結婚後の出仕
結婚後の私の生活は忙しくも穏やかに過ぎて行った。私は高倉殿への出仕もせず、俊道の世話や若い姫たちの世話に日々を過ごしていた。
俊道は家庭では私に気を使う気が弱いばかりの男に思えたが、仕事は真面目一途で人当たりも良いのでなかなか評判もいいようだった。私の姪の若い姫たちにも気配りが行き届いていて、つてを頼っては美しい衣を手に入れてくれる。彼の兄の任地から贈られた地方の細工物などちょっとした品を手に入れては姫たちに持ってきてくれた。時には老いた母にも美しい数珠や袈裟が贈られた。母は今では俊道が私の夫だと分かっているのかどうかも怪しいが、それでも俊道の手を取っては、
「ありがたい、ありがたい」
と涙ながらに感謝していた。当然父は誰よりも満足している。
私も不満はなかった。花紅葉の世界は遠のいたとはいえ、毎日の生活は穏やかでこれまで感じていた先の不安も無くなり、まさしく肩の荷が下りたという感じだった。
それでも時折頭の中には「よしなしごと」がかすめることもある。だが自分の中で過去の世界の事とけじめをつければ、それもささやかな心の慰めとして悪くはなかった。ただし真剣な信仰心には遠く及ばずにいたが、それは生来浅はかな心の私なのだから仕方がない。
この頃兄の定義は新しい女君の所に通い出した。相任様の娘との間に儲けた息子はもう十二歳。しかしその後この方とは子に恵まれず、兄も貴族の男なのだから娘が欲しいらしく藤原在良様の娘の所にも通っていた。ところがこの方が儲けたのも男子だった。ただ、この方とはあまり夫婦の相性がおもわしくなかったらしく、もとからの妻への遠慮もあって仲は絶え絶えとなっていた。そこで今度は藤原実方様の娘のもとに通っているようである。まるで娘欲しさに妻を取り変えているようで私には良い気持ちがしないが、上の位を目指す男の感覚ではこれは当然の欲求であるらしい。
それに実方様はかの若き日の行成様と衝突し、行成様の冠をはたき落すという貴族にはあるまじき暴挙に出た方だった。それがもとで地方に追いやられて、そこで非業の死を遂げられていた。よってその女君は幼くして父親を失い、はかばかしい後ろ盾も無く不遇な日々を送ったらしい。
兄や私達家族はその行成様の後ろ盾に支えられていたのだから、兄にはその女君に特別な思い入れがあるようだ。実方様の娘と言う事はその方のお歳はすでに四十を超えているはずだが、兄はかまわず通っていると言う。そういう所は兄らしいとも言えるが。
若いころは式部省で書生や史生として目が出るのを待っていた兄だったが、その後式部少輔になると続いて民部少輔に任じられ、各地方の荘園の管理報告に追われた。その時の兄の正義感の強さが買われたのか、今は弾正少弼となって朝廷内の監察、都の風俗の取り締まりをしている。兄が言うには実際の役目は殆んど検非違使達が行うので兄はその管理役にすぎないそうだが、博士を目指す身で弾正台に官職を賜わるところがいかにも正義感が強い兄らしいと思う。
特別華やかではないけれど夫に支えられ、姪の姫たちの面倒も見てもらい、兄もコツコツと自分の道を切り開いている。私はこれまでにない安心感を味わいながら暮らしていた。夢見た物語のような結婚ではないけれど、俊道の穏やかな優しさは私を心からくつろがせる。空想に逃げ込んでいた心にやすらぎを与えてくれた。だから私は少しくらい物語が手に入りにくくなっても、華やかな世界が遠のいても、苦になることはなかった。それよりも俊道の任官の方が大事だった。なんとか彼を望む良国の国司にしようと、挨拶に出向く彼に付け届けを持たせた。貧相な容姿の彼が少しでも見栄えよく映るように装束などにも気を配り、特に正月の装束など精一杯気合を入れて縫い上げた。
そんな思いが通じたのか、翌年、長久二年一月に俊道は無事に下野守に任ぜられた。下野国は東国にある遠国ではあるが、上国である。私はまだ新婚と言う事もあって下野について行くことを望んだが、
「あなたには自分で育てた若い姪の姫達がいるではないか。あなたがいなくなって年老いた祖父母のもとで暮らすのは姫達には可哀想だろう。それにあなたにも頻繁に高倉殿の宮様から出仕を望む声が来ている。このさい、私が任国に赴任している間の徒然を高倉殿への出仕で過ごすのも悪くないと思うのだが」
