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和泉へ

『さるべきやうありて、秋ごろ和泉いずみくだるに、よどといふよりして、道のほどのをかしうあはれなること、言ひつくすべうもあらず。高浜といふ所にとどまりなる夜、いと暗きに、夜いたう更けて、舟のかぢの音聞こゆ。問ふなれば、遊女あそびの来るなりけり。人々興じて、舟にさし着けさせたり。遠き火の光に、単衣ひとへの袖長やかに、あふぎさし隠して、歌うたひたる、いとあはれに見ゆ』


(そう言う事になって秋頃 和泉いずみの国に下った時に、よどというあたりから、旅路の素晴らしく情緒深い様子は言葉では言い尽くしようもなかった。高浜という所に泊った夜にとても暗い中、夜もすっかり更けてから舟のかじの音が聞こえて来る。人が尋ねる様子から遊女が来たらしい。人々は興を催して遊女の船をさし着けさせている。遠くに灯す火の光に遊女の単衣ひとえの袖が長く垂れる姿が映え、扇を開いて顔を隠しながら歌を歌う様子は、実に趣深く見える)



  ****


 そんな訳で秋頃に私は和泉いずみへの旅に出た。兄には「そちらに長く滞在させて欲しい。詳しくはそちらで話す」とだけ返事を送った。向こうはそれほど深刻な事態なのかと気を揉むかもしれないが、いつも私の邸に来ては娘が生まれないことなどを愚痴っていたのだから、このくらいはお返しである。次々と妻を娶る兄も、少しは女心について考えた方がいい。


 和泉への旅はなかなかあわれ深く、風情あふれる旅であった。よどと呼ばれるあたりからは山の姿や、淀川の流れる様子など、美しく穏やかな景色が広がる。その淀の近くに高浜という所があり、そこにまずは泊る事となった。夜になり、子供達を仮屋に寝かしつけ、すっかり夜も更けてとても暗くなった頃、どこからか舟が舵を取って漕いでくる音が聞こえる。こんな夜中に何かと思っていると、従者たちが、


「おおっ。淀の綺麗どころだ。淀の遊女の舟が来たぞ!」


 とさざめいている。男達が一斉にそわそわし始めた。


 なるほど、これが有名な淀の遊女たちか。彼女達は楽の音などを聞かせると言うよりは、男達に身を売るために自分に興味を持たせようと、さまざまな芸を見せる女たちである。皆簡素だが美しい単衣ひとえをまとい、顔は扇で隠しながらも時折美しく整えた眉を見せたり、ちらりと目もとを覗かせてはつやのある流し目などを男達に送って見せる。


 その袖は大変長く垂らされており、それを誘うように、ゆうらり、ゆらりと色っぽく振って見せる。それが遠くに灯されたあかりに映し出される様子も、何とも妖艶に見えるのだ。川のせせらぎの合間を縫うように、女達の鈴を鳴らすような笑い声がかすかに聞こえて来る。男達の熱い視線が遊女の船にそそがれ、皆がうずうずしているのが分かる。


「あの、あちらの船を岸に着けさせてもかまいませんでしょうか? 我々には旅先のささやかな楽しみなのですが」


 近くの従者が私の顔色をうかがいながら尋ねる。


「まあ、良いでしょう。せっかくの旅ですし。子供達のいる仮屋から少し離れた岸に着けさせなさい」


 私はそう言って許した。ある程度の身分ある男は、自分の裁量で持って幾人でも妻を持つ事が出来るが、そうでない男達は一人の女を養うのも簡単ではない。ようやく一緒になった妻に、甲斐性の無さから逃げられる事だってままあるらしい。いつまでもなかなか妻も持てず、このような旅に出た時の遊女との一時を、何よりの楽しみにしている者もいるのだ。


