おばの出家
『ものはかなき心にも、つねに、「天照御神を念じ申せ」と言ふ人あり。いづこにおはします神仏にかはなど、さは言へど、やうやう思ひわかれて、人に問へば、「神におはします。伊勢におはします。紀伊の国に、記の国造と申すはこの御神なり。さては内侍所に、すくう神となむおはします」と言ふ。伊勢の国までは、思ひかくべきにもあらざなり。内侍所にも、いかでかは参り拝みたてまつらむ。空の光を念じ申すべきにこそはなど、浮ておぼゆ』
(儚いものの考え方しかできない私にいつも、
「天照御神を御祈念申し上げなさい」
と言って来る人がいた。どちらにいらっしゃられる神仏なのかも知らず、そうは言ってもようやく分別も付くようになり、人に聞いてみると、
「神でいらっしゃいます。伊勢にいらっしゃるのです。紀伊の国に、記の国造と言う人がお祀りしていると申されるのは、この御神のことです。さらに宮中の内侍所にも、帝の守り神としていらっしゃられます」
と教えられた。伊勢の国まではお参りに行くなど思いもよらないことである。宮中の内にある内侍所にもいかにしてお参りし、拝む事が出来ると言うのだろう。空に光るお天道様を御念じ申し上げるしかないと、浮ついた心で思った)
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何かと私のことを気にかけ、親切にしてくれた『源氏物語』や『かばねたづぬる宮』を贈って下さったあのおばは、同じ物語好きでも私と違って信仰心の篤い方だった。
成仏や後世を願って御仏に朝晩お祈り申し上げるのはもちろんのこと、それより前のほんのお若い頃から「天照御神」を御信仰していらっしゃるのだと言う。とても素晴らしいこの国にとって大切な御神でいらっしゃられるので、私にも是非御祈念するようにと前々から常に勧められていた。いつも空想ばかりに心煩わされている私を心配してのことだろう。けれど私は相変わらずの浅はかさで真剣には考えられずにいる。
若いころはその神様の名も知らず、どのような存在であるのか、神様なのか、仏様なのかも知らなかった。おばがどんなに熱心に勧めて下さっても数多くある神仏の一つぐらいにしか考えられずにいた。それでも年かさが増すと普通の神仏より尊い存在らしい……と気づく程度には分別がつくようになった。するとそれまで何も知らずにおばにまともな返事も申し上げずにいたのが悪いような気がした。
身近な女房で神仏への信仰を深く持っている人に、
「天照御神とはどのような神仏なのかしら?」
と尋ねてみるとその女房は、
「それは尊い神様でございます。最近は誰もが御仏への御信仰を大切に考えられていますが、この国のもともとの神様は天照御神などの御神なのでございます。方違えや土忌のための天一神や地の神とは違い、この神は地上を等しく照らすお天道様の事を言うのです。この神は他に月の神「月読」や数多くの天の神、国の神と共に生まれましたが、この国でも特に大切な守り神として古くから帝を中心に崇められてきたのです」
と教えてくれた。帝が古くから崇められたお天道様とは、いかにも神々しい尊い神様のように思える。
「それはお参りしたくなる御神でいらっしゃるわね。その神様はどちらにいらっしゃるの?」
「伊勢でございます。紀伊の国の『記の国造』と言う人がお祀りしている御神とはこの神様の事なのです。ですから伊勢の地はこの国にとって特別な場所なのです」
「伊勢。随分遠いのね」
私はがっかりした。伊勢ともなるとそう簡単にお参りできる場所ではない。父の留守に特別な理由も無くお参りするにはあまりに遠い旅路となる。好奇心から一人で行こうとはとても思えない場所だ。すると他の女房が、
「もっと近い場所にもいらっしゃられます」
と言う。どこかと問うと、
「宮中です。わたくしの遠い縁のある人に昔宮中で『内侍』を勤めている人がいたのですが、宮中の温明殿の南側にある賢所を内侍が管理しておりますので、そこを内侍所と呼んでいるのでございます。何でもそこには伊勢の神様がお祀りされていて、とても神聖な場所なのだとか。ですからそこにも天照御神はいらっしゃられるはずですわ」
「宮中ではどちらにしても私のような者がお参りできる場所ではないようね」
おばと違って心浅はかで信仰心の薄い私は急速に興味を失ってしまう。他のお寺のようにお参りして御祈念が出来なければ御利益も無いような気がしてしまうのだ。
「お参り出来ないとなるとせいぜい、空に光るお天道様をお見上げして祈るくらいしかないわねえ」
私は浮ついた軽々しい心で、そういいながらも天を拝む心などすっかり忘れてしまうのだ。
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『親族なる人、尼になりて、修学院に入りぬるに、冬ごろ、
涙さへふりはへつつぞ思ひやる嵐吹くらむ冬の山里
返し、