こんなところが夫の実に気のいいところだった。普通、結婚すれば妻が男君の前に顔を曝さなくてはならない宮仕えなどさせたくないと考える。ましてや夫が任国に下る中、目の届かない妻を邸の外に出すなど許さないのが普通なのだが、俊道にはそういうところがない。かといって高貴な方々のご機嫌を気にして、
「高倉殿からの出仕の催促とは恐れ多い話だ! すぐに出仕しろ!」
と、妻を自分の出世の足掛かりにしようと言う下心も無い。新婚と言っても私が地味な年増なものだからあまり気にならないのかもしれない。こういう時、若くない結婚と言うのは割り切りが効いていい物なのかもしれなかった。私は今更宮仕えにそれほど未練はなかったが、若い姫たちのことは放っておけず、結局俊道の言う通りに都に残ることにした。宮仕えの事も私は無理に出る気はないと言ったが、
「まあ、そう堅苦しく考えなくていい。あなたの気が向いたら皆様に元気な姿を見せるつもりでいればいいのだ。今はあなたも自分の立場が落ち着いているのだから、私がいない間華やぎに触れに行くつもりでいればいいんだ。あなたが心明るくあれば私も嬉しいし若い姫たちのためにもきっとなる。好きな時に、好きにすればいい」
そう言って私に、
「留守をしっかり守るように」とか、
「自分がいない時に恥をかかせるような真似をするな」
とか言う世間の夫にありがちな言葉は少しも残さず、俊道は大騒ぎの支度の後に遠国下野に旅立って行った。私は何とも寂しい、空虚な思いに駆られてしまう。俊道と結婚して一年足らず。すでに彼は私の心の一部となってしまっていて、彼が出立した後も気付けばその姿を目が探してしまっていた。あんなにがっかりしながらした結婚だったにもかかわらず、皮肉なものだ。
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『参りしそめし所にも、かくかきこもりぬるを、まことにもおぼしめしたらぬさまに人々も告げ、たえず召しなどするなかにも、わざと召して、「若い人参らせよ」と仰せらるれば、えさらず出だし立てつるに引かされて、また時々出で立てど、過ぎしに方のやうなるあいなだのみの心おごりをだに、すべきやうもなくて、さすがに若い人に引かれて、をりをりさし出づるにも、馴れたる人は、こよなく、なにごとにつけてもありつき顔に、われはいと若人にあるべきにもあらず、またおとなにせらるべきおぼえもなく、時々のまらうとにさし放たれて、すずろなるやうなれど、ひとえにそなた一つを頼むべきならねば、われよりまさる人あるも、うらやましくもあらず』
(参り始めていた所でも、私が家庭に籠ってしまったことを本当の事とは思っていないと宮仕え先の同僚人々に告げられ、絶えずお召しがある中でも特に強くお召しがあって、
「あなたの身内の若い人を参らせなさい」
と仰せになられるので、仕方なく若い人を出仕させたのに連れられてさらに時々出仕するようになったが、過ぎし日のようにあてにもならない憧れへの心おごりなどをするようなことも無くなって、それでも若い人に連れられて折々に出仕はするものの、仕事に馴れた人はとても何事にも物慣れた顔でいるのに、私と言えば若い新人でもなく、だからと言って古参の女房ほど馴れているわけでもなく、時々稀に訪れる人として放っておかれ、落ち着かない立場だけれど、ひとえに宮仕えだけを頼りにしているわけでもないので、自分より重く使われる人がいても、羨ましくも思わない)
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もとから高倉殿の方でも私が完全に家庭に籠る気になったとは考えていなかったらしく、頻繁にお召しの声はかかっていた。小弁の君も時々休みの時に私の邸に顔を見せては、
「新婚なのは分かるけど、せっかく高倉殿に上がる事が出来ると言う名誉を賜わっているのだから、俊道殿に良くお願いをして出仕させていただいたら?」
と、私を誘いに来ていた。俊道は一度も私の出仕に反対したことなど無かったので気まずかったが、
