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高倉殿

【注意】更級作者と同時期に裕子内親王に仕えた「一ノ宮小弁」には「小式部」と言う女房仲間がいたことは歌のやり取りから確かです。でも「小式部」がどのような人だったのかは他に記録がないため一切分かりません。ですからここでの「小式部」の結婚、下向は、話の都合上の私の創作です。ちなみに歌人として有名な「小式部内侍」とは別人です。「小式部内侍」はもっと前の時代の人ですから。

 私が高倉殿への出仕に戻ると小弁の君は、


「ほうら。やっぱりあなたはここに戻ってきたでしょう?」


 と、得意げに言った。私は、


「まあ、子供たちの先々の事もあるから」


 と言い訳をしたが、小弁の君は、


「そればかりではないでしょう? 私は娘のことを思って宮仕えしている部分もあるけれど、そればかりが理由ではないわ。あの子はきっともう一人でもやって行ける。でも私にはここでの生活が必要なの。あなたに家庭が必要であるように、私にはここでの刺激が必要なのね。あなたは私の逆で、時には家庭から離れて刺激を受ける必要があるんだわ」


 と自信たっぷりに言い切った。だが、不思議とそれに納得してしまう。


「そうかもしれないわ。あなた、どうして私の心が分かるのかしら?」


「私も歌を詠んだり、空想したりするから。そう言う事を心から楽しむには、刺激とやすらぎが必要だわ。あなたがここを去って、若い人たちと肩を並べて気付いたの。その中でも私は競い合う刺激を求める人間なんだって」


 この人はそうなのだろう。でなければこうも長く宮仕えを続けることは無いのだろうから。


「けれど私にもやすらぎが必要な時がある。娘の紀伊の君と水入らずで話しあったり、一人寺を詣でて自分を見つめ直したり。どちらが欠けても私の心は潤わなかった。だからきっとあなたもそうなんじゃないかと思ったの」


 同世代の共感もあるのだろうか? この人は私の心の動きをよく分かっているようだ。


「そうね。そうなのかもしれない。俊道との暮らしに不満はないのよ。幸せにしてもらっている。でも、高倉殿からお召しの声がかかった時、やっぱり私、嬉しかった。光栄と言うだけではなく、多くの種類の『花紅葉の世界』を持つ人々との触れ合いと言うか、認めあいと言うか、そう言うものをまた味わえそうだと思うと、思わず心がときめいたの」


「分かるわ。私も宮仕えしていることに不満は無いの。年かさが増してしまったから若い人との衝突も増えて辛いこともあるけれど、それでも人と競い合えるのは刺激的で楽しいわ。でもあなたや小式部の君のようにより深くお互いの歌を分かりあえる人がいないと物足りないのよ。あなたは俊道殿がいればいいのかもしれないけど」


 小弁の君の拗ねたような言い方に私は思わず微笑む。


「そんなことないわ。私にとってもあなた達は特別よ。またあなた達とこの世界を分かち合えるのは嬉しいわ」


 私は小弁の君をなだめるだけではなく、心からそう思っていた。邸で自分の子を世話するのも幸せではあるが、どうしても自分の感覚や「花紅葉の心」は二の次になる。こんな「よしなしごと」は無い方が真面目な心で生きられるし、私はそれにずっと苦しめられてもいる。しかしそれでは次第に感性が鈍って行ってしまう事に私は気付きはじめていた。それほど強い信仰心を持っていないにもかかわらず旅を求めがちなのは、そう言う部分もあるのかもしれない。


「それがね、小式部の君とはしばらく会えなくなってしまうの。彼女、筑前守ちくぜんのかみと結婚して筑前に下ることになったのよ。あまりにも都から遠いところなので、どうしてもついて行きたいって」


「まあ……筑前へ」


 私は人が東の果てと呼ぶような上総で育ったが、そんな私でも筑紫や筑前と言うのは世の果てのような気がする場所だった。それは自分が子供の頃に遠い他の国の者が筑前を襲って、人々が多く殺された忌まわしい話を聞かされたことが頭に残っているからだろう。

