京を出る
『良頼の兵衛督と申しし人の家の前過ぐれば、それ桟敷へ渡りたまふなるべし、門広くう押しあけて、人々立てるが、「あれは物詣人なめりな。月日しもこそ世に多かれ」と笑ふ中に、いかなる心ある人にか、「一時が目をこやして何にかはせむ。いみじくおぼし立ちて、仏の御徳かならずみたまふべき人にこそあめれ。よしなしかし。物見で、かうこそ思ひ立つべかりけれ」と、まめやかに言ふ人一人ぞある』
(良頼の兵衛督と申し上げる方の家の前を通り過ぎると、その方々も桟敷へと御移りになる所らしく、門を広く押し開けて人々が立っているが、
「あれは物詣でに行く行列らしいな。人生の月日は他に多くあるのに」
と笑う中、どれほど賢明な心を持った人か、
「一時だけ目の肥やしにしたところで何になるものか。あのように思い立って御仏のご慈悲を必ず見る事が出来る人なのだろう。くだらない事だった。見物などせず、ああいう事こそ思い立つべきだった」
と、思慮深く言っている人も一人だけいる)
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人々が嘲り笑う中、それでもそのまま進んで行くと藤原隆家殿の御長男、良頼の兵衛督様の邸の前を通りがかる。この方は以前関白でおられた道隆様のお孫さまに当たる方で、権中納言でもいらっしゃる。それだけに邸も大きく仕える人々も多い。こちらでも桟敷に移動しようとしているらしく、門も広く押し開けられて大勢の人がその前に立っていた。もちろん彼らも私達の行列に気がついて、
「おい、あれは物詣でに行く行列らしいぞ。愚かだなあ。よりによって帝の御禊なんてめったにない華やぎの日にわざわざ都を出て行くなんて」
「まったくもって気がしれないや。人生は短いと言っても、他に月日なんていくらでもあるのになあ」
「わざわざ自分から嗤い物になりたい人も、この狭い世には居るらしいや」
と、指さしながら嗤いあっている。それでも私は澄ましているが従者たちはうつむきがちで、私と車に乗っている女房たちも姿は見えないと言うのに小さく縮こまっていた。するとその中に
「人の行列を指差し嗤うとは失礼な事を。それでもやんごとなき方に仕える者の態度であろうか? なんと嘆かわしいことよ」
と、張りのある声で諌める人がいる。周りの人の嘲笑の波がぴたりと止んだ。
「よく考えてみよ。この日に寺詣でを思い立つには深い信仰心が必要なはず。人々が皆見物に夢中になり、心浮つかせているのは本当に帝の御禊をありがたく思ってのことだろうか? 帝の御禊によってこれからの豊作や、世の中が安定することを心から願っている者がこの中にどれほどいると言うのか。あの行列を嗤う者は華やぎを目にする事に夢中で、帝への感謝の心など薄い者ばかりであろう。それでは何のための御禊見物なのか」
その人がそう言うと皆私達の行列から目をそむけ、少し不満げに、それでも恥入った様子で黙々と桟敷に向かって行く。一方そう言った本人はどれほどまでに賢明なお考えの持ち主なのかこの行列に向き直り、
「まったく立派な信仰心を持った方々だ。御禊は確かに華々しく素晴らしい。帝に感謝しつつ見物するに値する神事であろう。しかし一時面白おかしく見たところで我が人生にどれほどの徳があるものか。このような日にああして物詣でを思い立って敬虔な心を仏に示されるとは、御仏も必ずや素晴らしい御利益を授けて下さるに違いない。なぜ不甲斐ない私も同じように思いつかなかったのだろう? 考えてみれば心浅い者たちと一緒になって見物に浮かれるなど実に下らない事だった。私もあのように物詣でなどを思い立てばよかった」
そのような事を近くの人と話し合って、行列の仏具に手を合わせたりしている。やはり心賢い人はそのように考えるものなのだ。周りのほとんどの人は私やその人のことを見ないようにして、また桟敷の場所取りに夢中になっているが。
私は扇で顔を隠してはいるが、通りすがりに御簾を少しだけかきあげ、そっと頭を下げて礼を示した。向こうの人も会釈を返し、
「良い旅を」
