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大嵐

 兄の和泉いずみでの生活は順調らしい。ごく若い時から父や「こけら」について、国守としての仕事を見てきただけの事はある。兄は国司としての仕事はかなり出来る方らしく、役人たちも私が宮付きの女房であることも配慮してくれて、かなり待遇良く扱ってくれる。

 兄は役人からだけでなく、地元の人間にもかなり信頼されているらしい。仕事に長けた兄は和泉に入ると国の状況を把握して回った。


 するとこの国には五位以下の役人が多くやって来ていて、彼らの伴って来た従者たちが自分達の好きなように私腹を肥やしていたそうだ。貴族は五位と六位では雲泥の差がある。正直、六位以下の者はどんな狼藉をしたと聞いても不思議ではないような気持になる。そういう粗野な人物が実際多いのだから。

 そういう者達は益を上げる努力などまるでせず、平民から田畑を奪っては自らの私領として収穫を吸い上げていた。これではいずれ農民達が逃げ出して、国そのものが疲弊してしまう。


 かつて左大臣以下の方に物が言えると言う、都の風俗などを取りしまる弾正台だんしょうだい少弼しょうひつを務めた兄である。こういう事を見過ごしておける性格ではない。兄は学者気質でもあるので、このように理想からかけ離れた悪事に目を瞑ることはなかった。兄は和泉のこの状況を太政官へ奏上した。

 おかげで兄は民衆からも慕われ、国守としてはかなり上手くやっているようなのだ。おかげで私は兄の妹として下にも置かない扱いを受けた。


「さすがは兄上ね。でも、そんな風に他の方を告発するようなことをして、出世にかかわったりしないの?」


 内心は我が兄ながらよくやっていると感心しながらも、心配する心もあってそんな事を聞いてみる。


「なあに。皆、要領が悪いのだよ。あまりに欲が過ぎるのだ。それも地位や名誉にかかわる欲ではなく、一時の物欲が強すぎるのだ。何事もほどほどに要領よく豊かでいられれば、貴族の暮らしなどそれなりにやって行けるはずなのだ。それに私は必ず博士になる。それだけの自信も、身分高い方々への信頼も持っている。他の者が地方に目を向けずにいる方がおかしかったのだと、皆に気付かせてやろう」


 兄は自信ありげに笑う。実際それだけの事をしているのだろう。兄はただの学者肌ではない。若い時から地方を知りつくしている。そして理想を目指す一方でそれなりの処世術も持っているのだ。この辺が父や俊道とは違う。「こけら」が兄なら必ず、いずれ目を出すと言っていたのが今になって分かった気がする。


 兄が任地に伴ったのは、もっとも身分の低い妻だった。その妻が兄と一番相性が良いらしく、あれからさらに子が増えて、その妻との子は五人になっている。一番幼い子は兄にとって八人めの子で、つい最近この任地で生まれたと言う。だがその子もやはり男子であった。妻は私に恐縮しながらも丁寧に挨拶をした。おっとりとした控えめな女人で、いつも子供達の世話に追われている。


「また姫を産めずに申し訳ありません」


 と後ろめたそうにしてはいるが、兄と家族水入らずになるとその団欒はとても幸せそうだ。兄もこれまで見せた事がないほどくつろいだ表情をしている。おそらく兄はこれ以上は子も妻も増やすまい。そう思えるほど家族は仲睦まじい様子だった。


 兄はその妻の家族のほかに、実方殿の娘の子、在良を伴っていた。見るからに賢そうな子で、家族の中で唯一の継子であるにもかかわらず、実に愛想よく、周りに気配りが出来る子である。家族の輪の中にもうまくなじんでいる様子だ。兄はこの子に一番期待しているようだ。兄は実方殿の娘にも、同情心以上に優れた子の母として重んじているらしい。


 実方殿は軽率で感情的になったことで自ら自滅されたが、娘は苦労したことで人柄が練れていた。兄にとってもよく出来た妻なのだそうだ。その母に育てられた在良は、実方殿譲りの才覚と、兄の気真面目さと、母親の聡明さを受け継いでいるのだろう。他の子より抜きん出て優れているようだ。 


