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突然の縁談

『十二月二十五日、宮の御仏名ごぶつみやうに召しあれば、その夜ばかりと思ひて参りぬ。

白ききぬどもに、濃き搔練かいねりをみな着て、四十余人ばかり出でゐたり。しるべしいでし人のかげに隠れて、あるが中にうちほのめいて、暁にはまかづ。雪うち散りつつ、いみじくはげしくえ凍る暁がたの月の、ほのかに濃き搔練の袖にうつれるも、げにるる顔なり。道すがら、


  年は暮れ夜は明け方の月かげのそでにうつれるほどぞはかなき  』


(十二月二十五日、宮の御仏名にお召しがあったので、その夜だけの事と思って参上する。白い衣の上に濃い搔練かいねりと言う正装に皆身を包み、四十人以上の人が列席した。案内をしてくれる人の陰に隠れて、多くの女房の中にそっと並んだだけで、夜明けには退出する。雪が舞い散り、とても激しい寒さに凍ってしまいそうに冴える夜明けの月の光が、濃い搔練の袖にぼんやりと映っているのも、古い歌の通り涙に濡れる顔の風情である。その道すがらに、


  年の暮れの夜に夜明けの月の光が

 (涙に濡れた)袖に移っている様子は儚いものだ  )



  ****


 夢の啓示を受けて私はこのまま宮仕えをしたものか、それとも清水のような寺に詣でて信仰に明け暮れる道を選ぶべきか……。いっそ尼姿となって寺に入り後世を祈るのが良いのかと心揺れていた。夢に従えば私は宮仕えを断り、俗世を捨てて寺に入道し、一途に信仰への道を歩む事が後世の幸せに繋がるはずである。しかしそれでは年老いた両親を捨て、若い姫たちを見捨てることになってしまう。そうやって自分が開運したとしてもその後若い姫達はどうなることだろう。あの夢は私の功徳については教えてくれたが、若い姫たちや父母のことには触れていなかった。


 私は肉親の情に負けた。それに僅かに高貴な方との花紅葉のようなあわれな恋への夢も捨てきってはいなかった。とても信仰一途に心傾けるなど出来ない。私の心は煩悩の塊だった。

 だからと言ってあの華やかな邸、高倉殿たかくらでんで我が子ほどに年の離れた若い人たちに立ち交じって華やぐ事が出来る自信も無い。しかし今の私には宮仕えをして姉の姫たちの道筋を作ってやるくらいのことしかできることはない。恥ずかしく場違いな存在だとは思うが、お召しがあれば断るわけにもいかなかった。


 同じ十二月、高倉殿にて宮の御仏名会ごぶつみょうえが執り行われる事となった。御仏名会とは毎年十二月十九日から三夜に渡り、宮中や諸寺にて御仏の名号を唱えてその年一年の罪障を懺悔をする法会の事である。宮中などの法会が終わると今度は中宮の里邸や宮様の邸にて行われる。この年の裕子内親王様のための高倉殿での御仏名会は二十五日に行われることになった。


 私にもお召しがかかり、参上することになった。しかし新入りの私が何を出来るものでもないので、一晩だけ宮にお付き添いするだけの形ばかりの参上である。それでも用意された上質の真っ白な衣に濃い紅の搔練かいねりと言う正装に身を包み、冷やかな夜の中を参上する。


 行ってみると他の方々も同じ衣装に身を包み四十人以上の人が列席している。同じ衣装なので若い人たちと並んでしまうと年増の私の姿は無残としか言いようがない。寒い夜なので若い人たちの肌は一層白く美しく見え、さらには寒さで頬がほんのり赤くなるものだからそれも生き生きとして愛らしい。私の張りのない肌とは比べるべくも無かった。


 居心地の悪さに私は女房達の案内をしてくれる人の後ろにぴったりと張り付いて、その陰に隠れていた。とても人前にさらせる私の姿ではない。まあなんだってこんなに華やかで豪華な法会に私のような者が混じっていなくてはならないのだろう。出来ればこのまま消えてしまいたいくらいの心境だ。他の女房達は