と言ってくれる。心遣いの嬉しさにさっきまでの車の中の気まずさが消えて無くなった。
「兵衛督殿は素晴らしい従者を召し使っていらっしゃいますね」
さっきまで不満そうだった女房も私の隣でしみじみそう言っているので、私は苦笑するしか無かった。こんな心の私達だけれど、だからこそ御仏のご慈悲におすがりすべくこうして詣でに行くのだ。
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『道顕証ならぬさきにと、夜深う出でしかば、立ち遅れたる人々も待ち、いとおそろしう深き霧をも少し晴るけむとて、法性寺の大門に立ちとまりたるに、田舎より物見に上る者ども、水のながるるやうにぞ見ゆるや。すべて道もさりあへず。物の心知りげもなきあやしの童べまで、ひきよして行き過ぐるを、車を驚きあさみたることかぎりなし。これらを見るに、げにいかに出で立ちし道なりともおぼゆれど、ひたぶるに仏を念じたてまつりて、宇治の渡りに行き着きぬ』
(道行く姿がはっきりと露わにならないうちにとまだ夜深い時に出かけたので、遅れて出発してきた人々を待って、そうするうちにとても恐ろしげなほど深くたちこめる霧も晴れるだろうと法性寺の大門の前で立ち止まっていると、田舎から御禊見物に上京してきた者達が水が流れてくるように見えてきた。道のすべてが避けようが無くなっている。物の情緒も知らなそうな賤しげな子供まで、人をよけて通り過ぎようとする私達の車を驚きあきれて見ている事もきりがない。こんな様子を見ると、まったく何でこんな日に旅立とうと思ったものかと思えるが、ひたすら御仏に念じ奉りながら宇治の渡り場に着いた)
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自分達は間違ってはいない。気強くそう思ってはいても、人に嗤われるのは決して気分の良い事ではない。だから私達が邸を出たのは灯りをともしてもすべてが露わになることのない、夜もまだ深い頃だった。準備が整わなかった人々は後から行列についてくることになっている。しかし人の多い大路を過ぎるとまだ夜明けには時があるので、とても恐ろしいほどの深い霧が立ち込めていた。これでは後から来る人たちにこの行列が見えないだろう。私達は都を出てすぐ法性寺と言う寺の大門の前で、霧が晴れるのを待ちながら、後続の人々が追いついてくるのを待つことにした。
ところがそうしているうちに、今度は田舎から御禊見物に来た人々が都に向かって来た。まるで大きな川の水が流れて来るかのように、怒涛の流れとなって押し寄せて来る。それは少しも大げさな表現ではなく、まさしく人が波となって襲い掛かるかのような有様。あれよと言う間に道の隅から隅までもが人で埋まり、どこにも避けようがないほどになってしまった。
そのまま待っていても人の波が途絶える様子はない。とどまっていても仕方がないので後続の人が追いつくと思い切って出発することにする。
その人波はほとんどが徒歩で歩く身分の賤しい人々だ。数が数なので動けるだろうかと心配したが、物詣での車だと気づくと人々は驚いた様子で自然と車を遠巻きによける。そして呆れた顔で見送って行った。車が進むと人波が自然と割れて行き、その先に道が出来て行くので意外と進むのはたやすい。こちらもなるべく人を避けるように進んで行く。
しかし人々の顔には異様なものでも見たような戸惑いがはっきりと表れていた。物の情緒も分からなさそうな賤しげな子供でさえも、あっけにとられて傍にいる母親に、
「何で都を出て行く車がいるの?」
と、大声で聞くものだから、母親の方もあわてて、
「良いから。見てはいけません。前に進みなさい」
とたしなめている。
地面を歩く身分賤しい子供にあのようなことを言われてまで、どうしてこの日に出立しようと思ってしまったのか。この時ばかりはさすがに後悔の念に駆られてしまう。
とにかく早くこの人波を抜けてしまいたいと、私はひたすら御仏にお念じ申し上げながら車を進ませる。そうしてようやく宇治の渡し場にまで着いた。