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父帰る

 父が常陸ひたちに赴任しした翌年で、私が清水寺に母を連れだしたり、母が初瀬に鏡を奉納したりした長元六年。関白頼道様の御母上、源倫子みなもとのりんし様の七十の賀が催された。私などが近寄ることなど出来ない立派な高陽院というきらびやかな邸にて、それは盛大に行われたのだと言う。時の関白様の御母上の御長寿のお祝いだけにその贅の尽くされ方は大変なもので、これほど盛大な賀の催しを見た事がないと殿上人達は口々におっしゃったと言う。特に世の人々が褒め称えたのがその時飾られた屏風画だった。


 絵の名手たちに屏風いっぱいに書かせたのはその年の年始に、頼道様が多くの殿上人をお招きして行った饗宴のご様子。そこに今流行の歌人達が歌を添えられると言う凝ったものだった。

 特に倫子様にお仕えしている女房で「赤添衛門あかぞええもん」と言う人が大変な流行歌人として名高いが、屏風に書かれたその方の歌は一番の流行歌として話題をさらっていた。その御歌は、


  紫の袖をつらねてきたるかな春立つことはこれぞうれしき


 と言う歌で、公卿の方々が新春の喜びの席に高貴な紫の袖を連ねて訪れた喜びを倫子様に代わって詠まれたような歌だった。いかにも華やかな頼道様の御権勢を表すような歌に御母上の倫子様も、大層お喜びになられたと言う。

 父は乱の後の荒れてしまった東国あずまのくにでまだ奮闘しているのであろうが、都は頼道様の御権勢が高まるとともに、すっかりもとの雅やかな姿を取り戻していたのだ。


 しかし私達はおばの出家に心をしんみりとさせたり、父の無事をひたすら祈ったりしていた。身内なども次々と出家したりして、それでなくても女所帯となってしまって人の訪れが減った邸で、より寂しげな日々を送ることになった。

 特に母は私の行く末をとても心配し、その癖自分では邸から出る事が出来ない。頼りにしていた人々も次々と出家してしまった事を辛がってひたすら御仏に念じたり、私に愚痴をこぼして暮らしたりしていた。私はうっとおしく思いながらも、


「これも親孝行なのだわ」


 と思って聞き流す。私としては宮仕えや邸勤めが認められぬ以上、「いつかは貴公子が訪れる」と夢を見ながら、姉の姫達を良い女人にしつけるよう気を配る方が充実した日々を送れるのだ。


 私も以前は継母のもとに時折文を送り季節の便りをかわしたり、愚痴を書いては励ましてもらっていた。しかし継母の再婚の後は双方が遠慮し合っているうちにいつしか疎遠となり、すっかり文も途絶えてしまっていた。

 その代わりに私は修学院の尼となったおばや、自分の娘に近いほど年下の私の乳母めのとだった人の娘に、母に小言を言われるたびに愚痴を吐き出すようになっていた。

 この娘は姉の姫達の相手をさせるために邸に入れた娘だったが、もともとゆかりのある人の娘と言う気安さがあって、今では自分の女房として使ってしまっている。私にとっては「お気に入りの女房」だ。娘の方もそれをよく心得ている。今では二人の姫の事は他の若い女房に任せ、もっぱら私の傍らにいていろいろ話を聞いてくれていた。


 自分が若い時は母の古風な考えを固苦しく感じ、気安く建物の端近に寄ったり御簾をかきあげたりしていたものだった。しかしその後、私自身がその緊張感のなさから恋の苦しみを招いたことに懲りて、皮肉にも姫達には以前の母そのままに口やかましく、几帳の内から出ないよう、御簾に近づかないよう、端近に寄りつかないようにと繰り返し注意している。

 しかしそれでは若い姫達の好奇心は満たされない。時折は私が目の届く範囲で庭を眺めさせたり、寺を詣でたりもした。それも頻繁には出来ないので、おばやその知り合いのつてをできるだけ頼って、さまざまな物語を与えたりもした。


 けれど姫達にはそんな物語以上に私が語る昔、上総かずさで暮らした時のことや都に向かう旅路の話、そして私が思い浮かべる「よしなしごと」を物語のように語って聞かせる事の方が楽しいらしい。私はせがまれるがままに上総の話をし、姉との思い出を語り、その時思いついた

『中納言になった男君が、亡くなった父の生まれ変わりである唐の国の太子に会いに行く』という作り話を語って聞かせた。


 この話は二人の姫だけでなく周りの女房達にも好評で、私はもう少し話に厚みを持たせるようになった。中納言の父はとても立派な人だったが、あの行成様のように早くに父を亡くしてしまう。母は再婚をするが中納言はその再婚相手が気に入らず、その反発心から努力を重ね中納言の地位にまで上る。しかしある日夢のお告げで、