「ねえ、あの方が参議の……殿かしら?」


「きっとそうよ。ああ、噂通りの美男でいらっしゃること」


「あちらには……様もいらっしゃるわ。あんな高貴な方々をお見上げする事が出来るなんて、宮のご法会はなんて素晴らしいのかしら」


「名号を唱えていらっしゃる僧もお美しい上に大変声がよろしいわ。この声を聞いているだけでとても功徳がありそうよ」


 と、噂話にかしましい。しかし私にそんな余裕はなく、話しに交わる気にもなれず、ひたすら目立たぬようにと端の方に小さくなって並んでいる。法会が終わると皆は、


「ああ、夢のように美しい法会だった。あっという間に時が過ぎてしまったわ」


 と感激していたが、私にとってはつらく長い時間に他ならなかった。


 明け方に法会が終わると皆あちこちでおしゃべりを始めていたが、私は早々に退出させていただいた。車に乗ると一気に緊張の糸が切れてどっと涙があふれてしまう。あの立派な方々の居並ぶ中で私はなんてみじめな姿をしていた事か。胸の中は羞恥の念でいっぱいになった。


 冬の明け方は何もかもが……冴えた月の光さえも凍りついてしまいそうな寒さだった。車の御簾越しに何か白い物の気配がすると思って見てみると、月の光に輝きを増す白い雪が舞い散っている。ああ、どおりで涙に濡れた袖が冷たいと思った。袖口に視線を落とすと紅い搔練がぼんやりと光って見えた。外の月明かりが射しこんで、濡れた衣の袖を照らしているのだ。


 確か古今集にこんな古歌があったはず。私は思い出した。


  合ひに合ひて物思ふ頃の我が袖に宿る月さへ濡るる顔なる


 私も今まさに物思いのために顔を涙で濡らし、それをぬぐう袖に月の光を宿らせている。私はそんな帰り道に


  年は暮れ夜は明け方の月かげのそでにうつれるほどぞはかなき

 (年の暮れの夜に夜明けの月の光が

 《涙に濡れた》袖に移っている様子は儚いものだ)


 と悲しみを歌に込めて詠む。



  ****


『かう立ち出でぬとならば、さても宮仕へのかたにもたち馴れ、世にまぎれたるも、ねぢけがましきおぼえもなきほどは、おのづから人のやうにもおぼしもてなさせたまふやうもあらまし。親たちも、いと心得ず、ほどなくめ据ゑつ。さりとて、その有様の、たちまちにきらきらしき勢ひなどあんべいやうもなく、いとよしなかりけるすずろ心にても、ことのほかにたがひぬる有様なりかし。


  幾千いくちたび水の田芹たぜりみしかは思ひしことのつゆもかなはぬ


 とばかりひとりごたれてやみぬ』


(このように出仕したからには、そのうち宮仕えの仕え方にも慣れて、世間に浮ついた心をまぎれさせながらも、心がねじ曲がった人と言われるようなことが無ければ、自然と宮家に人並みに扱ってもらえる用になったのだろうが、親たちもそのようには考えがいたらずに、ほどなく私を結婚させて家庭に閉じ込めてしまった。かといって私の状況がたちまち華々しく裕福になると言う事も無く、それまでとても憧れていた貴公子との「よしなしごと」への浮ついた心とも、事のほかにまったく違う結末を迎えてしまった。


  幾千も田の芹を摘むような苦労をしてきたが

  思うように願ったことはつゆほども叶えられなかった  

 

 と独り言ばかりを言ってそれきりとなってしまう)



  ****


 一夜限りの出仕。御仏名の御法会の時はそう思ったが、だからと言って急に出仕を断るわけにもいかない。私はその後も出仕することになった。しかし高倉殿に上がってみると私と共に上がった少女が一人姿を見せなくなっていた。あの、私を色々と笑っていた少女だ。

