時雨の夜
『「いま一人は」など問ひて、世のつねのうちつけのけさうびてなども言ひなさず、世の中のあはれなることどもなど、こまやかに言ひ出でて、さすがにきびしう、引き入りがたいふしぶしありて、われも人も答へなどするを、「まだ知らぬ人のありける」などめづらしがりて、とみに立つべくもあらぬほど、星の光だに見えず暗きに、うちしぐれつつ、木の葉にかかる音のをかしきを、「なかなかに艶にをかしき夜かな。月の隅なく明かからむもはしたなくまばゆかりぬべかりけり」』
(その人は「もうお一人の方はどなたでしょう」などと尋ねて、世によくあるぶしつけに懸想めいたことなどで言い紛らす事もなく、奥ゆかしい情緒を感じさせることなどを細やかに話すものだから、さすがにこちらもいかめしい態度で奥に引っ込むわけにはいかないような節々が感じられるので、私ともう一人の人もきちんと応対していると、
「私のまだ知らない人がいたのですね」
などと珍しがられてすぐに立ち去る様子もない所に、星の光さえ見えないほど暗く、時雨が降り、その木の葉を鳴らす音も趣深い夜なので、
「なかなか艶な風情のある夜ですね。 月が隅々まで明るくするのははしたなくまばゆくあるべきではないでしょう」)
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さらに資道様は小弁の君の後ろに隠れるようにしている私にお気づきになられて、
「ところでそちらにいらっしゃる、もう一人の方はどなたでしょうか?」
と尋ねられるので小弁の君が私のことを、
「こちらは菅原道真公のお血筋に当たる、前の常陸の介だった菅原孝標様の娘で、今の下野の守の妻になっている方ですわ」
と紹介してくれる。資道様はこういう時に世間の男君がよくやる好色風な懸想じみた冗談など一切言わなかった。さりとてこちらを見下したり適当な愛想でやり過ごそうなどもなさらない。
挨拶にもこちらが思わず引き込まれるような今夜のあわれを趣深く語り、とても丁寧に接して下さる。
これでは私達も頑なに奥に引っ込んだりなど出来ない。それどころか少しでも長くこの君と、世間話やもののあわれを語りあいたいと思わされてしまう。この君は実に不思議な何かを持っておられた。これこそ物語の光君や薫君の持つ、魅力と言うものなのだろう。
ごくごく稀な存在かもしれないが、確かにこの世にはいらっしゃったのだ。物語の世界をそのまま抜け出したような貴公子が。これに感激しない女人などいるものだろうか?
「御紹介の通り、私は下野の守の妻でございます。こちらでは介の命婦と呼ばれております」
と、自分からも名乗ってしまう。
「ああ、御主人は橘為義殿の末息子ですね。そうですか、その人の妻がここにいらしたのですか」
「夫を御存じなのですか?」
私は驚いた。資道様は参議の源済政様の御子息、四位の右大弁でいらっしゃる。とても優秀で人望のある方だからきっと近いうちに父親と同じ参議になられ、さらに超えて行かれるだろうともっぱらの評判が立っている。このような殿上人は地方を駆けずる受領の事など気に留めていないと思ったのに。
私などのつまらぬ女にこのような方が何か関心を持つのなら、普通は「菅原道真の血筋」と言う事を気にするのがせいぜいだろう。それも女の私の事だからその場では「ほう」と思ったとしても、すぐに忘れられてしまう。それを受領の夫の父親のことを知っていて、さらに夫が末息子である事まで御存じとは。
「知っていると言うほどではありませんが……。上国を納めている者の事くらいは頭に入れるようにしています」
この方が優秀だともてはやされるのが分かる。こういう所がきちんとされているから人望もあるのだろう。
「私は今、東国を納められる人を信頼しています。あの乱の後荒れてしまった国々を立て直す力のある人だからこそ、東国に任ぜられているのですから。そう言う人のことを把握して置いて無駄になる事はありません」
