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石山詣で

『今は、昔のよしなし心もくやしかりけりとのみ思ひ知りはて、親の物へ率て参りなどせでやみにしも、もどかしく思い出でらるれば、今はひとへに豊かなる勢ひになりて、ふたばの人をも、思ふさまにかしづきおほしたて、わが身もみくらの山に積み余るばかりにて、後の世までのことをも思はむと思ひはげみて、十一月しもつきの二十日余日、石山に参る。雪うち降りつつ、道のほどさへをかしきに、逢坂あふさかの関を見るにも、昔越えしも冬ぞかしと思ひ出でらるるに、そのほどしも、いと荒う吹いたり


  逢坂の関のせき風吹く声は昔聞きしに変わらざりけり  


 関寺のいかめしう造られたるを見るにも、そのをり、荒造りの御顔ばかり見られしをり思ひ出でられて、年月の過ぎにけるもいとあはれなり。』


(今では昔のような浮ついた想像ばかりの心も悔やまれると思い知り果てて、親の物詣でなどにも連れて行かずに終わったことも気に入らない事だったと思い出されるので、今ではひとえに裕福な勢いある身となって、芽吹いたばかりの双葉のように幼いわが子を思うように御世話し育て上げて、自分も御倉に山のような財を積み余らせるほどになって、後世の事までも考えようと我が心を励まして、十一月の二十余日、石山寺に参詣した。雪が勢いよく降る中、行く道の様子も風情あふれて、逢坂あうさかの関を見るのも昔越えた時も冬であったと思い出されたが、その時もとても風が荒々しく吹いていた。


  逢坂の関に吹く風の声は昔聞いたものと何の変わりもないわ  


 関寺の豪華に建立されているのを見ても、あの時仏像の荒造りなお顔ばかりが見受けられたことを思い出されて、年月の過ぎてしまった事に感慨を覚えてしまう)



  ****


 私が子を生んだ寛徳二年は御世代わりの年だった。この前年に帝は肩に腫れものが出来る病に倒れられ、病の平癒を願って元号が変えられたにもかかわらず、年明け一月半ばに慌ただしく御譲位。その二日後に亡くなられた。三十七歳だった。前の帝ほどではないにせよ立て続けにお若くして帝がお亡くなりになられた。悲しいことであるがこの帝は関白頼道様に冷遇されておられたので、その事に疲れて病となられたのではないかと都人はこっそり噂していた。そしてとうとう力尽きてしまわれたのだろうと。本当なら実においたわしいことである。


 だが私にとってこの頃はとても幸せな頃だった。老いた両親の死は悲しくても仕方のないことだし、そんな時に支えてくれる夫がいると言うのはありがたい事だった。姪たちも宮仕えに慣れ、縁談の申し込みの話なども聞こえている。近いうちに婚儀も考えなくてはならない。

 そして何より私は思いがけず子を産む事が出来た。位の高い方ならまずは姫をと望むだろうが私が高齢で夫が長く任地にいた私達にとっては、跡継ぎの男子が生まれたことも十分な喜びだったのだ。


 夫の俊道も私に子が出来てからは大騒ぎで、あちこちの寺に安産祈願の願を立てていたらしいが、人に頼んであの石山寺にまで祈願を立てていたと言う。

 石山寺か。本当はあの寺に母を連れていきたかった。あそこに行くには関を越えなくてはならないから母は恐ろしがってついに連れて行くことが出来なかった。その関には子供のころ帰京の旅の途中で、まだ建立中の関寺の仏像が荒削りの顔を覗かせているのを姉とあわれ深く見たものだ。だから母とその関を通って姉の思い出に浸りたかったのだが。


 思い切って跡取りを得たお礼詣でに石山に行ってみようか。幸い息子は乳母めのとの乳もよく飲み、健やかに育っている。私の産後の肥立ちもとてもよく、確実に身体は回復している。

 願い事もたくさんある。これからこの家が裕福になれますように。この芽吹いたばかりの若芽のような我が子を思うように幸せに育てられますように。私自身も多くの財に恵まれて、後世の世までも幸福で居られますように。

 そう言えば小弁の君と娘の紀伊の君が冬の初めに休みを取ると言っていた。久しぶりにゆっくりと会いたい。誘ったら共に行ってくれるだろうか?

