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お披露目

 私に出仕の話があった時、裕子内親王様はまだ宮中におられた。御母上の嫄子げんし様も御健在で次に生れる親王様のご誕生を誰もが待ち望む晴れやかな空気に包まれていたと言う。

 しかしその御出産こそが裕子様にとって母君とのお別れとなってしまわれた。母君嫄子様は長暦三年八月、禖子内親王御出産の後崩御された。まだ二十四歳の若さだった。頼道様はご自分が子女に恵まれなかったために、この御養女の嫄子様による皇子誕生に大きな期待をかけていらっしゃったが、その夢は儚く散ってしまった。しかし頼道様は母を亡くされた裕子様を大変不憫に思われ、ご自分の手で引き取ってお育てになられるそうである。


 裕子様はその年の十一月に頼道様が絢爛豪華に建てられた高倉邸と言う邸に入られた。よって私も宮中ではなくこの高倉邸に出仕する事となった。宮中ではないと言っても時の関白様が四年前に贅を尽くして造られた豪邸である。そのきらびやかさは宮中に勝るとも劣らないと言う。どちらにしても菅原道真の子孫とはいえ、所詮は受領の娘でしか無い私にとっては雲の上の世界に上ることに変わりはなかった。



  ****


『まづ一夜ひとよ参る。菊の濃く薄き八つばかりに、濃き搔練かいねりを上に着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに、行き通ふるい親族しぞくなどだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひに、立ち出づるほどの心地、あれかにもあらず、うつつともおぼえで、暁にはまかでぬ』


(まずは一晩だけ御挨拶に参ることになった。菊襲きくがさね(衣装の重ね色で表に白、裏に蘇芳の衣装を重ねる)を濃い色や薄い色で八枚ほど重ねたうちきに、濃い色の紅の表着を重ねて着た。ああも物語のみに心を入れ込んで、物語を読むより他に知らず、行き通いあう親しい知人や、親族なども特になく、古風な親たちの陰に隠れてばかりで、月やら花やらを愛でるより他にした事がない生活だったから、出仕する時の気持など、夢の中のようで、現実とも思えず、夜明けには退出してしまった)



  ****


 裕子様が高倉邸に入られた後、冬の初めに私達新参の女房も裕子様に御目通りさせていただくことになった。新しく女房に加わる私達にとっては自分たちのお披露目の意味がある。間違っても失礼があってはならないので私は装束なども念入りに支度をした。衣装も華々しく上質の絹で菊襲きくがさね蘇芳すおうの濃淡で五枚、白を三枚重ねて着る。そして礼装らしく濃い紅のしなやかな搔練かいねりの上着を重ねた。

 今回はあくまでもお披露目が目的で本当の出仕とは言えない。まだ高倉邸がどんな所なのか、裕子様にどんな方々とお仕えする事になるのかも分からない。だから出仕と言っても一晩だけ御挨拶に参上するのだ。しかし私は緊張のあまり何がなんだかわからずに着替え、化粧を施し、足が宙を浮いた気持ちのまま牛車に乗った。


 

 いざ邸に着いて車から降りる時の心地と言ったら、緊張のあまり転がり落ちるのではないかと心配になるほど足元がおぼつかない。しかも私のほかに数人の新参の女房が居並ぶ中に混ざるのも、とても緊張してしまう。それでなくても私は今まで物語ばかりに夢中で、そう言ったこと以外に興味を持てずにいた。かといって同じように物語を語りあうために邸を行き来するような知人も無く、頻繁に社交をする親族がいたわけでもない。


 確かに古風な父母に育てられて邸から出られなかった事もあるが、それを当たり前に思ってその陰にいつしか隠れるように暮らす事に慣れてしまった。月や花などを愛でて暮らす毎日を送るうちに多くの人の中に立ち交じろうと思う心を失っていた。

 若い時にはそうしたことにも憧れを持っていたのだから、無理をしてでも少しは社交を覚えておけばよかったのだ。そうすればこうして多くの人の中にただいるだけで、こんなにも上ずった気持ちになることなど無かっただろうから。


 いくらそう思ってももう遅い。私は身体をこわばらせながら高貴な方々の御前に座り、他の人々と共に頭を深く下げるよりどうする事も出来ない。

 裕子様はまだ幼子でいらっしゃるので実際の御目通りのお相手は裕子様の乳母めのとの君。それならまだ良かったのだが、それに付き添われていらっしゃるのがあろうことか関白頼道様でいらっしゃる。これで緊張しない方がどうかしている。


 しかも周りは私より一回り以上も若い人ばかり。お仕えする裕子様がまだ二歳なのだから当然だ。これだけでも私はひどく場違いな気がしてとても辛くなる。他の人も緊張しているのか、 


「わ、わたくしは誰それの娘……」


 などと自分のことを話すにも時折つっかえたりする人もいる。しかし若さなのか、私よりは社交慣れしているのか、時間が経つにつれ落ち着いて御挨拶が出来ているようだ。

 私はと言えばすっかりあがってしまって声も出さない始末。見かねた私を御前に案内して来てくれた人が代わりに、


「こちらはもとの常陸の介、菅原孝標殿の娘でございます」


 と言ってくれる。私は震える声で


「さようで、ございます」


 と答えるだけで精いっぱいだった。



  ****


『里びたる心地には、なかなか、定まりたらむ里住みよりは、をかしきことをも見聞きて、心もなぐさみやせむと思ふをりをりありしを、いとはしたなく悲しかるべきことにこそあべかめれ、と思へど、いかがせむ』


