表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/91

西山暮らし

ひむがしは野のはるばるとあるに、東の山際やまぎはは、比叡ひえの山よりして、稲荷いなりなどいふ山まであらはに見えわたり、南は、ならびの岡の松風、いと耳近う心ぼそく聞こえて、内には、いただきのもとまで、田といふものの、引板ひたひき鳴らす音など、田舎ゐなかの心地して、いとをかしきに、月の明かき夜などは、いとおもしろきをながめ明かし暮らすに、知りたりし人、里遠くなりて音もせず。たよりにつけて「なにごとかあらむ」と伝ふる人におどろきて、


  思ひ出て人こそはね山里のまがきのをぎに秋風は吹く


 と言ひにやる』


(東の方角は野原が遥々と広がり、東の山際の向こうには比叡山から始まり、稲荷と言う名の山まですべてが見渡せ、南にはならびの岡の松風がとても耳元近くに心細そうな音に聞こえて、その内側には丘の頂近くまで田と言う物があり、引板ひたと呼ばれる鳥や獣を脅かして追い払うための鳴子の音など、いかにも田舎めいていてとても面白く、月の明るい夜などは実に風流に景色を楽しんで日々を暮らしているが、都で知り合いだった人たちとは人里から遠く離れてしまったために音沙汰も無い。稀に便りを下さって「どうしていらっしゃいますか」と伝えて来る人がいると驚いてしまい、


  私を思い出して訪ねてくれる人もいないこの山里の

  垣根の萩に秋風だけは吹いていきます


 と返事を贈る)



  ****


 それからしばらく、私達はそのまま西山に暮らした。やはり父の旅の疲れは相当なものだった。何よりも厳しい大役を終えて心が擦り減ってしまったようだ。疲れたと口癖のように繰り返しては日に何度も伏せってしまう。身体を起こしている時もぼんやりと庭を眺めるばかり。私達とあまり会話をする事も無かったので、しばらくはそっとしておくしか無かった。


 こけらもすっかり老いが目立っていた。常陸の暮らしはやはり楽なものではなかったのだろう。


「私もそろそろお仕えを辞める時期に来ているのでしょう。常陸に行っている間に都人とも疎遠となり、邸にいてもだんだんお役に立てなくなってまいりました。だがこんなにも長い間お仕え出来たのが身に余る幸せであったのでしょう。殿のお疲れが癒え次第、私も隠居させていただくことにします」


 と言う。私が引きとめる言葉にも、


「私のような老いた家司けいしでは姫君達の先行きも心細いことでしょう。私の代わりなどいくらでもいます。それよりあなた様の行く末の方が心配です。殿はあなた様のご結婚をお望みのようですが私も今時の考えにならって、邸勤めや宮仕えもよろしいかと思っております。私からも殿を出来るだけ説得してみましょう」


 と言って優しげに笑うばかり。こうやって私の心を察してくれる人がいなくなることこそが、私にとっては心細いと言うのに。

 しかし疲れ果てた父やこけらの姿を見ると、無理を言う事も出来ない。何一つわが心で決める事が許されぬ女の身には、親や頼りにしていた者がこうして老いていくと言う事は本当に辛いことであった。


 しかしこの西山の地はとても風流なところだった。邸から見て東の方には広々とした野原が広がっていた。その向こうにある山並みは比叡山を始め、遠く稲荷山までもがくっきりと見渡せた。南にはならびの岡と呼ばれる丘陵地に立ち並ぶ松林から心安らぐ松の葉を揺らす風の音が心細げに細く、しかしまるで耳元近くに聞こえるようにはっきりと聞こえて来る。

 松林の内側には田んぼが丘の頂近くにまで段々に作られていて、稲を守るための引板ひたと言う鳴子が時折何かに触れては鳴る様子なども田舎風で面白い。


 そんな景色は疲れた父の身体と心も癒やすようで、最後のお世話と心決めたこけらの気遣いもあって、父はだんだん元気を取り戻してきた。

 特にこの辺りは月もとても明るく見えて美しいので、月が上る夜は皆で田舎びた景色を楽しんだりする。先の不安は色々あっても、こうして家族が平穏に暮らせることは嬉しい事だった。


 だがここは都から離れた山里の地。これまで都で親しくしていた知人などは田舎に引っ込んだ私達に関心を示さなくなっていく。仏門に入られて入山なさった方々とは便りもかわしにくくなり、都にいる知人でさえも文一つ送る事が無くなってしまった。


 だからある知人がお便りをくださった時など、どうした事か、都で何かあったのかと驚いてしまうほどだった。あちらはたまたまこちらの近くを通ったので、「どうしているか」と尋ねて下さっただけだったのに……。


