宮仕えの日々
『冬になりて、月なく雪も降らずながら、星の光に、空さすがに隅なく冴えわたりたる夜のかぎり、殿の御方にさぶらふ人々と物語し明かしつつ、明きくればたち別れたち別れしつつ、まかでしを思ひ出ければ、
月もなく花も見ざりし冬の夜の心にしみてこいしきやなぞ
われもさ思ふことなるを、同じ心なるもをかしうて、
冴えし夜の氷は袖にまだとけで冬の夜ながら音をこそは泣け 』
(冬になって月も出ず雪も降らないながらも、星の光に空がさすがに隅々まで良く澄んで冴え渡るような夜の中で、関白殿の御邸にお仕えしている人達と話し込んで夜明かししては、夜が明ければそれぞれの局へ立っては別れ立っては別れして、退出したことを思い出した人が、
月も無くて、寒い時なので花も見る事のない冬の夜の事だったのに
何故か心にしみて恋しく思えるものですね
と歌を詠むので私もそう思っていたから、同じ心持なのが面白くて、
冴えた寒い夜にあわれを誘われて流した涙が凍った氷はこの袖にまだ解けずに残っています
あの日のままの冬の夜に声を上げて泣いてしまいます )
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長久三年、宮の宮中参内が済むと私は自分の邸に戻ることなく、そのまま高倉殿で暮らすことにした。姪たちはすっかり宮仕えにも慣れて溶け込んでいた。私も宮仕えを楽しむ事を覚えたのでそのまま高倉殿に局をいただく事にしたのだ。私もいずれは邸を出て夫、俊道のもとで暮らすつもりでいたので邸の父母にも二人で暮らす事に慣れて欲しかった。現実には父母にそんな時間は残っていなかったのだが。何より俊道が任国に下向していて留守だったから邸を離れるのも気が楽だった。
高倉殿に戻ると私達には兄から子が生まれたと便りがあった。なんとあの実方様の娘との間に出来た子だと言う。実方様の娘のお歳はすでに四十半ば。正直まさか子が生まれようとは思いもしなかった。どうやらその方と兄の間には並々ならぬ前世からの因縁があったらしい。ただし、兄がかねてから望んだ娘ではなくまたしても男子だったのだが。
この話を聞いて私にも思うものがあった。私もすでに三十半ば。俊道が任期を終えて戻ってくると四十に近い年となってしまう。姪の姫達を育て上げたことだし、正直自分の子供はあきらめてもいいかと思っていた。しかし兄と実方の娘とのようなこともある。もし、俊道と私の間に相応の因縁があれば子を儲ける事が出来るかもしれない。私は自分が年増だと思い色々な事を諦め過ぎていたのではないか? あれほど歳にそぐわないと思っていた宮仕えでさえ今はこうして楽しんでいる。実は私の人生はまだまだこれから深い物があるのかもしれなかった。
ずっと宮のもとに出仕していると自然と高倉殿での生活にも慣れてきた。同僚も小弁の君とだけではなく彼女と親しくしている小式部の君や、他の人たちとも親しんで話ができるようになった。表立って邸を訪れる客人などを宮様方にお取次するような役目こそ控えてはいるが、いつしか邸の奥で地道に行う仕事などは自分でこなせるようになっていった。宮様がまだ幼子と言う事もあってそういう地味な仕事は結構多い。私はそれなりに高倉殿の華やかさから少し離れた所に自分の居場所を作り出していた。
この高倉殿は土御門大路沿いにあるが、大路を挟んでその北向かいに関白頼道様が御母上の倫子様とお住まいになっている高陽殿があった。九年前、絢爛豪華な倫子様の七十の賀が行われた事で有名になった邸である。関白様はこの大路を挟んで北に御自分が御母上様と、南に裕子内親王様を住まわせていらっしゃる。この二つの邸はどちらも関白様が領有なさっていて両邸に仕える人達は自然と交流することが多くなっていた。
ちょっとした行事での道具の貸し借りや、互いが用事で親しくなるうちに催しなどの手伝いや招待などで顔見知りが増えていく。私達は頻繁に二つの邸を行き来するようになっていた。