 だが今の人々には東国も筑前も同じ遠い国に思えているらしい。若い人にとっては筑前の恐ろしい出来事も、東国でも反乱も、遠い昔話である。都から離れてしまう寂しさはあっても、恐怖心と言うものまでは湧かないらしい。


「筑前も今はすっかり落ち着いて、しっかりとした国になっているから小式部の君もためらいはないのでしょうね。何より夫が共に下向することを強く望んでいるらしいし。その代り今度都に戻った時には、一宮の妹宮、斎院様のもとに上がる約束をしているようよ」


 一宮様である裕子内親王様の妹、禖子内親王様は兄上である今の帝が御即位なさった時に賀茂の斎院となられた。今は紫野院に住まわれて仏事や不浄を避けたお暮しをなさっている。少しお身体がお弱いが、まだごくお若いにもかかわらず歌を鑑賞する御心に恵まれており、良く歌合わせを催されていらっしゃった。


「筑前まで妻を伴って行くような夫でも、斎院様のもとなら日頃は清浄な御生活で男子禁制だから許せるのでしょうね。ともに高倉殿でお仕え出来ないのは残念だけど、御姉妹の団らんや歌合わせなどでまたやりあえるのならそれも楽しみだわ」


 そうか。あの明るく自信満々な彼女の笑顔が見られないのは残念だ。心ではそう思ったがずっと共に仕えていた小弁の君はもっと寂しいはずなので、


「私へのお召しが嫌に熱心だと思ったら、あなたが心細いものだから宮にお願いなさったんでしょう。もうお若い方ばかりで一緒に奥に引っ込んでくれる方がいないから」


 と、からかうように言った。すると小弁の君は、


「ええ、本音を言うとそうなのよ。若い人との衝突が増えたと言ったでしょう? 新参の人とはどんどん年も離れて、色々難しくなっているの。あなたがたまに顔を出してくれるのは私に取っても心強いのよ」


 と弱音を漏らした。そう言えば新参の人の中でもごく若い人となると、私達とは三十近くも年が離れてしまう。私も母とは随分衝突したが、ここでも色々ありそうだ。



 久しぶりに出仕すると、高倉殿は一層の華やぎに満ちていた。あの幼かった宮様ももうすぐ裳着を迎えようとなさっていた。それに伴いお仕えする女房もとても若い人が増えて行く。高倉殿を訪れる方々も若い従者を伴われることが多かった。

 邸の中は明るい声が満ちて、ちょっとしたことでもすぐに笑い声が上がる。男君や若い従者はその華やぎに吸い寄せられるように、御簾越しの女房達と一時を楽しんでいる。


 女房たちも華やかに隙のない衣装を身にまとっている。春なら梅、桜、山吹の重ね。秋なら萩、菊、女郎花の重ね。夏なら撫子、冬なら椿重ねと言うように庭に咲く花々に劣らぬような百花繚乱と言った風情の装いで女達が華を競っていた。

 さらに競い合う緊張感は、ちょっとしたやり取りからすぐに歌詠みの心へと移る。しかもお相手は皆、感性豊かな男君達。無粋な真似も出来なければ、宮の名を下げるようなこともできない。常に華やかであると同時に相応の緊張が求められる。


 だがそういう場に出て直接応対するのは若く美しい新参の女房達だ。男君の御相手に古参の盛りをとっくに過ぎた見栄えのない女房が出ても喜ばれるはずがない。華やぎからは離れるがそう言う緊張から逃れられるのも事実だ。しかも古参の人は慣れているものだから宮のおられる奥の方からお声がかかったりもする。もったいなくもありがたいことだが、若い人には時々それが面白くなかったりするようだ。高倉殿の顔としての緊張を強いられながら、宮からの重用は古参ばかりに行っているように感じられるのだろう。


