藤壺の中宮
『なかなか心やすくおぼえて、さんべきをりふし参りて、つれづれなるさんべき人と物語などして、めでたきことも、をかしくおもしろきをりをりも、わが身はかやうにたちまじり、いたく人にも見知られむにも、はばかりあんべければ、ただ大方のことにのみ聞きつつ過ぐすに、内裏の御供に参りたるをり、有明の月いと明かきに、わが念じ申す天照御神は内裏にぞおはしますなるかし、かかるをり参りて拝みたてまつらむと思ひて、四月ばかりの月の明かきに、いと忍びて参りたれば、博士の命婦は知るたよりあれば、燈籠の火のいとほのかなるに、あさましく老い神さびて、さすがにいとようものなど言ひゐたるが、人ともおぼえず、神のあらはれたまへるかとおぼゆ』
(むしろ気軽に思えて、適当な時に参って、時間つぶしにその辺の人と話をしたりして、宮様の喜びごとも楽しく興を引かれる折々も、私はそんな風に立ち交じり、注目されて人に見知られることも憚りのある身なので、ただ大体のことだけを聞いて過ごすようにしていたが、宮様が宮中の内裏に参上なさる御供に参った時に有明の月がとても明るくて、私が念じ申し上げている天照御神は内裏の中においでだと聞いていたので、こうした折にお参りして拝み奉りたいと思い、四月の月の明るい夜にたいそう忍んでお参りした所、そこにいる博士の命婦が知っている人だったので、燈籠の灯もごくほの明るい中で驚くほど年老いて神がかった様子で、それだけにとても言葉巧みに物を言うので、普通の人とも思えず、神様が姿を現されたのかと思った)
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大きな責任を負う事も無く、生活の心配をする必要もない私は宮仕えを楽しむようになっていた。他の人たちが自分をより素晴らしく見せて良縁を望んだり、自分の才能を認めてもらおうと必死だったり、良い評判を得て家名を盛り立てなくてはと自分の責任を果たすことに躍起になる中、「若い姫の後見人」の立場の私は実に気楽なものだった。
そんな立場なものだから逆に他の人より目立って御迷惑になってはいけないと「たまに顔を出す客人」らしく、出来るだけ大人しく引っ込んでいるように気をつける。少し時間つぶしに親しい人と会話をする程度で、目立たず、そっと若い姫たちの影として立ちふるまうように心がけた。
姫達が上がるたびに一緒にいては目障りかもしれないので普段の出仕は控えめにした。そして宮家での祝い事や宮様の御喜びごと、季節の折々に行われる興を催すような行事の時に、浮かれた気分で姫たちに軽はずみなことがおきないように、目を光らせるためだけに私は出仕していた。
高倉殿では季節ごとに様々な華々しい催し事が行われた。春の初めは曲水宴、続いて宮の健やかなご成長を祈って行われる上巳祓(ひな祭り)、灌仏会。夫俊道が下野に下った長久二年の夏、五月十二日には歌合わせも行われた。この席で紀伊の君も歌を御披露する事が出来て、母娘はとても喜んでいた。
秋には七夕、観月宴、重陽の菊宴。冬は内裏に参られて御節の舞姫の舞をご覧になられる。そして私が以前に初めて出仕した行事の御仏名もまた行われた。
姫たちに何か困ったことが起きたら小弁の君や、彼女と親しい小式部の君に助けてもらえるようにお願いしてあったが、姫たちも私がいることで心強く思うらしい。それに若さは何事も器用に吸収してしまうのか、私が頼られることなどほとんどなかった。私は本当に形ばかりの出仕を楽しんで過ごしていた。
翌年長久三年の四月十三日。この日も宮が帝にお目にかかるために内裏に参られるので、私達も御供をする事になった。この時私は以前、
「天照御神とはどのような神仏か」
と尋ねた時に女房に、宮中の温明殿に天照御神がいらっしゃると教えられた。その女房に知人の温明殿にいる内侍の「博士の命婦」と言う人を紹介してもらい、内裏に参上した折に内密にお参りさせていただくことにした。以前から心にかけていた事なので、ようやく叶うと思うと心にしみるものがある。
その夜は月の明るい夜で、暗く広い内裏の中でも迷うことなく温明殿にたどり着けた。行くと約束通り博士の命婦と言う人が待っていてくれた。その人は驚くほど年老いていて背は大きく曲がり、髪は真っ白で、顔じゅうに深いしわが刻まれていて、一見どこに目があるのか探さなければならないほど。まるでこの世の人ではないようだった。
温明殿の中はとても暗く、燈籠だけがほの暗い明りをかろうじて差している程度で、それが余計神秘的に感じられた。そこで博士の命婦が色々な言葉をかけてくれたのだが、その様子もこの世の事とは思えない。言っている言葉もなんだか巧みな言葉に思えて、まるでそこに神様がいらっしゃるのではないかと思えるくらいだった。こんなありがたい神様が内裏に居られて帝を守られているのだ。
そんな体験をしたのでその後も私は、内裏とはどれほど大した場所なのだろうと感慨深い思いで宮の御供を勤めていた。
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『またの夜も、月のいと明かきに、藤壺の東の戸を押しあけて、さべき人々物語しつつ月をながむるに、梅壺の女御の上らせたまふなる音なひ、いみじく心にくく優なるにも、「故宮のおはします世ならましかば、かやうに上らせたまはまし」など、人々言ひ出づる、げにいとあはれなりかし。
天の戸を雲居ながらもよそに見て昔のあとを恋ふる月かな