 これでは藤原相任殿の娘や、藤原在良殿の娘は立つ瀬がないのではないかと思うが、兄は妻との愛情生活と子供の資質を見抜く目とは全く別に考えているらしい。特に本来なら嫡男であるはずの相任殿の娘の子、是綱には一通りの扱いはするものの、この在良が是綱より優れている事は明らかだった。きっとこれからも兄は在良に肩入れして行くのだろう。


 それが貴族として良い血筋を残す、最良の道なのだろう。妻子の立場からすると随分残酷ではあるが、兄も貴族の男である以上それは割り切れるものらしい。こうして普通の貴族の男の感覚を見せつけられると、俊道がいかに思いやり深い性質を持っているのかが分かる。恐らく死んだ女にも夫との幸せな一時があったのだろう。それは私には辛いことであったが、それこそが私に俊道への信頼を生んでいる部分でもあるのだ。やはり私は幸せ者だと思わなくてはならない。


 幸いこれだけ子供がいると、私の子供たちも退屈はしない。皆、仲良く楽しそうに過ごしてくれた。おかげで私もゆっくりすることが出来て、和泉では穏やかな日々を暮らす事が出来た。



  ****


『冬になりて上るに、大津といふ浦に舟に乗りたるに、その夜、雨風、岩も動くばかりふぶきて、かみさへ鳴りてとどろくに、なみの立ちくる音なひ、風の吹きまどひたるさま、おそろしげなること、命かぎりつと思ひまどはる。丘の上に舟を引き上げて、夜を明かす。雨はやみたれど、風なほ吹きて、舟出さず。ゆくへもなき丘の上に、五六日と過ぐす』


(冬になって上京しようとして大津という浦から舟に乗ったのだが、その夜、雨と風が岩をも動くのではないかというほど激しく吹き荒れて、かみなりまでもがとどろき鳴って、波の立ち上がる音や風の吹き荒れるその様子、恐ろしい事と言ったら、命もこれまでかと思い動揺せずにいられないほどだった。丘の言うに舟を引き上げて夜を明かした。雨は止んだが風はまだ吹いていて舟を出せない。どうすることもできないまま丘の上で、五、六日の日を過ごした)



  ****


 俊道から娘の婚儀が無事に終わり、相手の男君の邸に移ったと知らせが来たのは、秋が過ぎてすでに冬に入ってからの事だった。私達は兄に見送られて大津という所で船に乗った。

 ところがその夜に降り出した雨が、ひどい風を伴って私達の乗った船に襲いかかってきた。その荒れようと言ったら想像を絶するものだった。激しい雨風は舟を木の葉のようにもてあそび、その強さは周りにある岩でさえも動かすのではないかと思えるほど。ついには雷までもが鳴りだして、その恐ろしい音を空に響き渡らせていた。


 あんなにも穏やかで美しかった海は、その姿を思い出せなくなるほど激しい表情を見せた。大きく波立つ時の音などこの世の物とも思えない。風の音も、それが風だと理解できないほど恐ろしい。今にも船が風と波によって砕かれてしまいそうだ。あまりの恐怖に私達親子の命はここで終える運命にあったのかと絶望的な思いに駆られてしまった。


 こんなことなら俊道と、もっときちんと仲直りしておけばよかった。彼の愛情を疑ったまま私は旅立ったと彼は思っていることだろう。ここでわが命が露と消えたなら、俊道の優しさと愛情に私は心からの信頼を寄せていた事を、どうやって伝えたらよいのだろう?


 私はこの世のすべての神仏に祈った。ああ、どうかせめて、この幼い人たちの命だけは助けて下さい。そしてこの子達から私が俊道に心からの愛情を持っていた事を、伝えられるようにして下さい。

 愚かな私が何らかの仏罰によって、ここで命終えることは仕方がないのかもしれません。でも、この子たちはまだあまりにも若すぎます。この幼い命を母として守れず、夫に自分の愛を見届けてもらえぬまま命果てる事が、私には辛くてならないのです。


 どうか我が子だけは、この嵐と荒波からお助け下さいまし……!