 そうなるとどうしても愚痴や不満が歪んだ噂となってささやかれ始める。若い時は緊張もあって不満が表に出がちなのだ。だから古参の人が「そういうもの」と受け流せばいいのだが、中にはそれが出来ない人もいる。しかしそれで邸の雰囲気が悪くなっては困るので、間を取り持つ人がいなくてはならない。しかしそう言う人ほど不満のはけ口にされてしまって、苦しい思いをさせられてしまう。宮仕えは若くても辛い事が多いが、年を経ても窮屈な思いをするものなのだ。


 長く仕えている小弁の君ですら苦悩するのだ。高倉殿から離れていた私が、昔の客のように出仕しても当然若い人々から歓迎されることはなかった。早速、


「男君とろくに会話もできない方が増えるなんて」


「どう見ても高倉殿に相応しい人とも思えませんのに」


「御歌を好まれる一宮様にお仕えするというのに、長く家に引っ込んでいらした方が良い歌など詠めるのでしょうか?」


 と、陰で口々にささやかれているらしい。うっとうしいが自分でもそこは不安があるのだから、周りが不安がるのは仕方がないだろう。


 この高倉殿の一宮と呼ばれる裕子内親王様は、妹の禖子内親王様と共に優れた歌を好まれることで有名になられていた。この御姉妹は華やかな高倉殿に住まわれる一宮様と、都や帝の御世の安寧を祈られる斎宮様を勤められる妹宮様と、御暮らし方は正反対であられたが御歌を好まれるのは一緒で、お二人ともよく歌合わせの会を催され、御交流なさっていた。そんな宮様から私は呼ばれて、お近くに召される。若い人たちから痛いほどの視線を浴びてしまう。


「わたくしが幼いころはあなたにもお世話になりましたね。わたくしも仕える人々の御蔭でこうしてもうすぐ裳着を迎えるまでになりました。あなたも元気そうな姿を見せてくれて、嬉しく思っていますよ」


 宮様がそう仰られるので


「もったいないことでございます。私も姫宮様のお健やかなご成長を陰ながら見守らせていただいておりました」


 私は恐縮しながらも、やはり嬉しい思いで御返事申し上げる。


「長くここから離れていたけれど、あの噂になった初瀬詣でのように面白そうな旅などにも出ていたようね。これからは旅の話なども聞かせるように。あなたの旅の話は幼心にも楽しかったことを覚えているから」


「私などのいたらぬ話を御記憶にとどめていただき、恐縮に存じます」


 私は光栄に思いながらも、周りの嫉妬の視線を感じていた。長く離れていながら宮様からの特別なお声掛けに不満が高まっているのが分かる。


「……まずは、旅の歌でも聞かせてもらいましょう。初瀬でも、それ以外でもいいから」


 周りの緊張が一気に高まった。感性の鋭い、多くの歌をお小さい時からお聞きになって育った宮の御耳にかなう歌を私が詠めるのかと、若い人たちが意地の悪い視線を送っている。周りは緊張しているが私は緊張している場合ではない。この感受性豊かな宮様に、心から認めて頂ける歌を披露しなければならない。


「初瀬への旅の話は少し風変わりな事がございましたので、後でゆっくりとお聞かせしたいと存じます。ですからある秋の日に鞍馬に詣でた時の歌を」


 そう言って私は秋の鞍馬の美しさに感激して作ったあの、『奥山の……』の歌を御披露した。

 幸い宮はこの歌をお気に召して下さり、若い人々も私のことを好き勝手にささやく事は無くなった。小弁の君は、


「さすがは道真公のご子孫。介の命婦の御歌の才は健在ね」


 と紀伊の君と一緒に私以上に喜んでくれた。宮仕えはこんな緊張の連続だ。


 だから女房達は休みを取るとよく気晴らしをする。親しい人の邸を訪れたり、少し遠出をして花見などに興じたり。しかし長く滞在するとなるとやはり多いのは寺詣でだ。親しい人と誘いあって寺を詣で、祈りを捧げる一方で愚痴を吐いたり噂話に花を咲かせたり。そうやって世の憂さを晴らすと、元気を取り戻して宮仕えに挑む事が出来るのだ。




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