出仕
『十二月になりて、また参る。局してこのたびは日ごろさぶらふ。上には時々、夜々(よるよる)も上りて、知らぬ人の中にうち臥して、つゆまどろまれず、恥づかしうもののつつましきままに、忍びてうち泣かれつつ、暁には夜深く下りて、日ぐらし、父の、老いおとろへて、われをことしも頼もしからむかげのやうに思ひ頼み向かひゐたるに、恋しくおぼつかなくのみおぼゆ』
(十二月になって再び参上する。今度は局が用意されて何日か出仕する。宮の御前には時々夜間に続けて上がって、まだ見知らぬ人たちの中で横になっても、露ほどもまどろむ事さえできず、恥ずかしくて出来るだけ目立たぬようにして、人目を忍んでそっと涙を流しつつ、明け方まだ暗いうちに御前を下がって、一日中父親の老い衰えて、こんな私を陰に隠れる甲斐がある頼もしい人だと思っているのか頼り向かいあったりしているのを、恋しくもその顔を見たいと思ってしまう)
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長暦三年十二月。世間では内大臣 教道様の姫君、生子様の御入内の華やかさが話題をさらっていた。そんな中、私はいよいよ本格的な出仕が始まった。
今度はそれぞれに局(仕える女房のための宿泊室)を賜わり、十日間ほど出仕することになった。局を賜るといっても全くの新入りである私たちにそう多くの部屋があてがわれるわけではない。皆二、三人ごとの相部屋となる。邸に着くとお披露目で会った同輩たちと再び顔を合わせ、同室になる人を決めるように言われた。
「あの、私達親子と同室になって頂けます? 先日お話したよしみで」
そう言って来たのはあの、私と同じ受領の娘だと言っていた母娘の母親だった。
「ええ、喜んで。あなたは何と呼ばれることになりましたの?」
邸に仕える女房はそれぞれに所縁のある人の官位にちなんだ名で呼ばれるようになる。大抵は父親や夫、近しい身内の官位にちなんで呼ばれるものだ。
「私は小弁と呼ばれることになりました。私を宮仕えに勧めて下さった方が弁官を務めているので。でも弁の君と呼ばれている方はすでにいらっしゃるんですって。それに私は御覧の通り小柄でしょう? 小さな弁で小弁ですって」
すると娘の方も、
「私は紀伊と呼ばれるそうです。あなたは?」
と聞いてくる。
「私は介の命婦と呼ばれるそうです。父の孝標が上総や常陸の介を勤めていましたから。あなたの父上は確か越前の守でいらっしゃる藤原懐尹様でしたよね?」
私は緊張しながら聞いた挨拶の言葉を懸命に思いだす。
「ええ。私の母方の祖父も越前の守をしていて、父もその後ろ盾もあって同じ国の国司になれたの。でも先日お話したとおり父はなかなか私達母娘の出仕を許してくれなかったの。私は昔、弁官を務めていた親戚の勧めで上東門院(藤原彰子)様の所にお仕えしていたのよ」
小弁はそう言って身の上話を始める。どうりでもの慣れた印象があったわけだ。
「ところがそれから間もなく娘を生んでしまって、娘の父親は私を人並みに扱ってはくれなかった」
小弁の君が悔しげな表情をすると娘も目を伏せて顔を曇らせる。私は継母を思い出していた。
「だから私は一度父に実家に連れ戻されていたの。でも以前上東院様のもとで菊合わせが行われた事があって、その場で私が詠んだ歌を覚えていた人がいたの。その縁で三年前に母娘で裕子様の母君の嫄子様の女房として勤めないかとお声がかかって。そうしたら私以上にこの娘が宮仕えに出たがったのよ」
「だって私、宮仕えに憧れていたんですもの!」
紀伊の君は決然とした表情で母親を見て言った。自分の生まれた事情は分かっているだろうに。なんて強い意志を持っているのだろう。
「でも私の昔の事があるでしょう? 私の父は『名誉な事だが受領の娘や孫が出仕しても大変なだけだ』と言って取り合ってくれなかったの。だけどこの娘の縁談が来てもなまじ嫄子様へのお仕えの声がかかったことで父が欲を出してしまったのね。この娘にはもっとふさわしい婿がいる筈だと来た話を断ってしまったの。それで娘はひどく傷ついてしまって。父がうろたえていた所に裕子様にお仕えする機会が巡って来て、私が共に参上するのを条件にお許しが出たと言う訳なの」
「まあ。紀伊の君も私と少し似たところが御有りなのね」
今度は私が自分の身の上を語った。継母が宮仕えで辛い目にあったこと。年頃に結婚をし損ね、古風な両親に出仕を反対されたこと。あきらめていた所に思いがけず今度の出仕の話があったので許されたこと。
「ああ、親ってどこも同じなのね。女が世間に立ち交じるとすぐに『すれっからしになる』と言って嫌がるの。でも、少しぐらい辛い思いをしても、世の中の面白いことを知らなければ私は心穏やかに暮らす事なんて出来そうもないわ。私も娘も歌や物語が大好きなの」
