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兄と暮らす

『二十三日、はかなく雲煙になす夜、去年の秋、いみじくしたてかしづかれて、うち添ひて下りしを見やりしを、いと黒ききぬの上にゆゆしげなる物を着て、車の供に泣く泣く歩み出でて行くを見出して、思ひ出づる心地、すべてたとへむかたなきままに、やがて夢路にまどひてぞ思ふに、その人や見にけむかし』


(二十三日、儚く夫を荼毘に付して雲煙として立たせる夜、去年の秋に、息子が立派に正装してかしずかれながら、夫に寄り添って下向して行く姿を見送ったのに、この日はとても真っ黒な衣の上に忌まわしげな素服(喪の服装)を着て、ひつぎを乗せた車の供をするため泣く泣く歩いて出て行く姿を見送り、思い出す気持ちと言ったら、この世のすべてにもたとえる方法など無いようで、そのまま夢路にも迷うように思われるから、亡くなった夫もその姿を見たことであろう)



  ****


 俊道が倒れた時、その知らせの文はすぐに息子の仲俊へと送られた。しかしいくら東国よりは近いと言っても信濃しなのは都から離れている。人の手から手へ急ぎ渡されたとはいえ、その文が信濃に届くには時がかかった。すぐに仲俊は信濃を出たが、旅の途中で父親の死を知らされたという。

 竹芝伝説の男は七日七夜で都から武蔵の国に着いたが、仲俊は多くの馬を次々と乗り継いで急ぎ都を目指しても、父の死に目には会えなかった。まさか信濃での別れが今生の別れになろうとは思いもしなかったであろう。息子も夫も、ともに悔やんでいるに違いない。


 康平元年十月二十三日、俊道の葬儀が行われた。葬儀のほとんどを兄が仕切ってくれた。私は姫達と涙の中で暮らすばかりだったから。

 儚く逝った夫を荼毘に付すための葬列が整い、息子が夫のひつぎに寄り添うのを見て、私は二人が信濃に旅立った時の事を思い出した。

 あの日の息子は晴れがましさに顔を輝かせ、私が仕立てた晴れ着を身にまとい、同じく私が縫った装束を着た夫の後を追いかけて馬に乗っていた。多くの人にかしずかれ、二人とも意気揚々として明るかった。


 だが今夜は実の父が亡くなったと言う事で、喪服の中でも最も濃い黒色の衣を着て、さらに上から素服と呼ばれる人が亡くなった時にだけ着る物を身につけて、歩きながらもずっと涙を流している。私も悲しいがこれから自分を励まし、導いてくれるはずだった父親を失って、この子は今、どれほど悲しんでいることだろう? どれほどこれからの将来に不安を覚えていることだろう?


 もちろん私も不安だ。男は若い時に父親や身内の後見人に後ろ盾となってもらって、さまざまな処世術を身につけながら官位を得て行くのだ。若ければ若いほど本人の資質以上に、後見人の立ち場が物を言う。かの行成様も後見人を若くして亡くされたばかりに大変苦労した。それでももともとのお血筋が良く、才にも恵まれていらっしゃったので出世する事が出来た。

 だが私の父も同じように若くして父親を失い、出世の道が遠のいてしまった。そして生涯を受領どまりに終えてしまったのだ。


 受領の息子でしか無い我が子は、これからはかばかしい後ろ盾のないままに壮絶な官位争いの中を生きなければならない。女親の私にはどうしてやることも出来ない。兄は、


「甥の事なのだから、出来るだけの事はする」


 と言ってくれたが、兄自身にも八人もの男子がいる。身内とはいえ官人としては皆同じ競争の中に立つ立場だ。実子ではない仲俊は明らかに不利になるだろう。息子の不安と夫の無念を思うと、わが身が引き裂かれそうに辛い。


 そんな悲しみと不安の涙を流す息子を見送っていると、私の魂も空を飛んで、夢路の中へと迷い出て、夫がその姿を見ているような気がする。けれど現実には夫に会う事が出来ない。私は夫に言いたかったのに。


 どうして私達を置いて逝ってしまったのか。


 せめて息子の行く末がしっかりするまでは現世にとどまっていて欲しかった。


 そして二人ともにいずれは仏門に入り、ともに後世の幸せを祈り、来世もともに夫婦となれるようにその縁を祈りたかった。


 それらの願いはすべて夢とはかなく消えてしまった。



 俊道がいなくなってしまったので、私と中の君の面倒を兄が見てくれることになった。大君の婿君は俊道を失って後ろ盾となってくれるはずの舅がいなくなったのだから、大君のもとに通うかどうかは婿君次第だった。幸い婿君は、