「そなたの父は唐の都にて太子として生まれ変わっている」


 と知らされる。重い身分のために時間はかかったが、中納言は唐の都に生まれ変わった父上に会いに行く。遣唐使のための、まるで邸を海に浮かべるような舟に乗り、そんな大きな船でさえ飲み込んでしまいそうな嵐に遭いながら唐の都を目指して行く。そして唐の都は大変きらびやかで、宝玉の樹に優雲華うどんげの花が咲き、唐風の建物に天人、天女のような人々が暮らしている。そんな話を私は姫や女房達に話して聞かせていた。


 そうやって暮らしているうちに月日は流れ、二人の姫も無事に裳着もぎを済ませる事が出来た。

 長元八年八月、頼道様は高倉邸という新しい絢爛豪華な邸を立ててそこに住まわれるなど世の中は華やかなようだ。だが、老いた母と独り身の私、そして成人したばかりの二人の姫を抱えた私達は、父の無事を祈りながら心細く暮らすばかりだった。


 しかしその後、私達にも嬉しい知らせが入る。父が任明けて都に戻ることになったと言うのだ!


「本当に? 本当に父は帰って来れるのね?」


 私は知らせを受けて来た使いの者に、出来ればつかみかかりたいくらいの気持ちで聞いた。


「本当でございます。道中も行きとは違い、東国も落ち着きを取り戻しているので問題なく帰京できると思われます。来年秋には都にお戻りになられるでしょう」


 あれからもうすぐ四年。あの時今生の別れと覚悟を決めた父と再び生きて会えるとは! 

 私はこの世のすべての神仏に膝間付き、額づきたい気持ちだった。母と手を取り合って喜びの涙にくれる気持ちと言ったら、どう現わせば良いと言うのか!



  ****


『あづまに下りし親、からうじて上りて、西山なる所に落ち着きたれば、そこにみな渡りて見るに、いみじううれしきに、月の明かき夜一夜、物語などして、


  かかるよもありけるものをかぎりとて君に別れし秋はいかにぞ


 と言ひたれば、いみじく泣きて、


  思ふことかなはずなぞといとひこし命のほども今ぞうれしき


 これぞ別れの門出かどでと、言ひ知らせしほどの悲しさよりは、平かに待ちつけたるうれしさもかぎりなれど、「人の上にても見しに、老いおとろへて世にまじじらひしは、をこまがしく見えしかば、われはかくて閉ぢこもりぬべきぞ」とのみ、残りなげに世を思ひ言ふめるに、心ぼそさ堪へず』


(東国に下っていた親がようやくかろうじて帰京し、西山と言う所に落ち着いたと言うのでそこに家族みんなで移って親に会うと、それはもう嬉しくて、月の明るい夜に夜じゅうこれまでの事を語りあったりして、


  こうして語りあえる夜(世)が来るとも知らずにこれが最後と思いながら

  父君と別れたあの秋はどれほど悲しかった事か


 と言うと、親もたいそう泣いて、


  思う事が叶わぬのに何故と厭わしく過ごした長い命だったが

  生きて帰ってきた今となっては長生き出来た事を嬉しく思っている


 と喜んでいた。


 これが永遠の別れの門出になるだろうと、親から言い聞かされた時の悲しさよりは、無事に待ち迎える事が出来る嬉しさは言いつくせないものがあるが、


「他人の身の上のことと今までは見ていた事だが、老い衰えてまで官職にしがみついて内裏の人々と交わるのは、おこがましく見えるものなので、私はここで閉じこもり官から身を引くべきと思う」


 とただもう、この世にある寿命も少なくなったかのような口ぶりでものを言うので、心細く堪え切れない)



  ****


 それからの一年、私達はそれまでにも増して父の無事を祈って日々を過ごした。朝廷おおやけの決定が覆ったりしないように、また東国に反乱などが起ったりしないように、大きな天災や災厄に見舞われないようにとあらゆる寺に祈願を立てた。そして父が常陸を出立したと聞くと、ひたすら旅路の無事を祈り続けた。 悪人に襲われないように、天候が穏やかであるように、途中、怪我や病に襲われたりしないようにと祈ることは沢山あった。


 そしてついに父は無事に帰ってきた。旅の疲れもあり、旅装束が見苦しくもあるので都には入らずに内裏からそう遠く無い、西山と言う所に落ち着いたと言う。私達にもそちらに移るようにと知らせが入り、早速皆で父のもとへ向かう。

 父は自ら私達を車を引きいれた廂の下まで出迎えてくれた。私達も扇を開く事も無く、真っ直ぐに父に向かって行った。しばらくは互いに喜びの涙で言葉も無く、ただただ父の無事を無言のまま神仏に感謝するばかりだった。


