御禊の日の旅立ち
翌年、帝の御世移りに伴って元号が永承と変えられた年。
恥ずかしながら私は再び子を生んだ。今度は女の子だった。
第一子が男だったにもかかわらず大騒ぎした俊道なので、女の子となればどれほどの騒ぎをするかと私は心配した。だがさすがに二人目となれば少しは冷静でいられるらしく、まずは私の無事を先に喜んでくれた。二度目とはいえ年齢の高い私の身体の負担の方を気にしていたようだ。
しかし私はつわりなどは最初の子同様激しくて俊道に心配をかけたが、いざ出産となるととても安産だったのだ。産後の肥立ちどころか生まれて間もない時から元気を取り戻し、赤かった娘の顔がだんだんと清らかになって行く様子などをたっぷりと堪能していた。
女の子と言う事で今度は私の方が夢が広がった。兄や、今は僧となった義弟の円基や、俊道の兄弟達からの産養い(出産祝い)の祝いの品も息子の時よりなんだか華があり、一層可愛らしく見える気がする。女児なので五十日の祝いは簡素でも、先々袴着の祝いを済ませたらありったけ可愛らしい衣を着せてやろう。髪を梳く櫛も美しい良い物を用意してやろう。可愛らしい人形を与え、人形のための御殿も作らせ、ゆくゆくは物語を与えてやろう。
この子は早いうちに宮仕えなどさせてもいいかもしれない。ひょっとしたら親に似ず美しく育つかもしれない。そうなれば思いがけず身分の高い方の御目にとまり、やんごとない身分に出世できるかもしれない。
私の心の「よしなし事」は、今では自分でなく子供たちの方に向けられた。もちろん息子にだって出世して欲しい。息子は夫よりも賢く育って、気高い人になれはしないだろうか?
身体が元気なものだからまだ穢れも明けぬうちにそんな事ばかり考えてしまい、じっとしているのが辛くなる。穢れが怖いので我慢していたが、ようやく明けると私は初瀬詣でを思い立った。
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『そのかへる年の十月二十五日、大嘗会の御禊とののしるに、初瀬の精進はじめて、その日、京を出づるに、さるべき人々、「一代に一度の見物にて、田舎世界の人だに見るものを、月日多かり、その日しも京をふり出でて行かむも、いともの狂ほしく、流れての物語ともなりぬべきことなり」など、はらからなる人は言ひ腹立てど、児どもの親なる人は、「いかにも、いかにも、心にこそあらめ」とて、言ふに従ひて出だし立つる心ばへもあはれなり』
(その翌年の十月二十五日、大嘗会の御禊と世間が騒いでいる中、初瀬詣でのための精進など始めて、その御禊の日に京から旅立つことにすると、しかるべき身の回りの人々は、
「帝一代に一度しか無い貴重な見ものだから、遠く田舎の人たちでさえも上京して見に来ると言うのに、他にも月日は沢山あるのに、その日に京を振りすて出て行かなくても、まるで狂った人のようで、人々の噂となって流れていくに違いない」
などと、同母の兄弟は言って腹を立てているけれども、幼い子供たちの親である夫は、
「結構、結構、思うようになさい」
と言って、私の言う事に従って送り出してくれた心使いなど尊くもありがたい事だった)
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早速陰陽師に出立するのに一番早い吉日を占わせる。するとその知らせを受けた女房は困った顔をした。
「もっとも早い日は十月の二十五日だそうです。いくらなんでもこの日ばかりはお見送りになられますよね?」
十月二十五日。今、都はこの日を誰もが待ち望んでいた。この日は新帝の大嘗会のための御禊が行われる日なのだ。大嘗会は通常の新嘗祭(天皇がその年最初の収穫物を神に捧げ感謝を表す儀式)と違って、新帝がたった一度だけ行う事が出来る初めての儀式。そのため帝は儀式に先立って飲食や行いを慎まれ、賀茂川で沐浴をなさって身を清められるための御禊を行わなくてはならない。それを遠くからでも一目見たいと誰もかれもが楽しみに待っているのだ。
禁中の最も深いところに御暮しになる帝のお姿を拝するなんて、私たちには二度とないかもしれない特別な事。皆が大騒ぎしてその日を待っているのも仕方がない。だが、私は断言した。
「いいえ。その日で良いわ。その日、初瀬詣でに旅立ちましょう」
これを聞いた人々は皆仰天した。
「なんだってそんな日をお選びになるんです?」
「都中が待ち焦がれている日ではありませんか!」
「葵祭りなら毎年見られますが、これは一代の帝の御世に一度きりしかありません」
「これほどの華やぎ、そう何度もあるものではないのに」
「こんな日に京を離れる人なんていませんよ!」
ついには兄の定義からも文が届いた。
「本来なら寺に詣でる、と言う信仰心は褒められるに値することでしょうが、今度ばかりは私は賛成できません。自分の役目や支障があって、見たくても見られない人も大勢いるのです。それでも都から遠く離れた田舎暮らしの人たちでさえ、この日だけはと京を目指して来るのです。なのに逆にその都を出て行こうなんて正気の事とは思えませんね。なんと体裁の悪い。きっと人々にあることない事言いふらされて、つまらない噂となって流れてしまうでしょう。悪いことは言わない。この日に旅立つのは止めた方がいいでしょう」
