の君のためには必要なはずと思うと、安易に御仏や夫に、


「早く迎えに来てほしい」


 と願う訳にも行かなかった。それだけに後世への不安は募るばかりだ。


 だが、私にはたった一つだけ、頼りにできると思っている事があった。それは今から三年前の天喜三年十月十三日の夜に見た夢だ。これは現世ではなく、後世にかかわる重要なお告げであろうと思い、日付を確認して覚えておいている。これほど心に残しておいているのだから、必ずや後世の頼みに出来る筈だ。


 その夢の中で私は自分の住んでいる邸の中にいた。すると庭の方が突然明るくなった。何だろうと思い庭に目を向けてみると、庭の軒先に阿弥陀仏様が立っておられたのだ。



  ****

 

『さだかには見えたまはず、霧ひとへ隔てたれやうにきて見えたまふを、せめて絶え間に見たてまつれば、蓮華れんげの座の、土を上がりたる高さ三四尺、仏の御たけ六尺ばかりにて、金色こんじきに光り輝きたまひて、御手、片つ方をばひろげたるやうに、いま片つ方には印を作りたまひたるを、こと人の目には見つけたてまつらず、われ一人見たてまつるに、さすがにいみじくけおそろしければ、簾のもと近くよりてもえ見たてまつらねば、仏、「さは、このたびは帰りて、後に迎へに来む」とのたまふ声、わが耳一つに聞こえて、人はえ聞きつけずとみるに、うちおどろきたれば、十四日なり。この夢ばかりぞ後の頼みとしける』


(その御姿ははっきりとはお見せにならず、霧を一重隔てられているかのように透けてお見えになっているのを、無理にでも霧の絶える間に見せていただくと、蓮華れんげの台座が土を盛り上げた高さ三、四尺、仏の御背丈は六尺ぐらいで、金色こんじきに光り輝いていて、その御手は、片方が広げられた様子で、もう片方にはいんが結ばれているのを、他の人の目には見せられず、私一人が見せていただいているようで、それだけに何とも恐ろしくて、簾のそば近くに寄ってもよく見せては頂けずにいると、御仏が、


「では、この度は帰って、後に迎えに来よう」


 とおっしゃる声が、私にだけ聞こえて、他の人には聞こえていないようだと見ているうちに、はっと目を覚ますと、十四日になっていた。だからこの夢だけを後世の頼りとしている)



  ****


 阿弥陀仏様の御姿ははっきりと見える訳ではなかった。だが、まぎれも無く寺にいらっしゃる阿弥陀仏様の像の御姿そのままの姿でいらっしゃるのは分かる。ただその御姿はまるで真夏に羽織る薄衣をさらに薄くしたような淡い霧に隔てられていて、さらに仏様ご自身もぼんやりと透けて見えているのだ。しかもその姿はまばゆい光の中にあるので、よけい見えにくかった。


 私はどうしてもその御姿を拝見したくて、強引に霧の絶える間に目を凝らした。すると阿弥陀仏様は蓮華の台座が土を盛り上げたかのような高さ三、四尺ほどの所に立っておられる。お背丈は六尺ぐらい。全身が金色に光り輝いているので、見ていると目がくらみそうになる。それでもよおく見て見ると、その御手は片方の手はまるで私を包み込もうとするかのように優しく広げられている。そしてもう一方の手はありがたい印を結ばれているのだ。


 私の周りにはいつもの女房達がいて、庭にも下男などがいるようなのだが、私以外の誰にもこの御仏の御姿は見えていないらしい。阿弥陀仏様は他の人にはお姿を現さず、もったいなくも私にだけ見せて下さっているらしい。

 あまりにももったいないことで、ありがたいと言うよりむしろ恐ろしくさえ思える。それでも御仏に近づきたい一心で簾の近くにまで寄って行くのだが、仏様は一層神々しく輝かれて御姿をはっきりとは見せて頂けない。


 ああ、阿弥陀仏様。そのように強く輝かれては、そのありがたい御姿を拝見する事が出来ません。


 私が心の中でそう念じると、阿弥陀仏様はまるで私を慈しまれるように、


「まだ、時が早かったのでしょう。それではこの度は帰ります。後にまた、迎えに参りましょう」


 とおっしゃられる。その御声も他の人には聞こえていないようで、私の耳にだけはっきりと聞こえてきたのだ。その不思議さに驚いていると私ははっと目を覚ました。

 大切なお告げの夢なので逐一覚えておこうと内容を書き留めて、その時日付を確認するとその日は十四日だった。私は前夜の十三日に間違いなくこの夢を見たのである。

 だから私はこの夢を後世の何よりも頼りにしている。いつか私が命を終えて俊道のもとに向かう時、きっとこの時の阿弥陀仏様がお迎えに来て下さるだろう。


 そう言えば私は少女の時に父に作って頂いた薬師仏様をとても大切に思っていた。状況の旅の終わりに関寺でお見かけした作りかけの仏様も、とても慕わしく思われた。その作りかけの仏様は夕暮れの中ですべての姿を曝されず、お顔だけを拝顔した。上総の邸を立つ時は薬師仏様が霧の中で見守って下さっていた。薬師仏様は仏様の中でも現世に御利益がある御仏なのだと言う。