「俊道殿には本当にこれまで懇意にしていただいていたから」


 と言って大君を見捨てるようなこと無く、大君を毎日慰め、励ましてくれた。それどころか大君を新しく手に入れた邸に迎えてくれた。俊道は婿君を見定める目だけは確かだったようだ。


 私は俊道が受領として残した遺産を、その婿君と兄に出来るだけ与えた。私は父から邸を、母からもほんのわずかだが道具類などを受け継いでいる。もちろんそれもいずれは娘達に譲るつもりだが。そして自分が出仕していた時の蓄えも残してある。夫の遺産に私が手をつける必要はない。老いた私はこれからは出来るだけつつましく暮らすべきであろう。


 私は大君が使っていた部屋に引っ込むことにした。邸のほとんどを兄の身分の低い妻に使ってもらう事にして、私達母娘は兄の妻や五人の子と暮らし始めた。兄はこの妻のもとに一番多く通っているので、事実上この邸が兄の本宅となった。子供達に囲まれたにぎやかな暮らしだ。そして兄とこの妻は中の君をとても可愛がってくれた。兄は、


「姫を育てるのに憧れていたから嬉しくて」


 と言って、自分の娘同様に中の君の世話を焼いてくれる。息子の事も見ていてくれてはいるが、先々の官位となると難しいだろう。母親の自分の目で見ても息子は学者などには向きそうもない。俊道の血を強く継いで、学問には向かないように思えた。せめて父親と同じ受領の地位まで上れるようになればいいがと願うしかない。


 この妻の子どもたちも和泉で会った時よりだいぶ成長していた。一番上の子は兄にとっては四番目の子だが、そろそろ元服も近いのではないだろうか? 

 すぐ下の五番目の子はやんちゃ盛りで、いつも乳母に叱られている。その下の六番目の子はとても人懐っこい子で、私にもすぐに慣れ親しんだ。何でも聞きたい年頃らしく、いつも私を質問攻めにする。だが答えが返ってくると実に嬉しそうな顔をするので、この邸の子の中ではこの子が一番人々にも好かれていた。


「叔母様は物語に詳しいんでしょう? 何か聞かせてよ」


 この子はよくそう言って私に物語をせがんだ。その下のまだ幼い二人の弟は、いつもこの子にくっついている。


「男の子なのに物語が好きなの?」


「うーん。好きなのと、そうじゃないのがあるけど、叔母様の話は面白いって父上が言ってたから」


 好奇心の旺盛なこの若君は、何にでも興味を持つようだ。私はこの子に合わせて『なよたけのかぐや姫』の、求婚者達の冒険部分を話して聞かせた。やはりこの子は気に入って、そういう話をもっと聞きたがった。そこで私は自分の想像した物語を話して聞かせる。



 ある人がね、尊敬する父上に亡くなられて、母上は自分の嫌いな人と再婚してしまって、その人はとても辛い思いをするの。だから義理の父が自分の娘の大君と結婚させようとしてもずっと断っていたの。大君の事は嫌いじゃないけれど、義理の父の言う事を聞きたくなかったんでしょうね。でも、その義理の父に負けまいと懸命に努力して、その人は中納言になられたの。


 中納言はある夜夢を見て、尊敬する父上が唐の国の太子に生まれ変わっているとお告げを受けたの。中納言はどうしても父上に会いたくて、遣唐使になって舟に乗れるよう努力したの。御身分が高いから沢山反対されたけど、帝に懸命にお願いして、ようやく認められたの。


 けれど、実は中納言がずっと断り続けていた大君は、父親の事など関係なく中納言の事を慕われていたのよ。遣唐使として旅立たれたらもしかしたら二度と会えないかもしれないと思うと、大君は耐えられなくなって帝の皇子様との結婚が決まっていたのに、中納言と一夜を過ごされたの。でもこの方と中納言様は深い御縁があったのね。中納言が旅立った後に子供を宿したことに気がつくの。それで大君は出家して、一人で中納言の子を産むの。


 遣唐使の船はかぐや姫に求婚した皇子や大納言のような大変な船旅をして、唐の都にたどり着いたの。そしてようやく中納言はまだ幼い自分の父上の生まれ変わりの少年に出会うの。沢山の唐造りの建物や、都の名所を案内してもらって、目にも目映まばゆい思いをするのよ。そしてとても美しい唐の国の御后と出会うの……