こんな風に女房相手でも軽んじることなく真面目な話をして下さる。明らかに他の男君とは違っている。こちらも思わず良い応対をしようと心を砕かずにはいられなくなってしまう。女房の相手ひとつとっても人望のある方は他の君とは違うものなのだろう。それでも、
「こちらに仕えている女房の方々の事も私は一通り知っていると思っていたのですが。まだこんな風に知らずにいた人がいたのですね。道真公ゆかりの方ならさぞかし才の方も長けた方なのでしょう」
と、こちらを持ちあげることも忘れない。だが、この方は他の君のように色事めいた話しをしながらお世辞で先祖の血筋を持ち出すのと違う。だから受ける印象がずっと良くなってしまう。このような方こそ、本物の貴公子なのだろう。
「人のことには物知りな私が知らない人にお会いできたことは、実に楽しいことです。不遜にも宮の不断経に遅れてしまった私ですが、今夜ばかりは遅れて良かった。私もこのままこちらにいてよろしいでしょう?」
これを否と断れる女がいたらどうかしている。私達は喜んでこの出会いを歓迎した。折から外は時雨模様で、星の光さえ無い夜だから真っ暗な闇夜。時折雨が木の葉を鳴らす音が僧たちの良い声で読まれている経に独特の趣を加えている。
「月もない闇夜とは、せっかくの素晴らしい法事なのにもったいないことですね」
私はそう言って暗い夜を惜しんだ。いつもなら私はこうした催しのある時に明るい月が出るのを好めなかった。年増の自分の姿を露わにするのが嫌だったからだ。しかし今夜ばかりは資道様の美しい姿を美しい月夜の下で拝見したかったと思う。しかし資道様は、
「いや。これもなかなかつややかで、風情ある夜です。このような暗さの勝る夜と言うのも趣深いもの」
「そうでしょうか? 普通は秋は月夜こそ趣がある風情だといいますけど」
小弁の君がそう言うと、
「確かに月夜もいい物ではありますが、少しばかりありきたりです。それにまばゆい月の光と言うものは隅々まですべてをあからさまにしてしまう。それもつまらないものだ」
とおっしゃる。
「そう言われるとそんな気もしますわね」
そんなに意志の強くない私はすぐに同意した。すると資道様は、
「明るすぎる光は互いの欠点や、良くない部分までも照らし出してしまう。それではお互い気恥しくてこんな風に親しく出来ないではありませんか」
とおっしゃる。これには私と小弁の君は顔を見合わせて恥入ってしまう。きっとここに来る前に私達が年増の自分たちの姿を気にしてうろたえたのを気付いていらっしゃるのだ。だがこういう勘の鋭さもこの貴公子には好ましい事だった。
「おっしゃる通りですわ。おかげでこのように親しくお話出来て、私達も光栄ですもの」
今度は小弁の君も素直にそう言った。
「このような暗い夜にほのかな灯りのもと、時雨が木の葉を鳴らす趣のある音を聞きながら互いの姿を麗しく想像しながら語り合う。これこそ本当の夜のあわれと言うものです。それにお二人には若い方々とは違う、奥深いしとやかな気配がお似合いだ。このような仕草が似合うのはやはり闇夜なればこそでしょう」
資道様がそうおっしゃるので小弁の君も、
「私は秋の月夜が好きでしたけど、そのようにおっしゃられると秋の暗闇までもが好ましく思えますわ」
と答えている。そうなるとここは春の夜の美しさにも触れたくなってくる。私が、
「では春の夜はどうでしょう? 普通はおぼろ月夜など、春らしくて好まれるものですけれど」
と言って、話題は「春秋あらそい」へと移っていく。それもこの貴公子との語らいには相応しく思われた。この頃には初めに感じた、
「うまく対応しなくては」
と言う、煩わしい思いは私達の中から消えていた。あるのはこの夜この場の季節を語り合いたいと言う親しい心だけであった。