(雅ではない気持ちの私には、なかなか決まりきった日々を送る自分の邸の暮らしよりは、宮仕えの方が面白いことなども見聞き出来て、心の慰めになると思う折々もあったが、現実はとても恥ずかしかったり悲しい思いをしたりしそうだと思うのだが、もうどうする事も出来ない)



  ****


 ご挨拶を終えると高貴な方々は奥に引っ込まれてしまう。それで私達はもとからいらっしゃる人たちに声をかけられながら、ざわざわと挨拶を交わし合う。いや、正確には私以外の人はそうしていて、私だけが呆然とそこに座り込んでいたと言うべきか。すると私の近くにいた人が、


「随分御年輩の方が混じっていらっしゃるのね。御父上が裕福なもとの受領だと、ご挨拶も出来なくても高貴な方にお仕え出来るらしいわ」


 と、私をちらちら見ながら他の人と忍び笑いを見せる。私は緊張のあまりそれが私に対する嘲笑だと気付かずにいたが、そこに固まっているのが四位、五位の親を持つ娘たちだとようやく気がつくと顔から火が出るような思いで、余計言葉が出なくなる。受領は地方官なので五位といっても、彼女達の親と比べると少し立場が低い。だが、取るに足らない国の司ならともかく、上国の受領ならば実際はそう劣る事もない。さらに我が家は道真の子孫なのだからそれほど見くびられる必要はないはずなので、その態度が自分への侮蔑だと私は気づかなかったのだ。しかし彼女たちと比べたら私は明らかに年増であろう。それに受領と言うのは身分のわりに実入りが良いので何かと目の敵にされがちだし。


 見ればその人たちはまだ姉の下の姫と同じような年ごろ。まるで自分の娘のようなものである。髪は私より太く長く、化粧も若いのでずっと映えている。

 娘のような人に躍起になって言い返すわけにもいかず、そのまま押し黙っていると、


「まあ、四位、五位の方の娘と言うのはもっと心ざま深く、良く考えて物をおっしゃるものだと思っておりましたわ」


 と、私の後ろから言って来る人がいた。


「あなたもお歳上なのだから、こういう時ははっきりものをおっしゃった方がいいわ。ここはご自分の邸ではないのよ。私も受領の娘なの。本当は裕子様の御母上が御入内なさる時に母娘共々お仕えしたかったのだけど、その時は父がまだ任国にいてどうしても許してもらえなかったの。去年ようやく父が戻ってきたのでこうして内親王様にお仕え出来ることになったのよ」


 その人はそう気さくに語りかけてくれた。見ると年の頃は私と同じくらい。落ち着いた感じでもの慣れているのが分かる。隣に若い少女が恥ずかしそうに寄りそっていた。


「この子は私の娘よ。訳あって母と娘で出仕することになったの。これからよろしくお願いします」


 母親がそう言って頭を下げると、娘の方もあわてて頭を下げている。二人とも賢そうな顔立ちの美しい母娘である。

 

「私、この年で恥ずかしいけれど人の多い所にいた事がなくて」


 私は母親の娘に負けないくらいおずおずとそう言った。母親ははきはきと言う。


「あの人たちのことは気にしなくていいわ。きっと親からいろいろ言われて重圧を感じているの。親の出世のためにも女房仲間の誰にも負けないようにと気を張っているだけなのよ」


「同じ方にお仕えしているのに?」


「ええ。今度内大臣の藤原教道ふじわらののりみち様の姫君が御入内なさるでしょう? こちらの裕子様はまだ幼くていらっしゃるからあちらに負けるようなことがないように、頼道様のお目にとまるようなお勤めぶりを親から期待されているんだわ。だから私達のような受領の娘が気楽そうに見えてやっかんでいるのよ。それよりあなたがあの『くろとの浜』の御歌の方ね? 私、宮仕えに出ていた知人から話を聞いて憧れていたの。あなたは歳も私と同じくらいだし、親しくして下されば心強いわ。これからよろしくね」


 私はその人のおかげで少しだけ気が楽になれた。宮仕えと言うのはかなり気の張るものらしい。これからもこういう事を上手くやり過ごせなければ勤まらない。

 私はそう考えるだけで心が夢の中にでも行ってしまっているようで、とても長居出来る気持ちにはなれない。お許しをいただいて夜が明けはじめると早々に退出させていただいた。


 帰りの車の中で、世間知らずな私だから同じような毎日を繰り返す自分の邸の中よりも、宮仕えで心躍るような出来事にでも出会い、それが心の慰めにもなるのではないかと期待したことを後悔した。現実はこんなに決まりが悪く、戸惑ったり恥ずかしい思いをしたりする物だった。

 もしかしたら出仕したのは間違いだったのだろうかとも思ったが、今更そう考えるのも我ながら愚かしい事である。


 


 

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