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春秋争い

春秋はるあきのことなど言ひて、「時にしたがひ見ることには、春霞はるがすみおもしろく、空ものどかに霞み、月のおもてもいと明かうもあらず、遠う流るるやうに見えたるに、琵琶びわ風香調ふかうでうゆるるかに弾き鳴らしたる、いといみじく聞こゆるに、また秋になりて、月いみじう明かきに、空は霧わたりたれど、手にとるばかりさやかに澄みわたりたるに、風の音、虫の声、とりあつめたる心地するに、さうの琴かき鳴らされたる、横笛やうでうの吹き澄まされたるは、なぞの春とおぼゆかし。また、さかと思へば、冬の夜の、空さええわたりいみじきに、雪の降りつもり光りあひたるに、篳篥ひちりきのわななき出でたるは、春秋もみなわすれぬかし」と言ひつづけて……』


(そして春、秋のことなどにも触れ、


「時期に従って見るなら春がすみが趣があるし、空ものどかにかすんで月の顔も明るすぎず、かすみも遠くに流れるように見えて琵琶の調べにある風香調と呼ばれるものを緩やかに弾き鳴らすなどは、大変風情あるものですが、また秋になって月がとても明るい時に、空は霧が覆っていても月の周りが手に取れそうなほどに爽やかに澄み渡るので、風の音、虫の声までもすべて取り集められる気持ちになる中で筝の琴がかき鳴らされ、横笛が澄み渡る音で吹かれたりすると秋に比べて春などどの程度のものかと思います。


 また、そうかと思えば、冬の夜の空が冴えわたりとても寒々しく、雪が降り積もって月の光が照り返される中、篳篥ひちりき(雅楽に使われる吹奏楽器)がわななくような音が聞こえるのは、春、秋の情緒も忘れてしまうほどでしょう」


 と、話し続けて……)



  ****


 私がおぼろ月夜のあわれに言い及んだので、資道様も春の情緒について語られる。


「春の夜ですか。確かに季節の時期に従って月を眺めようと言うならば、春はかすんだくらいの月がよろしいですね。春霞はるがすみと言うのは月だけでなく、空全体をぼんやりと優しく覆ってくれますから見ごたえがありますよ。そういう時は月の顔もあまり明るすぎないですし、霞が月の光の中で遠くへと流れていくように見えるのも美しい」


「そうですね。春の月には優しさがありますわ」


 私はさっき話した「あからさま過ぎない、闇夜の情緒」を思って納得する。すると資道様が


「お二人は管弦の遊びは好まれますか?」とお尋ねになった。


「弾きこなすのは難しいですけど、聞くのは好きです」


 小弁の君がそう言うので私も頷く。小弁の君の腕前までは知らないが、私は人並みに琴を弾ける程度だ。


「そう言う優しい春の宵にはゆったりとした調べがよく似合う。そんな時には琵琶で風香調と言う調べを弾くといいものです。風情がありますよ」


 そうだった。この方は音楽にも造詣が深いと評判のある方だった。


「かといって秋には時雨の闇以外の良さもあります。今夜と違って月がとても明るく輝く夜には空は霧がかかって空気にも湿り気を感じると言うのに、月の周りだけが嘘のように爽やかに澄んでくっきりと浮かび上がります。そんな時は月をそのまま手に取る事が出来るような気にさせられますね」


 資道様がそう言うと小弁の君は深く頷き、


「そう、それこそが月夜のあわれですわ。星よりも月の輝きが勝って、本当に手に取れそうな気がいたします」


 と同意している。資道様も満足そうに


「月を手にしたくなるような夜は、とても欲張りになったりしませんか? 私はそんな夜には風の音や虫の声と言った秋の風情を月と共に取り集めて、我がものにできるような気になるのですよ。そんな夜に筝の琴がかき鳴らされ、横笛のとても澄んだ音色が夜空に響き渡ると、春の情緒など秋に比べればどれほどのものかと思ってしまいます」


「資道様は秋がお好みなのですね」


 小弁の君が嬉しそうにそう言う。どうやら春より秋が好みなのは小弁の君の方らしい。


「いやいや。私は欲張りですから。春や秋も良いがそうかと思えばもっといい季節の月夜のあわれを知っています」


「まあ。どんな季節かしら?」


 私と小弁の君は顔を見合わせる。昔から季節は「春」と「秋」が甲乙つけがたい良い季節と言われていたから。


「冬ですよ。皆さん冬の夜になると邸の奥に引っ込みたがるようですが、冬の夜空と言うのはとてもいいものですよ」


「でも、都の冬の夜は寒さも厳しくて」


 私がそう言うと、


「皆さんが嫌がる寒さこそが実にあわれ深いのです。冬の夜は空でさえも凍てつきます。だからこそ冴え冴えとして月も星も輝きを増す。特に昼間雪が降り積もって夜になって月が出た時など格別です。雪が月の光に照らされて、普通の夜よりずっと明るくなるのです。けれど昼間のような何も包み隠さずにいる明るさじゃない。空気は澄んでいるのに白い雪が輝くぼんやりとした慎み深い明るさです」