 私は遊女を見ると、どうしても少女の頃に出会った足柄山の美しい歌を歌った女性を思い出す。彼女ほどの歌声はそう聞けるものではないだろうが、私は遊女たちに、


「この中で歌を歌える人がいたら、聞かせていただきたいわ」


 と、声をかけた。すると一人の女性が扇を片手に船を降りると、私に頭を下げて見せる。


「私は一応、歌を得意としておりますので」


 そう言って扇で顔を隠すと、良い声で歌い始めた。


 このような人達なので、あまり歌声に期待をしていなかったのだが、彼女の歌はなかなか聞きごたえのあるものだった。かの足柄山の遊女の歌は、朗々として聞く者の心を澄み渡らせるような、心揺さぶるものだったが、この遊女の歌声は、低く、僅かにかすれがかっているにもかかわらず、声に伸びがあって優しげで、抑揚の効いた色香漂う歌声だった。これはこれで旅の空の下では、なんだか心落ち着けるものがあった。


 私はその人に禄として上質のきぬを与えた。その人は受取った衣を肩にかけ、頭を下げて作法どうりの礼をした。そしてそのまま話相手をさせていると、従者たちは自分の気に入った遊女たちの肩に禄として、それぞれ衣や生地をかけて、暗闇の中、いずこともなく散り散りにその場を離れて行った。



  ****


『またの日、山の端に日のかかるほど、住吉すみよしの浦を過ぐ。空も一つにりわたれる、松のこずゑも、海の面も、浪の寄せ来るなぎさのほども、絵にかきても及ぶべき方なうおもしろし。


  いかに言ひ何にたとへて語らまし秋の夕べの住吉の浦


 と見つつ、綱手つなでひき過ぐるほど、返り見のみせられて、あかずおぼゆ』


(次の日、山の西の端に日が沈むころに住吉すみよしの浦を過ぎて行く。空も周りの景色も一つとなるほど霧が立ち込め、松のこずえも海面も波が打ち寄せ来る渚の様子も、どんな筆上手が絵に描いても及ぶ事は無いだろうと思うほどに風情がある。


  何と言って何にたとえて語ればよいのだろう

  この美しい秋の夕べの住吉の浦を


 と眺めながら舟を漕いで過ぎて行くと、振り返ってでも見返したくなるほどその風景は飽きる事がない)



  ****


 翌日の住吉の浦も美しかった。歌枕で有名なこの浦だが、通り過ぎる頃にはすでに日が西に傾いて、夕日が山に沈もうとする頃であった。日暮れと共に浦には一面に霧が立ち込めて、やがて山も海も空も、薄く霧に覆われてしまった。すべての物がぼんやりとかすむ夕暮れの中に浮かんでいる。松のこずえ、穏やかな朱に染まった海面、波が打ち寄せる渚の幻想的で、美しい景色。達筆で知られる絵の得意な者がどんなに詳細に書き表そうとも、とても及ぶものではないと思えるほどに素晴らしかった。私は


  いかに言ひ何にたとへて語らまし秋の夕べの住吉の浦

 (何と言って何にたとえて語ればよいのだろう

  この美しい秋の夕べの住吉の浦を)


 と歌を詠みながら、その風景をうっとりと見つめていた。その間にも旅ゆく船はその場を通り過ぎて行くのだが、名残惜しさに再び振り返って見返していても、その景色の素晴らしさは飽きる事がなかった。



 そうして私は和泉の兄のもとに身を寄せた。兄はやはり私と俊道の事を心配していて、


「どうなのだ? ひょっとして別れるつもりで出てきたのか?」


 と、私に聞いてきた。そして、


「いいか。お前には三人の子がいるのだ。それもお前だけの子じゃない。俊道殿の子でもある。特に二人の姫は、お前が軽率な結論を出せば父親と疎遠になる恐れもあるんだぞ。ここでよく落ち着いて考えるんだ」


 と、今にも私が離婚しそうなことを言う。そうとう気を揉んでいたらしい。


「違うのよ兄上。私がこちらに来たのはね……」


 まくしたてる兄を遮って、ようやく私は説明する。俊道が先に私に事情を伝えてくれた事、上京した女が死んでしまった事、その娘の親代わりが出来るような男君との縁談を探さねばならない事、その間心落ち着けていられるように、子供達を連れて和泉に下ってきた事。