(翌日の夜も月がとても明るいので、藤壺の東側の戸を押し開けてしかるべき人々が話しをしながら月を眺めていると、梅壺の女御が帝のもとへお上りになる音などが大変心憎く優雅な御様子なものだから、
「亡くなられた中宮が生きていらっしゃる世であれば、このような御様子で参上なさったのでしょうね」
などと人々が言い出すのも、本当に大変あわれ深いことである。
帝が居られる内裏と言う天上の世界。同じ雲の上にいる私達だけれど、その戸を押し開けて梅壺の女御がこうして帝のもとへ上られるのをよそながら眺めていなくてはならない。
生きておられれば同じように帝に召されていた中宮様のことを、私達はあの月のように恋しく思っているのです )
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その次の夜も、月はとても明るかった。
裕子内親王様や禖子内親王様は亡くなられた中宮の御娘でいらっしゃられるので、お二人が内裏に参上なさった時の御座所は中宮が暮らしておられた藤壺を使われている。当然仕えている私達女房も藤壺で宮にお仕えしていた。せっかくの明るい月夜。しかもここは普通の人間が近づくことも許されない、雲の上の人達が暮らす内裏の内だ。ここで月のあわれを楽しまないと言う事はない。誰が言い出すともなく月を楽しもうと言う事になり、私達は藤壺の東側の戸を押し上げて月を眺めることにした。宮に仕える女房達は気高い宮中から眺める月に感動し、思い思いにおしゃべりに興じていた。
すると隣の梅壺から人の歩く気配がする。衣ずれの音、人々のささやき声、女達が焚きしめる香のほのかな香り。どうやら梅壺に住まわれている内大臣、藤原教道殿の御娘で女御として御入内なさっている生子様、梅壺の女御様が帝のお召しに応えて参上なさる所らしい。扇でお顔は隠されているが御入内なさって二年余り。さぞかし娘盛りの美しさを讃えられていることだろう。
女御様の御行列は実に優雅に衣ずれの音も上品にしずしずと歩まれていく。いかにも帝の女御様に相応しい御様子で、私たち普通の人とは違う世界の人に相応しい品位を感じられた。するとそれを見ていた裕子様の乳母がため息をつく。
「亡くなられた中宮様がもし今も御存命であれば、私達も毎日のようにあのように晴れがましい行列を作って、帝のもとに参上していた事でしょうね」
乳母はしみじみとそう言った。すると古参の女房たちも物悲しげな表情をする。この人たちは皆以前から中宮様にお仕えしていて、中宮様亡き後も裕子内親王の御世話をしている人たちである。きっと昔はここであのような行列を作って中宮様に従い帝のもとに参上していたのだろう。梅壺の女御様の御様子を見てそれを思い出し、中宮様を慕って寂しく感じているのである。
「中宮様は素晴らしい方でおられたのでしょうね」
若い人もつられたように物寂しげな表情になる。
「ええ、お心優しく、それでいて気高くいらっしゃる素晴らしい中宮様でした。関白(頼道)様は御自分がお父上に続いて一の人となられる事が分かっていましたからとても御娘君を儲けられることを望んでいましたが、愛妻家でいらっしゃったので正妻の隆姫様を思うあまり他の方を妻に望まれなかったの。そして隆姫様との仲は睦まじかったにもかかわらずお子様は儲けられませんでしたのよ」
それはとても有名な話だった。頼道様は帝から御自分のご皇女の降嫁の話を持ちかけられたにもかかわらず、隆姫様以外の妻を……まして御身分の高いご皇女様を妻にしたくないと言ってお断りしたのだ。この時お父上の道長様はたいそうご立腹で、
「男子がなぜ一人の妻で止まるのか」
と、無理強いまでなさろうとしたのだとか。お悩み激しい頼道様は重病になられ、加持祈祷で隆姫様の御父上、具平親王の怨霊が現れたので道長様がお諦めになったのだとか。
「残念ながら願いがかなえられなかった分、関白様は御養女にされた敦康親王の娘である中宮様に大きな期待をかけておいででした。ですから中宮様は誰よりも気高く、誰よりも奥ゆかしく、誰よりも賢く育てられました。中宮様自身も御自分の身の上を良く分かっておられて心から帝を尊敬し、帝の皇子をお産みしようと懸命でいらっしゃいました。まだお若い身であったのだから御存命であればきっと次こそは皇子様をお産みになっていらしただろうと思うと……。その御無念が私達仕えていた者にも良く分かるのです。ですから梅壺の女御様の御姿を見たら何とも言えない気持ちになってしまって」
そう言って乳母は再びため息をつくと、傍にいた古参の女房が感極まって涙ぐんでいた。
「ああ、もう一度中宮様にお会いしたい……」
誰かがそう言うと他の誰かも、
「あの月も、この藤壺をこうも明るく照らすのは、ここに住まわれていた中宮様を恋しがってのことかもしれませんね。まるで私達のように」
と、しみじみと月を見上げている。そんな言葉を聞いているとなんだか私まで宮の御母上の中宮様のことを恋しく思えてしまう。私はその場のあわれに誘われるままに、中宮様を慕う歌を詠んだ。
天の戸を雲居ながらもよそに見て昔のあとを恋ふる月かな
(帝が居られる内裏と言う天上の世界。同じ雲の上にいる私達だけれど、その戸を押し開けて梅壺の女御がこうして帝のもとへ上られるのをよそながら眺めていなくてはならない。
生きておられれば同じように帝に召されていた中宮様のことを、私達はあの月のように恋しく思っているのです)