貴公子
『語らふ人どち、局のへだてなる遣戸を開け合はせて、物語などし暮らす日、また語らふ人の上にものしたまふを、たびたび呼びおろすに、「切に来とあらば、行かむ」とあるに、枯れたる薄のあるにつけて、
冬枯れの篠のをすすき袖たゆみ招きも寄せじ風にまかせむ
(共に語らいをする人たちがそれぞれの局を隔てている引き戸を双方から開けて話しをして過ごしている日、いつもは同じように語らいをしている人が宮のもとに参上していたのを何度も呼びもどそうとしたので、
「切実に来てほしいとおっしゃるならば、行きましょうか」
と返事が来たので、枯れた薄に歌をつけて贈った。
冬枯れの篠薄のようにあなたを呼んで袖を振り続けました
もう招き寄せるのはあきらめて風に任せることにしましょう )
****
冬の日の徒然と言うのは人同士の心を親しくさせる。同じ邸で供に仕える女同士ならなおのことだ。ある日私と同室の小弁の君、紀伊の君は、それぞれの居場所を引き戸で仕切っている局の中で、引き戸越しに隣にいる姪たちに、
「今日は特に寒いわねえ」
などと声をかける。
「こちらは火桶に多く炭を焚いているから温かいですよ。よろしかったら炭火にあたりにきませんか?」
「あら、それならいっそこの引き戸を明け放ってしまいましょう」
そう言って双方の部屋の仕切りを開けて一間のようにしてしまう。すると姪たちと親しくしている人達も、
「まあ、温かそう。私達も加えていただけません?」
と言って皆で寄り集まり、おしゃべりに興じ始めた。話に花が咲くうちに、
「この場におしゃべり好きな小式部の君がいらっしゃらないなんてつまらないわ。あの方、今日は御前なのかしら?」
と、小弁の君が言い出した。小式部の君は姪たちと同室の方で、小弁の君とも親しかった。
「昨夜宿直だったから本当は今朝戻られるはずだったけど、古参の方に何か用を言いつけられてそのまま御前を離れられなくなっているようですよ」
姪たちがそう教えてくれると小弁の君は、
「あの方の遅れ癖は相変わらずね。要領が悪いったら。早く退出するように言ってやりましょう」
と、言いだした。
「だって、御用を言い遣って戻れずにいるのでしょう? そんなことされても困るでしょうに」
小式部と同室の娘はそうたしなめたが小弁の君はすっかり面白がって、
「だからこそ言ってやるんじゃない。これは要領が悪い小式部の君への助け船よ。女童はいる? 小式部のもとへ使いに行って頂戴」
そう言って
「今、局で楽しい集いをしています。こんなときに限って御前を下がれずにいるなんて、あなたは相変わらず不器用ですのね。早く戻っておしゃべりしましょうよ」
と冗談めかした文を書いて持たせると、本当に小式部の君へ使いの子をやってしまう。すると小式部は来ずに使いの子に返事を持たせてきた。
「今は手が離せません。実は先ほどからとてもお美しい公達、源資道様が宮への御用事でいらっしゃっているのでお相手を務めているの。何でもない時に御前に控えて、こんなときにいらっしゃれないなんて、皆様ついていないわね」
と、言い返す言葉が書かれている。資道様は高倉殿にいらっしゃる公達の中でも、女房達にとても人気のある方なのだ。
「まあ悔しい。小式部の君も言うじゃないの」
文をやった小弁の君はそう悔しがる。
「それならどうしても小式部をこちらに呼び寄せましょうか」
なんだか私までそう言って小式部にやり返したくなってきた。他の人たちなど若いものだからすぐ、その気になって、
「そうよ、そうよ。無理にでも呼び寄せてしまいましょう」
そう言って何度も、何度も、小式部のもとに使いを出した。美しい公達に浮かれた小式部でもいい加減うんざりしたのではないかと皆で笑っていたら、小式部から返事が来た。
「こちらも素敵な時間を過ごしている所だけど、そうまで切実に私を恋しがって来て欲しいとおっしゃるならば、行ってあげてもよろしいわ」
これには私達の方が負けてしまった。こんなふうに書かれたらこれ以上は呼びに行けないではないか。これではまるで私達が恋しい男君にでも呼びかけて、冷たくあしらわれているかのようだ。私達は声を上げて笑ってしまう。
「ああ、参ったわ。これは降参するしかないわね」
小弁の君が笑いながらそういうものだから私は、
「このまま降参するのは癪だわ。振られた者らしく恨み言の歌でも贈りましょう」
と言って、
冬枯れの篠のをすすき袖たゆみ招きも寄せじ風にまかせむ
(冬枯れの篠薄のようにあなたを呼んで袖を振り続けました
もう招き寄せるのはあきらめて風に任せることにしましょう)
と歌を書いて枯れた冬の薄の、穂を失って「篠」と呼ばれる姿になった物に結び付けて贈ってやった。
その後局に戻ってきた小式部の君はこの歌を掲げて見せながら、
「さあ。こんな素晴らしい歌を詠んでまで私を恋しがって待っていらっしゃるのはどなたかしら? とうとうご機嫌を取りに戻って参りましたよ」
と、背を反り返らせてきたものだから、私達はまたもや皆で笑い転げてしまった。高倉殿は季節の行事の面白さやあわれもいいけれど、こんな風な普段の友情も楽しい場所であった。
****
『上達部、殿上人などに対面する人は、定まりたるやうなれば、うひうひしき里人は、ありなしをだに知らるべきにもあらぬに、十月ついたちごろの、いと暗き夜、不断経に、声よき人々読むほどなりとて、そなた近き戸口に二人ばかりたち出でて聞きつつ、物語して寄り臥してあるに、参りたる人のあるを、「逃げ入りて、局なる人々を呼び上げなどせむも見苦し。さはれ、ただ折からこそ。かくてただ」と言ふいま一人のあれば、かたはらにて聞きゐたるに、おとなしく静やかなるけはひにてものなど言ふ、くちをしからざなり』