この年の御仏名会も終わり私達の仕事も一息着いた時、高陽殿の女房達が高倉殿を訪ねて来てそのままおしゃべりに興じた事があった。その夜は月も雲に隠れて出ない、さりとてあわれな雪がちらつくわけでもない、ただ寒いばかりで空も雲間から冴え冴えとした星が輝く空気の澄んだ夜だった。
初めはたわいのない話だったが、そのうちに亡くなられた宮様の御母上の、中宮様の思い出話に変わって行った。
「関白様も倫子様も、それはそれは中宮様には御期待をしていらしてね。中宮様もそのことは胆に銘じていらっしゃったから、なんとしてでも皇子をお産みすると倫子様にお話していらしたの。その御様子がとても健気でいらっしゃるものだから関白様や倫子様も、
『中宮様はわたくし達の実子ではありませんが、このようにお心素直で考に尽くす娘は実の子でもそうそういるものではありません。こんな素晴らしい中宮様なら神仏もきっと願いを叶え、この中宮様を国母としてくださることでしょう。頼道は子女に恵まれなかったとはいえ、これほどの中宮様に恵まれたのです』
と言って、それはお悦びでいらっしゃいました。ですからお生まれになったのが裕子内親王様だった時も、
『必ず次は、皇子様を授かられるでしょう』
と信じて疑わずにおられたのです。それなのに御出産で中宮様が亡くなられるなんて。その時は倫子様はそれはひどく嘆かれておりました。皇子をお産みすることなく中宮様を失ったことはもちろん、中宮様と言う健気な御娘君を亡くされた悲しみが深かったのだろうと思います」
高陽殿に勤める女房がそういう話をすると、高倉殿で中宮様からお仕えしていた女房達がにじむ涙を袖で押さえて頷きはじめる。それを高陽殿の人達が優しく慰めるものだからその姿に哀れを誘われ、私達も涙ぐんでしまう。私達は、
「裕子様にお仕えしている身としては、そのように素晴らしくお心優れた中宮様がご自分の御娘でいらっしゃる宮様方のご成長をご覧になれないまま他界なさったのかと思うと、その御心があわれに思えて……」
と、胸をいっぱいにしてしまう。
「でも、そのお心優れた中宮様がお産みになられた宮様のご成長を見守れるなんて羨ましい。それはとても素晴らしいことですのよ。私達には中宮様の思い出を関白様や倫子様と話し合うことしかできませんもの」
そう悲しげに言う姿を見ると、私達も今度こそ涙にくれてしまった。こんなに華やかできらびやかな極楽浄土のような頼道様の邸にも、人生の悲哀はついて回ってしまうのだ。
私達は互いに慰め合い、励まし合って気づけば夜を明かしていた。皆それぞれに自分の局に戻って休もうと席を立ち、退出して行く。あわれ深い冬の夜に相応しい一夜であった。
それからしばらくしてあの夜と同じように月もなく冷え冷えとした空気が張り詰めた夜、あの高陽殿の女房から歌が贈られてきた。
月もなく花も見ざりし冬の夜の心にしみてこいしきやなぞ
(月も無くて、寒い時なので花も見る事のない冬の夜の事だったのに
何故か心にしみて恋しく思えるものですね)
あの夜に中宮様を偲んで涙した思い出の歌である。
私もその時、同じように「あの夜はあわれ深い夜だった」と思い出していたので興味深く思えて、
冴えし夜の氷は袖にまだとけで冬の夜ながら音をこそは泣け
(冴えた寒い夜にあわれを誘われて流した涙が凍った氷はこの袖にまだ解けずに残っています
あの日のままの冬の夜に声を上げて泣いてしまいます)
と歌を返した。その方とはその後も季節の折々に便りをかわしあい日々の情緒を慰め合って親しくしていたが、この方は後に越前の守の妻となって幸せに暮らされた。今となってはいい思い出である。
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『御前に臥して聞けば、池の鳥どもの、夜もすがら声々羽ぶき騒ぐ音のするに、目も覚めて、
わがごとぞ水のうきねに明かしつつ上毛の霜をはらひわぶなる
とひとりごちたるを、かたはらに臥したまへる人聞きつけて、
まして思へ水の仮寝のほどだにぞ上毛の霜をはらひわびける 』