「私のように見栄えも悪く、たいして才のない人があんな華やかな場所にいても他の方々のご迷惑になるから」
と言って断っていた。それを小弁の君などは本気に思っていないらしく、私が謙遜と夫への遠慮から言っている言葉だと思い、頻繁に出仕の誘いの言葉を文などで送ってくれていた。特に結婚から半年の時が過ぎると、そろそろいいだろうとばかりにいろいろな人々からの声がかかっていた。きっと彼女たちには宮仕えは厳しい部分もあるが、華やかでやりがいのある場所に思えているのだろう。
俊道が任官し、下野の守に任ぜられると私の出仕を促す声はますます強くなっていた。俊道が出立すると今度は宮家から直接、
「この度はあなたの身内の若い姫君達を出仕させるように」
との御声がかかった。これをお断りする訳にも行かず、ようやく若い姫たちに陽が当たってきたのを見逃すわけにもいかない。私は姫たちの後見として彼女たちに連れられるように出仕することになった。私も小弁の君と同じような立場となったのだ。
いざ出仕して見ると私は自分の心境の変化に驚いた。自分に支えとなる人や、頼りとするよりどころがあると、同じ出仕でもこうも心の余裕が違うものなのか。
まず、緊張感が違った。以前出仕した時にはこんな年増の自分が若い人に立ち交じっている事が恥ずかしくてどうしようもなかった。今も見劣りのする自分を曝す恥ずかしさはあるが、そこにともなう緊張の度合いが違う。
あの頃は私はまだ独身で、人に身を曝すこと自体が、多くの人達に自分を若い人と見比べさせることを意味していた。しかもそのことに若い姫たちや自分の先行きなど、人生のさまざまな事がかかっていたのだ。
しかし今の私には夫と言う支えがある。俊道が私を妻と認めてくれている以上、誰に比べられてもそれで生活に支障をきたすことはない。しかも今回は若い姫たちもこうしてお披露目出来ている。これで姫たちの存在が世間に気付かれずにうずもれることはないはずだ。我が子のように育てた姉の娘達の生きる道筋だけは、なんとか私が作り出す事が出来た。自分の役目を果す事が出来ると言うのはなんて心軽い事なのだろう。
それから私は姫たちに連れられるようにたびたび出仕をするようになった。以前「花紅葉の恋」に憧れていた時は出仕するにも、まさかとは思いながらも良くも悪くもそういう事が起るかもしれないと言う期待と不安があった。しかし今では自分の立場が安定しているのでそんな心おごりも無い。ときめきも無いが極度の緊張を味わう必要も無くなった。私は若い姫たちの後見人として見守ってさえいればいいのだ。
それに俊道が任官したことで生活もずっと良くなったので、姫たちに着せる装束もとても華やいだものを着せてやれる。それも私自身の自信につながっているようで、以前のように自分の容姿や身なりを恥じる必要を感じなくなっていた。まったく現金なものだが先行きや立場、物質が安定していれば宮仕えはまさに気軽に華やぎに触れる事が出来る、魅力的な場所となったのだ。
私は出仕間もなく家庭に入ったので、高倉殿にそれほど慣れている訳ではない。だからと言ってまったくの新人でもないから、知り人達がそれなりに気を使ってくれる。私の出仕はいわば「稀に訪れる客人扱い」されているようなものだった。それは本当なら落ち着かない立場のはずなのだけど、私にはいつでも帰れる家庭があるから、ここでの自分の扱いに神経をとがらせる必要がない。俊道の言う通り、元気な顔を知り合いに見せに来ているようなものだ。無理にここで他の人と競い合う必要がないので、私の同僚が身分高い人に次々と重用され可愛がられるのを見ても、うらやむ必要がなかった。
そして宮仕えに出たからと言って、私は俊道の妻でいる事がつまらなく思えるようなことは少しも無かった。どれほどの華やぎに触れようともそれは俊道が夫としての役割を果たし、さらに寛大な心で持って私を外に出してくれるから叶う事だ。世間から見れば一度は宮家にお仕えして華々しい思いをした女が受領の男と結婚し、飽き足りぬ思いを高倉殿への出仕で紛らわしているように見えるかもしれないが、私自身はさまざまな事に満足していて、俊道に感謝しているくらいだった。