 こんなことを話していると、自分の姪達が私の話に耳を傾けていた頃や、姫達が幼かった頃の事を思い出す。その頃からこの話を聞いていた私の乳母めのとだった人の娘の女房も、懐かしそうに聞いている。幼い女童めのわらわだった彼女も、今は娘も手を離れ、大きな孫までいると言う。あれから長い年月が流れているのである。それなのに私は今でもこんな「よしなしごと」を思い浮かべてしまうのだ。



  ****


『昔より、よしなき物語、歌のことをのみ心にしめで、夜昼思ひて行ひをせましかば、いとかかる夢の世をば見ずもやあらまし。初瀬にて前のたび、「稲荷いなりより賜ふしるしの杉よ」とて投げ出でられしを、出でしままに、稲荷にまうでたらましかば、かからずやあらまし。年ごろ「天照御神あまてらすおほんかみを念じたてまつれ」と見ゆる夢は、人の御乳母めのとにして、内裏うちわたりにあり、みかど、きさきの御かげにかくるべきさまをのみ、夢解ゆめとききも合せしかども、そのことは一つかなはでやみぬ。ただ悲しげなりと見し鏡の影のみたがはぬ、あはれに心憂し。かうのみ心に物のかなふ方なうてやみぬる人なれば、功徳くどくも作らずなどしてただよふ』


(昔から、取りとめのない物語や、歌の事ばかりに心を占めずに、夜昼真剣に仏の行を行っていれば、こんな大変な思いをする夢のようなことをこの世で見ることはなかったのに。初瀬詣での最初の旅で、「稲荷から賜わった霊験ある杉ですよ」と投げ出された夢を見た時に、寺を出たそのままに、稲荷に詣でていたならば、こういう目に遭わなかったのだろう。長年にわたって「天照御神あまてらすおおみかみをお念じなさい」と見ていた夢は、自分が高貴な人の乳母めのとになって、内裏に出仕して、帝やその御后様の庇護を受けられるようになるのかと夢解きをしたのだけれど、それは一つも叶わずに終わった。ただ悲しげだと見えたと言う鏡の姿だけが違わなかった。つくづく心悲しいことだ。こんな心持で物の願いの叶わぬまま終わる人間なので、功徳を作ることもないままに心漂うように暮らしてしまう)



  ****


 思えば私は本当に昔から、こんなとりとめのない物語や歌の事ばかりを考えて生きてきた。世間並みの人が勤行や写経に励むような年齢になっても、「花紅葉の心」ばかりに気を取られ、信仰にちっとも身が入っていなかった。

 俊道が寛大だったからあちこち物詣でだけはなんとかしていたけれど、それでさえ「稲荷いなりより賜わった霊験ある杉ですよ」と言って誰かが投げようとした夢を見た時さえ、お参りできずに終わってしまった。盗人の家に泊まって疲れたからなどと言わずに、お参りに行けばよかったのかもしれない。


 あるいは、天照大御神あまてらすおおみかみと言う神様を、もっと真剣に御祈念すればよかったのかも。そういう夢はいずれ自分がとても身分の高い方にお仕えする、素晴らしい身の上になる事かと思っていたのに。それこそ乳母のような素晴らしい御役目を仰せつかって、帝や御后様の庇護のもとで、晴れがましい人生を送れるのかと夢解きなどしていたけれど、そんな儚い夢は一つも叶う事はなかった。


 たった一つ当たっていたのは、母が初瀬に鏡を奉納した時に見えたと言う、私が悲しみに臥し惑って泣いていると言う姿だけだった。美しい庭と多くの女房が御簾の中にいる夢は、高倉殿と言う晴れがましい所に仕える事が出来たことを表すのだろうけれど、それは季節の折々に客のように扱われる程度の、出仕したと言うのもおこがましいような程度の事。何かを成しきって人様に褒められるようなことなど、何一つ出来なかった。


 そう考えると私はつくづく悲しくなった。私は息子に幸せを与えられない。宮仕えでも何一つ成してはいない。姫の事は俊道や兄に頼りっきりだ。信仰もかたちばかりで真剣さが足りないように思う。我が人生はすべて中途半端にこのまま終わるのだろうか。


 いや。まだ終わってはいけない。中の君に婿君を迎えるまでは私は死ねない。

 そのために私は夫亡き後も、尼にもならずに俗世にとどまっているのだ。だがこうして俗世の『ほだし』に囚われているのだから、来世のための功徳など作ることはできないだろう。






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