  思ひ出て人こそはね山里のまがきのをぎに秋風は吹く

 (私を思い出して訪ねてくれる人もいないこの山里の

  垣根の萩に秋風だけは吹いていきます)


 その方が私達を忘れている都人のすべてと言う訳でもないのだが、ついつい、


「誰にも思い出してはいただけない身の上ですので。垣根に秋風だけは訪れてくれるのですけどね」


 と、愚かにも愚痴などはいてしまった。


 しかしそんな風に過ごしているうちに母の様子がおもわしくなくなってきた。初めは父が無事に戻ってそれまでの緊張の糸が解けたのだろうと思っていた。

 しかし母はそれから物忘れがひどくなったり、人に頼んでいないことを頼んだといいはったり、この田舎の山荘の中をまるで都の邸の中にいるようにふるまって、


「あの部屋がない。あの道具がない」


 と言ってはうろたえ、父に訴えたりした。女房達がいくら説明しても一向に耳を貸さない。

 ついには孫姫達を昔の私と亡くなった姉と間違えたり、かと思えば私に向かって涙ながらに


「私達親の力不足であなたの婚期を逃してしまった」


 と、さめざめと泣いたりする。母の中では時間と場所が過去と今とを行ったり来たりしているようなのだ。父にとっては心安らぐ山里も、長く都で暮らした母にとっては負担が大きいのかもしれなかった。


「これでは北の方にも、私達の暮らしにも良くない。私は出仕する気はないがお前や姫達の縁の事もある。都に戻ろう」


 とうとう父はそう言って、私達は都に戻ることになった。



  ****


十月かみなづきになりて京にうつろふ。母、尼になりて、同じ家の内なれど、かたことに住みはなれてあり。てては、ただわれをおとなにし据ゑて、われは世にも出で交じらはず、かげにかくれたらむやうにてゐたるを見るも、頼もしげなく、心ぼそくおぼゆるに、きこしめすゆかりある所に、「なにとなくつれづれに心ぼそくてあらむよりは」と召すを、古代こだいの親は、宮仕みやづかびとはいと憂きことなりと思ひて、ぐさるを、「今の世の人は、さのみこそは出でたて。さてもおのづからよきためしもあり。さてもこころみよ」と言ふ人々ありて、しぶしぶ出だしたてらる』


(十月になり京に移る。母は尼となって、同じ邸の中ではあるが私達とは別に離れて住む。父はただ私を邸の女主おんなあるじとして据え置いて、自分は社交もせずに私の陰に隠れるようにして籠っているのを見ても頼りなくて、心細いと思っていると、私をお召しになられるような所縁のある所の方から、


「何をする訳でもなく漠然と心細く暮らしておいでなら、出仕してはいかがですか」


 とお召しになる声がかかるのだが、古風な考え方の両親は宮仕えする人はとても辛い思いをすると考えたので、そのままで過ごしていたのを、


「今の時代の人は、そうやって出仕するもの。そうすれば自ずから良い運が開ける事もあります。まずは出仕させて御覧なさい」


 と言う人々もいるので、親達はしぶしぶ私を出仕させた)



  ****


 十月になると私達は都に移ってきた。都に戻ったことで母はだいぶ落ち着きを取り戻したが、それでももう邸のことを任せられる状態ではない。私達は母を邸の内に置き、在家のまま尼姿にする事にした。暮らす場所も私達とは離れた場所の、母が一番落ち着ける所に古くから見知っている女房達と共に過ごせるようにした。

 母を家族と離れた場所に暮らさせたのは母を混乱させないためだ。母が孫姫達を見て私や姉の若いころと間違えるのを見るのも辛いが、その後正気に戻って姉を亡くした悲しみを語り、私の婚期を逃したことを涙ながらに語る母を見るのはもっと辛かった。


 母を尼にしてからと言うもの父は私をこの邸の女主人おんなあるじとして扱った。邸の運営も姫達の養育やしつけもすべて私にまかされた。こけらは私達が都に移るのを機に隠居して、邸を去ってしまった。最後に私を邸勤めに出すようにと何度も父に勧めていたが、あまり父は真剣に聞いてはくれなかったらしい。しかし私に結婚以外の道を進めるのはこけらだけではなかった。おばの修学院の尼君もあちこち私の出仕を求めて色々な方に文を書いて下さった。さらには母の親族に当たる、以前私達が暮らして焼けてしまった邸の隣にあった竹三条にお仕えしていた人も、私に出仕するようにと勧めて来た。


 実はこの年、長元九年は突然の御世代わりの年だった。四月に私と同い年であったあの後一条帝がお亡くなりになられたのだ。まだ二十九歳と言うお若さだった。七月には新たに後朱雀帝が新しく帝の地位に着かれた。そこで関白頼道様はご自分の御養女にされた嫄子げんし様を御入内させる準備を始められたのだ。そのお仕えする女房に私を修学院の尼君が勧めて下さり、母の親族や他にも私を知る人たちが私のことを色々言って下さったようなのだ。