 私は俊道に相談した。俊道は快く


「産後の気晴らしに行っておいで」


 と許してくれた。小弁の君に文をやると良い返事がもらえたので、私は石山詣でに行くこととなった。高倉殿から直接寺に向かう小弁の君や紀伊の君とは、寺で落ち合う事にした。


 小弁の君達の休みに合わせて十一月の二十日余日、石山寺に向けて出発した。あちらまでは一日がかりの旅となる。夜明け前に出かけて、日暮れまでに寺に着くようにする。その日は前の晩から冷え込んでいたが、出発する頃には都でさえもちらり、ちらりと小雪が舞っていた。

 関山に差し掛かるとさらに風が強く吹いていた。関寺を通りかかる時には雪の勢いも増していた。激しく雪の降る中、


「ああ、お姉さまと荒削りな仏像のお顔を拝した時も、冬だった。あの日も雪はなかったものの、風が強く吹いていたわ」


 と思い出し、


  逢坂の関のせき風吹く声は昔聞きしに変わらざりけり

 (逢坂の関に吹く風の声は昔聞いたものと何の変わりもないわ)


 と思いを歌に口ずさむ。


 関寺はそれは壮麗なものだった。こんな豪華な寺が立つとはあの時は思いもしなかった。何より御仏であられる仏像でさえあの時は、荒削りのままお顔を曝して、寂しげに外に置かれておいでだったのだから。あまりの様子の違いに流れた時の長さへの感慨を覚えずにはいられなかった。あの頃まだまだ子供だった私が二十年以上の時を経て、子を産み、そのお礼詣でにこの関を越えているのである。人生とはなんて早く過ぎ去ってしまうものなのだろう。



  ****


打出うちいでの浜のほどなど、見しにも変はらず。暮れかかるほどに詣で着きて、斎屋ゆやに下りて、御堂に上るに、人声もせず、山風おそろしうおぼえて、行きさしてうちまどろみたる夢に、「中堂より麝香ざかう賜わりぬ。とくかしこへ告げよ」と言ふ人あるに、うちおどろきたれば、夢なりけりと思ふに、よきことならむかしと思ひて、行ひ明かす。またの日も、いみじく雪降り荒れて、宮に語らひ聞こゆる人の具したまへると物語して、心ぼそさをなぐさむ。三日さぶらひて、まかでぬ』


打出うちいでの浜辺の様子なども昔見たものと変わらない。日暮れ頃に寺に詣で着いて、斎屋ゆや(参詣者が身を清める建物)に下りて身を清めて御堂に上がると人の声も聞こえず、山の風の音が恐ろしく思えて勤行も途絶えてウトウトとまどろんでしまい見た夢に、


「中堂より麝香じゃこうを賜わりました。早く向こうにお伝えください」


 と言う人がいるので、はっと目を覚ますと夢だったのかと思うので、良い事があるのだろうと思って、勤行をして夜を明かした。次の日も大変雪が降り風も荒れて、宮家で共に語らっていた人と共にお籠りしながら話などして、心細さを慰めていた。三日間籠って、退出した)



  ****


 関山を越え、琵琶湖に差し掛かると「打出うちいでの浜」が見えてきた。雪が降っているとはいえ、美しく穏やかな浜辺だ。この浜辺の様子などは遠い昔と何の変わりも無く見える。人も物も時を経て移り変わって行くが、自然が作り出す景色だけは昔と変わりがないものだ。


 暮れかかる頃になって無事に寺に着く事が出来た。参詣のために身を清めなくてはならないのでまずは斎屋ゆやに向かう。そうやって身を清めてから御堂に参上したのだが、まだ待ち人は到着していなかった。それどころか人の声も聞こえないほどあたりは静まり返り、山深い場所なので心細く思える。聞こえるのは冬の風が吹きすさぶ山風の音ばかりだ。その音もとても恐ろしく思えて一心に勤行を勤めようとしても、どうしても耳は風の音に傾いていく。その恐ろしい音を聞いているうちにいつしかウトウトとまどろんでしまったらしい。私の傍に誰かが来て、


「ありがたくも中堂より麝香じゃこうを賜わることが出来ました。急いで向こうの方にお伝えください」


 と言うのではっとすると、それは夢だった。霊験高いお寺から貴重な香を賜わる夢を見たのだから、これはきっと吉夢。そう思ってそれからは風の音の恐ろしさにも耐え、一心に勤行する。


 夜が明けて次の日もひどい吹雪は変わらず、風も激しい雪も止む様子はなかった。それでも小弁の君と紀伊の君は約束通りこの寺にやってきた。私より少し遅れて出発しようとしたが、その時は都の方でも雪が降っていたそうだ。様子を見てもやむ気配はなく仕方なく翌日に出発したそうだが、今度は都や関山は雪がやんでいたにもかかわらず、この石山寺に近づくごとに風雪が強まって行ったのだと言う。


「もう戻る訳にも行かなくて、ようやくの思いで寺に着いたの。こんな思いをしてまで詣でているのだから、御利益があるといいわねえ」


 と、小弁の君はホッとした表情を見せた。紀伊の君は寺の中が珍しいらしく、視線があちこちにさまよって落ち着きが無い。私も若い、まだ寺詣でに不慣れな頃はこうだったのだろう。


「あなた方はいつまでお籠りする予定なの?」


 と私が聞くと小弁の君は、


「今日を含めて二日はいるつもり。あなたは?」


「私も一緒にいるわ。どの道、このお天気ではねえ」


 私達は勤行の間にそれぞれの近況や噂話に花を咲かせて、心細さを慰めて過ごした。ありがたいことに天候は徐々に回復し、寺を立つ頃には美しい雪景色を堪能しながらの帰り道となった。






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