 しかし一度言葉の口火が切られると、それまでのあふれる思いと共に積もる話が次々と湧き起こった。

 その夜は月の明るい夜だったのでその月明かりの元、一晩中会えずにいた日々の思いを皆が打ち明け合っていた。私は、


「父上とお別れした秋の日は言葉こそしなかったものの、もう二度とお会いできないかもしれないと思って本当に胸の破れるような思いでいました。それが、同じ秋でもこんなに喜ばしい秋を迎える事が出来るなんて。あの時はこんな風には少しも考えられなかったのよ」


  かかるよもありけるものをかぎりとて君に別れし秋はいかにぞ

 (こうして語りあえる夜(世)が来るとも知らずにこれが最後と思いながら

  父君と別れたあの秋はどれほど悲しかった事か)


 と、思いのたけを打ち明けると、父はひどく涙を流しながら、


  思ふことかなはずなぞといとひこし命のほども今ぞうれしき

 (思う事が叶わぬのに何故と厭わしく過ごした長い命だったが

  生きて帰ってきた今となっては長生き出来た事を嬉しく思っている)


「私も正直あの時は、二度と家族と会えなくなると思って悲しみに胸が潰れるような思いでいたのだよ。家族と穏やかに過ごしたいと言うささやかな望みさえかなわずに、命短いこの身で旅立たねばならぬのかと思うと、それならいっそ家族のもとで寿命が尽きてくれれば良かった。なぜ、悲しい憂き目に遭う分だけ余分に命長らえたのだろうと悔しい思いをして過ごしていたのだ。だが今となっては思いもかけずに長生きできたことに心から感謝しているよ。こうして再び皆と会う事が出来たのだからな」


 と、しみじみと語る。しかしその顔も姿ももとの父から考えると驚くほど老いて見えた。

 やはり高齢で旅をして、荒れた東国での暮らしは父には負担が大きかったのだろう。それともそれまでは毎日父の顔を見ていたから、しばらく離れると急に老いたように見えたのだろうか?

 どちらにしても父に以前の快活さはもう感じられなかった。任を解かれて気が緩んでしまったのかもしれない。そういう老いた父の姿を見るのは私には辛い事だった。


 そう言えば母も気を張っていたとはいえ、やはり老いは隠せなくなっていた。髪はより細くなり白髪も増えた。しわが目立つだけでなく心配性の性格が現れて、目もややくぼみ気味だ。それまで意識していなかった親の老いが突然私の目に入るようになった。この二人はあとどのくらい私の生きる世にいてくれるのであろうか?


 そんな思いでいた時、父が言った。


「私ももう老いたな。せっかく帰って来たというのに都に入るのが億劫で仕方がない。実は私はこのまま都に戻らずに、隠居しようと思っているのだ」


「そんな。父上はそんなにお歳召したように見えないわよ」


 私は内心の父の老いを認める心を押し隠して明るく言ったが、


「いや。明らかに私は老いた。もう官人としては潮時だと思う。この国司の仕事でそれなりに暮らしのめどは立ったし、右大臣の実資さねすけ殿にお目もかけていただけるだろう。お前の縁談もできるだけのことを頼むつもりでいる。もちろん孫姫達の事も。だが、もう官職を求めるようなことはしない。老いさらばえてから官にしがみつこうとする姿を私もこれまでは他人事として見て来たが、あれは正直見苦しいものだ。おそらく私も目も見えず、耳も聞こえなくなるのも時間の問題であろう。誰もが老いには逆らえないものだ。私の寿命も残りわずか。私はこのまま身を引くことにする」


「父上。お疲れなのは分かりますけど、そんなお気弱な事おっしゃらないで下さい。父上はまだまだ長生きできますわ。それなら御出家でもなさって、心身を安らかになされたらいかが?」


 私はそう努めて明るく言ったが、


「いや、出家はせぬ。何しろお前がまだ独り身のままだ。お前の行く末を見届けなければ孫姫達の縁談も探すわけにはいかぬ。それは順序が違うと言うものだ。私はお前が良縁に恵まれ、孫姫達の縁が決まり、お前達が幸せに暮らせると確信できるまでは入道はせん。それが親の責任と言うものだ。しかし私にはそれで精一杯であろう。とてもおおやけのお役に立つことはもう出来ない。この残りわずかな命はお前をそれなりに暮らせる受領などにでも縁づけることに使おうと思うのだ」


 老いた顔の父にこんな風に言われては、


「結婚などしたくない。宮仕えや邸勤めなどをしながら、生涯憧れの人を待ち続けていたい」


 などとはとても口には出せない。何より父が今にも寿命が尽きるような言い方をするのが、私をひどく心細くさせていた。






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