 周りがなんだかコソコソと話している。小弁の君に聞くと顔を曇らせて、


「あの方。御法会の時にとても高貴な男君の目にとまったと喜んでいたのだけれど、なんだかその後ひどい目にあったらしいの。もちろん口にしたりはしないわ。でも、あの夜姿を見せなくなった後にあの方がひどく泣いているのを見かけた方がいて、それからずっと御自分の邸で臥せっておられるようよ。親は宮仕えをやめさせると言って来たみたい」


 あの少女が。親の期待に応えようと必死になって人々の輪に交じり、誰より早く宮仕えに慣れようと努力していたあの娘が辛い目にあって出仕を辞めると言うのか。私は嫌でも継母の事を思い出した。それでも彼女は傷が浅い内に身を引く事が出来る。継母のように子を身ごもったりしては先々はもっと大変だったろう。


 どんなに華やかに見えても宮仕えとは高貴な男君の近くで働く事だから、そういう危険がいつも付きまとってしまう。以前兄から聞いた実資様の女癖の悪い行ない。そういった仕打ちは高貴な方との間では、いつ自分の身の上に降りかかってもおかしくはないのだ。どんなに素晴らしい方にも、別の顔があるかもしれないし、呼びかけられて行った先にいるのが御本人とは限らないかもしれない。気を引き締めていないと、何処に落とし穴が待っているか分からないのだ。はしゃいだ雰囲気があった他の若い女房たちも今度の件で押し黙り気味になっている。口を開けばどこまで本当か分からない噂がささやかれているのだろう。


 それでも人々はすぐに何事も無かったかのように仕え始める。こんなことは宮仕えでは日常茶飯事なのだろう。小弁の君など、


「私は二度と男君の誘惑なんかに乗らないわ。私には目標があるんだもの。いつか物語を書いて、宮に御献上差し上げると言う目標が。それまで何があっても宮仕えをやめたりしない」


 と、悲壮な表情を見せる。私は姉の姫たちにこんな世界への道を考えていたのかと思うと複雑な気持ちになった。果して宮仕えに女人の幸せはあるのだろうか? 


 そんな中私は里の邸の両親からすぐに帰るようにとの知らせを受けた。出仕したばかりなのだから無理だと言っても何度も知らせは繰り返される。とうとう古参の女房が、


「親がこれほど言ってきているのです。里下がりなさった方がいいでしょう」


 と言うので、仕方なく私は自分の邸に戻った。


 帰ってみると父が、早速に出迎えて、


「おお、喜んでくれ。お前の結婚が決まったぞ。とても良い御縁だ」


 といきなり切り出したので、私はとても驚いた。


「結婚? 私が? どなたと?」


但馬たじまの守、橘為義たちばなのためよし殿の御子息だ」


「え? だって但馬の守殿の御子息は皆幾人かの妻をお持ちだし、お歳だって」


「いや、お前が言っているのは御長男や次男の事だろう。他に三男と四男の方がいらっしゃる。お前のお相手は四男だ。末君で地味で大人しい方だから目立ちはしないが、真面目で歳もお前とそんなに離れていない。しかも他に妻はおられないらしいし、人当たりの良い性格が幸いして来年の除目じもくでは必ずどこかの国の国司に任ぜられると評判だ。お前にとってこんなにいい話はないはずだ」


「でも、私には宮様への出仕が。このままお仕えを続けていれば、よほどひねくれものの噂でも立たない限り宮家にも慣れて、お仕え先でも人並みに可愛がられて重宝されるようになれますのに」


 私はそう父に訴える。しかし父は言う。


「お前も心から望んで出仕をしている訳ではあるまい。お前は高倉殿から帰るたびに苦しそうな様子をしていた。黙っていても親の私には分かる。お前はいつも何かに押しつぶされそうな顔をして帰ってきた。本当は宮仕えが辛いのではないのか?」


