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鞍馬詣で

 世の出来事はあの御禊の後の大嘗会だいじょうえも無事に終わり、人々は帝の世の安寧を祈った。しかし残念ながら二年後の永承三年十一月に内裏に火が出て焼失してしまった。内裏の火事、特に冬の火事は過去にも何度か起きている。この年の六年前の冬にも内裏は焼失している。しかし前の帝だった方が関白殿に冷遇されていたものだから、都人はひっそりと、


「祟りではないか」


 などとささやいた。しかし関白殿の御威光が揺らぐことはないので、そんな噂もたちまち消えさってしまった。


 そんなこの二、三年の間に私にも色々な事があった。二人の姪は無事に結婚し、兄の定義はいつの間にかまた妻を増やしていた。兄の新しい妻は身分の無い親の名も分からぬ女人だ。だが兄と相性が良いらしく、すでに二人の子を授かっていた。しかし兄は父から受け継いだ私の邸に来て、


「またしても男児であった」


 と気落ちしていた。今この邸は俊道と私と子供たちで暮らしているが、世の中では父親の暮らしていた邸は娘が相続するのが一般的なので、ここは一応私の邸である。もっとも維持をしているのは今では俊道の方だが。どうやら兄はここに愚痴を言いに来たようだ。確かにこうまで女児に恵まれぬのも皮肉だと思う。


「そんながっかりした顔をしたら、命懸けで出産した女君方に失礼よ。子産みって、男性には分からないほど大変なんだから」


 私が兄をたしなめると、


「分かっている。私だってお前の姉が出産で亡くなったことは覚えている。出産が年齢とは関係ないことも身にしみて知っている。妻たちの前でこんな顔は出来ない。だからこうしてお前の前で愚痴を言っているのだ」


 と、不満そうにしている。いくら兄とは仲がいいとはいえ、こういうことを愚痴られても困るが、ここは兄にも慣れた邸だ。他に本音を吐ける場所もないのだろう。妻が多くても心安らげる場所はそんなには無い物らしい。


「四人の妻に五人子を産ませてすべて男の子なのだから、前世からの因縁で姫には恵まれぬ運命と思うしかないんじゃない?」


「嫌な事を言うな。まだ希望を捨てたわけでもないのに。しかし妻の数もあまり増えると気苦労が多くなる。今の妻に姫が生まれるのを期待するしかないのだろうな」


 そうやって女人の数に頼るのが間違いだろうとは思うが、黙っておく。男性達にそんな事を言っても分かりはしないだろう。思うような子が産まれなければ妻を増やすべきと言うのは、当世風の考え方なのだから。子産みの苦労に比べれば妻からの風当たりくらい大したことはなさそうなのに。


 私もさらに子を産んでいた。兄には悪いがまた女の子だった。もちろん俊道も喜んだが、私もとても嬉しい。自分が仲の良い姉妹のいる生活がいかに楽しいものか知っているので、大君(長女)に中の君(次女)をよく可愛がるように言い聞かせた。まだまだ甘えたい盛りの大君だが、それでも時々姉らしくしようとするのが何ともほほえましい。息子も可愛い盛りで邸の中はいつもにぎやかになった。


 そして子を産み終えた私には、高倉殿よりお召しがかかるようになった。姪達が結婚してから参上する回数が減ってきたためである。小弁の君たちの勧めなどもあるらしく、気心の知れた私をまたお召しになりたいと言うのだ。正直私も彼女たちの事は恋しかった。


 俊道のおかげで生活に不満はない。一応自分の邸もある。しかし子供達はまだまだ幼い。ただの受領の子として育つより母親の私にも『宮家に出仕している女房』の肩書がある方が、子供たちの先々を考えると頼もしいかもしれない。以前と違って俊道も都にいることだし、高倉殿の人々も私が家庭に軸足を置いた仕え方をするのに慣れている。前のように時折の出仕でもよいかと問い合わせると、快い返事をもらう事が出来た。私は中の君の夜泣きなども落ち着いた頃を見計らって、少しづつ出仕を始めていた。その一方であまり遠くでない寺などにも詣でるようになっていた。


 そうだ。あの鞍馬山の景色は美しかった……。



  ****


『二三年、四五年へだてたることを、次第もなく書きつづくれば、やがてつづきたちたる修行者すぎやうじやめきたれど、さにはあらず、年月へだたれることなり。春ごろ、鞍馬くらまにこもりたり。山際霞やまぎはかすみわたりのどやかなるに、山のかたより、わづかにところなど掘りもて来るもをかし。づる道は花もみな散りはてにければなにともなきを、十月かみなづきばかりにまうづるに、道のほど山のけしき、このころは、いみじうぞまさるものなりける』


(二、三年、四、五年の間を隔ててのことを順も追わずに書き綴って行くので、まるで続けざまに旅立つ修行者のようだが、そうではなく、年月を隔ててのことである。

 春ごろ鞍馬に詣でて籠った。山際は霞み渡りのどかな様子で、山の方から僅かだが野生の山芋など掘って持ってくるのも風流だ。山を出る道は花もすべて散り果てていたので何の見所もなかったが、十月に再び詣でると、道の途中の山の景色がこの頃はそれは素晴らしい事であった)



  ****


 石山詣で、初瀬詣でと立て続けに寺を巡った旅を書き、次は鞍馬詣での事を書こうとして私はふと筆を止めた。このように日記に書く時は詳細も省いてしまって、順序も正しくはない。古い記憶を思いつくままに書いてしまいがちなので、誤解を与えそうだ。これでは読む人にはまるで私が大変な信仰心を持っていて、次から次へと絶え間なくあちこちの寺に詣でる修行者のような生活をしていたと思われてしまいそう。