 私はとにかく一心に、そのことだけを祈り続けていた。これほど神仏に心から祈ったことなど無いほどだった。


「せめて安全な石津の浦までは辿り着きたいと思いましたが、このままでは舟が持ちそうもありません! あそこに僅かに丘となっている所が見えます。なんとかあの丘に舟を引き上げましょう!」


 船頭がそう叫んで、男達が懸命に舟をその丘に向けて漕いで行く。頼りない丘ではあるが、こういう時は舟人に従うのが一番いいと、私はそれまでの旅の経験から知っていた。安全を求めて浦に向かっても、途中で船が砕けては意味がないのだ。私はすべてを船頭に任せた。丘に近づくと船頭は男達に言って、舟を丘に引き揚げさせた。ひどい強風なので、懸命に引き上げた舟を周りの岩や木々に綱で括りつける。それで縄が足りるのか、この丘はそれほど安全なのかは誰にもわからない。それでもこういう選択をした以上、この丘で嵐をやり過ごすことに賭けるしかないのだ。


 私はこんな時だと言うのに、少女の頃の旅を思い出した。あの、私が「いかだ」と名付けた場所で、いおを立て、一夜の嵐をやり過ごした時の事だ。

 あの夜も大人達は懸命に嵐から私達を守ってくれた。そして疲れ果てて寝ている中で、興奮した私は姉とおしゃべりをしていた。激しい雨に不安を感じながらも、庵が船のように浮かんで、私達をどこか知らない世界に連れて行くかもしれないと呑気な想像をしていた。


 もちろんあの時と今では嵐の強さも、周りの状況もまるで違う。それでもなんだか私は、子供達は必ず無事に都に戻れるような気がした。私達に何があろうとも、この子たちだけは助かるに違いない。夢と、希望と、未来への憧れをもって、生き延びてくれるような気がした。

 子供達は脅えている。しかしこの子たちがいる限り、この丘に水が押し寄せることはない。この船をどんな風も砕くことはできないわ。

 私は子らを抱きしめながら、そう確信を持って一夜を明かした。


 なんとか船は一夜の激しい嵐をやり過ごした。翌日には雨は上がっていた。しかし吹き返しの風は依然激しく、ごうごうと音を鳴らしては頼りない綱で括りつけられている舟をおおいに揺らした。


「あの嵐を耐えられた丘です。ここは考えていたより安全そうだ。迂闊うかつに動かず、ここで風が止むのを待ちましょう」


 船頭のこの言葉に従って、私達はその場で役人達が助けに来るまで五、六日の日を過ごした。





主人公の兄、定義は永承四年に和泉守に任じられています。主人公が和泉へ旅したのがいつごろなのかは分かりませんが、おそらく兄の任地を訪れるための旅だったのだろうと推測できます。その和泉国司から永承五年七月二十二日付けで、太政官符が奏上されています。国内に五位以下の官人が多く入って来ていて、伴って来た従者の類が悪事を行い、平民の田畑を奪っては、自らの私領にしているという内容です。


当時は五位と六位では身分に大きな開きがありました。私達が「平安貴族」と聞いて思い浮かべる雅な世界は、最低でも六位以上の人々の事。六位以下の人々には貴族らしからぬ、傲慢で粗暴な人々が多かったようです。当時の従者は良くも悪くも主人の鏡のような者で、主人と同じ思想と価値観を持っていました。同じ位の従者同士なら、主人の位と立ち場が物を言ったのです。そんな感覚ですから地方で気が大きくなって、平民を軽んじる主人に従う従者は、平民を同じ人種の人とは見ずに、粗暴のかぎりをつくしたのでしょう。


理想家の定義はこれが許せなかったようです。彼なりの地方行政への思いがあったのでしょう。時期的にもこれを奏上したのは定義なのだと思います。


その定義の多くの子の中から博士にまで上り詰めたのは、実方の娘との間に生まれた子、在良です。普通に考えれば最初の男子である是綱が定義の嫡男であるのでしょうが、是綱はそれほど頭角をあらわせなかったようです。おそらく定義も最も優れた息子、在良の後ろ盾となったのでしょう。是綱はこれと言った業績を残していませんが、在良は文章博士まで上り詰めています。こうして菅原家は学者の家系として維持されていきました。


主人公が帰京のために出発した大津浦は現在の大阪府大津市です。当時ここは大津川の河口に当たり、大きな入江になっていたそうです。



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