 と資道様に言われてしまった。確かに冬の夜は月も星も一段と輝きが増して美しい。それに、


「それこそ、明るすぎない闇夜のあわれに通じる心地と言うものですね?」


「その通りです。そんな中で篳篥ひちりきの震え、わななくような音色が響き渡るのを聞くと、春や秋の月夜の情緒も忘れてしまうほどでしょう」


 この人なら冬の情緒もためらいなく堪能できるかもしれない。私は冬の夜など寒さが増すにつれて何となく物寂しく、人恋しさが募ってしまう。眠れぬままにぼんやりと物思いにふけったり、悲しい事ばかりが思い出されてしまったり。


 しかしこの君にはそんな影は関係ないだろう。世にありがちな不満や先への不安などとは無縁にこれまで生きてこられたように思える。もちろん全くないと言う事はなくても、私達のような受領の子に比べたらそんな思いはずっと少なく済んでいるはず。

 その伸びやかな明るさと自信がこの君を照らし、輝かせている。そしてこの君と話をしているとその明るい照り返しに自分の心まで明るくさせられてしまうのだ。


 光君のように、傍にいるだけで周りも明るく華やいだ気持ちにさせる本物の貴公子。それはこの明るい伸びやかさから発せられていたのか。

 若いころならその魅力に「ぼう」っとなって、ただうっとりと見上げたであろう本当の貴公子。今私はそのありようを喜びながらも、どこか冷めた目で見ていた。現実の結婚とは別に「花紅葉の恋」は胸の中で楽しむ事が出来る。むしろそのほうが美しい。そのことを知ってしまった私は今目の前にいる「花紅葉の恋の貴公子」を客観的に楽しんでいた。



  ****


『「いづれにか御心にとどまる」と問ふに、秋の夜に心を寄せて答へたまふを、さのみ同じさまには言はじとて、


  あさみどり花もひとつに霞みつつおぼろに見ゆる春の夜の月


 と答へたれば、かへすがへすうちずんじて、「さは、秋の夜はおぼし捨てつるななりな。


  今宵こよひよりのちの命のもしもあらばさは春の夜を形見かたみと思はむ」


 と言ふに、秋に心寄せたる人、


  人はみな春に心を寄せつめりわれのみや見む秋の夜の月


 とあるに、いみじう興じ、思ひわづらひたるけしきにて……』


(「あなた方はどちらに御心をとどめていますか」と尋ねるので、もう一人の人が秋の夜に心を寄せて答えるので、それと同じようには答えまいと思い、


  浅緑色の空も、美しい花々も、皆一様に霞に包まれた中

  おぼろに見る春の夜の月に心を寄せています


 と答えると、何度も何度もこの歌を口ずさんで、


「それは、秋の夜の情緒は捨てられるおつもりなのですね


  今夜より後も命が長らえておりましたら

  春の夜の情緒をあなたとの形見と思う事にしましょう


 と言うので、秋に心を寄せる人が、


  二人とも春に心を寄せられたようなので

  私だけが秋の夜の月を眺めることにしましょう


 と詠むので、とても面白がって、どちらに味方をしようか悩まれるご様子で……)



  ****


 すると資道様が、


「ではお二人は春夏秋冬どの季節に御心を寄せられていますか?」


 とお聞きになるので、小弁の君がやはり秋に心を寄せていると答えた。


「小弁の君は秋ですか。介の命婦の君はいかがです?」


 と問われたが、どの季節にもそれぞれ良い所はある。でもこの流れで同じ答えはするまいと思い、


  あさみどり花もひとつに霞みつつおぼろに見ゆる春の夜の月

 (浅緑色の空も、美しい花々も、皆一様に霞に包まれた中

  おぼろに見る春の夜の月に心を寄せています)


 の歌で私は春を上げた。私の春は悲しい思い出も多いが、それだけに春霞の優しさは心にしみる。これこそゆかしい「春秋争い」である。

 資道様の春霞を褒める言葉をもじって詠んだ歌に、資道様は何度もそれを口ずさまれて、


「ふうむ。面白いな。しかし今夜のような出会いをもたらしてくれた秋の夜の情緒もいいものです。それをあなたは捨てられるおつもりでしょうか?」


 と、ちょっぴり皮肉を利かせると、


  今宵こよひよりのちの命のもしもあらばさは春の夜を形見かたみと思はむ

 (今夜より後も命が長らえておりましたら

  春の夜の情緒をあなたとの形見と思う事にしましょう)


 と詠んで今夜の出会いを形見のように大切にしているのにとたしなめなさる。

 まあここは女房二人が秋の月夜を褒めて、資道様の冬の月夜に対抗すればいいのかもしれない。しかし私はこうして感覚の良い選者を交えて、小弁の君と歌のやり取りをするのが初めてだった。一度この人とは思い切り歌を競ってみたかった。せっかくの機会だ。私は資道様と優雅に歌をやり取りするよりは、今は小弁の君と春秋を競いたい気持ちになっていた。


 小弁の君もきっと同じ気持ちがあったのだろう。


「いえ、資道様。このような優雅なやり取りが出来るからこそ、この出会いが素晴らしいのです。秋を褒めれば春に味方したくなるのは人の常ですわ」


 そう言って今度は


  人はみな春に心を寄せつめりわれのみや見む秋の夜の月

 (二人とも春に心を寄せられたようなので

  私だけが秋の夜の月を眺めることにしましょう)


 の歌でわざとさらに秋の月夜を褒める。資道様を選者として信頼していますから、ここは私達二人に競わせて下さい。と言う所だろう。資道様は興味深く感じられながらも二人の歌を比べて、さて、どちらに味方したものかと考え込んでいる御様子だ。




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