 それならばこの阿弥陀仏様は私の後世を見守って下さるのに違いない。この先どんなに辛い、悲しいと思う事があっても、それは残り少ない現世でのみの悲しみ。後世には阿弥陀仏様の御利益が待っているのだろう。そう思うと辛いながらに頼もしい気持ちになれる。私は現世の悲しみは耐えて堪える事が出来るだろう。後世には御仏がついていて下さるのだから。

 きっと俊道と共に人として次の世に生まれ出て、また夫婦として幸せな人生を歩めるに違いない。これからの私にはそれだけが生きがいとなるはずだ。



 そうして二年ほど後、中の君も裳着を迎え、やがて婿君を迎えた。兄はまさしく我が娘のように縁談を探し、婿君を迎え入れ、丁重にもてなしてくれた。中の君の幸せを見て、私は心から安どし、兄に感謝していた。

 これで婿君が安定してくれれば私は肩の荷が降ろせる。少なくとも二人の姫達は幸せな一生を送る事が出来るだろう。私は自分の役目を終えて、後はあの御仏がお迎えに来て下さるのを待つばかりの身となった。


 康平三年、あの源資道みなもとのすけみち様が出家なさったと聞いた。あの方でさえ御出家なされる年齢になっておられたのだ。もう、私がこの世に未練を残す必要など無いはずだ。


 どうか阿弥陀仏様。私をお迎えに来て下さいませ。


 私は息子の苦労を見たくない一心で、そう祈ってばかりいた。私もこの時五十三になっていた。女は男より寿命が短いから、夫が逝った年齢を考えるとそろそろ迎えが来てもおかしくはない。私は中の君の立場が安定したら、髪を下ろそうと思っていた。


 ところが私よりも兄の方が重病にかかってしまった。兄ももう六十に近い年となっている。この年頃で大病をすれば命にかかわる。皆必死で病気平癒を願い、多くの僧に祈祷させ、必死で看病した。

 幸い兄は一命を取りとめた。だが大病の後である。私同様に無理の効かない身体となってしまった。兄はこの先の出仕をあきらめざる得なかった。


 兄は出家することになった。私達と共に暮らした妻も髪を下ろして山寺に入ると言う。その妻の子どもたちも上の二人は元服していた。下の三人の子は、この元服した子らが面倒をみる事となった。兄がいない以上中の君の婿君はこの邸には通いにくいので、中の君と共に他の邸へ移って行った。


 こうなるとこの邸にいるのは甥達と私だけだ。だが邸の人々も甥たちも、この邸は私の兄の邸という気持ちを持つようになっている。なんだか私はずっと居心地が悪くなった。元服を済ませた若い盛りの甥達には、老体の私はうっとおしい存在なのだろう。本人達が口にせずとも彼らの使用人たちの視線が痛くなってきた。そういう人たちは私を重たい厄介な荷物を見るような目で見る。


 もとよりいつでも出家の覚悟はできていた。二人の娘と婿君は、自分達の邸に来るように勧めてくれるが、身内でも老婆が邪魔な事には変わりあるまい。親に考を尽くそうと気を使って言っているだけだろう。そう思うととても甘える気にはなれなかった。

 あの下野しもつけの女の娘からも誘いがあった。甥の使用人たちは彼女をあてにしているようだ。こういう時にこそ、継子を使うべきだろうと。


 だが私はそんな気になれない。あの娘だって懸命に生きていた。身分がら夫婦と言えど今でも夫に相当気を使っているはずだ。そんな所へ私がのうのうと世話になりになどいけない。娘への同情と、自分の自尊心と、娘の母親に対する対抗心。そんな複雑な感情が混ざる中、行ける筈がないのだ。


 私は出家して山寺に入ることにした。使用人には皆、邸に残るようにと言ったが、長く私に仕えた「お気に入りの女房」は、


「お方様が行く所なら、どんな所でもお供します」


 と言って聞かないので、彼女だけを連れて行くことにした。彼女も夫を亡くしていたのであっさりと髪も下ろしてしまった。

 こうして私は彼女と共に山深い寺で暮らす事となった。これ以上現世の辛い所を見ないうちに、御仏に早くお迎えに来てほしいと願いながら。






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