(上達部や、殿上人などと対応をする人はそれぞれ決まっているようなものなので、それまで不慣れで里にこもりがちだった私は高倉殿にいるかいないかも知られることもないのに、十月の初めごろのとても暗い夜に不断経が行われ、声の良い僧たちが経を詠む頃だと聞いて、そちらに近い戸口に私と他の人と二人で出て来て経を聞きながら語り合って物などに寄りかかっていると、誰かがいらっしゃったので、
「奥に逃げて、局にいる人々を呼びだしたりするのは見苦しい。ええい、ままよ、そう言う機会です。だからこのままでいましょう」
と、もう一人の人が言うので、その人の傍らでやり取りを聞いていると、落ち着きのあるもの静かな様子で会話をする人なので、悪くない雰囲気だ)
****
源資道様と私が面識を持ったのはその秋、十月の初めごろに高倉殿で行われた不断経の夜の事だった。この時は宮のお母上である中宮様の御供養と回向のために行われたもので、さまざまな殿上人や上達部の方々もお越しになっていた。
こうした時に高貴な公達のお相手をする女房と言うのは大体決まっている。女房も同じ人から用を言い遣っていれば、こういう時はどんな用事でどう対応すればいいのか分かる。同じ人と応対を続ければ自然に気心も知れて用事も素早く、滞りなく進められる。公達の方でも自分の好みにあった気の合う女房を使った方が便利がいいのだ。
しかしこれまで目だった行事が行われる時以外は出仕することのなかった年増の私は、恥じらいと遠慮があって公達のお相手などした事がなかった。こういう役目は自然と若くて美しい人たちが多く担っている。いつも奥に引っ込んで宮の雑用ばかりをこなす私など公達の目に触れようもない。高貴な方は私のような女房がこの華やかな高倉殿にいること自体知らないはずである。
だからそれまで私は資道様の噂は聞いても面識どころか姿をお見かけしたことも無かった。
高倉殿の不断経は華やかな邸に相応しい。美しい袈裟を身にまとった美僧や、声の良い僧をたくさん集めて行われる。ありがたい説法などを美しい僧から聞かされるのも楽しく、心ときめくものではある。しかしこうして沢山の声の良い僧が心に響く声で読経を読みあげるのも、心にしみてうっとりとさせられる。その日は僧の中でもひときわ声の良い美僧が読経すると聞いていたので、私も小弁の君もとても楽しみにしていた。読経もかなり進み、招待された公達も女房達が一通り対応を終え、皆が美しい読経に耳を傾けて聞きいっていた。奥にいた私に小弁の君が、
「そろそろ、特に優れたお声の僧が経を読まれる頃よ」
と知らせてくれたので、私達は二人でその僧の声が良く聞こえる戸口の近くまで出て来た。もう中に入ってくる客人や公達はいないはず。そう思ってゆったりと物に寄りかかってくつろぎながら、美しい読経に耳を傾け、時々その素晴らしさを語りあったりして楽しんでいた。
ところが何かあって到着が遅れたのだろうか? 遠目ではあるが一人の公達がこちらの戸口に向かって来るではないか。普段は高貴な方に近寄らない私は動揺した。
「嫌だ。小弁の君、どうしましょう?」
小弁の君もここではかなりの年上。いつも決まった公達意外とは応対することなど無い。彼女も一瞬うろたえたが、
「私達がここにいることはこぼれ出た衣の裾で分かっているはずだわ。今更急に奥に引っ込んで局に人を呼びに行ったりしたら、お越しになった人を避けているようで見苦しいでしょう」
「でも……」
「ええい、ままよ。きっとこういう機会に巡り合う折だったんだわ。あちらも遅れてしまって気まずいはず。こういう時に機転を利かせるのも女房の役目よ。このまま私達で応対しましょう」
そう言って身じまいを正している。私はそれどころではなくて、情けないが小弁の君の陰に隠れてしまった。公達が近づいてくると小弁の君が、
「まあ、あれは源資道様だわ! どうしよう。うまく応対しなくっちゃ」
と、ますます緊張の色を見せる。私も資道様が素晴らしい歌人で音楽などにも造詣が深い、女房達に特に人気がある方なのは知っていた。余計緊張してここから消えてしまいたくなる。ああ、こんなことならやっぱり奥に引っ込んでしまえば良かった。
しかし資道様は遅れて来たことを慌てる風もなく、とても落ち着いた感じで詫びられる。小弁の君に読経の途中で対応してくれたことをねぎらっていた。その物腰も音もなく戸口をするりと入られるご様子も、大変静かでもの慣れている。それどころかこちらの動揺を感じ取って、とても見事な笑顔を向けられ悠然とお座りになられた。他の方なら宮の行われる催しにこれほど遅れれば、動揺して女房に助けを求めるものだろう。この方は逆にこちらを気づかって下さった。その態度と優雅な物腰に美しい御顔立ち。まるで物語の世界から抜け出たような貴公子ぶりであった。
当時の仏教は最先端の文化で、貴族たちにとって仏教行事と言うのは信仰以上に、自分達の権威を示す華やかな行事でした。
ですから華やかな邸で行う仏事と言うのは、当時の一大イベントと言ってよかったのです。
ですからここで「美僧による美しい読経を楽しむ」と言うのは、今なら大きなイベント会場で「人気の美男子が美しい声でバラードを歌う」コンサートのような感覚なのでしょう。
主人公達が楽しみにしていたのは、当時は仏事が楽しい事だったから。
当時の仏教が信仰だけのものではなかった事が伺えます。