他にも周りの人々は口々に私を説得しようとした。しかし私は動じない。
「そう言う日だからこそ行くのです。この日は誰も彼もが浮足立って、浮ついた心になってしまうでしょう。普段の信仰や慎みも、疎かになってしまう。でもそんな日だからこそ御仏は私達のことを見ているかもしれません。帝が禊を行われることはとても尊いことだけれど、それを面白おかしく見物して一体何になると言うのでしょう? 私達の身が清まる訳ではありません。むしろ心を浮つかせて慎みをなくしてしまいます。そんな時だからこそ精進を重ねて寺に詣でるのです。御仏の御利益も一層ありがたいものとなるでしょう」
そう言って「でもお兄様もこう書いておられますし」と女房に兄の文を押し付けられようとも読み返したりはしない。だが、俊道だけには許可をもらわなくてはならない。相談するとさすがに俊道も目を丸め、唖然とした。そこで私は女房達に言った言葉を繰り返すと、
「ほう、そう言う考えもあるな。いかにもあなたらしい発想だ。私はあなたのそう言う所が好きなのだ。人の心にありがちな自分に対してのつまらぬ嘘が無い。結構、結構。あなたの思うようになさるといい」
と言って周りが眉をひそめる中、車や仏具の類、私の衣装や従者たちの浄衣(神事・仏事に身につける白い狩衣)をすべて用意してくれた。こんな所は私も変わり者かもしれないが、俊道もかなり変わっている。どおりで互いの気が合う訳である。
私は俊道に快く送り出されて出発した。俊道が普通な夫でなくて本当に良かった。私は俊道に心底ありがたく感謝しながら、出発の準備ができた。
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『ともに行く人々もいといみじく物ゆかしげなるは、いとほしけれど、「物見て何にかはせむ。かかるをりに詣でむ志を、さりともおぼしなむ。かならず仏の御しるしを見む」と思ひ立ちて、その暁に京を出づるに、二条の大路をしも渡りて行くに、さきにみあかし持たせ、供の人々、浄衣姿なるを、そこら、桟敷どもに移るとて行ちがふ馬も車もかち人も、「あれはなぞ、あれはなぞ」と、やすからず言ひおどろき、あさみ笑ひ、あざける者どもあり』
(一緒に行く人もとてもひどく残念そうである事は可哀想に思うが、
「御禊見物が何になるのか。こんなときに詣でる志を、きっと御心に留めて下さるはず。必ず御仏の御利益を見るに違いない」
と思い立ってその夜明けに京を旅立とうと二条の大路を渡り下って行くと、先頭の方に仏前に上げる灯明を持たせ供をする人たちは浄衣姿をさせているので、行き違う御禊見物のために桟敷に場所を取ろうとする馬上の人や牛車に乗る人、徒歩の人も、
「あれはなんだ、あれはなんだ」
と、普通ではないように言い驚き、嘲笑し、嘲る者たちもいる)
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俊道に見送られ牛車は動きだしたが、車の中はなんだか気まずい。私の供をする人たちも御禊見物を楽しみにしていたので、がっかりしているのだ。
帝のお姿を拝することが出来るかもしれない、あるかないかのわずかな機会を失するのだ。その気持ちは分からなくもないし、正直可哀想だと思う。だが見物した所で何の御利益にもならない。幼い子供たちのためにそれぞれの子の乳母は邸に残したが、彼女達は子供たちのために初めから見物など出来ないので、
「まあきっと、皆様には普通ではないほどの御仏の御利益がありますよ。元気を出して旅を楽しまれて下さいな」
などと私に付き添う人たちを慰めていた。私自身も、
「御禊見物などしたって何になる訳でもない。ただ面白おかしく心浮つかせるだけのこと。こんな普通でない時に詣でるのだ。この志を御仏が御見落しになるはずがない。きっと敬虔な心と御仏は思って下さることだろう。私はもちろん、同行した者たちにも御利益があるはずだわ」
そう思って気丈にしている。しかし皆の視線はまだ恨みがましい。
気まずいままに車は二条大路に入って行った。
まだ夜明け前の暗い内だと言うのに、二条大路はすでに御禊見物の桟敷の場所取りをしようと、多くの人々が行き交っていた。馬に乗っている人、いくつかの牛車で連れ立っている人、もちろん徒歩の人も多い。そんな喧噪の中、私達の行列は先頭に寺詣での象徴の仏具に仏前に上げるための灯明を持たせ、その後に続く供の人々は皆浄衣を身につけている。一目で寺に詣でに行く行列だと分かる姿である。
私達の行列を見た人々は、初めは驚き、目を丸くし、しだいにあきれ、
「あれはなんだ? あれはなんだ?」
と騒ぎ始めた。暗い中でも騒ぎを聞きつけて人々がこちらに視線を向ける。するとさらに騒ぎは大きくなる。驚愕はやがて嘲笑へと変わり、あちこちから忍び笑いが漏れ出した。ついにはわざとこちらに聞こえるように嘲りの言葉を投げかける者までいる。