 これほどの人たちが私を出仕させようとして下さっている。なんでも実資さねすけ様までが私をお気にかけて下さったのだとか。

 もしかしたら……もしかしたら本当に、今度こそは私は宮中に上がる事が出来るのではないだろうか? と言うより、この機会を逃したら宮中に上がることなど本当に夢で終わってしまうかもしれない。私は必死の思いで父に訴えた。


「お願いです! どうか私を出仕させて下さい! 私が出仕すれば高貴な方々とつてが出来て姫たちにも良い御縁が来るかもしれません。少しはこの邸にも華やぎが取り戻せるかもしれないでしょう? 私、もう結婚など考えていません。位の低い年老いた人に、姫たちの面倒もろくに見てもらえずに、多くの妻たちの端に加えられて、若い人と比べられながら振り向いてももらえない形ばかりの結婚なんてしたくない。そんなこと無意味だわ。 どうか私を宮中に上げて下さい」


 しかし父は頑として譲らなかった。


「宮中はお前が考えるような華やかなばかりの所ではない。多くの人々の中で立ちまわり、さまざまな才を競う厳しい場所なのだ。多くの男と接するから誘惑も多く、しかもお前の身分では身の立ち回りも難しい。高貴な方を不快にさせずに上手に自分の身を守るのはたやすいことではない。お前を育てて下さったあの方は、宮中で辛い目に遭って子まで宿したからこそ、一時私の妻となったのだ。宮中とはそういう所でもあるのだ」


 お義母かあさま。そうだ。お御母様ほどの人でさえもあのようにお辛い目に遭われた。私よりも明るく美しく優しく、前向きで懸命に生きてこられた方でさえ父の妻となり、さらにはこの邸から追い出されるような目にまで遭われてしまった。


「悪いことは言わない。出仕の事はあきらめなさい。お前は宮中を知らない。お前の身分では苦労するのは目に見えている」


 そう言って父は話を打ち切った。父に反対されては私にはどうする事も出来なかった。


 翌年、長暦元年一月。嫄子様は華やかに御入内された。そして頼道様は三月には中宮であられた禎子さだこ様を皇后とし、嫄子様を新たな中宮になさる。皇后と中宮。帝はお二人の后を据えられる事となった。以前道長様も当時の中宮定子様を皇后とされ、ご自分の娘彰子様を中宮になされた。これは頼道様がお父上の道長様と同じ御権勢を今では誇っていらっしゃると言う証しに他ならなかった。

 私はもしかしたらその御入内の列に自分も加わっていたかもしれないと思うとやるせない思いがしたが、どうする事も出来ずに邸に籠っているしかなかった。


 それから時は空しく過ぎて行き、三年経った。父は私の出仕に反対こそしたものの、だからと言って人生の半ばをとうに過ぎた私に縁談を見つけられようはずも無かった。若くない私には受領どころかまったくの無位無官の者からの話しさえ無い。もっともそんな人との結婚など私も考えられはしないが。私はこのまま一生をこの邸でうずもれて暮らすことを覚悟した。しかし心に残るのは若い姫たちの事。彼女たちにはどうにか運が開けて欲しい。しかし邸に閉じ込められている私に何が出来ると言うのだろう?


 するとあの修学院の尼君がまたもや私に出仕の話を持ってきた。


「嫄子様が内親王様をお産みになられたのは御存じでしょう? その方にお仕えする事は出来ませんか?」


 まさかまたこんな話が来るとは思っていなかった私は、今度はただ驚くばかり。本当の事とも思えずにあっけにとられていたのだが、今度は私の周りの人々が皆邸に押し掛けて父と母を説得した。


「もういい加減、お考えを改めて下さい。このままではこの方も、若い姫君達もあまりにお可哀そうでございます。一生この邸の中に姫君達を皆閉じ込めて置くおつもりですか? 人交わりをなさらなくなった時点で孝標様は親の役割をもう終えておいでです。今では時代も変わって邸に籠らずに出仕する人も多いのです。このまま邸に居ても何の運も開けませんが、出仕なされば自ずと御運も開けるもの。今はそういう時代なのですから、思い切って出仕させてご覧なさい」


 修学院の尼君はそう言って強く私の出仕を勧めてくれた。そうすればいずれ若い姫たちのご出世の目も出るからと。父は色々言っても今まで私や姫を邸に閉じ込めておく以外に何も出来ずにいたので、今度ばかりはしぶしぶ私の出仕を承諾した。


 こうして私は宮家に上がる事となったのだ。

  




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