(宿直で宮の御前で横になって耳を澄ましていると、池の鳥達が一晩中鳴いて羽ばたき騒ぐ音がするので目が覚めてしまい、
恐れ多い宮の御前で寝つけずにいる私のように水鳥も水上での浮寝に夜を明かして
上毛に着いた霜を払う事が出来ずにいるようだわ
と独り言を言っていると、傍で横になられている人が聞きつけて、
たまの宿直でもそう思うなら、
ましてや常に水の上の仮寝のような宿直をしている私は
いつも上毛に着いた霜を払えない思いをしていますわ )
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高倉殿にお仕えしていると宮の安全と利便のために女房達が交代で宮の御前に宿直しなくてはならない。この時は御前にいるとはいえあくまでも宮のお傍にいる事だけが目的なので、普通に眠ってかまわないことになっている。
しかし恐れ多くも宮の御前である。宮が悪夢にうなされたり、何かの拍子で目を覚まされたり、うまく寝付けなくなったりした時、お傍にいる女房が熟睡しているわけにはいかない。それに邸の中には男君なども多い。身分のない者は宮のいらっしゃる建物の近くにさえ寄りつけないが、高貴な方ならこっそりと御前近くに忍ばれることも不可能ではない。さすがに宮のいらっしゃる御簾のうちや、ましてお休みになられている御帳台に近づくことはないが、傍付きの女房に興味を持たれて突然お相手にされてしまう事もないわけではない。
そうなったら相手は高貴な方だから私達女房に抵抗する手立てはない。声など上げて高貴な方に恥などかかせては女房の方の失態となる。身分によっては目の前でどんな事が起っても他の女房も手を出さず見て見ぬふりをするしかないのだ。もし自分の近くに侵入者の気配があればとにかくその場から離れて逃げるより方法はない。御前での宿直中は、
「高貴な方が、そう、見苦しいことをするはずがない」
と思ってはいても、やはり緊張してゆっくり眠ることなど出来ないのだ。
私も高倉殿での生活に慣れて来ても、宿直を仰せつかると緊張して眠れるものではなかった。疲れた体を横たえてそれでも外の気配に耳をすませることになる。
そういう時は感覚が鋭敏になっていて、小さな音もひどく気に障ってしまう。そよぐ風の音、庭の木の葉のざわめき、誰かが寝がえりを打つ時の僅かな衣擦れの音。そんなものでもいちいち耳につく。
さらにその夜は庭の池の水鳥が頻繁に鳴き声を上げ、何度も羽をはばたかせる音が響いていた。寒い夜だから自分の羽毛の上毛に霜でも降りて、それが煩わしくて騒いでいるのだろうか?
そう思って私は
わがごとぞ水のうきねに明かしつつ上毛の霜をはらひわぶなる
(恐れ多い宮の御前で寝つけずにいる私のように水鳥も水上での浮寝に夜を明かして
上毛に着いた霜を払う事が出来ずにいるようだわ)
などと誰に聞かせるつもりもなく独り言で歌を詠んだ。
すると私の傍で休んでいた古参の女房が、
「これまであまり出仕せずにこうして稀に宿直をするあなたでさえも、御前では身も心も休められないようね。でもこれが日常の私にとっては、頻繁に行う宿直がどんなに辛いか」
そう言ってため息とともに
まして思へ水の仮寝のほどだにぞ上毛の霜をはらひわびける
(たまの宿直でもそう思うなら、
ましてや常に水の上の仮寝のような宿直をしている私は
いつも上毛に着いた霜を払えない思いをしていますわ)
と歌を詠む。そう、宮仕えと言うのは決して華やかなだけではない、多くの女房の悲哀がこもった世界だ。
「お察し申し上げますわ。それでも宮様にお仕えする喜びがあればこそ、こうして宿直を務めていらっしゃるのですね」
「ええ、そうね。こうして心を尽くすのも宮のご成長を願えばこそだわ。何より宮をお見守りしている自負と誇りがあるから宮仕えを続けられる。このつらさも宮にお仕えしている喜びを知るためにあるようなものかもしれないわ」
私達はごく低い声でそんな事をぽつりぽつりと語りあいながら、水鳥の羽音を耳にしながら長い夜を明かして過ごすのだ。