「それは同室の方としては嬉しい事だわ。私も物語が大好きなの」
私がそう言うと紀伊の君は瞳を輝かせて、
「まあ! 介の命婦の君も? それは嬉しいわ。後でゆっくりお話しできるわね」
と笑顔を見せた。なんだか今にも飛び跳ねそうな様子だ。若い娘はこうも喜びを素直に表す事が出来るのだ。それは若さの持つ希望で、はち切れそうな表情だった。
すると後ろの方からクスクスと小さな笑い声が聞こえる。先日私を嘲笑っていた少女たちだ。小弁はその少女たちを睨むと私に向き直り、
「嫌ね。でもお気にすることないわ。あの人たちは四位、五位でもあまり親に勢いがない方達。これから勢いの付きそうな親をお持ちの人はあんな態度は取っていないわ。私達の親は受領だからある程度の財に恵まれているけれど、ああいう人たちは内情が火の車だから。親に代わって宮仕えでも良い活躍をして、なんとか親の名を上げて家運を開くように言い含められているのよ。だから焦ってあんな態度を取るのね。よほど自分に自信がないんだわ」と言う。
なるほど。だからああもあからさまな態度をしているのか。しかし親が老いて若い姫を二人抱えた我が家も人のことは言えない。財はあるから彼女たちほどの焦りはないとはいえ、決して余裕があるとはいいかねる。私は彼女たちの態度を憎む気にはなれなくなった。
だが、彼女たちには若さがある。これから色々な事を吸収する時間がある。私はそれに着いて行けるのだろうか?
局では小弁の君や紀伊の君と『源氏物語』についてゆっくりと語りあった。私には運命に身をさすらう浮船の話があわれ深いが、小弁の君は光君の政敵の娘で光君と恋に落ちる朧月夜の君が好きで、紀伊の君は夕顔の君の娘、珠蔓の君が好みなのだそう。
「だって、珠蔓の君はどんなに運命に想いを引き裂かれても、ついには女としての名誉をつかむじゃありませんか。私もどうせなら人生の幸せをつかみたいわ。自分も輝かせたいし素敵な男君にも愛されたい。そのために私は宮仕えに出たんだから」
紀伊の君はそう生き生きと語る。小弁の君も頷いて見せている。二人は私のように「邸に引っ込んでいるよりは」とか「姫たちの先々のために」と思って出仕したのとは覚悟が違う。彼女達には明確な夢があり、希望があった。そんな母娘の姿を見ていると好もしく思える半面、流されるように出仕してしまった自分が何とも頼りなく思えてしまう。それでも夜半には疲れが出たのか三人とも眠りについてしまった。
翌日は昼間の明るい内に御前に上がった。そこで私は今度こそ萎縮してしまった。
夜の暗い中ではいくら灯りをともしていると言っても真昼ほどにはすべてをあからさまに見せるようなことはない。しかし昼間の邸の中は高貴な方々がいらっしゃる御簾と几帳のの奥こそほの暗いものの、私達女房のいる所は御簾越しに明るい日差しが差し込んでくる。その中で見る他の人々の様子はいかにも若々しく、幼い内親王にお仕えするにふさわしい生き生きとした世界が広がっていた。
私を嘲笑したあの少女たちは積極的に人々の輪に加わっている。もの慣れないながらもにこやかな笑顔を見せ、人に聞いて古参の人に紹介してもらったりしているようだ。
もとからいる人々は御簾の近くで高貴な男君に何かしら頼まれて取り次ぎをしたり、何かを取ってくるように言われたのか身のこなしも優雅に棚の方へものを取りに行ったり、幼い内親王におもちゃを渡して差し上げたりしている。
そうかと思うと端の方で何人か固まって雑談をしているらしく、高貴な方をお相手に冗談など聞かされているのか、どっと笑い声があがったりしていた。
こんな雲の上のようなところで笑う事が出来るなんて私には信じられない。それに皆、装束も立ち居振る舞いも優雅で若々しい。私のような野暮ったい、もの慣れぬ、盛りをとっくに過ぎた髪の細い女がこんな所にいるのがいかに場違いか、明るい光の中では際立ってしまっているようだ。私は恥ずかしさのあまり端の人目につかないところで出来るだけ小さくなっているしかなかった。
それでも私の横で人が集まり、雑談が始まった。小弁の君や紀伊の君も加わっている。
「裕子様の母君が生きておられたら、裕子様も今頃はまだ宮中においでだったのですね」
「でも、宮中よりも華やかと言われるこの高倉の邸にお仕え出来るのだから、ありがたく思わなくちゃ」
「この邸も上東門院様の邸や、宮中の梅壺に負けない華やぎを作らなくては」
「上東門院様の所には、院の御母上様に長年仕えていたあの赤添衛門の君が新たにお仕えになったそうよ。しかもあの方は驚くようなことをなさったの」
「驚くようなこと? あの有名な歌人が?」
「ええ、あの方は女が読むための物語風の歴史をお書きになって上東院様に献上なさったそうよ。『栄華物語』と言ってとても評判になっていて、その続きを他の方々が書き続けることにしたんだとか」