 私は慌てて日記に『年月へだたれることなり』の一文を添える。初めての初瀬詣でのように落ち着きのない、情けない事態に巻き込まれた旅もあったが、振り返れば旅と言うのはやはり情緒あふれる思い出深い出来事の方が多かった。こうして誰かに読ませようと日記をしたためると、どうしても旅の話に力が入る。私は物語と同じように旅の思い出を愛してやまない人間らしい。




 ある年の春ごろ。私は鞍馬寺に詣でた。鞍馬寺は鞍馬の山の中腹にあるので、そこから他の山々を見渡すと、どの山も際の辺りがぼうっと霞んで見える。その一面の春霞が何とも優しげで、のどかな風情を漂わせていた。

 春は山菜などの山の物の季節。寺を詣でている時なので、あまり山深く分け入るわけにもいかない。そこで寺の近くに生える野生の山芋を掘り返し、僅かばかりだけ持ちかえるのも風流と言うもの。いかにも山の春を持ちかえるようで楽しい。子供たちにも良い土産になるだろう。

 

 春とはいえその時は花の季節は過ぎてしまい、帰り道も花と言う花が散り果ててしまっていて残念だったのだが、十月に再び鞍馬を訪れる機会を得る事が出来た。その時の途中の山道の景色は実に素晴らしいものであった。



  ****


『山のにしきをひろげたやうなり。たぎりて流れゆく水、水晶すいしやうを散らすやうにわきかへるなど、いづれにもすぐれたり。詣で着きて、僧坊に行き着きたるほど、かきしぐれたる紅葉もみぢの、たぐひなくぞ見ゆるや。


  奥山の紅葉の錦ほかよりもいかにしぐれて深くそめけむ


 とぞ見やらるる』


(山の端は錦を広げたようである。しぶきを上げて流れて行く水は水晶を散らすように湧きかえるなど、いずれの景色よりも素晴らしい。詣でる寺に着いて僧坊に行き着いた頃、時雨にかき濡れた紅葉のくらべようもなく美しく見えることか。


  この奥山の紅葉の錦は何故他の所よりも

  時雨に深く染め上げられているのだろう


 と、見ずにはいられない)



  ****


 春にはこの山も含め、周辺の山々の霞む姿があわれ深かったが、秋の鞍馬山の山の端は使い古された表現かもしれないが、まさに紅葉のがらの錦を織りだして、一面に広げたような美しさ。鞍馬のつづら折りと言われる山道が、すべて紅葉で彩られていると言ってよい。その景色はまさに圧巻である。

 

 山の途中の小川の水も大変に清らかで、しぶきを上げて勢いよく流れているのだが、それが所々で水晶のように湧き返り、錦に染まった紅葉越しの光を受けてキラキラと輝きを放っていた。このような景色は他の山でもそう見られるものではないだろう。おそらく今、この山は他のどの山より素晴らしい。


 そして鞍馬寺に着いてさらに僧坊に行き着く頃、さっと通り雨のような時雨が降り注いで行った。時雨は木の葉にかかると、その冷たい水で紅葉を美しく染め上げると言われている。成程僧坊の近くにある木を見上げると、時雨にかき濡れたその葉の色の、たとえようもないほどの美しさ。私は思わず


  奥山の紅葉の錦ほかよりもいかにしぐれて深くそめけむ

 (この奥山の紅葉の錦は何故他の所よりも

  時雨に深く染め上げられているのだろう)


 と歌を詠み、その木を眺めてしまう。この山の木々が特別美しく染まるのか、それともここに降る時雨はどんな雨よりも木々を特別深く染める力を持っているのか。まったく風情あふれる鞍馬の秋であった。


 



ある方への感想への返信からの抜粋ですが、主人公の結婚、出産時期に関して補足します。


更級作者の結婚年齢や出産年齢に明確な記録はありませんので、すべてが憶測です。彼女が橘俊道と結婚し、一男二女を儲けたのは確かなようですが、「結婚は俊道が任国に向かう前だろう」「出産年齢も遅くてもこの頃には長男が生まれているはず」といった程度。なぜならこの後、作者がおそらく五十歳くらいの時に夫が任地に向かうのに、元服した息子がついて行っているんです。その記述からおよそ逆算しているだけなんですね。


ただ一方で夫について行った息子は十六、七歳と言う説もあるので、そうなると結婚直後には妊娠し、翌年夫が任国に赴任した前後に産んだ子の可能性もあります。それなら新婚とはいえ高齢妊婦の彼女が夫について行けなかったのも理解できます。

しかしそれでは乳母がいるとはいえ、出産直後に夫が留守のまま乳児を邸に置いて、稀にとはいえ高倉殿に顔を出していた事になる。この夫は随分おおらかな人のようですけど、宮仕えへのためらいが大きかった主人公の行動としては不自然な気がします。


しかもその後、ある程度長く宮の宮中への御供に付き添ったり、高倉殿に局をもらって滞在もしています。これは「更級日記物語」なので、日記ベースで書いてしまうとこうなってしまうんですが、この日記の時間経過はこれまでもかなり不正確なものです。結婚後の宮仕えの描写はもっと違う時間配列かもしれません。


ただ原文にある通りこの頃彼女は子供たちのことを「ふたばの人」「ちごども」と、ごく幼い子としての表現を使っています。これが乳幼児を指すのか、文学的表現なのかまでは分かりませんが、私は単純に乳幼児と考えて出来るだけ日記の表現に従う事にしました。

日記と歴史からの憶測と、私が日記を読んでの憶測。正確さにかけて申し訳ありませんが、それもこの日記の魅力の一つとして御容赦ください。




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