「……」


「私も親としてお前には人並みの結婚と言う幸せを与えてやりたい。お前は宮仕えに色々憧れを持っていたのだろうが実際に出仕して、それほど楽しいわけでも夢のような所でもないことは分かったと思う。お前に辛い思いをさせ続けるのは親として我慢がならんのだ。今度の御縁は本当に良い縁だと思う。同じ受領の子同士の縁組だからつりあいもいいし、四男の俊道としみち殿は末君とはいえ人柄もいい。地味で真面目な者同士できっと相性もいいだろう。何よりお前も受領の娘。きっと婿君のいい支えになれるだろう。ここは親の言う事を聞いて結婚するのだ」


「でも、姉の姫たちの事が」


 私はなおも食い下がろうとした、しかし父はそれこそ嬉しそうに、


「俊道殿はよほどお前を気に入っているらしく、姫たちの面倒もしばらく見て下さると言っているそうだ。そのうちきっと姫たちにも良い縁があるだろう。俊道殿はお前を宮の御仏名の席でちらと見かけて、ぜひにと望んで下さったそうだ。こういう形で望まれて縁を結べるとはありがたい事だ。いや、人に言われて宮仕えに出してよかった。これで私も安心できる」


 そう上機嫌でうれし涙まで見せていた。私は何もいいようが無くなってしまう。


 そして私はこの長久元年に橘俊道と結婚した。地味な身なりをした小柄な男で、いかにも「受領の息子」と言うのがはっきり分かるような容貌だった。気が小さそうな顔にはいかにも人の良さそうな表情が現れていた。夢の貴公子とは程遠い人物。光君や薫君とは比べる以前の容姿だった。

 それに受領の息子とはいえ本人は来年国司に任命されるかどうかという状態なのだから、今特に裕福と言う訳でもない。そしてすぐに姫たちに良い話を探せるわけでもないようだ。


「私はこんな風な冴えない男だ。あなたががっかりされるのも無理はないが、それなりに実のある男だとも自負している。あなたは孝標殿の娘で、定義殿の妹だ。受領は実のある仕事を出来ると言う事は良く御存じのはず。そしてあなたは本物の歌を詠まれる方だ」


 夫となった俊道は気弱そうな顔でそう言った。


「私の歌が本物? 私、その場にない事でも想像から歌を詠む事もありますけど」


 私はややうんざりしながら返事をする。この人はどうやら歌を詠んだり、花紅葉の心を分けあったりするには感性が鈍いところがあるようだった。後朝の文も歌すら詠まずに贈ってきた。一緒にいて何を見ても「綺麗ですね」「そうですね」としか言わない、昔母が私に仕えさせた女童めのわらわ達のような従順さしか持っていない人物に思えた。


「いや。あなたは想像で歌を作ってもそこに込めた何かが嘘ではない気がする。私が知っている女達はそういう事で簡単に嘘をつく。どこかで聞いた何かを真似て、自分の心に嘘をついた歌を平気で詠む。あなたはそんな事はないだろう。宮の御法会の席であなたのことを人に尋ねたら、『くろとの浜』の歌を教えられたが、あの歌は本物だと思う。私はそういう本物を持った人間が好きだ。だからあなたを妻にしようと申しこんだのだ」


 この言葉を聞く限り俊道は最初に思っていたよりは感性が鈍いわけでもなさそうだ。だが、やはりそういう心を理解し合うには物足りない。何より見た目がどうしても貧相で雅やかさに欠ける。ああ、これで私の美しい夢の世界は終わってしまったのだと思うと、この結婚のどこに女の幸せがあるのだろうと嘆きこそすれ、喜びのかけらも私には浮かんでこなかった。


  幾千いくちたび水の田芹たぜりみしかは思ひしことのつゆもかなはぬ

 (幾千も田の芹を摘むような苦労をしてきたが

  思うように願ったことはつゆほども叶えられなかった)


 とかなわなかった夢を一人愚痴にした歌を詠むばかりである。






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