わけて訪ふ心のほどの見ゆるかな木陰をぐらき夏のしげりを 』
(親族に当たる人が尼になって修学院に入ったのだが、冬の頃、
涙さえ流しことさらに思いやられることです
嵐が吹き荒れているであろうお暮しになっている冬の山里を
頂いたお返事は、
お訪ねになって下さったお心を見せていただきありがとうございます
木陰で暗くなるほどの夏の茂みをかき分けて来て下さったのですから )
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そのおばが夫を亡くされたのをきっかけに尼になられる事となった。おばは受領として成功した夫を持つ身だったので暮らしている邸も大変華やかな場所だった。だが尼の質素な生活には似合わないからとおばは修学院と言う山里にある寺に入る事になった。
これまでとてもお世話になったおばなので、私は早速出家したてのおばのもとを訪ねた。
夏の暑い頃なので山里は涼しく過ごしやすい。しかしその道行きはさすがに山道で、雑草を分け、左右から延びる多くの葉を茂らせた枝葉をかき分けながら車を進めるような道だった。
途中幾度も車を止め、草を払い枝を刈り払いながらようやくの思いで寺につくと髪を短く切りそろえたほかはそれほど以前と変わりのないおばがにこやかに迎えてくれた。
仏道に入られたらもともと信仰に熱心な方なのだから厳しい雰囲気を身にまとってしまったのではないかと思っていた私は、おばの変わらぬ笑顔にとても安堵する事が出来た。
「おばさま、お変わりないようで安心しました」
私が思わずそう言うと、
「仏道修行といいますけれど私は俗世にいた時も御神や御仏がお示しくださった道を、心穏やかに暮らすことを心がけて参りました。ですから暮らす場所が変わったからと言って私自身は何も変わりはありませんわ。これまでは夫が与えて下さった華やかな品々が私の心を明るくしてくれましたが、今は私を見守って下さる御仏のご慈悲が私の心を温かくしてくれているのです」
と、もとの通りの笑顔を向けてくれる。そしてこの寺の周りの草深い姿がいかにあわれ深く心慰められる場所であるかを教えてくれる。私は草深い地で貴公子を待つ自分に憧れてはいるけれど、おばのように一人出家した時に寂しい山里で同じように心温かい日々を送れる自信など無い。
「大丈夫。あなたはまだお若いのだし、未来を明るいものにしたいと考えられるのは当然です。それに人は寂しさや悲しさを知らなければ、幸せや喜びも知ることはできないでしょう。あなたはまだすべてがこれからよ。色々な心を味わう内に、自然と悟りを開かれていくでしょう」
と、まるで私を始めて邸に迎えてくれたあの幼かった時のように励ましてくれる。帰り際にも
「私は仏門に入っても人とのかかわりを断つつもりはないの。俗世のようにはいかなくても便りをかわしたり、出来る限りのお世話はしたいと思っているわ。あなたももし、御縁を求めたり宮仕えを考えたりするおつもりなら遠慮なく言ってね。あわてなくても神仏は見ていて下さっているからきっとあなたはお幸せになれるわ」
そう、頼もしい御言葉を下さって送りだしてくれた。
季節は巡り都に冬がやってきた。都の冬は底冷えがする厳しいものではあるが、まして山里ともなれば冬の深まりも早く、特にその年は山間では吹雪く事も多いと話に聞いていた。私はあのおばの明るさなら雪に閉じ込められようとも変わらずにいてくれる気はしたものの、やはり山里の寂しさを我が身で知っているのでおばの孤独を思えば涙が出て来る。せめてもの慰めにとおばに歌を贈った。
涙さへふりはへつつぞ思ひやる嵐吹くらむ冬の山里
(涙さえ流しことさらに思いやられることです
嵐が吹き荒れているであろうお暮しになっている冬の山里を)
しかし気丈なおばは冬の歌は返してこなかった。私が夏に訪ねた時の楽しく過ごした時のことを懐かしくつづる文と共に、その時に作ったが贈らずじまいとなったと言う歌を届けて下さった。
わけて訪ふ心のほどの見ゆるかな木陰をぐらき夏のしげりを
(お訪ねになって下さったお心を見せていただきありがとうございます
木陰で暗くなるほどの夏の茂みをかき分けて来て下さったのですから)
私はおばにはまったくかなわない。いつかこの人のように心穏やかにすべてを受け入れる事が出来る人になれるのだろうか?
そんな事を考えながら、このような身内に恵まれた我が身の幸せに感謝するのだった。
この修学院の尼との歌のやり取りですが、原文で主人公が冬のお見舞いの歌を贈っているにもかかわらず、返歌には何故か夏の歌が返されています。
ここは恐らくお見舞いの歌の後に冬の返歌が返され、何か夏に関わる歌が書かれてからこの夏の歌が返されていたのでしょう。しかし現在は冬の返歌と夏の歌が脱落しているとされています。
ですからここは殆んど私の想像で補っています。この尼と主人公は本当はどんな「ゆかしい」歌を贈りあっていたのでしょうね。