「では、ひとまず俊道殿と話は着けて来たのだな?」


「ええ、私が都にいてもどんな噂を立てられないとも分からないでしょう? 俊道もそうした方がいいだろうって」


 兄はホッとした表情で「そうか、良かった」という。そして、


「お前は変に頑固で融通の効かないところがあるからな。勢いで早まった真似をしなくて良かった。どう考えてもお前達は相性がいいのだから」


 という。


「どうかしらね? 相性が良ければ他に妻を持たないでしょうに」


 さすがに私は今度の件で、自分達の夫婦仲が特別に良いとは思えなくなっていた。


「男はいろんな事情で妻を持つさ。相性だけの問題じゃない。私など四人も妻がいる」


「兄上は気軽に妻を増やし過ぎよ」


「気軽な訳ではないさ。ちゃんと責任は感じている。男は目の前にいる女をその都度全力で愛するのさ」


「都合がいいのね。……女は絆を結んだ男を長く愛して尽くすのよ」


 言い返された兄は苦笑いしながら、


「まったくお前は頑固で屁理屈が上手い。こういう女と相性がいい俊道殿は特別だと思うぞ。何よりあの人は人が良いし。その死んだ女の娘だって、本当に俊道殿の子かどうか」


「え?」兄の意外な言葉に私は驚く。


「いや。あの俊道殿の性格では、自分の子でなくても妊婦を妻にして命を助けるくらいの事はしたんじゃないかと思えてな。俊道殿はお前と気が合うだけあって、どこか父上と似た所があるんだよなあ」


 確かに父上は連れ子を連れた継母を妻に迎え入れた。しかもその継母に私達の教育まで任せたのだ。もちろん継母はそれが出来るだけの豊かな感性と愛情の持ち主だったからこそなのだが、父が相応に人が良くなければ、そんな事はしなかっただろう。

 そう言えば俊道は、女の娘は自分に似ていないと言っていた。俊道なら自分の子でなくても我が子として愛情を傾け、我が娘として結婚相手を探すくらいいとわないだろう。


「俊道なら、あり得るわ」


 わたしがそう、ぽつりと言うと、兄は、


「お前は愛されているよ。結婚が遅かったせいか、お前は何かと自分を卑下する悪い癖があるが、もっと自分に自信を持っていい。間違いなくお前は俊道殿に誰よりも愛されている。そう言う相手とはめったに出会えるものじゃないんだ。お前は御仏から素晴らしい御縁をいただいているんだよ」


 と、真面目な顔で言った。私もそう思う。もう、俊道の優しさを偽りだとは少しも思わなかった。彼が下野しもつけの女に惹かれていた事は確かだが、その心の内には深い同情心があったのだろう。そして私にはそう言う影を持つことなく、まっさらな心で愛情を示してくれているのだ。


「俊道が私に和泉行きを促したのは、私への態度から娘が俊道の子ではないことを疑われないようにするためでもあったのかもしれないわ」


 私がそう言うと兄も、


「そうかもしれないな」


 と同意していた。やはり私は俊道と結婚して良かった。人が良いほどに優しい彼の心は、私にとって「光君」や「薫君」に劣ることなく、深いものなのだから。




淀の渡し場は当時、和泉や摂津、瀬戸内海方面に船で渡る出発点となっていました。現在は京都市伏見区淀町付近とされています。そしてその近くにある高浜とは現在の大阪府三島郡島本町高浜になります。ここで主人公の一行は遊女に興じていますが、この辺りの遊女はとても有名だったようです。『源氏物語』でも源氏が住吉詣での帰りに難波の入り江にて、遊女たちが寄ってくるのをうっとうしがる一方で、若い公達達が心騒がせている場面が出てきます。


その住吉は住吉神社があるだけではなく、その浦の景観も含めて有名な歌枕の地であり、名所絵でも貴族達になじみの場所でした。ここで絵にも書ききれないほど素晴らしいと言うのは、そう言う絵を普段から見慣れている事があったのでしょう。浦を振り返る所に出て来る綱手とは綱手縄の事で、本来は浅瀬で船を引く動作の事を指すのですが、転じて舟を漕ぐ事の雅やかな表現方法となりました。ここでは優雅な船旅の表現となっています。


後半の俊道の娘に関するくだりは、もちろん私の創作です。


ただ、多くの妻を持った当時の事ですから、妻子の形やありようもさまざまだっただろうと思うのです。妻や娘は記録に名前すら残されませんし、身分ある娘でも誰それの娘としか書かれることはありません。いろいろな事情を抱えた妻子も多かっただろうと思います。



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