「それは華やかだこと。内大臣の姫君生子様もとうとう梅壺の女御となられましたものね。でも、裕子様の母上ももしご存命でしたら、決してひけを取らずにときめいていらっしゃったのにと思うと、本当に悔しいわ」
そう誰かが悔しがると小弁の君が、
「だからこそ私達で裕子様のご成長を見守りながら、この高倉邸を華やかにしなくては。なにしろ裕子様は関白様が大切に御養育なさっておられる方なのだから。私ね、夢があるのよ。いつか自分で物語を書いて、内親王様に御献上したいと思っているの。それで私も褒められて、内親王様の名誉にもなりたいと思っているのよ」
私はそんな話を聞いていて呆然としてしまう。私がほんの幼いころに歌が詠めたぐらいのことで宮仕えに出るなんて、なんて恐れ知らずな事をしてしまったのだろう? こうして世に出れば女のための歴史を書く人や、新しく物語を高貴な方に献上しようと考える才ある人たちがたくさんいるのだ! そしてこの人たちには私には無い若さや、積み上げてきた経験と言う財産が沢山あるのだ。
その日私は夜も御前で休むようにと言われた。こうして宮をお守りしながらいつでもご用が足せるように皆で交代で御前で休むのだと言う。私は二晩続けて御前で休み、その後小弁の君や紀伊の君と交替する。あまり小弁の君母娘と局で休む機会はなさそうだった。
そしてその夜、私は御前で横になっても少しも眠ることなど出来なかった。周りは知らない人ばかりで寝返り一つ打つにも気づまりな思いがする。そして私はつらつらと考える。
物を集め合わせれば『源氏物語』に出てくるような「香合わせ」「絵合わせ」のように物の優劣を競う事になる。人もこうして集めあわされれば、物のように優劣を比べられてしまう。世に立ち交じり社交するとは人との優劣を比べられることに他ならないのだ。私はそんな事も知らずに宮仕えに出てしまった。
若いころにほんの少し人に褒められたのを支えに、道真の子孫に相応しくもない程度の僅かな才にすがり、盛りを過ぎた年増の姿をこうして人に晒し、まったく恥ずかしいことをしてしまった。
そう思うと自然に涙があふれて来る。いい歳をして周りに見知らぬ人が大勢寝ていると言うのに、こんな涙も止められずにいる事は恥の上塗りのようなもの。そう分かっているのに止められない。息を殺し、人に知られないよう、人目に立たぬようにじっとして、まんじりともせずに夜を明かす。こんな涙で化粧の剥げた年増の顔を見られるわけにもいかず、夜明けと共に人が目を覚ます気配を感じると、
「夜が明けましたので、お先に失礼いたします」
とだけ言ってまだ暗いうちに急いで自分の局に引っ込んでしまう。そして小弁の君や紀伊の君が御前に上がると私は一人、老いた父がこんな情けない私を頼りにして、嵐を避ける大木のように身を隠してあてにしていることを思いだす。その顔を思い浮かべては申し訳なくも、恋しくも思った。
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『母亡くなりにし姪どもも、生まれしより一つにて、夜は左右に臥し起きするも、あはれに思ひ出でられなどして、心もそらにながめ暮らさる。立ち聞き、かいまむ人のけはひして、いといみじくものつつまし』
(母親を亡くした私も姪たちも、生まれた時から同じ一つ屋根の下にて、夜は左右に並び、三人で寝起きしていた事などもしみじみと思い出されたりして、心も空になって一日中ぼんやり暮らしてしまう。御前では立ち聞きや、中を覗き見ようとする人の気配を感じるので、とても落ち着いていられない気がする)
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次の晩も私は御前にて休まなければならない。やはり私は少しも落ち着けない気持ちでいる。私は自分の邸で我が姉である母親を亡くした娘の姫たちと生まれた時から同じ一つ屋根の下で暮らし、夜も左右に寝かせ、三人川の字になって寝起きをしていた。その姫たちのことがどうにも思いだされて心は姫たちの事ばかり考えてしまう。姫達は今頃二人だけで休んでいるのだろうか?
それに御前にいると御簾の外からいつも人の気配を感じた。何か物音を聞こうと聞き耳を立てている気配や、御簾の中を覗こうとする気配が何となく感じられる。こうした中で継母も男君に言い寄られたり、思わぬことが起って子を宿したりしたのだろうかと思うと、まさかとは思いながらも身を固くしてしまって、とても落ち着いてなどはいられないのだ。
私はようやく本格的な出仕が始まったばかりだと言うのに、自信も誇りも希望も打ち砕かれて、ただ後悔するばかりだった。